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3 既卒生(浪人生)の春は苦そうです ③
しおりを挟む試験中、ずっと頭の中で井上くんの言葉が回った。
〈うちの子〉なんて、生徒をまるで〈自分の子〉みたいに呼ぶんだな……。
縦一〇席×横一〇席、四角教室に、格子状に並べられた机に並ぶ受験生達。テスト用紙に向かう顔を、一人ずつ違う。
でも、誰もが必死な表情だ。
一人ひとり見る余裕なんて、昨日までまったく起きなかった。けれど、自分の担当生徒がここにいるんだと思った途端、目の前の百人がぐっと近く感じる。
昨今の日本の大学受験は二極化と言われている。少子化の中で一八歳人口を取り合う市場は、当然、学費の安い国公立大学や知名度の高い私立大学に人気が集中する一方で、その学校の良し悪しに関係無く、入りやすい大学や学部もあるのが事実、と研修期間で習ったばかりだった。
それでも、目の前にいるのは、終わったばかりの入試を受験した人達でなくて、これから受験生を始める人達だ。高校時代に独学で勉強していた頃私なりに必死だったけど、ここにいる受験生達とはどこか違う気がする。必死さは変わらないはずなのに、その炎で自分をも焼き尽くしてしまいそうな熱気に強く吸い寄せられる。
この中に、私が担当する〈うちの子〉がいるんだ。
――頑張れ、皆。
無言でエールを送ると、教室の端、目蓋が半分下がっている男子生徒が視野に入った。机に余るほどの大きな上半身をブランコみたいに前後に揺らして、丸い目は見るからに眠そう。ま、確かにテスト中眠いのも事実だよね。こっそりと名簿で名前をチェックすると、偶然にも昨日テストがないと思い込んだおっちょこちょい……佐藤浩義くんだった。
電話越しで叱っていたお母さんに寝落ちしそうな顔は見せられそうもないから、黙っておいてあげよう。
実力テストが終了し、大波が引いたように生徒達が校舎からいなくなると、今度は教務内が嵐になった。
「お疲れ様。明日はしっかり休んで。休むのも仕事だから」
鬼頭さんは仕事が終わる気配も無く、黙々とパソコンに向かいながら私に手を振った。
今週土曜日が出勤になった調整で、明日の木曜日休みになったのだ。定時退勤推奨のため、五時半ぴったりに井上くんとともに先輩方に挨拶して教務を辞するけれど、先輩方はここから本腰を入れるようだ。その上、黙々と千人弱の全科目の五〇〇〇枚以上の答案用紙を処理している間も、フロアに電話のコール音が鳴り響く。
電話は正直、ちょっと苦手。でも、「受験生達には、職員が直接向き合うこと」と、新入社員研修で何度も何度も復唱したⅩ塾の経営方針が頭に浮かび、慌てて受話器に手を伸ばす。
「お、お電話、ありがとうございま――」
「お電話ありがとうございます! X塾渋谷校です!」
別の端末が取ったのをランプに振り返ると、ぼそぼそ声はどこへやら、神谷校長がハキハキと聞き取りやすい声で応対している。上がっていいからね、とネズミ顔で返される。
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