4 / 14
第一章 指環と禁欲
第三話 結婚式②
しおりを挟む
「ただいま」
「おー。おけぇり」
「わざわざ悪かったな」
「いーって。早く乗んな」
たった一泊。されど一泊だ。昨晩のこともあってか、瞬介は少々不機嫌そうな顔をして、それでも、駅まで迎えに来てくれた。駅前のロータリーには、迎えの車がぽつぽつと並んでいる。七瀬はトランクに荷物を積み、助手席に乗り込んだ。
「じゃ、安全運転で頼まァ」
「任せとけって。まー、大した距離でもねぇけど」
ガコガコとギアを切り替える、剥き出しの逞しい腕。思わず、触りたくなった。そっと体を寄せ、頬に唇を触れると、瞬介は大袈裟なほど肩をビクつかせて振り向いた。その顔がリンゴみたいに真っ赤だったものだから、七瀬はまた思わず笑った。
「なっ、なにすんの。発情してる?」
「わけねぇだろ。お礼だ、お礼」
「んな殊勝なことするタマかよ。普段もっと横柄だろ」
「ああ?」
「ほらそーいうとこ!」
瞬介は改めてハンドルを握り、アクセルを踏む。車はゆっくりと発進し、ロータリーを抜ける。
「つーかさ、ブーケの花挿す花瓶。結局買えてないんだよね。今から行っていい?」
「ああ、だな。せっかくもらったのに、枯らしちまったら縁起でもねぇ」
瞬介は車を走らせる。立ち寄ったのはショッピングモールだ。長いスロープをぐるりと回り、屋上の駐車場に車を停めた。
「飯は? もう食ったの」
「軽くな」
「アイス食っていい?」
昼時を過ぎたフードコートは人影も疎らであるが、アイスクリームショップだけは、時間帯に関係なく盛況だ。瞬介はワッフルコーンのトリプルを、七瀬はカップのダブルにし、それぞれフレーバーを注文した。窓際にソファ席を見つけ、向かい合って腰を下ろす。
「何味?」
「抹茶と小豆」
「渋っ」
「いいだろ、好きなんだから。お前こそ、甘そうなのばっか選びやがって。しかも三段重ねはねぇだろ。腹壊すぞ」
「いいんです~、俺の舌はまだまだ若いの」
「幼いの間違いじゃねぇか」
瞬介の選んだフレーバーは、上から順に、期間限定のトロピカルソーダ、フランボワーズチョコレート、そして定番のキャラメルリボンだ。名前だけで、胸焼けするほど甘ったるい。
「試しに食ってみ? 上のやつは結構さっぱり系だぜ」
そう言って差し出された、プラスチックの小さなスプーン。食べてみれば、夏らしくフルーティな味わい。舌の上でとろりと解けた。
「……まぁ、いけるな」
「だろ?」
「お前も食え。どっちがいい」
「両方いい感じに混ぜたやつ」
「欲張りめ」
そう言いつつ、抹茶と小豆のちょうど重なっている部分にスプーンを刺し、うまいこと溶かしてこそげ取った。口を開けて待っている瞬介の間抜け面に笑いを堪えつつ、アイスを食べさせてやる。
「和風だな~」
「うめぇだろ」
「落ち着く味だわ」
こんなことは、何も初めてではない。至って普通の、当たり前のこと。瞬介とアイスを食べるのも、互いに味見をさせ合うのも。アイスだけじゃない。例えばかき氷。クレープ。甘いものでなくてもいい。ラーメン、カレー、スパゲッティ。最近では、二人で酒も酌み交わす。だからこれは、何ということはない、ただの日常。そんな日常が、なぜだか急に愛しく思えた。
「そういや、花瓶ってどこに売ってんだ?」
「雑貨屋とかじゃねぇか」
「その前に俺、服見てぇ。夏服足りないんだよね」
「おれも、新しい靴下ほしい。この前穴空けちまって」
花瓶を買いにきたはずなのに、いつの間にかショッピングを楽しんでいる。広いモール内をぐるりと回って、服を買ったり本を買ったり。他にも、キッチン用品店を物色したり、輸入食品店であれこれ手に取ってみたにも関わらず、結局何も買わなかったり。
「これよくね? 買おうぜ」
様々なテナントを巡り歩いて辿り着いたギフトショップで、まず瞬介の興味を引いたのは、ペアのロックグラスだった。江戸切子の、質のいいもの。その分、値も張る。
「花瓶はどうすんだ」
「そっちもちゃんと買うからさぁ。いいじゃん。ペアの食器とか、憧れるし。こういうの、まだ一個も持ってねぇんだから」
「ペアのグラスか……」
そう呟いてみて、ひどく気恥ずかしくなった。嫌というわけではない。ただ改めて、二人で住んでいるのだなぁと。今更実感するのも遅いが、感慨深くなってしまう。
「けど、ちょっと高ぇか。プレゼント用だな、こりゃ」
「いや、いい。買うぞ」
「マジ。いいの? ついでにこっちのマグカップも……」
「んないくつもいらねぇだろ」
桐箱に入ったグラスと、もちろんガラスの花瓶も購入した。思いのほか大荷物になってしまった。こうなったら、ここで夕食まで済ませてしまおうという話に落ち着き、一階のレストラン街で食事をして、帰る頃には日が暮れ始めていた。
駐車場はがらがらだ。着いた時には、その時も既に疎らではあったが、何台か車が停まっていたのに。七瀬は助手席に乗り込んで、シートベルトを締める。ちょうど西日が射し込んで、世界の半分が夕焼け色に染まっていた。上空を見上げれば、夜の帳が下り始めている。
瞬介が運転席に座る。ドアを閉めて、エンジンをかける。父親から譲り受けた軽自動車を卒業し、ローンを組んで買ったというコンパクトSUVが、まるで、眠っていた獣が目を覚ますように、低く唸りを上げる。
気づいた時には遅かった。目を覚ました獣とは、目の前のこの男のことだ。気づいた時には、唇を奪われていた。
逃がさないようにしているのか、あるいは男の本能か、胸倉を掴まれて引き寄せられる。緩んだ唇に、強張った舌が入り込む。キャラメルを溶かすように、七瀬が舌を絡めると、瞬介は口づけを深くした。
わざわざ屋上まで上り、人目に付かない隅の位置に駐車したのは、このためだったのか。まさかこんな形で答え合わせをすることになるとは思わなかった。
果たして、どこまでするつもりなのだろう。瞬介の指先は、七瀬の胸元へ移動している。つんと尖り立ち、主張を増している突起を、服の上から抓られた。
「ン、ふぁ……」
思わず声が漏れる。身を捩れば、肩を掴まれて抱き寄せられる。逃げる先などないのだ。扉と窓に背後を阻まれている。
瞬介は、運転席から身を乗り出して、サイドブレーキを乗り越えて、助手席に座る七瀬を押し倒すように圧し掛かってくる。胸元を責める手付きは一層激しい。布越しに擦られ、引っ掻かれて、自然と腰が反る。
長い舌が絡み付く。喉の奥まで探られる。熱い唾液が流し込まれる。嚥下して喉を通る、その感覚にさえ震えた。毒を食らったかのように、頭がぼんやりとして働かない。今ここで、最後まで許してしまっても構わない。そう、思ったのだが。
「ッ、は……っ」
きつく絡み合っていた舌が解けた。まるでリボンが解けるように、離れていく。瞬介の厚みのある舌が、緩く開いた唇に覗いている。まるで溶けかけのキャラメルだ。糸を引く唾液が、砂糖を溶かしたシロップのよう。甘い糸は緩く弧を描き、唇と唇を繋いでいる。
乱暴に口元を拭い、瞬介は座席に座り直した。どかっと乱暴に座ったものだから、車体が揺れた。腹立ち紛れに膝を揺する。ハンドルを握りしめる腕に血管が浮かぶ。
「おい……」
その腕に、七瀬が触れようとすると、瞬介はこちらを振り向いて睨んだ。
「触んな」
睨んだ。いや、そうではない。鬼みたいに顔を赤くして、息を荒げて、こめかみに血管を浮かべてはいるけれども、決して睨んでいるわけではない。
「最後までしたくなんだろ」
そう振り絞るように言った瞬介が、ひどく健気に思えた。頭の中は七瀬のことでいっぱいのはずなのに、必死で意識をよそへ向けようとしている、その姿にぞくぞくした。この男をここまで葛藤させているのは、自分自身なのだ。
空腹の最中、ご馳走を前に焦らされて、それでもまだ、「待て」の命令に忠実に従い、「良し」と言われるまで手をつけない。傍若無人な振舞いが目立つようでいて、こんなところだけは、昔から聞き分けがいい。
どう見ても余裕がなく、本能が暴走を始める一歩手前だというのに、なけなしの理性でどうにか抑え込んでいる。顔を真っ赤にして、怖い顔をして、我慢している。こんな姿が、どうしようもなく、愛おしい。
「……我慢比べだもんな」
もちろん、瞬介が負けず嫌いなのも知っている。勝負などと言い出した手前、自ら負けを認めることはできないのだろう。こうなれば意地の張り合いだ。男のプライドにかけても、今ここで手を出すことはできないのだろうと、七瀬にだって分かっている。分かってはいるが……
「ああ? そうだよ。さすがに、こんな場所でならブレーキ利くだろ」
「てめぇ、最初から狙ってやがったろ」
「そりゃーな。昨日言ったろ。帰ってきたら覚えてろって」
「……もっとすげぇことされんのかと思ったぜ」
「っ……」
分かってはいるが、揶揄いたくもなる。瞬介は悔しそうに歯を軋ませ、ハンドルを叩いた。
「てめっ、マジで次こそ覚えてろよ」
「悪役の台詞だろ、そいつは」
「うるせーうるせー、今ここでやっちまってもいいんだぜ」
「そうヤケを起こすなよ。約束の日まで、あと何日だ? せっかくここまで来たのに、もったいねぇだろ」
「もったいねぇこたねぇだろ」
「今日より明日、明日より明後日、我慢したら我慢しただけ、気持ちよくなると思わねぇか?」
「っ……」
「もう少しの辛抱だろ。最終日には、きっと極楽が待ってるぜ」
「だーッもう、わーったよ。お前にゃ敵わねぇ。けどな、そン時が来たら、次こそマジで覚えとけよ。お前が泣いて謝ったって、ぐっちゃぐちゃのどろっどろになるまで、抱き潰してやっからな」
「は、そりゃおっかねぇ」
「おーい、マジで言ってんだからね?」
「ま、せいぜい楽しみにしといてやらァな」
「余裕ぶっこいてられんのも今のうちだぜ」
そう言うと、瞬介はようやく車を発進させた。黄昏の空の下、寄り道せずに家路につく。
瞬介はああ言ったが、七瀬にだって余裕など全くない。今すぐに、胎の奥に熱いものをぶち込んでほしい。猛り立つもので、奥の奥まで掻き回してほしい。自分の指では決して届かない、体の中心の深いところまで、瞬介に触れてほしい。
けれど、素直に泣いて縋るなど、プライドが許さない。これは意地の張り合いなのだ。約束の日を迎えるまでは、血反吐を吐いたって耐えてみせる。それはきっと、瞬介も同じこと。体の奥が、いくら切なく疼いたって、それを相手に悟らせるわけにはいかないのだ。
夏はもう始まっている。里に帰り、花火を見るその日まで、指折り数えて待つしかない。
「おー。おけぇり」
「わざわざ悪かったな」
「いーって。早く乗んな」
たった一泊。されど一泊だ。昨晩のこともあってか、瞬介は少々不機嫌そうな顔をして、それでも、駅まで迎えに来てくれた。駅前のロータリーには、迎えの車がぽつぽつと並んでいる。七瀬はトランクに荷物を積み、助手席に乗り込んだ。
「じゃ、安全運転で頼まァ」
「任せとけって。まー、大した距離でもねぇけど」
ガコガコとギアを切り替える、剥き出しの逞しい腕。思わず、触りたくなった。そっと体を寄せ、頬に唇を触れると、瞬介は大袈裟なほど肩をビクつかせて振り向いた。その顔がリンゴみたいに真っ赤だったものだから、七瀬はまた思わず笑った。
「なっ、なにすんの。発情してる?」
「わけねぇだろ。お礼だ、お礼」
「んな殊勝なことするタマかよ。普段もっと横柄だろ」
「ああ?」
「ほらそーいうとこ!」
瞬介は改めてハンドルを握り、アクセルを踏む。車はゆっくりと発進し、ロータリーを抜ける。
「つーかさ、ブーケの花挿す花瓶。結局買えてないんだよね。今から行っていい?」
「ああ、だな。せっかくもらったのに、枯らしちまったら縁起でもねぇ」
瞬介は車を走らせる。立ち寄ったのはショッピングモールだ。長いスロープをぐるりと回り、屋上の駐車場に車を停めた。
「飯は? もう食ったの」
「軽くな」
「アイス食っていい?」
昼時を過ぎたフードコートは人影も疎らであるが、アイスクリームショップだけは、時間帯に関係なく盛況だ。瞬介はワッフルコーンのトリプルを、七瀬はカップのダブルにし、それぞれフレーバーを注文した。窓際にソファ席を見つけ、向かい合って腰を下ろす。
「何味?」
「抹茶と小豆」
「渋っ」
「いいだろ、好きなんだから。お前こそ、甘そうなのばっか選びやがって。しかも三段重ねはねぇだろ。腹壊すぞ」
「いいんです~、俺の舌はまだまだ若いの」
「幼いの間違いじゃねぇか」
瞬介の選んだフレーバーは、上から順に、期間限定のトロピカルソーダ、フランボワーズチョコレート、そして定番のキャラメルリボンだ。名前だけで、胸焼けするほど甘ったるい。
「試しに食ってみ? 上のやつは結構さっぱり系だぜ」
そう言って差し出された、プラスチックの小さなスプーン。食べてみれば、夏らしくフルーティな味わい。舌の上でとろりと解けた。
「……まぁ、いけるな」
「だろ?」
「お前も食え。どっちがいい」
「両方いい感じに混ぜたやつ」
「欲張りめ」
そう言いつつ、抹茶と小豆のちょうど重なっている部分にスプーンを刺し、うまいこと溶かしてこそげ取った。口を開けて待っている瞬介の間抜け面に笑いを堪えつつ、アイスを食べさせてやる。
「和風だな~」
「うめぇだろ」
「落ち着く味だわ」
こんなことは、何も初めてではない。至って普通の、当たり前のこと。瞬介とアイスを食べるのも、互いに味見をさせ合うのも。アイスだけじゃない。例えばかき氷。クレープ。甘いものでなくてもいい。ラーメン、カレー、スパゲッティ。最近では、二人で酒も酌み交わす。だからこれは、何ということはない、ただの日常。そんな日常が、なぜだか急に愛しく思えた。
「そういや、花瓶ってどこに売ってんだ?」
「雑貨屋とかじゃねぇか」
「その前に俺、服見てぇ。夏服足りないんだよね」
「おれも、新しい靴下ほしい。この前穴空けちまって」
花瓶を買いにきたはずなのに、いつの間にかショッピングを楽しんでいる。広いモール内をぐるりと回って、服を買ったり本を買ったり。他にも、キッチン用品店を物色したり、輸入食品店であれこれ手に取ってみたにも関わらず、結局何も買わなかったり。
「これよくね? 買おうぜ」
様々なテナントを巡り歩いて辿り着いたギフトショップで、まず瞬介の興味を引いたのは、ペアのロックグラスだった。江戸切子の、質のいいもの。その分、値も張る。
「花瓶はどうすんだ」
「そっちもちゃんと買うからさぁ。いいじゃん。ペアの食器とか、憧れるし。こういうの、まだ一個も持ってねぇんだから」
「ペアのグラスか……」
そう呟いてみて、ひどく気恥ずかしくなった。嫌というわけではない。ただ改めて、二人で住んでいるのだなぁと。今更実感するのも遅いが、感慨深くなってしまう。
「けど、ちょっと高ぇか。プレゼント用だな、こりゃ」
「いや、いい。買うぞ」
「マジ。いいの? ついでにこっちのマグカップも……」
「んないくつもいらねぇだろ」
桐箱に入ったグラスと、もちろんガラスの花瓶も購入した。思いのほか大荷物になってしまった。こうなったら、ここで夕食まで済ませてしまおうという話に落ち着き、一階のレストラン街で食事をして、帰る頃には日が暮れ始めていた。
駐車場はがらがらだ。着いた時には、その時も既に疎らではあったが、何台か車が停まっていたのに。七瀬は助手席に乗り込んで、シートベルトを締める。ちょうど西日が射し込んで、世界の半分が夕焼け色に染まっていた。上空を見上げれば、夜の帳が下り始めている。
瞬介が運転席に座る。ドアを閉めて、エンジンをかける。父親から譲り受けた軽自動車を卒業し、ローンを組んで買ったというコンパクトSUVが、まるで、眠っていた獣が目を覚ますように、低く唸りを上げる。
気づいた時には遅かった。目を覚ました獣とは、目の前のこの男のことだ。気づいた時には、唇を奪われていた。
逃がさないようにしているのか、あるいは男の本能か、胸倉を掴まれて引き寄せられる。緩んだ唇に、強張った舌が入り込む。キャラメルを溶かすように、七瀬が舌を絡めると、瞬介は口づけを深くした。
わざわざ屋上まで上り、人目に付かない隅の位置に駐車したのは、このためだったのか。まさかこんな形で答え合わせをすることになるとは思わなかった。
果たして、どこまでするつもりなのだろう。瞬介の指先は、七瀬の胸元へ移動している。つんと尖り立ち、主張を増している突起を、服の上から抓られた。
「ン、ふぁ……」
思わず声が漏れる。身を捩れば、肩を掴まれて抱き寄せられる。逃げる先などないのだ。扉と窓に背後を阻まれている。
瞬介は、運転席から身を乗り出して、サイドブレーキを乗り越えて、助手席に座る七瀬を押し倒すように圧し掛かってくる。胸元を責める手付きは一層激しい。布越しに擦られ、引っ掻かれて、自然と腰が反る。
長い舌が絡み付く。喉の奥まで探られる。熱い唾液が流し込まれる。嚥下して喉を通る、その感覚にさえ震えた。毒を食らったかのように、頭がぼんやりとして働かない。今ここで、最後まで許してしまっても構わない。そう、思ったのだが。
「ッ、は……っ」
きつく絡み合っていた舌が解けた。まるでリボンが解けるように、離れていく。瞬介の厚みのある舌が、緩く開いた唇に覗いている。まるで溶けかけのキャラメルだ。糸を引く唾液が、砂糖を溶かしたシロップのよう。甘い糸は緩く弧を描き、唇と唇を繋いでいる。
乱暴に口元を拭い、瞬介は座席に座り直した。どかっと乱暴に座ったものだから、車体が揺れた。腹立ち紛れに膝を揺する。ハンドルを握りしめる腕に血管が浮かぶ。
「おい……」
その腕に、七瀬が触れようとすると、瞬介はこちらを振り向いて睨んだ。
「触んな」
睨んだ。いや、そうではない。鬼みたいに顔を赤くして、息を荒げて、こめかみに血管を浮かべてはいるけれども、決して睨んでいるわけではない。
「最後までしたくなんだろ」
そう振り絞るように言った瞬介が、ひどく健気に思えた。頭の中は七瀬のことでいっぱいのはずなのに、必死で意識をよそへ向けようとしている、その姿にぞくぞくした。この男をここまで葛藤させているのは、自分自身なのだ。
空腹の最中、ご馳走を前に焦らされて、それでもまだ、「待て」の命令に忠実に従い、「良し」と言われるまで手をつけない。傍若無人な振舞いが目立つようでいて、こんなところだけは、昔から聞き分けがいい。
どう見ても余裕がなく、本能が暴走を始める一歩手前だというのに、なけなしの理性でどうにか抑え込んでいる。顔を真っ赤にして、怖い顔をして、我慢している。こんな姿が、どうしようもなく、愛おしい。
「……我慢比べだもんな」
もちろん、瞬介が負けず嫌いなのも知っている。勝負などと言い出した手前、自ら負けを認めることはできないのだろう。こうなれば意地の張り合いだ。男のプライドにかけても、今ここで手を出すことはできないのだろうと、七瀬にだって分かっている。分かってはいるが……
「ああ? そうだよ。さすがに、こんな場所でならブレーキ利くだろ」
「てめぇ、最初から狙ってやがったろ」
「そりゃーな。昨日言ったろ。帰ってきたら覚えてろって」
「……もっとすげぇことされんのかと思ったぜ」
「っ……」
分かってはいるが、揶揄いたくもなる。瞬介は悔しそうに歯を軋ませ、ハンドルを叩いた。
「てめっ、マジで次こそ覚えてろよ」
「悪役の台詞だろ、そいつは」
「うるせーうるせー、今ここでやっちまってもいいんだぜ」
「そうヤケを起こすなよ。約束の日まで、あと何日だ? せっかくここまで来たのに、もったいねぇだろ」
「もったいねぇこたねぇだろ」
「今日より明日、明日より明後日、我慢したら我慢しただけ、気持ちよくなると思わねぇか?」
「っ……」
「もう少しの辛抱だろ。最終日には、きっと極楽が待ってるぜ」
「だーッもう、わーったよ。お前にゃ敵わねぇ。けどな、そン時が来たら、次こそマジで覚えとけよ。お前が泣いて謝ったって、ぐっちゃぐちゃのどろっどろになるまで、抱き潰してやっからな」
「は、そりゃおっかねぇ」
「おーい、マジで言ってんだからね?」
「ま、せいぜい楽しみにしといてやらァな」
「余裕ぶっこいてられんのも今のうちだぜ」
そう言うと、瞬介はようやく車を発進させた。黄昏の空の下、寄り道せずに家路につく。
瞬介はああ言ったが、七瀬にだって余裕など全くない。今すぐに、胎の奥に熱いものをぶち込んでほしい。猛り立つもので、奥の奥まで掻き回してほしい。自分の指では決して届かない、体の中心の深いところまで、瞬介に触れてほしい。
けれど、素直に泣いて縋るなど、プライドが許さない。これは意地の張り合いなのだ。約束の日を迎えるまでは、血反吐を吐いたって耐えてみせる。それはきっと、瞬介も同じこと。体の奥が、いくら切なく疼いたって、それを相手に悟らせるわけにはいかないのだ。
夏はもう始まっている。里に帰り、花火を見るその日まで、指折り数えて待つしかない。
10
あなたにおすすめの小説
【完結・BL】俺をフッた初恋相手が、転勤して上司になったんだが?【先輩×後輩】
彩華
BL
『俺、そんな目でお前のこと見れない』
高校一年の冬。俺の初恋は、見事に玉砕した。
その後、俺は見事にDTのまま。あっという間に25になり。何の変化もないまま、ごくごくありふれたサラリーマンになった俺。
そんな俺の前に、運命の悪戯か。再び初恋相手は現れて────!?
僕の番
結城れい
BL
白石湊(しらいし みなと)は、大学生のΩだ。αの番がいて同棲までしている。最近湊は、番である森颯真(もり そうま)の衣服を集めることがやめられない。気づかれないように少しずつ集めていくが――
※他サイトにも掲載
お酒に酔って、うっかり幼馴染に告白したら
夏芽玉
BL
タイトルそのまんまのお話です。
テーマは『二行で結合』。三行目からずっとインしてます。
Twitterのお題で『お酒に酔ってうっかり告白しちゃった片想いくんの小説を書いて下さい』と出たので、勢いで書きました。
執着攻め(19大学生)×鈍感受け(20大学生)
再会した年下幼馴染が豹変してしまっていた
三郷かづき
BL
婚約者に振られたばかりの片瀬拓海は六歳下の幼馴染、黒田龍臣と偶然再会する。しかし、可愛い弟のような存在だった龍臣は誰とでも寝る体格のいいイケメン野郎に変わっていた。そんな幼馴染を更生させるため拓海は龍臣とのルームシェアを決意するが、龍臣との生活の中で近所の兄としての拓海の気持ちが揺らいで行って…。
婚約者と別れた社会人×こじらせ大学生の幼馴染BL
※受けとモブとの間接的な描写があります。
ムーンライトノベルズ様でも同時掲載しています。
【完結】義兄に十年片想いしているけれど、もう諦めます
夏ノ宮萄玄
BL
オレには、親の再婚によってできた義兄がいる。彼に対しオレが長年抱き続けてきた想いとは。
――どうしてオレは、この不毛な恋心を捨て去ることができないのだろう。
懊悩する義弟の桧理(かいり)に訪れた終わり。
義兄×義弟。美形で穏やかな社会人義兄と、つい先日まで高校生だった少しマイナス思考の義弟の話。短編小説です。
隣の番は、俺だけを見ている
雪兎
BL
Ωである高校生の湊(みなと)は、幼いころから体が弱く、友人も少ない。そんな湊の隣に住んでいるのは、幼馴染で幼少期から湊に執着してきたαの律(りつ)。律は湊の護衛のように常にそばにいて、彼に近づく人間を片っ端から遠ざけてしまう。
ある日、湊は学校で軽い発情期の前触れに襲われ、助けてくれたのもやはり律だった。逃れられない幼馴染との関係に戸惑う湊だが、律は静かに囁く。「もう、俺からは逃げられない」――。
執着愛が静かに絡みつく、オメガバース・あまあま系BL。
【キャラクター設定】
■主人公(受け)
名前:湊(みなと)
属性:Ω(オメガ)
年齢:17歳
性格:引っ込み思案でおとなしいが、内面は芯が強い。幼少期から体が弱く、他人に頼ることが多かったため、律に守られるのが当たり前になっている。
特徴:小柄で華奢。淡い茶髪で色白。表情はおだやかだが、感情が表に出やすい。
■相手(攻め)
名前:律(りつ)
属性:α(アルファ)
年齢:18歳
性格:独占欲が非常に強く、湊に対してのみ甘く、他人には冷たい。基本的に無表情だが、湊のこととなると感情的になる。
特徴:長身で整った顔立ち。黒髪でクールな雰囲気。幼少期に湊を助けたことをきっかけに執着心が芽生え、彼を「俺の番」と心に決めている。
死ぬほど嫌いな上司と付き合いました【完結】
三宅スズ
BL
社会人3年目の皆川涼介(みながわりょうすけ)25歳。
皆川涼介の上司、瀧本樹(たきもといつき)28歳。
涼介はとにかく樹のことが苦手だし、嫌いだし、話すのも嫌だし、絶対に自分とは釣り合わないと思っていたが‥‥
上司×部下BL
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる