山の子ども

小貝川リン子

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2 高校編

1 晩春‐① 転校生がやってきた

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「柊! 柊也! いい加減起きなさい! 遅刻するわよ!」
 
 階段の下で母さんが叫んでいる。うーん、あと五分。まだ眠れる。
 
「いつまで寝てるの! さっさと起きる!」
 
 勢いよくドアが開いて、とうとう布団を引っぺがされた。
 
「う、さむい……」
「何寝ぼけてるの! 今日から学校でしょ! さっさと用意して!」
 
 そうだった。昨日で春休みは終わったんだった。なんて悲しいんだろう。
 
「お母さんももう仕事行くから、ちゃんと朝ご飯食べて、戸締りしっかりしといてね」
 
 そう言って、慌ただしく出ていった。俺もこうしちゃいられない。急いで準備して、食パンをほぼ丸呑みして、家の鍵を締めて、自転車にまたがった。
 
 京王線沿線の住宅地に俺の家はある。高校までは自転車で十五分ほど。飛ばせば十分で着くけど踏切に引っ掛かったり赤信号が続いたりするとそうもいかない。自転車通学は少数派で、大体の生徒は電車かバスで通っている。
 
 なんて悠長なことを言ってる場合じゃない。立ち漕ぎで飛ばして、滑り込みでホームルームに間に合った。騒々しい教室の、窓際最後列の席に座る。
 
「始業式の前に、転校生を紹介する」
 
 先生が言い、教室の前の扉から、真新しい制服に身を包んだ男子生徒が入ってきて、小さくお辞儀をした。小柄で色白な、浮世離れした雰囲気の少年だった。彼は水野瑞季と名乗った。山形の、月山の麓の村から越してきたらしかった。先生に指示されて、廊下側最後列の席に座った。
 
 その後体育館に移動し、始業式をした。校長の話は長くて退屈で、校歌は適当に歌った。教室へ戻ってきてホームルームをし、自己紹介をしたり係や委員会を決めたりした。学校は午前中で終わり、部活をやっている者は部室へ急いだが、俺には何の用事もない。
 
 暇なので、同じく帰宅部の友人とカラオケに行って二時間ほど歌い、家に帰ってゲームをして、母さんが夕食の準備をしている間に犬を散歩に連れていった。風呂に入り、ちょっとだけ勉強をして、寝た。
 
 翌日は入学式で、翌々日から通常の授業が始まった。何てことない、至って普通の日々が流れるように過ぎていった。月曜日は元気だが水曜辺りから疲れ始め、金曜には居眠りが目立ち、しかしまた月曜が来ればリセットされる。
 
 大体同じような、代わり映えしない毎日。土日は友人と遊ぶこともあったが、平日は授業が終われば真っ直ぐ帰って犬の散歩をして、夕食の後にテレビを見、風呂の後に課題をやって寝るだけ。だからと言って不満はない。これが普通の高校生の日常だろう。
 
 そんなある日の放課後、いつものように帰ろうとしたら、誰かに呼び止められた。
 
「あ、何、俺?」
「そう、お前。えっと……」
「汐見柊也ね。お前は、何だっけ、水野……」
「瑞季。その、この後……」
 
 恥ずかしそうにうつむく。
 
「もし、よかったらだけど、この後ちょっと付き合ってほしいんだけど」
 
 田舎育ちで物を知らないから街を案内してほしい、と彼は言った。確かに山形と比べれば、いくら郊外とは言えここはかなり都会だろう。もう四月も終わろうというのにこの一風変わった転校生とほとんど会話をしたことがなかった俺は、一時間くらいでいいならいいよ、と答えた。水野はぱっと顔を輝かせる。
 
「じ、じゃあ、駅の方行ってみたいんだ」
「駅の? いいよ、行こうぜ」
 
 自転車は押して、駅まで歩いた。歩きながら、水野はいちいち髪を直したりスラックスの裾を払ったりと、終始そわそわしていて落ち着きがなかった。かわいそうに、そんなに都会に慣れていないのか。こんな調子じゃ、新宿とか渋谷へ行ったらぶっ倒れそうだ。
 
 駅周辺のどこに行きたいのかよくわからなかったから、とりあえず駅前の目抜き通りを歩く。
 
 水野は本当に物を知らなかった。せいぜい二十階建てのマンションを見て、東京タワーでも見たかのような反応をする。ツタヤもしまむらもマックもサイゼリヤも吉野家も知らない。かろうじて牛丼は知っていたが、ハンバーガーもイタリアンも知らない。ここがよく来るカラオケ店で、などと説明しても、カラオケが何かわかっていない。
 
「カラオケくらいはどこにでもあるだろ」
「知らない。行ったことない」
「お前、ほんとに何にも知らねぇのな」
「悪かったな、田舎者で」
「いや、新鮮でいいなって。これからいろんなことを新しく知れるんだろ。何なら俺がどこにでも連れてってやるよ。休日とか誘ってくれたら全然行くし。どうせ暇だし」
 
 俺が言うと、水野はますますそわそわっとしてうつむいた。
 
「あ、ごめん、嫌なら別に」
「そうじゃなくて……あ、明日でもいいか?」
「明日?」
「ああ。明日また、会いたいんだけど」
「あー、土曜はちょっと予定が……」
 
 すると肩を落として寂しそうに笑うので、なんだか放っておけなくなった。
 
「いや、いいよ、明日にしよう。どうせ何人かで集まってゲームするだけだし」
「いいのか?」
「いいよいいよ。このベンチで待ち合わせでいい? てかライン交換しようぜ」
「らいん……?」
「そうだよ。やってねぇの?」
 
 俺のスマホを見、水野は首を傾げる。この反応は、たぶんスマホも知らないのだ。初めてスマホを見た時のおばあちゃんと同じ顔をしている。
 
「えっと、つまり携帯電話なんだけどね。持ってないなら家電の番号でもいいや」
「電話? 電話なら持ってる。必要みたいだから用意したんだ。その板も電話なのか? 確かに、学校でもみんな持ってるとは思ってたけど……」
 
 頓珍漢なことを言うやつだ。スマホでなくても、ガラケーでもいいから買ってもらえと言ったが、やっぱり何のことかいまいちわかっていなかった。まぁでも、とりあえず番号を教えてもらって、電話帳に登録した。俺の番号も、ノートの切れ端にメモって渡してやった。それを水野は大事そうに内ポケットに仕舞う。
 
「これで連絡取り合えるから」
「ありがとう」
「試しに今夜電話してみるか? 練習しといた方がいいよ」
 
 十時くらいに掛けるから家で待ってて、と言って別れた。
 
 自転車をかっ飛ばして帰り、すぐに犬の散歩に出かけた。いつも通りの散歩コースなのに、景色が違って見えた。張り切って河川敷でボール遊びなんかしちゃって、帰ってきた頃にはすっかり夕食の準備ができていた。
 
 父さんも帰ってきて、三人で夕食を食べた。おかずは唐揚げだった。前に話した転校生と今日の放課後遊んで、明日もまた遊びに行くんだ、などという話をした。
 
 急いで風呂に入って、ぼんやりとテレビを流し見して、気づいたらもう十時だった。自分でもよくわからないけど、なんだかちょっとだけどきどきしている。普通、友達に連絡するのなんてラインで十分なので、電話で話すことに慣れていないせいだろうか。
 
「もしもし、俺だけど」
「あ、お、おばんです」
 
 電話越しの声は少し掠れて聞こえた。
 
「はは、何その挨拶。田舎のおばあちゃんみたい」
「べ、別に、普通だろ」
「うん、お前、ちゃんと電話出れんじゃん」
「これくらいできる。電話なら、昔使ったことがある」
「よかった。めちゃくちゃ機械音痴だったらどうしようって心配してたんだぜ」
 
 学校の話とか、家族の話をした。夕飯に何食べたか訊いたら米と漬物だけだと言うので、そんなんで朝まで持つのかと不思議がったら、そういう体質なので大丈夫だと言う。でももっとちゃんと食べた方がいいよと俺は言った。それから明日の約束を確認し、寝た。とてもいい夜だった。内容は忘れたけど、いい夢を見た気がする。
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