『生きた骨董品』と婚約破棄されたので、世界最高の魔導ドレスでざまぁします。私を捨てた元婚約者が後悔しても、隣には天才公爵様がいますので!

aozora

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 王都デザインコンペの熱狂が冷めやらぬ翌朝、エーテルポート地区に構えられたアトリエ「アウラ」は、静かな戦場と化していた。

「きゃっ! またです、セラフィナ様! もう予約台帳が、インクで真っ黒に……これ以上は書き込めませんわ!」

 忠実な侍女であり、今や敏腕マネージャーとなりつつあるクロエが、絹を裂くような悲鳴を上げた。彼女の目の前では、十数個の水晶球が同時に明滅し、ひっきりなしに舞い込む注文や問い合わせの声を健気に中継し続けている。

「落ち着いて、クロエ。一つずつ着実に。」

 セラフィナは冷静に声をかけたが、その指先がかすかに震えているのを自分でも感じていた。昨日までの世界とは、何もかもが違って見えた。

 コンペでの勝利は、単なる名誉回復ではなかった。それは、王都の社交界という巨大な湖に投じられた、あまりにも大きく、あまりにも革新的な一石だった。波紋は一夜にして津波へと変わり、「アウラ」に押し寄せていたのだ。

 王都日報の一面には『時代の寵児、彗星の如く』という大見出しが躍り、経済紙は『感情を映すドレス「フェニックス」――ファッションと魔導技術の革命的融合』と、その技術的価値を詳細に分析していた。

 昨日まで、セラフィナ・ド・ヴァレンシアは「ベルフォート公爵家に捨てられた、哀れな令嬢」だった。しかし今日、彼女は「王都のトレンドを創る、謎めいた天才デザイナー」として、人々の羨望と好奇の的となっていた。

「落ち着いてなんていられません! このままではセラフィナ様ご自身が倒れてしまいます! それに、素材の仕入れ先からも『もう糸が底をつく』と泣きつかれて……!」

「ふん、嬉しい悲鳴というやつだな。」

 工房の奥から、無骨な声と共にギルバートが顔を覗かせた。その口元はぶっきらぼうに歪んでいるが、目元には隠しきれない誇らしさが滲んでいる。

「だがな、小娘。このままじゃお前の身体が先にパンクするぞ。お前の『エーテル織』は、お前にしかできねぇ唯一無二の代物だ。そこらの縫い子に任せられると思うなよ。どうする気だ?」

 ギルバートの指摘は的を射ていた。「アウラ」のドレスは、セラフィナのエーテル織演算という特殊技能があって初めて完成する。物理的に、彼女一人で捌ける量には限界があった。

 成功の甘美な味は、同時に新たな、そしてより大きな課題を突きつけていた。

 これは、単なる人手不足ではない。彼女の天才性に依存しすぎるが故に、事業規模の拡大(スケール)ができないという、ビジネスモデルそのものの構造的欠陥だった。

「……ええ、わかっています、師匠。だからこそ、次の手を打つんです。」

 セラフィナは窓の外、ガラスと鋼鉄が陽光を反射するエーテルポートの街並みを見つめながら、静かに呟いた。彼女の頭の中では、すでに新しい設計図が描かれ始めていた。

 それは、ドレスのデザインではなかった。アトリエそのもの、いや、ビジネスという概念そのものを再構築するための、壮大な設計図だった。

 その日の午後、予告もなくアトリエを訪れた人物がいた。

「どうやら、嬉しい悲鳴に包まれているようだね、セラフィナ嬢。」

 軽やかなノックと共に現れたのは、セバスチャン・モラン公爵だった。彼は山積みの注文書と、てんてこ舞いのクロエを一瞥し、面白そうに目を細めた。

「セバスチャン様……! 申し訳ありません、散らかっておりまして。」

 クロエが慌てて頭を下げるのを、セバスチャンは片手で制した。

「いや、構わない。これは君たちの勲章だ。……そして、私の誇りでもある。君という才能を信じて、本当によかった。」

 彼はセラフィナに向き直り、その声に熱を込めた。

「君の勝利は、単に美しいドレスが評価されただけではない。旧弊な価値観に支配された伝統派の権威に、君という『革新』が風穴を開けたんだ。人々は、新しい時代の風を感じている。その風の中心にいるのが、君なのだよ。」

「お言葉、恐れ入ります。ですが、この風に乗り続けるためには、帆を張り替えるだけでは足りません。船そのものを、造り替えなければ。」

 セラフィナは彼をまっすぐに見つめ返し、アトリエの奥にある自身の執務室へと誘った。そこは、外部の喧騒が嘘のように静まり返っていた。

 彼女はテーブルの上に一枚の設計図を広げた。それはドレスのパターンではなく、無数の幾何学模様と、複雑な魔術回路が絡み合った、極めて難解な図面だった。

「これは……?」

 セバスチャンが眉をひそめる。その図面が、既存のどの魔術体系にも属さない、全く新しい概念に基づいていることを、彼は一目で見抜いていた。

「この事業のボトルネックは……私自身です。この手と、この頭脳が一つしかないこと。ならば、私の『思考』と『技術』を代行してくれる……そんな新しい『家族』を創り出すしかありません。」

 セラフィナは図面の一点を指さした。

「従来のゴーレムや使い魔は、命令に忠実なだけの人形です。私が求めているのは、そうではありません。大まかな目標――例えば『アトリエの予約状況を最適化せよ』と指示すれば、自ら顧客データと資材在庫を分析し、生産計画を立案し、最適なスケジュールを提案してくる。そんな『思考する使い魔』です。」

 彼女はそれを、「エージェント・ファミリア」と呼んだ。

 セバスチャンは息を呑んだ。

「……素晴らしい。本当に、君は……! 問題の核心が君自身の時間にあると見抜き、その解決策が『人を増やす』のではなく『君の思考そのものを増やす』ことだと……。そこまで考えていたとは。正直、鳥肌が立ったよ。」

 彼の声は、驚嘆と興奮に震えていた。これは単なる業務効率化の道具ではない。人工的な知性、魔法によって生み出された秘書であり、経営コンサルタントだ。そんなものが実現すれば、ファッション業界どころか、この国のあらゆる産業のあり方を根底から覆しかねない。

「君の『エーテル織演算』は、無から有を生み出す創造の魔術だ。そして私の領地では、魔力を長時間安定して保持し、自己修復機能を持つ『自律型魔導コア』の研究が進んでいる。この二つを組み合わせれば……」

「……可能、ですね。」

 セラフィナが頷く。二人の視線が交錯し、火花が散った。それは恋のそれとは違う、革新を夢見る共犯者たちの、熱く知的な共鳴だった。

「私の研究所を使いたまえ。最高の人材と、必要なものは全て用意しよう。これは君の事業のためだけではない。我々の、王国全体の未来のためのプロジェクトだ。」

 セバスチャンの申し出に、セラフィナは深く、そして力強く頷いた。

 アトリエ「アウラ」の喧騒は、今や遠い世界の出来事のように感じられた。

 セバスチャンの私的研究所は、エーテルポート地区の最も高いタワーの最上階、雲に手が届きそうな場所に隠されていた。セキュリティは王宮の宝物庫以上に厳重で、入室を許されるのはセバスチャンが認めたごく一握りの人間だけだ。

 広大な空間には、見たこともない魔導装置が静かな駆動音を立てて並んでいる。壁一面が巨大な水晶板になっており、そこには絶えず膨大なデータが光の文字となって流れ続けていた。

「ここが、私の聖域だ。」

 セバスチャンは少しだけ得意げに言った。

「素晴らしい場所ですわ。まるで、世界の頭脳の中にいるようです。」

 セラフィナの目は、子供のように輝いていた。ここには、彼女の知的好奇心を刺激する全てがあった。

 開発は、二人の共同作業で進められた。

 まず、セバスチャンが提供した鶏卵ほどの大きさの『自律型魔導コア』。それはまるで生きているかのように、内部で淡い光が脈動していた。

「このコアが、我々の創造物の心臓であり、脳になる。」

 次に、セラフィナの出番だった。彼女はニューロ・レンズの試作品を静かに装着すると、目を閉じた。彼女の精神は魔導装置と直接繋がり、思考そのものがエーテル織のパターンを紡ぎ出す。

 彼女の周囲の空間が、微かに揺らめいた。目には見えない光の糸が、彼女の指先から放たれるようにして空中に集まり、複雑怪奇な立体格子を編み上げていく。それは、生命の設計図とも呼ぶべき、魂のアルゴリズムだった。

「……信じられん。思考だけで、これほど緻密なエーテル織を……」

 セバスチャンは、畏敬の念を込めてその光景を見守っていた。論文で理論は知っていた。だが、実際に天才がその力を振るう様は、神の御業に等しい神々しさを放っていた。

 セラフィナが編み上げたエーテル織の光の網が、ゆっくりと魔導コアへと吸い込まれていく。コアの脈動が、一瞬、激しくなった。

 すると、コアから光が漏れ、小さな水晶の鳥が形作られた。

「チ、」

 生まれたばかりの鳥は、おもむろにセバスチャンのデスクにあった高価なインク壺を掴むと、窓から投げ捨てようと翼を広げた。

「待って!」

 セラフィナが慌てて思考で制止する。

「あら……どうやら『不要なものを整理して』という初期命令を、少し過激に解釈してしまったようですわ。」

 セバスチャンは眉をひそめるどころか、楽しそうに笑った。

「面白い! 汎用性が高い分、最初の教育が重要になるわけか。これはますますやりがいがあるな。」

 セラフィナは頬を赤らめつつも、すぐにエーテル織を微調整し、今度こそ完璧な命令系統を構築した。

 そして、静寂。

 失敗か、とセバスチャンが息を詰めた、その時。

 調整を終えたコアの表面に小さな亀裂が走り、そこから柔らかな光が溢れ出した。光は再び形を取り、やがて手のひらに乗るほどの、精緻な水晶でできた小鳥の姿となった。

 チ、と今度は穏やかな鳴き声。

 水晶の鳥は、ぎこちなく翼を一度はばたかせると、ふわりと宙に浮いた。そして、セラフィナの肩にちょこんと留まった。

「……成功、です。」

 セラフィナが安堵の息を吐き、ニューロ・レンズを外す。額には玉の汗が光っていた。

 セバスチャンは、言葉を失ってその小さな創造物を見つめていた。やがて、彼はセラフィナに向き直り、その両肩を掴んだ。

「セラフィナ嬢、君は……君は本物の天才だ。いや、天才という言葉すら陳腐に聞こえる。」

 彼の瞳は、これまで見たこともないほど真剣な光を宿していた。

「君と一緒なら、本当に世界を変えられる。不可能が可能になるんだ。」

 至近距離にある彼の顔に、セラフィナの心臓が高鳴った。それは、革新への情熱だけではない、もっと個人的で、温かい感情の波だった。彼女は頬を染めながらも、彼の視線から逃げなかった。

「ええ、セバスチャン様。私たちなら。」

 その日から、アトリエ「アウラ」の風景は一変した。

 数十羽の水晶の鳥たちが、アトリエの中を優雅に飛び交っている。一羽はクロエの横に留まり、彼女が口頭で告げる予約内容を正確に台帳へ記録していく。別の一羽は倉庫へ飛び、布地の在庫をスキャンして不足分をリストアップし、仕入れ先へ自動で発注書を送る。また別の一羽は、顧客のもとへ飛んでいき、仕上がったドレスの納品日を美しい声で告げていた。

「こ、これは……魔法ですわ……!」

 クロエは、最初は目を白黒させていたが、今ではすっかりエージェント・ファミリアたちを頼もしい同僚として受け入れていた。煩雑な事務作業から解放された彼女は、本来の得意分野である顧客対応やドレスの最終チェックに集中できるようになった。

 アトリエの生産性は、劇的に向上した。セラフィナは創造的な仕事――デザインとエーテル織の付与――に専念できるようになった。

 アトリエ「アウラ」は、もはや単なる流行のファッションブランドではなかった。それは、魔導技術を駆使して旧来の常識を打ち破る、新時代のビジネスモデルの先駆けとなったのだ。

 その夜、開発の成功と事業の順調な拡大を祝して、セラフィナとセバスチャンはアトリエのバルコニーでささやかな祝杯を挙げていた。

 眼下に広がる王都アストラリスの夜景は、宝石を散りばめたように美しい。

「この光景を見ていると、我々のやっていることが、ただの夢物語ではないと実感できる。」

 セバスチャンが、きらめく街を見下ろしながら言った。

「いつか、この街の明かりの全てを、我々のクリーン・エーテル転換炉で灯したい。瘴気を撒き散らす旧式の炉に苦しむ人々をなくしたいんだ。」

「ええ。ファッションは、そのための第一歩です。人々の心を変え、新しい価値観を受け入れる土壌を作るための。」

 セラフィナも同意する。二人の夢は、個人の成功を遥かに超えた場所にあった。

 穏やかな時間が流れる。だが、セバスチャンはふと表情を引き締め、セラフィナに向き直った。

「だが、セラフィナ嬢。光が強くなれば、影もまた濃くなる。……ベルフォート公爵が、この状況を黙って見ているはずがない。」

 彼の言葉に、セラフィナはグラスを持つ手を止めた。

「私の情報網が、不穏な動きを掴んでいる。君のドレスに不可欠な、特殊な魔力を帯びた絹糸……その供給元である織物ギルドに対し、ベルフォート家から強い圧力がかかっているようだ。」

 セバスチャンは続けた。

「公爵は、ギルドマスターの昔の借金を盾に脅しているらしい。それだけではない。『アウラ』との取引を続けるなら、ギルドに卸している魔晶石の価格を吊り上げると……。どこまでも陰湿で、近視眼的なやり方だ。まだ表立った供給停止には至っていないが、時間の問題だろう。」

 やはり来たか、とセラフィナは唇を噛んだ。ベルフォート公爵――あの冷酷で計算高い男が、息子が受けた屈辱と、自らの利権を脅かす存在を放置するはずがなかった。

 一瞬、彼女の胸を不安がよぎる。しかし、それはすぐに霧散した。

 彼女は顔を上げ、セバスチャンの目をまっすぐに見つめた。その瞳には、かつての怯えや絶望の色は微塵もなかった。

「ええ、わかっています。でも……」

 彼女は、凛とした声で言った。

「もう、あの時のように私一人で全てを背負う必要はないのですから。」

 その言葉は、セバスチャンの胸を強く打った。そうだ、彼女はもう、公衆の面前で辱められ、誰にも助けを求められなかった無力な令嬢ではない。彼女は、自らの力で立ち上がり、多くの味方を得た、誇り高き革新者なのだ。

 セバスチャンは、思わず彼女の手に自身の手を重ねた。彼女の手は、驚くほど繊細で、しかし確かな熱を持っていた。

「その通りだ。我々はパートナーだ。どんな困難も、どんな卑劣な罠も、共に乗り越えよう。」

 重ねられた手から伝わる温もりが、二人の間の見えない絆を確かなものにしていく。

 王都の夜景を背に、二人の革新者は静かに未来を誓う。それはまだ、恋とは呼べないものかもしれない。だが、互いを唯一無二の存在と認め合う、何よりも強く、そして輝かしいパートナーシップの始まりだった。

 彼らの足元では、ベルフォート公爵という巨大な影が、ゆっくりと、しかし確実にその鎌首をもたげ始めていた。
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