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第5話
しおりを挟む「楠さん!?」
そう、楠さんだった。オメガであるにも拘わらず、診断書を偽造し、学園に入学してきた楠さん。抑制剤を飲み忘れで、授業中に発情期を迎え、学園中に混乱を起こし、退学になった私のクラスメイト。
私たちと一緒に同じクラスにいたときは、血色のよい、健康的な女の子だったのに、随分変わり果ててしまった。
「楠さん!! 何やってんの!! こんなところで!!」
私は彼女の、ほとんど骨と皮の両腕を掴んで揺さぶった。
「……犯して……子種を注ぎ込んで……」
彼女はか細い声でそうつぶやいた。その目には生気がなく、顔も紙のように青白い。息も浅い。掴んだ腕もひんやりとしている。まるで死人のようだ。
……これは発情期ではない。発情期のオメガは頬が上気していて、息も荒く、身体も熱病のように熱いはずだ。発情期でもないのに、なんでこんなに強烈なフェロモンが出ているのか。
……ドラッグか。きっとやばい薬を打たれているのだ。
「楠さん!! 私よ!! 暁 千歳よ!! わかんないの!? 」
今度は頬を軽く叩いてみる。けど彼女は相変わらず虚ろな目をして「犯して」などと言っている。
「楠さんたら……!!」
今度は強めに彼女をゆさぶってみた。
そのとき彼女のスリップのストラップが片側だけずり落ちて、左の乳房だけが顕になる。肋骨が出ていて、萎んでしまった乳房の上に"F"という文字の赤い刺青があった。刺青といっても傷のような雑なものだが。
"F"とは"Fallen(堕落した者)"の略で罪を犯したオメガのことだ。
Fになってしまうと、番を作ることも、結婚することも、子どもを作ることも許されない。閉経して発情期がこなくなるまで性奴隷としてアルファや金持ちのベータの慰み者になって生きるしかなくなるのだ。
勿論Fでなくても性奴隷として売られるオメガは沢山いる。そうしたオメガはアルファや金持ちのベータに身請けされ、番になったり、結婚することもある。だが、Fを番にすることは犯罪になる。Fは閉経して使い物にならなくなるまで性奴隷として搾取され、使い物にならなくなれば、虫けらのように殺される。さすがに都市伝説かと思ってたけど、本当だったのか。
「楠さん……」
どんなに彼女が勉強を頑張っていたか知っている私は絶望した。
そのとき、彼女の体からいきなり力が抜け、がくりとなった。フェロモンの放出もピタリと収まった。
「楠さん!? 」
これはまずいと彼女をベッドに寝かせ、リビングに走った。
「お母さん!! 救急車!! 楠さんが死んじゃう!! 」
「……何言ってるの。Fのために救急車なんて呼んだら業務妨害になっちゃうわ」
母は気の抜けた顔で淡々と言った。その目には狂気を感じた。
「お母さんが連れてきたんでしょ!! 」
私は半狂乱になって叫んだ。
「……そうよ。あなたが優秀なアルファになるためにはオメガとセックスさえすればいいんだもの。簡単なことよ。セックスなんてただの粘膜の擦り合いよ? なんてことないでしょ。今のあなたじゃまともなオメガと番になるのは難しいだろうから、性奴隷カンパニーから借りてきたのよ」
母が色のない目でそう言う。狂っている。
「もういい!! お母さんの馬鹿!! 」
私は母に怒鳴りつけると、自分のスマホで救急車を呼んだ。
「あのね、お嬢ちゃん。救急車ってのは人間の命を救うためにあるの。こんな虫けら助けるためじゃないの」
……母の言った通りだった。やってきた救急隊員はFを助ける気はないようだった。私が楠さんのために救急車を呼んだことを知ったら彼らはあからさまに不機嫌になった。
「今度こんなことしたら業務妨害で訴えるからね」
「……」
私は絶望と怒りのあまり何も言えず、ただ拳を握りしめて震えた。
「そもそもこいつもう死んでるじゃん」
救急隊員の一人が、ベッドに横たわっている楠さんを見て、まるでゴキブリの死骸を見つけたような口調で言う。
「えっ……!?」
「保健所には連絡しとくから。俺たちは帰るよ」
そう言って救急隊員たちは去っていった。
保健所の職員が来るまで、私は楠さんの傍らに座り、彼女の顔を眺めてさめざめと涙を流した。
楠さん、あなたが勉強もスポーツも頑張ってたの、私知ってるよ。あの事件まで、あなたはベータと変わらない、ごく普通の生徒だったよね。オメガに生まれてきたばっかりにこんな最期を迎えなくてはならなかったの?
「じゃあ、適切に処分しとくんで」
職員はあっさりと言った。処分……? なんでそんなゴミみたいな言い方するの。
「家族は引き取りにこないんですか? 」
「え? こいつの両親、今刑務所だよ。娘がオメガなのにも拘わらず、診断書偽造してまで普通の学校にいれた犯罪者だからね。親戚もこんなのいらんでしょ」
「じゃあ……処分ってどうするんですか? 」
私は恐る恐る聞いた。自然に声が震える。
「え? 決まってるでしょ。Fの死体は廃棄物扱いだよ。普通に処分場で焼いて専用の埋め立て地に投げるよ」
「……なっ……!!んん!!」
あまりにあまりな答えに抗議しようと思ったら、母が私の口を塞いだ。
「申し訳ありません、娘が失礼を。ささっと持ってちゃって大丈夫です」
抑揚のない母の声。
職員が楠さんの遺体をもって去ると、母が私の両肩に手をおいて、まるでロボットのような口調でこう諌めた。
「Fを助けるような真似をしたら犯罪になるの、知ってるでしょ。あなたもあと3年で成人するのよ。もっと現実的になりなさい。この世は善意では生きていけないわ。下らない慈悲や正義感なんて捨てるのよ」
母の声が冷たく響く。私の肩から手を離すと、母はスタスタと寝室へと消えた。
私はリビングで立ち尽くし、放心していた。
分かっている。母だってこのディストピアの被害者だ。父にお腹にいた私ごと否定されて、両親にも子どもへの愛情を否定されて、心が凍りついてしまったのだ。
……楠さん、あなたはこんなふうに死ぬために生まれてきたの?
虫かなんかが死んだみたいに扱われて、最後はゴミとして埋め立て地に捨てられるために?
ベータに偽装してまで、勉強したかったんでしょう?
ご両親だって、あなたのために犯罪にまで手を染めたんでしょう?
これじゃあ、その苦労も水の泡じゃない。
そして「犯して」と私を求めてきた楠さんの顔が、虚ろな目でブラザー・パウロの性処理をしていた真琴さんと重なった。
真琴さん、あなただって本当はあんなことしたくないんでしょう?
神様について語っているときの顔、本を読んでるときの顔、あんなに生き生きしてたのに。あなたはそこらのアルファなんかよりもずっと賢くて美しくて優しいのに。
「肉便器」だの「賞味期限切れ」だの言われて...…「アレ」なんて呼ばれて、尊厳も何もあったんじゃない。
楠さん……真琴さん……
あなたたち、人間よ。人間なのよ……
「わあああああああああああああああああぁぁぁ!! 」
私はその場で崩れて泣き叫んだ。
もう無理。もう嫌だ。何もかも嫌。こんな世界で生きていたくない。……死のう。
私はもう耐えられない。全ての理不尽に目をそらして、心を石にして生きるなんてできない。死のう。
私は抜け殻のようになった心を引きずって次の日も学校へ行った。死ぬ前に真琴さんにだけは会いたかったから。
萌香が私の顔色がやばいと心配して声をかけてきてくれた。本当は口に出すだけでも、血を吐くほど辛かったが、萌香にだけはこっそり昨日のこと話した。頭が真っ白だったからちゃんと説明できたかはわからないが。
萌香もさすがにFのことは都市伝説だと思ってたらしく、驚いていた。楠さんの最期のことを伝えると、何も言えず口を固く結んでいた。
放課後、1ヶ月半ぶりに旧聖堂へ向かった。
扉に手をかけると、またシスター・ミカエラが現れた。
「やっと、アレと離れてくれたと思ったのに。なんでまた来るの? 学習能力ないの? ……あなた、見たんでしょ? 」
「『アレ』って言わないで下さい。それになんでいつもタイミング良く現れるんですか? 」
私はシスター・ミカエラの質問には応えず、嫌味ったらしく言ってやった。
「それは、修道院の事務室からここがよく見えるからよ」
「随分暇なんですね。他にやることはないんですか。よく知らないけど、あなた、シスターの中では偉いほうでしょ? 」
シスターたちに無礼な態度を取ったら、後で先生に叱責される。でも、もう死ぬつもりでいたのでどうでもよかった。
「生意気な! あなたのためを思って言ってあげてるのに!」
「余計なお世話です」
「あーもー!! 行きゃあいいでしょ。ただね、普段アレが相手してる修道士たちは研修でここ2週間は帰ってないし、アレを飼ってる張本人の院長は忙しいからってアレの世話を後回しにしてるから、今行ったらこないだ以上におぞましいもの見ることになるからね!それでもいいなら行きなさいよ!」
シスター・ミカエラはいきり立ってキイキイ怒鳴った。
「は? 」
私は彼女の言っていることの意味がわからず、思わずそう言ってしまった。
「私は止めたからね! 忠告したからね! 後は好きにしなさい!」
シスター・ミカエラはそう吐き捨てるとプリプリ怒りながら修道院の方へ戻っていった。
「なによあれ」
旧聖堂の地下への階段をゆっくりと降りていく。真琴さんの香りを感じながら。
真琴さん、久しぶりに会うけど元気かな。突然会いにこなくなって心配してるかしら。死んだら真琴さんに会えなくなるのか……寂しいな。
でも欠陥品のくせに、あなたを犯したいなんて考えてる、こんな汚らわしい精子脳女にあなたを好きになる資格なんてない。あなたにとっても私なんていない方がいいのよ。
……ん? 私はなんだかただならぬ雰囲気を感じた。
なんか香りがいつもと違う。濃い。すごく甘い。真琴さんの香りが私に劣情を抱かせるのはいつものこと。
だけど、今日はなんか違う気がする……。
熱い……下腹が熱い……。
私は異変を感じていた。いつもよりずっと濃くて甘いオレンジの香りに。異様な雰囲気に。そしてそれに反応する自分の体に。頭の中で警報がなる。……ぎゅっとカバンを胸に抱く。ここで引き返せばよかったのかもしれない。けど、私の脚はフラフラと階段を降りていく。
「……ちとせちゃん……っ……はぁ……あっ……」
真琴さんの声。私の名前を呼んでる? なんで?
地下室にたどり着いた。少しだけ扉を開け、中を覗き見る。
「!?」
衝撃的な光景に声をあげそうになった。
真琴さんが長椅子に横たわり、下半身のみ裸になっていた。片方の手は彼自身に、もう片手は……何をしているかなんて説明はいらないだろう。
えっ!? えっ!? えっ!? どういうこと!?
私は頭の中がぐしゃぐしゃになりながらも目を見開き、彼の行為を凝視し続けた。
「……もっと奥まで……あっ! ……あぁ……」
上気して桃色に色づく白い肌、汗で濡れて肌に絡みついている茶金色の髪、潤む琥珀色の瞳、女の子のような切ない喘ぎ、卑猥な水音……そして、いつもより何百倍も濃厚な甘い、オレンジの香りが私の全身の血を沸騰させた。
……これは間違いなく発情期だ。
発情期の真琴さんに出くわしてしまったのだ。
どうしよう、どうしよう。
こんなときベータ女性なら、息子の自慰を見てしまった母親のような気持ちで回れ右するんだろうが、私はそれができなかった。
犯したい、犯したい、このまま乱入して、彼を犯したい。
めちゃくちゃにしたい。私のものにしたい。
さっきまでの自殺願望なんて吹っ飛ぶくらいの激しい劣情が私の脳内でとぐろを巻いていた。
言うまでもなく、私自身はこれ以上ないくらいに腫れ、燃えるように熱く、鉄かなにかのように固くなっている。
やばい。このままじゃ本当に私は彼を犯してしまう。
私は自分の衝動を抑えようと、荷物を抱えたまま、その場にぐっとしゃがみこんで体を小さくした。
「あぁっ……千歳ちゃん……僕をめちゃくちゃにして! あっ! あっ! 」
私の劣情を刺激しまくってることも知らずに、甘い声をあげて乱れる真琴さん。
せめてもの抵抗にハンカチで鼻と口を覆う。発情期のオメガに出くわしたときはいつもこうやってやり過ごしていた。このまま、走りされば一件落着のはずだ。……なのに、体が動かない。
彼を犯したい衝動を抑えるのに精一杯で、体を動かせない。
これでは、今の彼がやっているように自分で欲望を処理することもできない。多分逆効果になる。
鼻と口を塞いで、吸わないようにしていても、もう既に彼のフェロモンに私の脳は侵されてしまったようだ。
今まで数えきれないほどオメガの発情期フェロモンに当てられ、そのたびに悶え苦しんだが、こんな激しい反応、初めてだ。
犯したい、この股間のモノで彼を貫いて、子種を注ぎ込みたい。
やめてくれ、やめてくれ、私はそんなことしたくない。彼を汚すようなことしたくない。
もう無理、抑えきれない。彼が欲しい、彼が欲しい!!
彼さえ手に入ったらもうあとは何もいらない!!彼が欲しい!!
なぜ? なぜ、こんなに激しい衝動に襲われるの?
いつもみたいにフェロモンを吸わないようにして、劣情を理性で抑えてやり過ごせないの?
私は欠陥アルファなんだから、自制できるはずなのに!!
違う、真琴さんは違う。他のオメガとは明らかに。
なぜ? なぜなの?
「……千歳ちゃん……君のを僕に入れて、子種を注ぎ込んで...はらませて……ああっ……」
熱の籠った彼のうわ言に、私はカバンもジャージ入れも放り出して鉄砲玉のように地下室の中へ飛び込んでしまった。
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