春風のブーケを君に

佐倉 ゆの

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3話

泣いてもいい日

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 文化祭の朝、校舎の中はいつもより騒がしかった。
紙の飾り、看板のペンキの匂い、教室のスピーカーから流れる音楽。
廊下を行き交う生徒たちの笑い声が、夏の始まりを思わせる。

 柚香は教室での出し物の準備を終えると、生徒会室に戻った。
文化祭本番は、生徒会にとっても一年で最も忙しい日だ。
各クラスの催しがきちんと運営されているかを確認するため、役員たちは校内を駆け回る。

「湊先輩、こっちは終わりました!」
「助かる! じゃあ次、体育館のステージチェック行こうか」
湊の笑顔にうなずいて、柚香は走り出す。

 どの教室からも笑い声と音楽があふれていて、その賑やかさが、どこか切なかった。

(結翔先輩、今どこにいるんだろう)

 ふとそんなことを考えてしまう。
目で追ってしまう。
でも、どこにもいない。

 昼を過ぎたころ、体育館で「ベストカップルコンテスト」が始まった。
文化祭恒例の人気企画。観客席には生徒がぎっしり詰まっている。

 司会の声が響いた。

「最後のエントリーです! 一ノ瀬茜先輩と、綾瀬結翔先輩!」

ざわめきが起こる。
柚香の心臓が、瞬間、止まった気がした。

(……どうして、結翔先輩が)

ステージの上で、茜は少し照れたように笑っている。
結翔も、困ったように笑いながらマイクを持った。

「いやぁ、まさか出ることになるとは……」
「みんなが推薦してくれたみたいで」
茜が言うと、観客が一斉に歓声を上げた。

ライトの下で並ぶ二人の姿は、まるで絵のようだった。
完璧な美男美女。
誰もが「お似合い」と思うような光景。

審査の拍手が起こり、名前が呼ばれた瞬間――

「優勝は! 一ノ瀬茜先輩と、綾瀬結翔先輩です!」

会場中が湧いた。
結翔が照れくさそうに笑い、茜が隣で花束を受け取る。
その横顔が、眩しくて、見ていられなかった。

柚香は静かに立ち上がり、体育館を抜け出した。
 
 外の風は、熱気の残る校舎の中よりもずっと冷たかった。
裏庭のベンチに腰を下ろす。
聞こえてくるのは、遠くの音楽と笑い声。
胸の奥が、じんわり痛む。

「結翔先輩の、あんな顔……初めて見た」
誰に言うでもなく呟いた。

「どんな顔?」
背後から、柔らかな声がした。
振り向くと、湊が手にペットボトルを持って立っていた。
「……びっくりさせないでください」
「ごめん。探したんだ。体育館にいないから」
湊は隣に座り、少しだけ空を見上げた。

薄い雲が、風に流れていく。
「さっきの結翔の顔、どんなだった?」
「……茜先輩の隣で、照れてて……」
「照れてて?」
「楽しそうで……知らない顔でした」

言葉にした瞬間、胸が締めつけられる。

「いろいろ頑張ってみたけど、やっぱり私は“妹”のままなのかなって。
湊先輩にも、そう見えますか?」

湊は少しだけ黙って、それから言った。

「俺には、“夏目柚香”に見えるよ」

風が止まる。
空気が、ほんの一瞬だけ柔らかくなった。

「泣いてる顔も、笑ってる顔も、ちゃんと“夏目柚香”の顔だ」
「……そんなふうに言われたの、初めてです」

涙がこぼれた。
でも、それはどこか、温かい涙だった。

湊がハンカチを差し出す。
その指先に触れたとき、柚香は小さく笑った。

「……ありがとうございます」
「泣くとこ、見られたくなかった?」
「……ちょっとだけ」
「でもさ、たまには泣いてもいいと思うよ」

湊の声はやさしくて、風よりも穏やかだった。
校内放送のスピーカーから、文化祭終了のチャイムが流れる。

 遠くのざわめきが少しずつ静まり、風の音だけが残った。
柚香はハンカチを握りしめ、空を見上げる。

 淡い雲の向こうに、夏の終わりのような光。

(湊先輩……あの人は、いつも見てくれてたんだ)

 そう思うと、胸の痛みが少しだけやわらいだ。

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