ざまぁスケールが大きすぎて国が滅びました。~百年引きこもった魔女ですが、転生してきた理系男子に魂ごと開拓されています~

aozora

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 戦況は、膠着していた。

 カイトが大地に刻んだ無数の策は、聖顕教会の騎士たちが誇る鋼の規律を、泥臭く、しかし確実に蝕んでいた。

 落とし穴に嵌り、粘つく泥濘に足を取られ、思わぬ方向から飛んでくる石つぶてに顔を歪める。

 彼らが神聖なる戦いと信じていたものは、いつしか、ただの消耗戦へと姿を変えていた。

「……愚かな。実に愚かしい」

 後方で戦況を見守っていたヴァルギウス枢機卿が、ぽつりと呟いた。

 その声は氷のように冷たく、慈愛に満ちた聖職者の仮面の下から、侮蔑が滲み出ていた。

「神の御前にて、この無様な抵抗も、いずれは塵芥と化す。それを示してやろう」

 彼はゆっくりと一歩、前へ踏み出した。

 ただそれだけで、戦場の空気が変わった。

 喧騒が嘘のように静まり、騎士も、民も、誰もがその純白の祭服を纏った男に視線を奪われる。

「ヴァルギウス……!」

 砦の物見台から戦況を注視していたカイトが、低い声でその名を呼んだ。

 双眼鏡のレンズ越しに、枢機卿が穏やかな笑みを浮かべているのが見える。その笑みが、カイトの背筋に冷たいものを走らせた。

 ヴァルギウスは天を仰ぎ、両腕を広げた。まるで、天からの啓示をその一身に受け止めるかのように。

「古き大地の息吹よ。汝の内に秘められし穢れ、汝が飲み込みし人の罪よ」

 荘厳なバリトンが、戦場に響き渡る。それは詠唱だった。

 だが、リリアンヌが使うような、生命と共鳴する温かいものではない。空気を震わせ、聞く者の鼓膜を不快に揺さぶる、異質で禍々しい響き。

「今こそ、その毒を吐き出す時。神罰の代行者たる我が声に応え、その真なる姿を現すがいい。『大地の腐蝕(ガイア・ネクローシス)』!」

 ヴァルギウスがその言葉を紡ぎ終えた瞬間、世界から音が消えた。

 いや、消えたのではない。

 低く、地を這うような呻き声が、あらゆる音を塗り潰していったのだ。それは、大地そのものが上げている悲鳴だった。

「何だあの力は……! リィン、まずは君の安全を確保する!」

 カイトが焦燥に駆られた声で叫んだ。

「な……なんだ……?」

 最前線で騎士と組み合っていた男が、足元を見て絶句した。

 緑豊かだった草が、急速に色を失っていく。青々とした葉は瞬く間に茶色く枯れ、黒い染みのようなものが浮かび上がると、脆く崩れて塵になった。

 それは、伝染病のように広がっていく。

 一人の足元から、隣の男の足元へ。砦の土塁を駆け上り、民が立て籠もる柵の内側へと、黒い死が侵食していく。

「リィン! どうした、その顔色! まさか……!」

 カイトは叫びながら、隣に立つリリアンヌを振り返った。

 彼女は、物見台の手すりを掴んで、わなわなと震えていた。

 絹のような銀髪が風に揺れ、その顔は血の気を失い、陶器のように白い。血のように赤い瞳が、信じられないものを見るように大きく見開かれている。

「あ……あ……」

 リリアンヌの喉から、か細い声が漏れた。

 彼女には見えていた。ただ色が失われるだけではない。

 大地を流れる生命の奔流――プラーナの流れが、黒く淀み、逆流していく様が。まるで健全な血管に、強力な毒物が注入されていくかのように。

「う、そ……」

 自分の力の源が、目の前で汚染されていく。

 それだけではない。大地から流れ込んでくるはずの力が途絶え、逆に、自らの内にある生命力が、足元の大地へと吸い出されていく感覚に襲われた。

 ヴァルギウスの呪いが大地を媒介し、リリアンヌの『生命力交換』の理を歪ませ、奪い取ろうとしているのだ。

 ぐらり、と彼女の身体が傾ぐ。

「しっかりしろ!」

 カイトが咄嗟にその細い肩を抱き寄せた。触れた彼女の身体は、氷のように冷え切っていた。

「だめ……力が……吸い取られる……」

 リリアンヌはカイトの腕の中で、か細く囁いた。

 大地との繋がりが、今は呪いの枷となっていた。

 彼女が癒し、育んできたこの土地が、今や彼女自身の生命を奪う牙となっている。

 呪いの侵食は止まらない。

 カイトが設計した灌漑用の水路を流れていた清らかな水は、ヘドロのように濁り、淀み、魚の死骸が白い腹を見せて浮かび上がった。

 民が丹精込めて育てた畑の作物は、一瞬にして黒く枯れ果て、腐臭を放ち始める。

 希望の象徴であった緑が、次々と絶望の色に塗り替えられていく。

「うわあああああっ!」

「俺たちの命綱が…枯れていく!」

「嘘だろ…! この輝きが…一瞬で…!」

 民衆はパニックに陥った。

 屈強な騎士団を相手に立ち向かっていた彼らだが、自分たちの手で築き上げてきたものが、あまりにも理不尽な力によって、目の前で無に帰していく光景は、彼らの心を打ち砕くには十分だった。

 恐怖に竦み、彼らは自然と後ずさった。

「落ち着け! 皆、武器を構えろ! 防御壁を立て直すぞ!」

 カイトの指示が飛ぶが、民衆は動けない。

 カイトが仕掛けた罠も、もはや意味をなさない。土塁は強度を失って崩れ落ち、落とし穴の縁は脆く崩壊していく。物理的な防御網は、その土台である大地そのものが死んでしまっては、何の役にも立たなかった。

 騎士団もまた、そのおぞましい光景に慄然としていた。

 しかし、ヴァルギウスの神がかった力は、彼らの士気を異様な形で高揚させた。

「見よ! これぞヴァルギウス枢機卿様のお力だ!」

「神は我らと共にある! 逆賊どもに神罰を!」

 勢いを取り戻した騎士たちが、崩壊した防衛網を突破し、コミュニティの中心部へとなだれ込んでくる。

 民は武器を手にしながらも、恐怖のあまりまともに抵抗できずにいた。

「魔女様を頼む!」

「魔女様さえ無事なら……!」

 だが、リリアンヌにとって、それはもはや遠い世界の出来事のように感じられた。

 彼女の目には、ただ、死んでいく大地しか映っていなかった。

 ――ああ、これだ。

 ――この光景を、私は知っている。

 数百年前の記憶が、鮮烈な悪夢となって蘇る。

 卒業パーティの夜。婚約破棄を告げられ、侮辱され、理性のタガが外れたあの瞬間。

 自分の足元から、溢れ出した力が世界を飲み込んでいった。

 緑が色を失い、人々が悲鳴を上げながら倒れていく。

 豊かな王国が、一夜にして塩の荒野へと変わっていく様。

 あの時と、同じ。

「……ダメ…だって、この大地は…私自身なんだ…!」

 カイトの腕の中でもがく。

「また…私があんなことを…私のせいなんだ…!」

 違う。今回は敵がやっていることだ。

 そう頭では理解しようとしても、身体が、魂が拒絶する。

 目の前の光景は、彼女が犯した罪そのものだった。数百年かけて忘れようとし、カイトと出会ってようやく乗り越えられるかもしれないと希望を抱いた、あの原罪の光景。

「やっぱり、私は…何をやっても駄目なんだ…」

 呼吸が浅くなる。心臓が氷の手に鷲掴みにされたように痛む。

 せっかく、ここまで来たのに。

 カイトと一緒に、民と一緒に、新しい生命を育んできたのに。

 自分の力が、破壊ではなく、創造のために使えると、そう信じられるようになったのに。

 結局、私の周りでは、全てが死んでいく。

 私が関わると、全てが壊れてしまう。

 私は、やはり「荒れ地の魔女」なのだ。

 幸福になる資格など、初めからなかったのだ。

 自己嫌悪と絶望が、巨大な波となって彼女を飲み込む。

 膝から力が抜け、リリアンヌはその場に崩れ落ちた。

「リリアンヌ!」

 カイトの悲痛な叫びも、彼女の耳には届かない。彼女の意識は、過去の悪夢と現在の絶望の渦に深く沈んでいた。

 彼女はただ、黒く汚染されていく大地に手を伸ばし、絶望に染まった瞳で、その死を見つめていた。

 その様子を、ヴァルギウスは満足げに見下ろしていた。

 彼はゆっくりと、まるで舞台役者のように歩を進め、絶望に打ちひしがれる魔女と、混乱に陥る民衆を見渡した。

 その声は、勝利を確信した者の、絶対的な響きを帯びていた。

「見よ! これが神罰の真実だ!」

 ヴァルギウスは、崩れ落ちたリリアンヌを指さす。

「魔女よ! お前が育んだ取るに足らぬ偽りの緑など、我らの手で無に還される! その震える力も、もはや無力!」

 その言葉は、リリアンヌの心に突き刺さる最後の一撃だった。

 そうだ、無力だ。

 私には何もできない。守ることも、生み出すことも。

 できるのは、ただ、こうして世界が滅びるのを、見ていることだけ。

 リリアンヌの赤い瞳から、光が消えた。

 数百年の孤独と罪悪感が、再び彼女の魂を、冷たく暗い深淵へと引きずり込んでいった。
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