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第一幕 Smile for me―――死神さんとの邂逅

第10話

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 翌日。亮が談話室に足を運ぶと、姫の姿がどこにもなかった。
 彼は姫の名を呼びながら室内を探し回ったり、ゴミ箱の中に頭を突っ込んで呼び掛けたりもしたが、依然と見つからないまま。
 彼女は一体、どこにいるのだろう。
 その疑問が頭に浮かんだ瞬間、まるで彼の思考が透視されたかのように、雅代まさよは静かに答えた。

「お嬢様なら、部屋で寝込んでいますよ」

「なんと、ということはつまり、これは姫の寝顔を拝めるチャーンスゥ!  では、失礼して……」

「待ちなさい」

 大きく響いたその一言に、亮は振り向く。
 いつも一緒にふざけてきた雅代まさよからただならぬ気配を感じて、彼は思わず固唾を呑んだ。

「そろそろ、話した方がいいですね。7階ここの真実を」

「真実……?」

「この病院、山の上に建てられているのは、ご存知でしょうか」

「はい。なんでもここは日本一さいハイエスト病院だと、我が妹君から聞いている!」

「……下郎、一回幼稚園から勉強し直した方がよさそうですね、国語を」

「そこまではなくナァイ!?」

 二重どころか、三重表現になったその台詞に、雅代まさよはため息一つ。

「これから真面目な話をするつもりなのに、話の腰を折らないでいただきたい」

「ずみまぜん」

「話を戻します。この高山中央たかやまちゅうおう病院は、日本の中で最も天国に近い病院だと言われています」

 高山中央たかやまちゅうおう病院は標高約1200mの高地に位置しており、ロープウェイだと約15分で到着することが可能。その特異な地理条件から『日本の中で最も天国に近い病院』と称されるようになった。
 敷地内は本棟、西棟、北棟の三つの棟で形成されている。この三つの棟の外見は一見すると同様に見えるが、この北棟だけが他の棟とは違っていた。

「この北棟だけが、7階が存在しています。まあ、このことは下郎には他の棟を見て回ってもらった方が良さそうですが、時間がないので確認はまた後程でお願いします」

 亮はその場で頷いてみせたが、実は彼はこのことを知っていた。
 先日、木村きむらさんに追いかけられて、うっかり西棟に入った時のことだった。
 彼がエレベーターに乗った時、7階のボタンがないことをずっと不思議がっていた。それが今になって、ようやく解決した。

「7階の患者の間では、ある共通の認識を持っています。
 この7階は、病院内にあって、唯一治療をする場所ではない。ただ、命を尽きるのを待つ場所。そして、彼らの間ではこの談話室のことをこう呼んだりもしました――『天国への待合室』、と」

 もう一つの呼び名を知り、亮はゾッとした。今まで気兼ねなく出入りしていた場所が、一部の人間にそんな風に呼ばれていたなんて。
 それを耳にしてから、なんだか談話室の雰囲気が一変したように感じた。
 さすがの彼でも、このような話を聞かされたら、ふざける気力が残っていないようだ。

「さて、ここまで話した理由、お分かりでしょうか」

「まさか……」

「そう、いずれお嬢様は。少なくとも、彼女本人がそう信じています」

 いきなり告げられた事実に、亮は絶句した。
 昨日はあんなに自信満々に『お嬢様マイスター』と名乗ったのがまるで嘘かのような、呆気なさで。
 少し間を置いてから、雅代まさよは言葉を継ぐ。

「お嬢様はこの7年間ずっと、ある役目を背負っています。7階ここに新しい患者さんが来る度、7階ここならではのルールというか、伝統みたいなものを教えます。詳細は本人が中々教えてくださらないので、ワタシも知りませんが」

「ストーカーなのに?」

「教える前にお嬢様はいつもワタシを追い払ってきましたので。7階ではない人間に知られるべきではないとの考えをお持ちのようで……」

 なるほど、と亮は納得した。
 彼女と知り合って日も浅いが、彼女ならそうしていたかもしれない。

「そして、最後に必ず彼らの最期を看取ります。方法は存じておりませんが、その……お嬢様は相手がいつの亡くなるのかが手に取るように熟知したみたいで。まるで、相手の死期がみえるかのように」

 珍しく歯切れ悪く語った雅代まさよの言葉を噛み砕くように、亮は深く考え込む。死にゆく者たちに引導を渡す存在。それは、まるで――

「――まるで、死神みたいだ」

「そう。7階の患者の間では、お嬢様のことをそう呼んだ者もございます。しかし、患者はお嬢様一人しかいない今、そんな物騒なあだ名は廃れましたけどね。
 さて、ここで下郎に質問がございます。これらの事実を知っても尚、お嬢様とお近付きになりたいと思いますか」

 雅代まさよの透徹した眼差しを見て、亮は胸中で納得を得た。
 彼女は彼の本質を見極めるために、わざと悪役を演じている。口にこそ出さなかったけど、恐らく主人である姫に頼まれたのだろう。
 それに、まだ最初の目的を果たしていない。
 姫が彼のことを思って遠ざけようとしている。そう思うだけで、笑いが込み上げてくる。

――ならば、こちらも同じように対応するのが筋というもの。

「僕は――」
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