帰りたい場所

小貝川リン子

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第七章 帰りたい場所

第七章③ ♡

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「……マジでいいのか?」
 
 この期に及んで、風間はまだ躊躇する。鶫は、大股を開いた間抜けな恰好で、腹立ち紛れに舌打ちをした。
 
「散々人のケツ弄くっといて、そりゃねぇだろ」
「それもそうなんだが……指とこれじゃ負担が全然違うだろ」
「うっせぇなぁ。俺がいいっつってんだからいいんだよ。もう、早く……」
 
 鶫は、脚を風間の腰に巻き付けて抱き寄せた。
 
「早く、あんたにめちゃくちゃにされてぇ」
「……っ」
 
 立派な喉仏が、大きく上下した。
 
「ぅあ、ぁ゛、っぐ……」
「悪い。苦しいか」
「ちがっ、ぁ、はいって、く……はいって、くる、ぅっ」
 
 男を受け入れるのはいつぶりだろう。少なくとも一週間、いや、二週間ぶりだろうか。もっとかもしれない。
 今回の襲撃事件を機に風間の元を去るつもりでいたから、回数も頻度も減っていた。無意味な未練が残ってはいけない、と無意識のうちに考えていたことに、鶫は今更になって気が付いた。
 
「キツいな……」

 風間は苦しそうに唸る。

「もう少し力抜けるか?」
 
 濡れた睫毛や、左瞼の傷痕に、宥めるようなキスを落とされる。優しい唇に愛撫されて、くすぐったさが心地いい。甘やかされていると実感し、心が解けていく。しかし、処女のように閉じたそこが開くには、まだ時間が必要だった。
 
「……やっぱり一旦抜くか」
「やっ、ぬくな」
「お前もキツいだろ」
 
 鶫は大きく胸を喘がせた。
 確かに、苦しい。痛い。辛い。繊細な場所を拓かれ、内臓を直に触れられて、何も感じないはずがない。ましてや、腹に穴が空き、一週間昏睡状態だった身だ。性行為なんかしていい体ではない。正直かなり無理をしている。けれど。
 
「やだ、ぁ、ぬくな……っ」
 
 鶫は風間の胸倉を掴んで引き寄せた。
 
「痛くてもいいからっ……あんたがほしいんだ……っ」
 
 多少の苦痛なんか問題にならない。それらを容易く塗り替えるほど、風間が鶫に与える熱は甘美であった。
 真ん中にぽっかりと空いた虚ろな穴を、風間はぴったりと埋めてくれる。寸分の隙間もなくぴったりハマって、もうこれ以上ないというほど満たされる。
 甘美な痺れに酔いしれて、鶫はぽろぽろと涙を零した。まるで真珠のような、透き通った大粒の涙だった。風間はぎょっとした顔をする。
 
「なっ、おい……やっぱ傷に響くか? 抜くか?」
「ちげぇよ、うれしくて……」
 
 鶫は泣きながら笑った。滲む視界に風間の驚いた顔が見えて、それがなんだかおかしくて、鶫は笑いながら泣いた。喜びで溢れる涙もあるということを、今初めて知った。
 
「……俺、やっぱあんたじゃなきゃだめみてぇ」
「っ……」
「……あんたのこと、俺の帰る場所にしてもいいか?」
「……」
 
 鶫の太腿を抱えていた、風間の手に力が入る。爪が食い込み、鶫は眉を寄せた。
 
「いてーよ」
「っ……悪い」
「怒ってんの」
「なんで」
「……俺が変なこと言ったから」
「……」
 
 一回り膨張した熱杭で、奥を穿たれた。鶫は声を裏返し、身悶える。
 
「ひっ……!? なっ、んだよ、急にっ……!」
「うるせぇ。こっちの気も知らねぇで、このクソガキ」
「なっ、やっぱ怒ってんじゃん!?」
「オレはなぁ! オレは……!」
 
 唇の届きそうな距離まで、風間の顔が近付いた。出会った頃よりも皺の増えた目元が赤く潤んでいた。
 
「オレは、ずっと前からそのつもりだったよ」
 
 唇がそっと重なった。触れるだけですぐ離れてしまって、それが無性に切ない。鶫が唇を尖らせて追いかけると、もう一度優しく重なった。
 
「泣くなよ、おっさん」
「泣いてんのはお前だろ!」
「ふは、それもそーか。しょっぺぇキス」
「帰る場所でも何でもいいけどよ。二度と勝手にいなくなるんじゃねぇぞ。今回はマジで寿命が縮んだ」
「ん……おっさん、俺のこと大好きだもんな」
「ああ、そうだな。愛してるよ」
「……っ」
 
 胸にじんわりと沁み渡る、鶫の大好きな低い声が囁いた。途端に全身の毛が逆立って、鼓動が一足飛びに駆け上がって、胎の奥がぞくぞくと疼いた。ひとりでに痙攣して締め付けて、男の形を敏感に感じ取ってしまう。
 
「まさか、今のでイッたのか」
「ちがっ、いまのは」
「かわいいな、鶫」
「っっ!?」
 
 ビクビクッ、と体が勝手に痙攣する。甘えるように中が締まって、男のものを締め付けて、それでまた快感を得るという、変なループに入った。
 
「ひっ、あっ、やだやだ、あぁっ」
「また軽くイッたろ。感じやすくてかわいい。鶫」
「あっ、んンっ、やめ、だめっ」
「名前言われるのがいいのか? つ~ぐ~み。鶫」
「ちがっ、て、やめ、……っ」
「愛してるぜ、鶫。愛してる」
「やっ、も……あんたばっかずりぃ!」
 
 鶫は、腹に気合を入れて声を張り上げた。そうしなければ、ふにゃふにゃと甘ったれた声ばかりが漏れてしまう。緩慢な動きだけで何度も絶頂寸前まで引き上げられて、悔しいったらありゃしない。
 
「おれにも名前呼ばせろ」
「呼べばいいだろ」
「じゃなくて、本当の名前だよ」
「……」
 
 風間は数度瞬きをして、鶫にそっと耳打ちした。
 
「――――」
 
 初めて聞くその名前は、おっさんにはまるで不釣り合いな、明るく爽やかな響きだった。鶫は思わず噴き出した。
 
「何笑ってやがる。失礼な」
「だってよぉ……ふふっ」
 
 鶫は嬉しくなって風間に抱きついた。うまく力の入らない腕で、ぎゅうっと力いっぱい抱きしめた。
 
「おっさんは、やっぱおっさんがいいな」
「まぁ、マジでもうそういう歳だしな」
「渋くてイケてると思うぜ」
「そうかよ」
 
 風間は鶫をしっかりと抱きかかえた。激しく奥を突き上げられると、傷口が今にも開きそうになる。それがちょっとだけ痛くて、でも嬉しくて、気持ちがいい。鶫は風間にしがみつき、全身でその熱を感じた。
 
「……好きだぜ、おっさん」
 
 *
 
 ステンレス製の安いベッドが、ギシギシガタガタ悲鳴を上げていた。男二人の体重と振動に、もはや耐えられそうにない。
 
「てっきり弟子を取ったものと思っていたが、まさか恋人だったとはね」
 
 パタンとドアが閉まって、先程の女医の声がした。風間は苦い顔をしてベルトを締める。
 
「今入ってくるやつがあるか。せめてあと五分待てよ」
「ここは私の病室だよ? どうして気遣いする必要があるのかな」
「料金は上乗せしておくから」
「よく分かってるじゃないか」
 
 この女医と話す時、風間は、鶫に向けるのとはまた違った表情を見せる。二人の話しぶりから、気の置けない仲であることが伝わる。まるで長年連れ添った夫婦のような、互いのことをよく分かっていながらベタベタしない、さっぱりした間柄だというのが窺える。
 風間はネクタイを締め、スーツに袖を通すと、用事を済ませてくると言った。

「患者を引き取ってもらわないと困るよ」
「金振り込んでくるだけだ。早い方がいいんだろ」
「ふふ、よく分かっているね」
 
 鶫は、初対面の女医と二人で病室に残された。セックスの余韻で、まだ少し頭がぼんやりしている。
 
「それじゃ、最終チェックといこうか。傷が開いてなきゃいいんだが。全く、無茶をする男だよ」
 
 風間が大慌てで着せた服を開けて、女は鶫を診察した。医者らしく、まるで機械を点検するような手付きで、縫合の跡をなぞる。
 
「……お姉さん」
「速水でいいよ」
「速水さんは、おっさんと付き合い長ぇの」
「彼が君くらいの時に知り合って、それからずっとかな。腐れ縁というやつだね。裏社会にだって、医者は必要だろう? 特に、彼や君のような、危険な仕事をしている者にとってはね」
「ふーん」
「まだ何か聞きたいって顔をしているね」
「別に」
「彼とは一度も寝たことはないから、安心していいよ」
 
 速水は静かに目を細めた。
 
「……んなこと一言も訊いてねーよ」
「おや、余計なお世話だったかな。君、案外純情派なんだね」
「別に、おっさんの恋愛遍歴とか興味ねぇし」
「今は君だけだって分かっているからかい?」
 
 速水は含み笑いを浮かべる。捉えどころのない、女狐のような女だ。
 
「あんた……つーか、おっさんが余計なこと喋ったのか? どこまで知ってんだよ」
「何も知らないよ。ただ、彼が君を大切に思っているらしいことは分かるさ。普通、昏睡状態に陥った患者は見限ることにしているんだけれどね。何しろ小さい診療所だ。設備も全然足りないし、入院させようが放り出そうが、どうせ死ぬからね」
「さすが闇医者って感じだな」
「一応免許は持っているよ。ただ今回は、彼がどうしてもって頼むから、仕方なくね。金ならいくらでも積むって言うから、私も全力を尽くしたさ。君を死なせたら、手に入る金が半減だからね」
「……」
「君が寝ている間、彼が君の世話をしていたんだよ。そりゃあもう、涙が出るほど甲斐甲斐しくね。あんなに真剣な姿は初めて見たよ。全く、私と同類だと思っていたのに、裏切られた気分だよ」
 
 速水は少し遠い目をして呟き、鶫の服のボタンを閉じた。
 
 *
 
 そのまま鶫は退院となった。正規の病院であれば、もうしばらく入院して様子を見るのだろうが、ここはあくまでも闇医者だ。動けるようになったら即退院である。
 
「おっさん」
 
 見慣れた風景、住み慣れた街、いつもの家路に戻ってきた。長い悪夢から醒めたような人心地がした。鶫は風間の手を握った。
 
「……悪かったな。色々迷惑かけちまって」
「急にしおらしいな。生きてりゃいいって言ったろ」
「それと……」
 
 鶫はもじもじと風間の手を握りしめた。掌が汗で湿っている。
 
「……ありがとな……」
「……」
 
 風間も、鶫の手をぎゅっと握り返した。
 
「その言葉、そっくりそのまま返すぜ」
 
 真冬の空気は切れ味鋭く張り詰めているというのに、体はぽかぽか火照って汗ばむくらいだ。鶫はマフラーを外し、風間に押し付けた。
 
「何すんだよ」
「うっせ。暑いんだよ」
「自分で持て」
「俺ぁ病人だぜ。労われよ」
「嘘こけ。ピンピンしてるくせに」
「それに腰もいてーなぁ。誰かさんががっつくからな~」
「おまっ、そりゃお前が……」
「じょーだんだよ。腰は痛くねぇ」
 
 鶫は風間にじゃれ付いた。風間は絆されたように微笑む。
 
「まぁ、今日くらいはな」
 
 二人の男が家路を急ぐ。まだ硬い桜の蕾が、そう遠くない春の訪れを待ちわびていた。
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