碧き世界のサルバトーレ

横浜あおば

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Ep.2

第37話 復讐も正義も果たせぬままに

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 ロンボが王都警衛隊の仲間を連れて指定された場所に到着した時には、すでに女王暗殺の犯人だという人物は取り押さえられていた。
 かなり大柄な男性のようだが、マリンピア外務省の職員であるらしい少女と女性(見た目は普通の一般人でとてもそのようには見えない)が暴れないよう手首を縛るなり脅迫するなりしてしっかりと抑え込んでいる。

海伐かいばつ騎士軍、王都警衛隊大佐のロンボだ。そいつが七年前に前女王を殺した容疑者なのか?」

 背後から声を掛けると、マリンピアの二人と共に捕らえられた男性もこちらに顔を向けた。
 その人物と目が合った瞬間、ロンボはひどく驚愕した。

「お、お前は……!」

「ラ=フォーカ大将が、どうして捕まって……?」
「まさか、いやそんなはずは……」

 部下もかなり困惑している様子だった。
 無理もない。我が軍の総司令官があの暗殺事件の犯人だなどと、そう簡単に信じられるはずがない。

 大体、動機は何だ?
 どうして大将が前女王を殺害する必要があった?

 受けた衝撃の大きさと数々の疑問点に、ロンボの頭の中は大混乱に陥る。
 
「これからリューグ軍へ容疑者を引き渡しますが、念のため我々も王城まで同行し警護致します」

 鮮やかな緑色の長い髪を靡かせながら少女が言う。
 その無感情な声で少し落ち着きを取り戻した大佐は、彼女に向かって微笑みつつ首を縦に振った。

「……ああ、よろしく頼むよ」

 こちらの準備が整うのを待ってから、紫髪の女性がフォーカを強引に突き出す。
 ロンボが身柄を引き受けると、即座に部下が頭の上から布を覆い被せた。

「王城までは警備艇で移動します。お二人もこちらに」
「承知しました」

 マリンピア外務省職員の二人に告げてから、容疑者となった総司令官の背中を押す。

「言い分は色々あるだろうが、それは王城で聞かせてもらう。乗り込め」

 無駄な抵抗だと分かっているだろうに、自ら歩こうとしないフォーカを力尽くで無理やり船に押し込んで、一番後ろの三列目の席に座らせる。

 三列目はロンボと王都警衛隊の兵士一人で容疑者を挟み込む形。それから二列目の座席にマリンピアの二人が座り、もう一人の兵士が操舵を担当する。

「よし、出してくれ」
「了解」

 ロンボの合図で警備艇が水面を滑り出す。

 赤い回転灯を点け、けたたましい警報音(サイレン)を鳴り響かせながら、暗殺事件の犯人を乗せた船は王城へ向けて水路を突き進む。


 作戦が開始されてから五分程が経った頃。
 サクラがゆっくりと目を開け、両耳を塞いでいた手を離した。

 しかし、テーブルの上で手を組んで、伏し目がちに考え事をしていたオトはその動きに気付かない。

「犯人、確保したって」

 不意に声を発したサクラに、オトはびくりと顔を上げる。

「えっ、もう? 随分と早いわね?」
「まあ、ロンボ君に引き渡すのはこれからみたいだけどね」
「それは構わないけれど……」

 当然だ。ロンボがここを後にしてから、まだ数分しか経過していない。この短時間で部下を呼び寄せて指定された場所に到着するのは、いくら優秀な彼でも流石に不可能だろう。

 にしても、仕事が早すぎる。
 マリオネットの統率力と機動力は人間が太刀打ちできるレベルではないということか。
 科学技術大国マリンピア、侮れないわね。

「ちなみに、犯人ってどんな人物なの?」

 オトが問いかけると、サクラはことんと首を傾けた。

「あれっ、言ってなかったっけ?」
「ええ。ただ私が訊かなかったから言わなかっただけでしょうけれど」

 今は少し落ち着きを取り戻したが、さっきは頭がこんがらがっていた。だから本来なら真っ先に訊くべきことを、私は訊こうともしなかった。
 これは私のミスであり、サクラは何も悪くない。

「ボクの中では当たり前のことだったから、すっかり言うの忘れてたよ~」

 照れたように頬を掻きながら、サクラはえへへと笑う。
 それからすぐに一転して真剣な表情を浮かべると、レンズの黒瞳でこちらを真っ直ぐに見据えて口を開いた。

「七年前のリューグ王国前女王暗殺事件の犯人は……海伐騎士軍総司令官のラ=フォーカ、だよ」
「えっ…………?」

 答えを聞いて、オトは言葉を失った。

 まさか母を殺した犯人が、私が信頼して任命した海伐騎士軍の制服組トップだったなんて。そんなの信じられないし、信じたくもない。

 けれど、サクラの目を見る限り嘘や冗談の類いではないのは明らかで。これはほぼ間違いなく真実。

 ショックで心臓が痛い。まるで胸に穴が空いたかのようだ。
 同時に、怒りで肩が震える。
 裏切られた。いや、そんな表現では収まらない。
 この感情は一体何だろう?
 もしかしたら、これこそが本物の復讐心というものなのか。

「……殺す。私がこの手で直接、冥界に送ってあげるわ」

 呟きながら、おもむろに右手を持ち上げるオト。
 水霊すいれいの窓を開くべく人差し指で空中に波線を描こうとしたところで、サクラが身を乗り出してその腕を掴んだ。機械の強い力で締め上げられ、動作が強制的に中断される。

「ちょっと、離しなさいな」

 色の無い、光を失くした瞳で、邪魔をしてきた人形を睨みつける。

 するとサクラも、真っ黒なカメラレンズの双眸でオトを強く睨み返した。
 機械特有の無機質な声に、機械とは思えぬひどく人間らしい感情を込めて、サクラは諭すように言う。

「離さないよ。だってオトは、今から細剣を取り出そうとしてるんでしょ?」

 問いかけに、オトはその通りだと頷く。

「そうよ。私は母さんの仇を討たなければならないのだから」
「気持ちは分かんないでもないけどさ。復讐は何も生まない。ただ虚しいだけだよ」
「何も生まなくても、私の望みは叶うわ」

 何かを生み出す必要は無い。虚しくたっていい。
 ただ復讐さえ果たせるならば、私はそれで満足。

「あ~、そういうこと言っちゃう?」

 共感しつつ良心に訴えかける形での説得に失敗したサクラ。
 さて次はどんな手で来るかと構えていたが、機械人形は途端に思考回路が壊れたかのように話がしどろもどろになり始めた。
 
「ええっとそしたら……。法律が人間を守ってくれるんじゃない、人間が法律を守るんだ。だからオトも」
「この国の王は私。つまり私自身が法そのものなのよ」
「ううっ。じゃあじゃあ、そんなことをして国民が納得すると思う? 支持率が下がったらオトだって困るんじゃ」
「どうせあとちょっとで辞める身だし、別にいいわよ」

 最後まで聞くまでもなく、いとも簡単に論破する。

「むむむ~……」

 やがてサクラは腕を組み、困った様子で唸った。

 まさかサクラは、他に策を用意していなかったのだろうか?
 最初のあれで説得出来ると考えていたのだろうか?
 何事も完璧にこなすマリオネットにしては少々間抜けにも感じられるが、ともあれ何も言ってこないのなら話は終わりだ。

「……もういいかしら? 離してちょうだい」

 これで解放してくれるものだと思ったが、どうやらこの人形はまだ諦めていなかったようで。女王の細い腕をがっちりと掴んだまま、わずかばかり少考してから言葉を継いだ。

「傷付けたくないから本当は言いたくなかったんだけど、計算した結果の最適解を言うね。……オトが復讐のためだけに人を殺したなんて知ったら、きっとカメアリさんは悲しむんじゃないかな? ようやく出来た純粋に友達って呼べる人に、こんなことで嫌われてもいいの?」
「っ! そ、それは……」

 オトは一瞬目を見開いて、それからすぐに視線を外した。

 やはりサクラは、的確にオトを説得する方法を導き出していた。だけど追い討ちをかけないように、あえて言わないでいてくれただけ。
 あのずれた説得は、機械人形なりの気遣いだったって訳ね。確かにこれは、今の私にはオーバーキルだわ。

 私が一番怖いのはナギサに失望されること。
 命に代えてでも母の仇を討つ、復讐を果たしてみせると思って生きてきたけれど、それと同じくらいに、それ以上に、彼女に嫌われたくないという気持ちが今は強くなっている。

「ねえオト。ちゃんとこの国のルールに則って、公正な裁きを行うのが一番じゃないかな? オトにとっても、リューグ王国にとってもさ」

 サクラが優しい声音で、そう語りかける。

 本当に、それでいいの?
 母さんの無念を晴らせるのは私しかいないのに。

 オトは葛藤し、逡巡した。
 復讐することだけを目的にここまで生きてきた人間が、そのチャンスを目の前にして捨てるのは容易ではない。

 決断するまでに結構な時間を要したと思うが、サクラは何も言わず静かに待っていた。
 長い沈黙の後、オトは顔を上げる。

「……ええ、そうね。分かったわ。個人的な感情でフォーカを殺すことはしないと誓うわ」

 正式な手順を踏んだ上で死刑が妥当だと判断されない限りは、どれだけ憎くても恨んでいても刃を向けることはしない。約束する。

「うん。オトならそうしてくれるって信じてた」

 こちらの答えを聞いて、サクラは笑顔を見せた。

「さて、そろそろ到着する頃だよ。無事に王城まで連れて来られたみたいだね」

 それから部下の報告を受信したのか、機械人形がホッとしたように告げる。
 だが、その安心も束の間。

『バンッ!』

 どこからか乾いた破裂音が響き渡った。

「えっ、何?」

 何の音か分からず、立ち上がって窓の外に目を向けるオト。
 その横で、同時に立ち上がったサクラは焦燥しきった表情をして固まっていた。

「ダメだ、やられた……!」


 王城裏手の軍施設側の通用口。
 多数の兵士が集結する中、前女王暗殺事件の容疑者フォーカを乗せた警備艇が横付けされた。

 船の扉が開き、まずはマリンピア外務省の二人が、続けてロンボが岸に降り立つ。

「大将、降りろ」
「……ああ」

 王都警衛隊大佐の指示に総司令官が従っているという光景は、上下関係に厳しい海伐軍においては相当に異様なもので。警戒に当たる兵士たちも、その姿に気を取られ、視線が釘付けになる。

「よし、付いてこい」

 そして、ロンボがフォーカにそう告げたのと同時。
 彼は急に歴戦の猛者らしからぬ恐怖に慄いたような顔をして、ぼそりと呟いた。

「このフォーカを切り捨てるのか、小娘……!」
「は?」

『バンッ!』

 刹那、謎の破裂音と共にフォーカが地面に倒れた。

「っ! おい、大将!」

 ロンボは即座に駆け寄って、彼の身体を抱き止める。
 見ると、胸の辺りから出血していて、みるみるうちに軍服が赤く染まっていく。

 遠距離から攻撃を受けた?
 しかし、辺りに投げ剣や円月輪といった飛び道具の類は落ちていない。

「おい何事だ!?」
「早く応急処置を!」

 突然の緊急事態に、騒然となる現場。
 マリンピアの二人も、表情こそ変わらないが慌てた様子で視線を彷徨わせている。

「音源特定出来ず。追跡は不可能」
「ブラックリスト掲載人物を検索。捕捉無し。作戦は失敗」

「くそっ!」

 俺は何をやっているんだ。目の前にいる重大事件の犯人一人も守れないのか。
 ロンボは悔しさをあらわに、自らの膝を強く叩いた。


 その後フォーカは軍病院に救急搬送されたが、命は助からなかった。
 先進医療研究部の医師ガラ曰く、ほぼ即死だったとのこと。

 七年前の前女王暗殺事件は、容疑者死亡という残念な結果で、全容も解明出来ぬままに幕を閉じた。
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