国家反逆罪だ!と婚約破棄されましたが、私の地図製作スキルがなければこの国の真実は暴けません。王宮を追われた天才令嬢、秘密の工房で反撃開始!

aozora

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 埃と古書の匂いが満ちる工房の空気が、ぴんと張り詰めた。

 カイ・ウォーカーと名乗る男が放った問いは、穏やかな学者の仮面を剥ぎ取り、氷のように冷たく鋭い刃となってイザベラの心臓に突きつけられた。

「失礼ながら、フェアファックス嬢。その紋様を、ただの装飾ではないと見抜かれた慧眼には感服いたします。……ですが、その先、解読に至るまでの道筋は、一体どこでお学びになったのですかな?」

 それは純粋な疑問ではなかった。尋問だった。彼の瞳の奥に揺らめいていた知的な好奇心は消え失せ、代わりに底知れない深淵が広がっている。まるで、獲物の喉元に牙を突き立てる寸前の、研ぎ澄まされた捕食者の眼差しだ。

 一瞬、血の気が引くのを感じた。しかし、イザベラは背筋を伸ばし、努めて冷静に彼を見返した。ここで怯めば、喰われる。

「まあ、ウォーカー様。まるで私が何か悪いことでもしたかのような仰りようですわね。その問いにお答えする前に、一つお伺いしてもよろしいかしら?」

 彼女はゆっくりと羊皮紙から指を離し、カイに向き直った。

「私が先祖の遺したものを読み解くのは、当然の権利ですわ。それよりも、ウォーカー様。あなたはなぜ、これが単なる飾り文字ではないとご存知なのですか?一介の学者殿が踏み込むには、少々深すぎる知識ではございませんこと?」

 反撃の言葉は、震えることなく唇から滑り出た。今や主導権は渡せない。この男が何者であれ、フェアファックス家の工房で、先祖の遺産を前にして、一方的に問いただされるわけにはいかない。

 カイは微かに眉をひそめた。だが、すぐに彼の口元に自嘲するような笑みが浮かぶ。

「……お見事。確かに、私の問いは不躾でした。訂正しましょう」

「あなたが解読したそれは、ただの暗号ではない。王家に仇なす者、あるいは王家が最も信頼する者のみが知る、失われたはずの『王家のサイファー』。その原型です」

 王家のサイファー。その言葉の重みが、工房の空気をさらに圧縮する。

「私は王立書庫の一介の学者。古文書に埋もれていれば、時折そういった禁断の知識の欠片に触れることもあります。……ですが、書庫の埃の向こうに見える景色と、あなたが今ご覧になっている景色は、まるで違うようだ。あなたはいったい、どこからこの深淵を覗き込んでいるのです?」

 カイは一歩、イザベラに近づいた。威圧するでもなく、ただ二人の間の距離を詰める。それは、もはや社交辞令の通用しない領域に入ったという無言の宣言だった。

「これは曽祖父が遺した日誌ですわ。フェアファックス家は代々、地図製作者として王家に仕えてまいりました。独自の記録法や暗号を持っていても、不思議はございませんでしょう」

 嘘ではない。だが、真実の全てでもない。イザベラは、この男にどこまで開示すべきか、思考を高速で回転させていた。

「なるほど。フェアファックス家の独自の暗号、ですか」

 カイは納得したふりをして頷いたが、彼の目は全く笑っていなかった。

「では、その『独自の暗号』が、二世代前にフェアファックス家のギルドが解体された理由と、何か関係があるとはお考えになりませんか?」

 彼の言葉は、イザベラの胸の奥深くに突き刺さった。

「……どういう意味ですの?」

「獅子が盲目となりし時、隼は打つ。獅子とは王家の紋章。では、隼は?」

 カイは、イザベラが解読した羊皮紙に視線を落とした。

「隼を紋章に使う高位貴族は、王国にただ一人しかおりません。……グロスター公爵、リチャード殿下です」

 知っていた。心のどこかで、そうではないかと疑っていた。だが、こうして第三者の口から、確信を持って語られると、その事実は改めて重くのしかかってくる。

「あなたの断罪劇は、歴史の繰り返しなのかもしれない。王家のサイファーの知識を持つフェアファックス家は、グロスター公爵にとって邪魔だった。二世代前も、そして今も」

 カイの口調は淡々としていたが、その内容はイザベラの推測を恐ろしいほど正確に裏付けていた。この男は、ただの学者ではない。王都の中枢で蠢く陰謀の、その渦の中心に近い場所にいる人間だ。

 イザベラは息を飲んだ。この男は敵か、味方か。あるいは、自分を利用しようとする第三の勢力か。

「……もう結構ですわ。その学者の仮面は、お脱ぎになったらいかが? あなた様が何者なのか、その口から直接お聞かせいただきたい」

 今度こそ、イザベラは核心を突いた。探り合いはもう終わりだ。

 カイはしばらく沈黙し、工房の窓から差し込む北の弱い光を見つめていた。やがて、彼はゆっくりとイザベラに視線を戻すと、小さく息を吐いた。

「王立書庫の調査員であることは、事実です。ですが、私の任務は、単に地方の伝承を集めることではない」

 彼は懐から、小さな革の手帳を取り出した。そこには、王家の紋章が控えめに刻印されている。

「私は、国王陛下の特命を受け、この国の『失われた記録』と『歪められた記録』を調査しています」

「公の歴史から抹消された事実、そして……意図的に改竄された地図を」

 特命。その言葉に、イザベラの心臓がどきりと跳ねた。

「グロスター公爵が、長年にわたり国境線の地図を少しずつ書き換え、自らの領地を不当に拡大しているという疑惑があります。しかし、証拠がない。彼の用意する地図は完璧で、誰もその不正を証明できないのです」

 共通の敵。カイの言葉は、明確にそう示唆していた。

「あなたの婚約破棄と追放は、公爵の計画の一部でしょう。彼にとって最大の脅威は、その不正を見抜く可能性のある、真の地図製作技術を持つフェアファックス家の存在そのものだった」

 ようやく、全てのピースが繋がった。なぜ自分だったのか。なぜ、フェアファックス家が標的になったのか。それは、一族が持つ知の遺産、この工房に眠る技術こそが、黒幕の野望を打ち砕く唯一の剣だったからだ。

 怒りや絶望よりも先に、奇妙な高揚感がイザベラの胸を満たした。これは、ただの復讐ではない。歪められた真実を正すための、知性という武器を手に取った者だけが挑める戦いだ。

 しかし、まだ彼を全面的に信用するわけにはいかない。

「お話は分かりました。ですが、言葉だけでは信頼の証にはなりませんわ。あなた様が本当に私の『味方』であると証明してくださるなら……私に足りない『鍵』を、あなたが見つけ出せるというのなら、信じましょう」

 彼女は工房の奥を指さした。そこには、製図台や薬品棚が並んでいるが、肝心なものが欠けていた。

「この工房は完璧ではありません。曽祖父が隠したはずの、最も精密な測量を行うための道具一式が、どこにも見当たらないのです」

「星の位置を寸分の狂いなく捉える天球儀、微細な角度を測るための六分儀、そして、特殊な鉱石を研磨して作られたレンズ……」

「それらがなければ、公爵の偽りの地図に対抗できる、完璧な地図は作れません」

 これは賭けだった。もしカイが本当に味方なら、この謎に光明を差してくれるかもしれない。もし敵なら、こちらの弱みを晒すだけになる。

 カイはイザベラの言葉を聞くと、驚くでもなく、むしろ「やはり」とでも言いたげな表情を浮かべた。

「先日、私が村の子供に託した植物を覚えておいでですか?」

「……ええ。珍しいシダだとおっしゃっていたわ」

「あれは『蛍石のシダ』と呼ばれる指標植物です。特定の鉱脈、すなわち、極めて純度の高い蛍石(フローライト)が採れる場所でしか育たない」

 カイは続けた。

「そして、その蛍石こそが、かつてフェアファックス家が独占的に使用していた、高精度レンズの原料だと古文書に記されていました。道具そのものは失われていても、それを作り出すための『知識』と『素材』のありかが分かれば、再現は可能なのでは? それこそが、フェアファックス家に受け継がれる真の遺産でしょう」

 イザベラの目が大きく見開かれた。点と点が、線で結ばれる。あの何気ない贈り物は、彼からの試験であり、同時に、この状況を打開するためのヒントだったのだ。

 この男は、自分の想像を遥かに超える深さで、物事を読み、手を打っていた。

 沈黙が、工房に落ちる。それはもはや緊張ではなく、互いの能力を認め合った者たちの間に流れる、静かな共鳴のようなものだった。

 やがて、カイは革の手帳を懐にしまい、扉へと向かった。

「今日のところは、これにて失礼します。あまり長居をしては、あなたにもご迷惑がかかる」

 彼は扉の前で振り返ると、イザベラをまっすぐに見つめた。その瞳には、もはや探るような色はなく、ただ静かで強い意志が宿っていた。

「イザベラ・フェアファックス様。あなたの探求は、もはや個人の復讐や、一族の名誉回復という枠には収まらない。この王国の未来そのものを左右する、重大な戦いです」

 彼の声は、静かだが工房の隅々にまで響き渡った。

「私は、あなたという地図製作者が持つ知性と、真実へ向かうその精神を信じる。……さあ、共に取り掛かりましょう。この歪められた王国の地図を、我々の手で、真の姿に描き直すのです」

 協力の申し出。それは、甘い愛の言葉などでは決してない。血とインクと、知略の限りを尽くす戦場への、共犯者としての誘いだった。

 イザベラは、すぐには答えなかった。ただ、彼の真摯な瞳を、じっと見つめ返した。

 カイが静かに工房を去り、その足音が遠ざかっていく。一人残されたイザベラは、ゆっくりと息を吐き出した。

 やがて、心配そうな顔をしたアルフレッドが、おずおずと工房の入り口に姿を現した。

「お嬢様……あの男は、一体……」

 イザベラは、忠実な老執事に向かって、ふわりと微笑んだ。それは、追放されてから初めて見せる、心からの笑みだった。

「大丈夫よ、アルフレッド」

 彼女の声は、確信に満ちていた。

「私たちの夜が、ようやく明けるのよ」

 孤独な戦いは終わった。これから始まるのは、危険な協力者と共に、王国の嘘を暴き出す、壮大な反撃の序曲だった。イザベラは、曽祖父が遺した羊皮紙を、今度は迷いのない、力強い手で掴んだ。
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