月の雫と星屑と~有栖川橙の難儀な恋愛模様~

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月の雫と星屑と  2

第2章 腹上死?

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 紫音と橙

 海彦が仕事に出かけたあと、やっとふたりきりになれたと紫音は橙を抱き上げるとベッドに運んだ。
いつも橙は紫音の求めに応じてくれたが、橙から紫音を求めたことはなかった。橙からは、こうして紫音が抱くことを「物好き」と言われた。紫音が思うに橙は自身を過小評価しすぎた。だから海彦に紹介しなかった。

 橙も作家だが、自身書いているBL小説の世界観を壊したくないのと 家族友人には気恥ずかしいのと で、正体を明かしていなかった。本名「秋月 萩」(あきづき はぎ)と作家「有栖川 橙」が同一人物と知っているのは、担当編集者と編集長、そして紫音だけだった。

 紫音は漫画家としても稀有な才能を発揮し、紫音原作漫画「月の雫と星屑と」がアニメ化されていた。橙はこのアニメの大ファン。宮川出版社で、偶然会ったときに、編集者を通して紹介してもらったのが初対面だった。
互いに興味はあるものの、人眼につかず、ふたりきりで会う機会を作りだすのは難しかった。
紫音は橙に鍵を渡し、橙の都合でいつ来てもよいことにし、橙は紫音の部屋を訪れるときは、メールで連絡するが、返事をまたずに訪問OK、紫音が留守でも、気が向けば紫音の部屋で掃除洗濯昼寝をしたりして、勝手に帰った。紫音は橙が来ているときは、極力早く帰宅するようにしていた。


 紫音は宮川出版社に打ち合わせに出向いていた。会議室の扉は、全員揃うまで、開いたままだった。なんとなく廊下に視線を向けると、橙が通った。追いかけるように海彦が通った。紫音は会議室を飛び出し、ふたりの後を追った。エレベーター前で追いついたとき、橙の「~紫音とは別れる~」会話の断片が耳に響いた。

橙を攫うようにして連れ帰り、責めるような視線で、橙に相対している。

橙は正面から紫音を見つめ返し、「いの一番にお前に言わなければならないことを一言でも昼河さんに言って悪かった。紫音のことがとても大事だから別れようと思ったんだ。死に場所なんて若いときは考えたこともなった。いまは、なんて言うか、野垂れ死にだろうが、行倒れだろうが、かまわないと思うようになった。でも、腹上死だけは避けたいんだ。」
  「フクジョウシ?」紫音は思わず、呟き返していた。
橙は続ける「やっている最中にあの世行きってことさ。うつる病気ではないのだけれど、肺の機能が落ちてきている。3年くらい病名に「疑い」が付いていたんだけど、病名が確定したときに、C大学病院のホームページで見たら、(5年生存率22パーセント)って。医者から余命宣告されたわけじゃないけど。原因不明だから、治療方はないし、今年5年目、坂道も階段も息が切れてダメなんだ。深呼吸が苦手になるなんて思いもしなかった。万が一のときは、服着せて、最中だったことを隠して。それと救急車は直ぐ呼んで。救急車を呼ぶところから延命措置が始まっているという人もいるけれど、救急に連絡するまで時間が空くと殺意を疑われかねないから~」

橙のしゃべりを遮って、紫音は橙を抱きしめてくちづけして我知らず泣き出していた。
「泣くなよ。生きていることは、死に近づくこととイコール。死は万人に訪れる。例外はないんだ。ちっとも特別なことじゃない。」

橙からは 完全にわかれるか? セックスレス友達付き合い?を 選べと言われた。別れたくない紫音に選択肢はなかった。
友達付き合いを選んだ紫音に 橙は紫音の部屋の鍵を返して、自分の部屋の鍵を渡してくれた。泊まれないよとの断り付きで。


 長月十三夜、紫音は橙を訪ねた。その日、空は燃えるようだった。高層ビル群の向こうに夜の帷が降りるのを留めるようにオレンジ色が眼一杯に拡がっていた。橙の部屋からは東京タワー、六本木ヒルズ等が、エレベーターホールからは、レインボーブリッジが目をひいた。泊まれないと釘を刺されていたので、寝室も確認した。セミシングルのベッドだった。シングルより狭いベッドを見るのは初めてだった。橙の一人暮らしを確認出来て少し安心した。
和服姿で迎えてくれた橙は、立礼を設えた茶室に招き入れてくれた。茶室ではなにもしゃべらなくてもよいのが助かった。宗全籠に薄や萩が活けられ秋の風情を纏っていることは、茶道をよく知らない紫音にもわかった。桐箱に納められた小さめの茶碗、茶筅、等一式を茶箱というそうで、時節柄、月見点てというお点前で点ててくれた。
紫音は橙に襲いかからない自信がなかったが、俗世間との間に結界を張っている茶室にいると気持ちが落ち着いた。ふたりきりでいる空間なのに、背筋がのびるような、それでいて平らかで、気詰まりではない静寂が満ちていた。

 名残りの茶会の神無月、宮川出版は紫音原作でアニメ化済みの「月の雫と星屑と」の外伝漫画販売を考えていて、物語原作を紫音、作画は、同時進行で複数の漫画家に依頼する企画を立てていた。
本篇でキャラクターは出来ているとはいえ、本篇で語られなかった物語かつ本編にはめ込めるものにしなくてはならず、月間連載を抱えつつ書くのは、ベテランの域に達した紫音にとっても超のつくハードワークとなった。
紫音の息抜きは、橙の茶室になった。定期的に禅寺に座禅に行くように 橙の茶室に通って、季節の風情に触れ、俗世間をシャットアウトして、気持ちを安らげた。

 炉開きの霜月、濃茶続き薄茶を紫音に供した日、紫音に少し時間のゆとりがあるとのことで、橙は、紫音を呉服屋に連れて行き、着物と袴の採寸をして、仕立て上がりは、橙のところに送ってもらうよう手配した。紫音の着付けは橙がするためだ。夜咄の茶事、初釜、正午の茶事に着せるとの橙の言葉に、紫音は作法をまったく知らないのにと抵抗したが、橙は「いつも通り、一客一亭で、ふたりだけだから何の心配もいらない。それに正式ではなく、いろいろ省略するから雰囲気を楽しんでほしいだけだ。」

 師走、宮川出版はまさに戦場と化していた。年末年始の休みがあるため、すべての締め切りが前倒しになっているせいだ。毎年毎年この時期は修羅場になる。

 冬至に行われる夜咄の茶事だが、紫音の来れる日に日程をずらすつもりでいた橙だが、紫音からは茶事でなくイヴに違うイベントにしたいとのことで、紫音に任せることにした。


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