国家反逆罪だ!と婚約破棄されましたが、私の地図製作スキルがなければこの国の真実は暴けません。王宮を追われた天才令嬢、秘密の工房で反撃開始!

aozora

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 秘密の書斎に籠もり、何日経っただろうか。イザベラ・フェアファックスは、時間も忘れて先祖が遺した膨大な知識の海に溺れていた。羊皮紙の乾いた匂いと古いインクの香りだけが、彼女の世界のすべてだった。

「お嬢様。その古文書は逃げませぬが、このスープは冷めてしまいますぞ。さ、一口だけでも。先代の旦那様がご存命でしたら、私めが固く叱られてしまいます」

 忠実な老執事アルフレッドが、心配そうに声をかける。その手には、湯気の立つ盆が乗せられていた。

「ありがとう、アルフレッド。ごめんなさい、今、思考の糸が切れそうで……。そこに置いておいてくれる? 必ず、あとでいただくから」

 イザベラの返事は上の空だった。彼女の視線は、机いっぱいに広げられた曽祖父アランの精密な地図と、傍らに積まれた分厚い日誌に釘付けになっていた。

「……また『あとで』でございますか。そのお言葉を伺うのは、今日で七度目でございますよ」

 アルフレッドは深々とため息をついた。かつて王都の社交界で完璧な淑女を演じていた令嬢は、今やインクで指先を汚し、髪を一束に無造作にまとめ、一心不乱に古文書を睨みつける探求者へと姿を変えていた。その姿は痛ましくもあったが、同時に、不思議な活気に満ちているようにも見えた。

「だって、見てちょうだいアルフレッド! これはただの飾りじゃないわ。どの地図にも、この奇妙な印が……意図的に隠されているのよ!」

 イザベラは、いくつかの地図を指し示した。その装飾的な枠模様の中に、一見するとただの優雅な唐草模様にしか見えない、しかし注意深く見れば明らかに特定の法則性を持つ記号群が隠されていた。

「この記号……日誌のページの隅にも、いくつか同じものが記されているわ。これは単なる飾りじゃない。何かの意味を持つ……暗号よ」

 その発見以来、イザベラは解読に没頭していた。フェアファックス家に伝わる様々な暗号術の知識を総動員し、記号の出現パターンを照合し、仮説を立てては崩す、地道な作業の繰り返し。

「この記号の配列は、星図に基づいているのかしら……? いや、違う。それならこの周期的なズレが説明できない……」

 ぶつぶつと呟きながら、彼女は新たな羊皮紙に記号を書き写していく。その時だった。

 階下から、控えめな来客を告げる鐘の音が響いた。

「こんな辺鄙な場所に、誰かしら……」

 いぶかしむイザベラに、アルフレッドが緊張した面持ちで告げた。

「お嬢様……先日、村でお会いになったという、あの学者様が……」

 カイ・ウォーカー。その名を聞いた瞬間、イザベラの背筋に冷たいものが走った。なぜ、今ここに?

 アルフレッドが困惑した様子で続ける。

「『この地の管理をなさっているフェアファックス嬢に、まずはご挨拶を』と…。その上で、このお屋敷の歴史的な建築についてお話を伺いたい、と。あまりに理に適った申し出で、無下にもできず……」

「……わかったわ。応接室へお通しして」

 イザベラは舌打ちしたいのを堪え、探求者の顔から令嬢の仮面へと意識を切り替えた。研究の邪魔をされた苛立ちと、あの男への底知れない警戒心が入り混じる。彼女は、思考の断片を書き留めていた数枚の羊皮紙を無意識に手に取ると、書斎を後にした。

「これはこれは、フェアファックス嬢。突然の訪問、お許しいただきたい」

 応接室で待っていたカイは、人の好い笑みを浮かべて立ち上がった。彼は建物の歴史や、窓枠の様式美について穏やかに語り始めたが、イザベラにはその言葉が少しも頭に入ってこなかった。

 (この男の目的は、一体何……?)

 彼女の注意は、彼に見られてはならないその羊皮紙に集中していた。さりげなく背後に隠そうとした、その瞬間。

 カイが語った何気ない一言が、イザベラの思考の回路を繋いだ。

「……古い建築では、王家を象徴する『獅子』と、それを支える貴族の『隼』の意匠が対で用いられることがよくあります。獅子が正しく空を見上げている間は、隼もまた高く舞うことができる。……美しい力の均衡です」

 獅子。隼。

 その言葉が、雷のように彼女の脳を撃ち抜いた。

 (まさか……あの暗号、単純な換字式じゃない。フェアファックス家の紋章である『隼』と、王家の『獅子』を鍵にした、二重の換字法……!)

 イザベラは、目の前にいるカイの存在も忘れ、近くのテーブルに駆け寄ると、持っていた羊皮紙に羽ペンを走らせた。彼女の頭の中で、もつれていた糸が解け、記号が次々と意味のある言葉へと変わっていく。

 彼女が顔を上げた時、目の前には、息を詰めて彼女の手元を見つめるカイの姿があった。彼の顔からは、いつもの温厚な笑みが完全に消え失せていた。

 羊皮紙の上には、彼女の震える手で書きなぐられた一文が記されていた。

「獅子が盲目となりし時、隼は打つ。彼らは国境を隠すために地図を奪い、真実を隠すために我らの名を奪った」

 それは、フェアファックス家を襲った過去の悲劇と、現在の陰謀の核心を貫く、呪いのような言葉だった。

 イザベラは、目の前の男の、あまりに鋭い視線に気づいてはっとした。まるで全てを見透かすような、冷静な分析者の目に。

「あなた……まさか、今の言葉……わざと……?」

 カイはイザベラの言葉を遮るように、静かに、しかし重く口を開いた。

「フェアファックス嬢。お答えいただきたい。なぜ、あなたがその暗号を解読できる?」

 彼の声には、もはや学者の知的好奇心とは全く異質の、緊迫した響きが宿っていた。

「……間違いない。王家直属の諜報機関のみが使うことを許された『王家のサイファー』。その失われたはずの原型です。……なぜ、それがここに?」
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