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「焼くなら、あの一皿しかありませんわね」
セレナはそう呟きながら、試作室の棚から一冊の古いレシピ帳を取り出した。ページをめくる指先は震えていなかった。もう迷いはなかった。
選んだのは、母・ヴィオラが病床からほんの少しだけ回復した日、屋敷の小さな厨房で焼いてくれた“再生”の味――ラ・ペッシュのタルト。
完熟の白桃に似た香りをもつラ・ペッシュ種は入手困難で、常の食卓に上ることは滅多になかった。けれどその甘さとほろ苦さのバランスは、まさに“立ち上がる味”だった。
「マルレーネ、お願いがありますの。ラ・ペッシュを、あの市場から取り寄せてください」
「王都の東側ですか……あそこは、出入りに許可が要ります。けれど、やってみましょう」
使用人長のマルレーネはすぐに動いてくれた。彼女の信頼は、何よりの心強さだった。
その晩、材料の下調べを兼ねて、セレナは厨房の隣室にある屋敷の書庫へと足を運んだ。調理関係の文献が揃ったその場所には、かつて母がよく籠っていた名残がいくつも残っている。
ふと、料理書を開いたその瞬間――一通の古びた封筒が、ぱたりと床に落ちた。
封もされていないその手紙は、淡い香りを残していた。母の香水“アンバー・フローレ”の残り香だった。
『味とは、誰かを思い出せること。
あなたの一皿が、誰かの救いになりますように。』
走り書きのような短い言葉。でもそれは、何より深い祈りだった。
「……お母さま……」
手紙を抱きしめるように持ち、セレナはゆっくりと目を閉じた。
「見ていてね。わたくし、焼き上げてみせますわ」
これは戦いの武器ではない。断罪への対抗でもない。
母から受け継いだ記憶と、誰かを想う気持ちの証明。
セレナは、ラ・ペッシュを焼く準備を始めた。
それは、記憶の奥にある“あの日”を届けるための一皿だった。
セレナはそう呟きながら、試作室の棚から一冊の古いレシピ帳を取り出した。ページをめくる指先は震えていなかった。もう迷いはなかった。
選んだのは、母・ヴィオラが病床からほんの少しだけ回復した日、屋敷の小さな厨房で焼いてくれた“再生”の味――ラ・ペッシュのタルト。
完熟の白桃に似た香りをもつラ・ペッシュ種は入手困難で、常の食卓に上ることは滅多になかった。けれどその甘さとほろ苦さのバランスは、まさに“立ち上がる味”だった。
「マルレーネ、お願いがありますの。ラ・ペッシュを、あの市場から取り寄せてください」
「王都の東側ですか……あそこは、出入りに許可が要ります。けれど、やってみましょう」
使用人長のマルレーネはすぐに動いてくれた。彼女の信頼は、何よりの心強さだった。
その晩、材料の下調べを兼ねて、セレナは厨房の隣室にある屋敷の書庫へと足を運んだ。調理関係の文献が揃ったその場所には、かつて母がよく籠っていた名残がいくつも残っている。
ふと、料理書を開いたその瞬間――一通の古びた封筒が、ぱたりと床に落ちた。
封もされていないその手紙は、淡い香りを残していた。母の香水“アンバー・フローレ”の残り香だった。
『味とは、誰かを思い出せること。
あなたの一皿が、誰かの救いになりますように。』
走り書きのような短い言葉。でもそれは、何より深い祈りだった。
「……お母さま……」
手紙を抱きしめるように持ち、セレナはゆっくりと目を閉じた。
「見ていてね。わたくし、焼き上げてみせますわ」
これは戦いの武器ではない。断罪への対抗でもない。
母から受け継いだ記憶と、誰かを想う気持ちの証明。
セレナは、ラ・ペッシュを焼く準備を始めた。
それは、記憶の奥にある“あの日”を届けるための一皿だった。
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