宿命のマリア

泉 沙羅

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第1章 狂気のキス

第2話

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「どうしたの……? 」
とある休日、公園のベンチで泣いている莉茉を見かけた。宏美はそんな彼女に声をかける。
「……お父さんとお母さんが喧嘩してたの。私の縁談のことで」
莉茉は涙を拭い、ひゃくりあげながら言った。
「………! 」
縁談、という言葉にドキリとする宏美。
この国はアルファとオメガに10代のうちに見合いをするように薦めている。アルファは飛び級してしまうことがザラなことと、オメガは若ければ若いほど価値があるから、というのが理由だ。アルファとオメガから生まれた血筋のよいオメガは発情期前にアルファと結婚することもある。だが、あまりいい血筋でない、宏美のようなオメガには中々縁談が巡ってこない。
「お母さんが、『せっかくだから莉茉には優秀なアルファと番になってほしい』って言ったら、お父さんが、『俺との結婚は失敗だったっていうのか』って怒りだしちゃって……」
「………」
莉茉の両親は父親がベータ男性で母がオメガ女性だ。宏美のような「ベータ腹」ではないので、莉茉は宏美よりは血筋のよいオメガとされている。だが……
「そしたらお母さんもヒートアップしてきちゃって、『あんたなんかと結婚しないで、アルファと番になればよかった。莉茉の発育が悪いのも、美人でないのもアンタのせい』って言い出しちゃって……」
確かに莉茉は、ブスではないが、お世辞にも美人とは言えなかった。体もオメガ女性の割には丸みも少ない。この田舎町には珍しく、「莉茉」なんて洒落た名前をしているが、「名前負けだ」とからかわれることも多々あった。彼女の母親が憧れていたアルファの女優にちなんだ名前らしいのだが。
「……莉茉」
「そのうち私の名前のことまで引き合いに出して喧嘩し始めちゃったの。お父さんが『あんな名前つけたのもアルファが好きだからだろ、所詮オメガはアルファ専用肉便器だ』なんて言い出して……」
「…………」
黙り込む宏美に莉茉は、はっと涙に濡れた顔を上げた。
「ごめんね! 宏美くんもオメガなのに……」
「いいんだよ、僕も慣れてるから」
こうした田舎町の大人たちは当たり前のように差別発言をする。宏美ももう慣れっこだった。家に帰れば暴言吐きが2人もいる。
「……私も宏美くんみたいに綺麗に生まれてきたかったな……」
莉茉はそう言って宏美をうっとりとした目で見つめた。
「莉茉は充分綺麗だよ」
「……ありがとう。でもお父さんもお母さんも好きなのに……私のためにこんな喧嘩になるのは悲しいな……」
「……」
宏美は黙って、莉茉を抱き寄せる。莉茉も宏美に身を預ける。



「綺麗、だよな……」
そんな2人に熱い視線を送る者がいた。それもこの町で1番立派な屋敷の縁側から。
「えぇっ。あの莉茉って子? 康太こうた、本当にあの子を綺麗と思うの? 」
「違うよ、隣にいる子だよ」
「あぁ……確かに綺麗だけど、あれはベータ腹よ。あなたもベータ腹のアルファなのに、ベータ腹のオメガなんて番にしたら町中の笑い者になっちゃうわ。あれだけはやめて」
母に刺すような言い方で注意され、康太はため息をついた。
康太はこの町一帯を支配している、大地主、新渡戸にとべ家の息子だ。と、いっても正妻の子ではない。父親が家政婦である母に手を出して出来た非嫡子だった。アルファ男性の父と、ベータ女性の母を持つ康太はアルファとして生まれた。
アルファとベータの間からは殆どベータしか生まれない。アルファが生まれたとしてもベータに毛が生えたような能力が低いアルファしか生まれない。
康太もアルファらしくない、ぱっとしない男だ。見てくれも、勉強やスポーツの出来も平凡だ。おまけにフェロモンも香りも薄く、アルファの匂いには敏感なはずのオメガにすらアルファと気づかれたことはない。
正妻の子である兄や姉は優秀なアルファで、容姿も芸能人のようであるのに。事実、異母姉はたまに街へ出てモデルの仕事をしている。
嫡子として認められない康太はこの屋敷の下働きとして、兄や姉たちに日々こき使われている。
「……まあ、優秀なアルファになるためにあれと遊んでみるってだけなら、私は反対しないわよ」
「やめてくれよ、母さん!そういう話は!! 前も言ったろ!! 」
実は、アルファとベータから生まれた中途半端なアルファであっても優秀なアルファになれる希望はあるのだ。それはオメガと交わることだった。オメガと交わりされすれば、アルファ本来の力に目覚めるというのだ。
だが、康太はそんなことできる性格ではない。そんな目的でオメガとセックスするのは野蛮だと思っていた。ただでさえ欠陥アルファなのに、そんな下賎なことをするような奴になりさがるのはごめんだと。


康太が初めて宏美を見たのは、文化祭の下準備のときだった。康太の学校は毎年、宏美の学校と合同で文化祭を開催しているから。
康太が体育館で劇のためのセットを作っている時、宏美は教師のピアノ伴奏に合わせて歌の練習をしていた。宏美が歌っているのは合唱のソロパートだった。
康太はその美しい姿はもちろん、華奢な体と不釣り合いな力強い歌声のとりこになってしまった。だが、康太は当初、宏美を女の子だと思っていた。
康太は宏美にうっとり見とれていると、クラスメイトが「おい、あいつ、あれでも男らしいぞ。オメガ男! 」と低い声で突き刺すように囁いてきた。
康太が驚いているとクラスメイトは続けた。
「気持ちわりーよな。メゾソプラノの音域まで出る男とか。俺、オメガの女は好きだけど、男は気持ち悪くて無理。いくら見た目女みたいでもちんこついてるだけでダメだわ」
「……」
ベータ男はアルファほどオメガに惹かれることはない。興味本位で「男でも女でもいいからオメガとセックスしてみたい」と思う者も少なくないが、このクラスメイトのような考え方をするベータ男も多かった。
「お前もベータなら無難にベータ女と付き合った方がいいぜ。ああいうのと関わるとめんどくさいからな」
「……」
康太は見た目も能力もベータと大して変わらないので、ベータとして生活し、通学していた。人口1万人いるかいないかのこの田舎町では、アルファが生まれる率はとても低い。オメガはベータ同士からでも生まれるが、アルファはアルファからしか生まれない。おそらく康太の学校の生徒は康太を除いて全員ベータである。この町のアルファは康太の家族と親戚だけと思われる。この町では当然、アルファの教育に対応してる機関などないので、兄と姉は街の学校に通っていた。

「受けとれないよ、こんなの」
誰もいない空き教室で、宏美の歯切れのいいコントラ・テノールが響いた。
宏美が康太のラブレターを突き返してきたのだ。
「………」
康太は「まあ、そうだろうな」とは思っていた。こんな美しいオメガがこんな自分を相手にするわけが無い。だが、気持ちだけは伝えたかったのだ。
「無難にベータはベータと恋愛すればいいじゃないか。それが1番平和なんだから」
宏美が切り捨てるようにそう言うと、康太はため息をついた。
「………情けないなあ。オメガの君にも気づいてもらえないなんて。僕はこれでもアルファなんだよ」
「!?」
宏美が驚いて切れ長の目を見開く。
「そんなびっくりしないでよ。傷つくじゃん。まあ、無理はないけどさ。僕はベータ腹の欠陥アルファだから……。自慢じゃないけど、新渡戸家の息子でもあるんだ。非嫡子だけどね。おかげで母さんと一緒に腹違いの兄さんと姉さんにこき使われて、馬鹿にされ続ける日々だよ」
康太は自嘲たっぷりに言った。
驚きを隠せない宏美は康太の制服についている名札を見た。この町の住民には新渡戸家を知らない者はいないし、この町で「新渡戸」という姓の者は皆その家の血縁だったから。
宏美は妖しげな笑みを浮かべると、康太の顎を掴んだ。
「………そういうことなら、僕が君を優秀なアルファにしてあげようか? 君の兄さんや姉さんにも負けないような。番にはなれないけど、そのくらいなら協力してあげるよ」
「!?……どういうこと? 」
「わからない? ベータ腹のアルファでも、オメガと寝ればオメガ腹のアルファと同じくらい優秀になれるんでしょ? 幸い人気のない場所だし、今すぐ寝てやってもいいよ。まあ、僕は処女だし、発情期もまだだから濡れが悪いかもしれないけど……」
宏美はあっさりとした口調でとんでもないことをズラズラと言い並べた。まさか宏美の美しい唇からこんな言葉が出てくるとは思わなかった康太は呆然としてしまった。
「…………」
「何固まってるの? やるならとっととやろう」
宏美はさっさと学ランのボタンを外し始めた。
「……………」
まだ凍りついている康太。
「何? 脱ぐより先にキスでもしたいの? だったら、もうちょっとこっち来なよ」
宏美は康太のネクタイを掴んでぐいと引き寄せた。康太は宏美にされるがまま、よろけるように彼の方に歩み寄った。
宏美はそんな康太の唇に唇を重ねようとした。
「よせよ!! 」
康太はやっと我に返り、宏美を突っぱねた。
「…………」
宏美は突然はねつけられても、特に驚いた様子はなかった。
「僕はそんな目的で君と交わるつもりはないよ!! 僕にもプライドってもんがあるんだ!! 君ももう少し自分のこと大切にしなよ!! 」
康太はそう言って走り去っていった。
(……まさか、彼が、彼があんな、あんなことを言い出すなんて……)
確かに驚きはした。しかし、宏美に失望したわけではなかった。美しい鳥は何を囀っても美しい。
むしろ、康太の中で宏美の存在がますます強烈に印象づけられた出来事だった。



回想に耽っていた康太は、宏美に視線を戻した。
宏美は莉茉に寄り添い続けている。
(………気が強そうだと思ったけど、意外と優しいところもあるんだな………)




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