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224.

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 レミニーたち使用人がいなくなって、一週間が経った。
 使用人たちはまだ帰ってこない。

(何やってるのよ……まさか事件か何かに巻き込まれた……?)

 さすがに出て行ったのではなく、別に何かあったのではないかと心配になるダリア。
 そんなダリアにエトワがてくてくと近づいてきた。

 その両手には洗濯物が抱えられてる。

「あう!」
「はいはい、ありがと」

 それを受け取り、ダリアが物干し用の紐に吊るしていく。
 身長の小さなエトワでは、紐までは手が届かない。なので、エトワが洗濯物を運び、ダリアがそれを干す役割分担になった。

 言われた通りに洗濯物を運んできてくれたエトワに、ダリアはお礼を言ったが急に冷静になる。

「なんで私がお礼を言わなきゃならないの……」

 白けた表情になってそう呟く。

 むしろ面倒をみてやってるんだから感謝されるべき――そう思うのだけど。
 いくらそう思っても、喋れないエトワにお礼を求めても無駄なことなのだった。

 こちらの気持ちなんてつゆも知らず、のっしのっしと誇らしげな仕草で次の洗濯物を取りに行くエトワにダリアはため息を吐いて、黙々と洗濯物を干すのに戻る。

 そんなことより、ダリアたちには大きな悩みがあった。

 洗濯物を干し終え、食料がある保冷庫にいく。
 ダリアはいつもの場所まで歩みを進めるが、そこにあったのは残り少なくなってしまった干し肉やチーズだった。

「う~ん……」

 顎に手を当て、眉間に皺を寄せるダリア。
 その横でエトワが「う~」とダリアの真似をした。

 この一週間、料理のできないダリアたちはつまみばかり食べ続けている。おつまみなんて普通は少量食べるもので、そんなに量は保管されていない、
 当然のように、もう無くなりかけだ。むしろ一週間よく持った方かもしれない。

 残りは一日分ぐらいだろうか……。

(これを食べたら、明日から何も食べられなくなるわよね……。でも、量を少なくしても大して持つわけもないし……)

 レミニーたちもそのうち帰ってくると思ってたのだ……エトワもこちらに残っていたし……。

 ダリアは目前に迫った食料の危機に悩むが、結論は分かりきっていた。

 無理。
 だって食事がないのだ。ないものはない。どうしようもない、
 そうとしか言えないではないか。

(飢え死にしたら呪ってやる……)

 ダリアは幼馴染の侍女の顔を思い浮かべ、心の中で呟いた。

 結局のところ、無くなりかけている食料の前で、突っ立っていることしかできないダリア。
 そんなダリアをエトワはじーっと見上げると、少なくなってしまったおつまみに目を移し、それからたったったとダリアから離れて、何かを頭上に持ちながら戻ってくる。

 それは白い殻に覆われた楕円状の物体。

「あうっ!」

 それを抱えあげて自己主張するエトワに、ダリアは目を移した。

「なにそれ……卵……? それがどうしたっていうのよ……」

 使用人たちへの恨みで淀んだ目で卵を見つめるダリアに、エトワが何かの真似事をする。

「あう! あう!」

 なにやら卵を割る仕草、それから何かをかき混ぜる仕草、それから重たいものを両手で振る仕草。
 しばらく、何を伝えたいのか分からずじっと見ていたダリアだが、三回ぐらい繰り返したところでようやく察した。

「はぁ!! まさか私に料理を作れっていうの!?」

 まさかの提案に目を見開く。
 生まれながらにして上位貴族の娘で、公爵家夫人になった自分に料理を作れと……、そんなの考えられないことだった。

 料理なんて使用人がやることなのである。高貴な生まれの自分がやることでは断じてない。

「あう~~~~~~~~~~」

 しかし、そんなダリアを説得するようにエトワが長い声を出す。
 何故、長い声なのかは謎だが、雰囲気は伝わっていた。

 ダリアも硬直しながら考える……さっきは飢えるだなんて、適当に受け止めていたけど、実際飢えたいわけではない。
 使用人たちとは連絡が取れない。ここじゃなく人のいる町まで行こうとしても、馬車を操ることなんてできないし、徒歩なんてそんなのもっとやりたくない……。そもそも町への道を覚えているかも怪しい……。

 一人のときは全てを無理だと結論付けたダリアだけど、エトワの提案で状況が変わってしまう。
 がんばれば……がんばってダリアが料理をすれば飢えはしのげないことはない。

 実際、この食料庫には調理すれば食べられるものはまだ一杯あるのだから。
 でも……公爵夫人である自分が料理を……料理を……。

 やりたくない……。やらなくちゃ……。
 しばらく、ふたつの考えがせめぎあったダリアだったが、最後は、洗濯という重労働を終えた今、お腹を襲う空腹感に押され、重々しい手つきでエトワが掲げる卵を取った。

***

 料理の記憶といえば、小等部時代の話だ。
 それも自分で作ったものではない。

 自分の取り巻きのような存在だった女子たちが作ってるのを、ダリアはただ眺めていただけ。

 貴族の中でも庶民文化に傾倒するものは意外といる。
 農業にはまり農家の真似事をはじめて庭に畑を作ったり、貴族向けではない安いっぽい演劇小屋にお忍びで出かけたり、ドレスではなく平民がよく着る服を動きやすいからと好んでコーディネートに取り入れたり――。
 貴族たちの中でぽつぽつとあらわれるありがちな趣味嗜好だったが。

 貴族らしさをモットーとする、水の派閥の高位貴族では推奨されない、好ましくないとされる趣味のひとつだった。
 料理もそんな庶民嗜好の典型例である。

 好ましくないとは思いつつも、袖にすると傘下の貴族たちの不満を無駄にためてしまう。
 だから軽く流して干渉しない。それがだいたいの水の派閥の貴族たちが選んだ態度だった。派閥としてやっていく以上、下位の者の意志もそれなりに尊重してやらなければならない。それが水の貴族たちの考えだ。

 もちろん、自分の地位を高め、磐石にするためなのが理由だけど。

 ダリアもそんな貴族の例に漏れず、取り巻きの貴族たちが料理するのを、下らないと思いながら見守るだけだった。
 できた料理は自分が作ったってことにして、クロスウェルさまに食べてもらいに行ったけど。

 その時、作っていたのも卵焼きだったと思う。
 確か料理の基本だとか言ってた……。

 ダリアは記憶を手繰り、そのとき用意していた調理器具と同じモノを調理場に並べ、少し自慢げに鼻を鳴らした。
 自分の記憶力が誇らしくなったのだ。

 退屈しながら見ていたけれど、これなら調理手順も思い出せそうである。

(なんだ、簡単じゃないの)

 ダリアはどや顔になる。
 手順さえ分かれば、自分にできないはずがない。

 まずはと、ボールの端に思いっきり卵をぶつけた。
 その瞬間、卵がぐしゃっとわれて、中身が飛び出し、手のひらにべちゃりと付く。勢いがついてたせいか、飛まつのいくつかが顔にも少し付いた。

 一瞬呆然としたあと、どろりとした感触を覚える。

「ひぃっ!」

 次の瞬間、その感じたこともない感触にダリアは涙目になって、水場まで駆け出した。
 一緒に調理場に来ていたエトワがそれを見送る。

 五分後、顔と髪を湿らしてダリアが青い顔で帰ってきた。
 ぜぇぜぇと息を切らしながら、エトワの方を見て、すがるように言った。

「あんた割れない……?」

 エトワはその言葉を、口をあけた間抜けた表情で聞いたあと、のっそりのそりとテーブルまで移動し卵をひとつとり、それを右手から左手へ、左手から右手へとゆっくりとお手玉したあと、急にキリッとした表情になる。
 そこでダリアの手が、エトワから卵を取り上げた。

「やっぱりいい。私がやる」

 エトワがガーンとした顔をする。

 ダリアはまた自分で卵を割りはじめた。しかし、最初のがトラウマになったのか、こつこつ弱くやるせいで一分経っても割れない。
 これではだめだと気づき、恐る恐る力を強くしていくと、ようやくひびが入った。

 なんとかそのひびを広げていく。
 そして遂に卵が割れて、ボールに白身と黄身が落ちた。

 ダリアはホッとするが、そこで嫌なことに気づく。手際がとんでもなく悪かったせいで、殻が入ってしまっている。
 さすがにこのままではダメなことは分かっている。

 入ってしまった殻は取り除くしかない。
 ダリアは震えてる手で白身の中に指をつっこむ。ぐちゃっと嫌な感触がするけど、必死に我慢して手を留める。そして厄介に指の間からつるつるとでていく殻を、なんとか掴むと取り除く。
 それを繰り返し、なんとか全ての殻を取り除いたあと、ダリアはまた水場にダッシュした。

 そして手を洗って戻ってくる。
 極めて手際が悪かった。

 それからボールに卵を二つほど落としたダリアは、次の手順を思い出す。

(確か次は味付けよね……。あのときは砂糖を入れてたはず……)

 ダリアは戸棚で見つけた瓶に入った白い粉を、これも適当に見つけた大きなスプーンで三杯ほど入れる。そしてフォークを使ってかき混ぜた。
 混ざり具合は不完全だけど、なんとかそれっぽいものができる。

(あとは焼けばいいのよね。何よ、できるじゃない。さすが私ね)

 ダリアは魔石式のコンロと格闘して三分ほどで、火を付ける。
 そしてフライパンを火の上に置き、卵を流し込んだ。

 記憶ではこれで焼け始めるはずだけど、しばらくフライパンの中で混ざり合った卵が動いてるだけで何もおきない、首をかしげていると、少しずつ焼ける音が聞こえてきてほっとした。

 しばらく卵が焼けるのを眺めていると思い出す。

(たしか裏返すんだったっけ……)

 ダリアは慌ててフライ返しを探す。
 いくつかの戸棚を探し、見つけて戻ってくると、早速フライパンの中にフライ返しをつっこむ。

「な、なによこれ!?」

 裏返らない。というかフライパンに引っ付いて、全然取れない。
 ダリアはフライパンに油を敷き忘れていた。困惑しながらかき回すと、フライパンの底に引っ付いた卵が剥がれ、焦げてしまった玉子が表にでてくる。

「どうなってるの!?」

 困惑しているうちに、玉子がどんどん焼けていく。
 火力調整なんて知らないのだ。フライパンはどんどん熱くなっていく。

 フライ返しで一生懸命かき回したあと、このままじゃだめだと気づいたダリアは、ようやくフライパンを火から離した。それでもフライパンは熱いままで、玉子は焼けていく。
 慌ててダリアは皿に移す。

 そして……。

 そこにできたのは卵焼きとは思えない何かだった。
 フライ返しでかき回されてぐしゃぐしゃになった物体は、ところどころ焦げて黒い部分があり、形なんていえる状態にはなく、ただ皿の上に無造作に積み重なっている。

 コックが作ったものはおろか、同級生が作ったものにも劣る出来だ。

「どうしよう……」

 まさかこんな結果になるとは思わず、ダリアは呆然となった。
 しかし、エトワはそれを見ると、嬉しそうに皿を取って、頭上に掲げ、くるくると回った。

「あうー」

 それからダリアに頭を下げる。

 よく考えると、ダリアが盛ったのはエトワにいつも使わせてる皿だった。
 慌ててたので、どちらのかは意識してなかった。

 エトワは小走りに卵焼きを持って、テーブルに座ると、早速マイフォークを持つ。

「ちょっとまって、それ食べるつもりなの……!?」

 止める間もなく、エトワは卵焼きを一欠けら、口に運んでぱくっと食べる。
 ダリアは緊張した。自分が作った料理を人に食べさせるのは初めてだったからだ。それがこんなに緊張するものだなんて知らなかった。

「ウッ!」

 エトワは卵焼きを口に入れると、すぐに何かダメージを受けたようにのけぞる。
 その反応だけで分かる。まずいのだ……。

 ダリアは分かっていたとはいえ、少し落ち込んだ気分になった。

 しかし、エトワはそれを咀嚼して飲み込むと、すぐにフォークを失敗した卵焼きに刺す。そしてまた口に運ぶ。

「ウッ!」

 また何かダメージを食らったかのようにのけぞった。
 でも、また飲み込む。

 そしてまた――。

「ウッ!」

 のけぞった。

「まずいなら無理して食べなくていいわよ! まだつまみもあるんだから、それを食べればいいでしょう!」

 恥ずかしいような、さすがに可哀想なことしてるような、自分でもよくわからない気持ちになって、ダリアはエトワの皿を取り上げようとする。

「うう~っ!!」

 しかし、エトワはダリアからすら守るように、皿を押さえと、その間も一生懸命、卵焼きを口に運ぶ。
 そんなエトワにダリアも手を戻し、訝しげな表情で尋ねた。

「本当に食べられるの……それ……?」

 試しに自分もフォークを取り、皿の上に乗ってるものを取ってみる。
 皿を取り上げようとしたときのように、妨害されるかと思ったけど、それはなかった。

 自分で作った卵焼きを口に入れてみる。

「うっ……!」

 口にいれた瞬間、ダリアの表情は真っ青になった。
 苦い、その上に塩辛い。砂糖と塩を入れ間違えたのだ。確認すらしていなかったから……。量だって適当だった。

 ダリアからすると、こんなもの食べられたものじゃない。
 なのにエトワはそれをのけぞりながら、ひとくち、またひとくち、口へと運び、それを食べていく。そして遂には完食してしまった。

「あう~~~」

 卵焼きを全部食べ終えたエトワは、幸せそうな笑顔でダリアへと微笑んだ。
 あんなにまずくてしょうがない卵焼きを食べさせられたというのに……。

 ダリアはその表情を見て、俯いて呟いた。

「今度はもう少しマシなもの作るから……」

 その日の昼も、晩も、ダリアは卵焼きを作ったけど、ちゃんと砂糖と塩を確認したおかげか、前よりはマシなものができた。相変わらずところどころ焦げたり、形はめちゃくちゃだったりしたけれど……。

 晩御飯の時間、向かい側で幸せそうに卵焼きを食べるエトワを見て、ダリアはため息を吐く。

「もしかしてずっと卵焼きで生活していかなきゃいけないの……」

 つまみで一週間を過ごしておいて今さらだが、貴族生まれのダリアとしては貧しすぎる食生活である。少し落ち着いて、余裕がでてくると、不満も滲み出てくる。

 次の日、起きると、リビングのテーブルに本が置いてあった。
 『初めての簡単な料理集』と表紙には書かれている。使い古された本で、使用人の誰かのものかもしれない。

「あんたこれ置いた……?」
「あうー?」

 ダリアは隣のエトワに尋ねるが、エトワは体ごとぐにっと曲げて首を傾げるだけだった。
 まったく知らないようだった。少なくともこの一週間で理解した意思表示上は――。

「はぁ……」

 分けのわからないことばかりだった。



※遅くなってすみません。
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