山の子ども

小貝川リン子

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2 高校編

3 盛夏‐① 海に行った

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 連休が明けて今年度初の模試を受け、中間試験があり、六月にも模試があって、七月には期末試験を受けた。成績はまずまず。第一志望にはまだ若干届かないが、残り半年もあるんだし、まぁ何とかなるだろう。
 
 平日は色々だが、休日はよく瑞季と会った。外出する際、瑞季は着物でなく洋装することが増えた。なるべく目立ちたくないらしい。手持ちの洋服もいくらか増えた。
 しかし基本は家におり、その時は大概和装である。俺があっちへ行ったり瑞季がうちへ来たりする。瑞季が来る時、両親は偶然にも毎回留守にしていて、まだ顔を合わせたことがない。
 
 犬は毎回大人しく、瑞季には決して吠えようとしない。犬に受け入れてもらえるまで他の友達は二か月もかかったというのに不思議だ。ただ、瑞季は特に犬好きってわけでもないようで、俺が餌をやるのをそばで見てたり散歩についてきたりしたことはあるが、積極的に撫でたり触ったり、ましてや芸をさせたいなどと言い出すことはなかった。
 
 何もなかった瑞季の部屋だが、俺が通うにつれ物が増えていった。俺が増やしたわけじゃない。床に直接座ると尻が痛いと言った次の日には座布団が用意され、見たい番組があるからと急いで帰った翌週にはテレビが設置され、いつの間にかDVDデッキまで追加された。
 
 腹が減ったとか喉が渇いたとか言った記憶はないのだが、冷蔵庫に飲み物が常備されるようになった。食器やキッチン用品も徐々に増え、収納のための棚も置かれるようになった。あのもちもちクッションも色違いで三個に増え、一学期が終わる頃には至って普通のかわいらしい部屋に様変わりしていた。
 
 
 夏休みに入ってすぐ頃のこと。瑞季と二人で海水浴に行った。切っ掛けは何だったか。確か瑞季の部屋でテレビを見ていて、湘南のどこぞのビーチから生中継をしていて、画面いっぱいに映る海が綺麗だったからだ。
 
「いいなぁ、海」
「行くか」
「でも、電車も人混みも嫌いだろ」
「大丈夫だ。お前がいてくれるんなら」
「お前なぁ、俺はお前の母ちゃんじゃねぇんだぞ」
「はは、頼りにしてる」
 
 そういうわけで、その日のうちに早速水着を買いに行ったのだった。
 
 テレビで見た海岸までは電車で一時間半。以前よりは大分慣れたとはいえ、やはり混雑する電車は苦手なのか、瑞季はずっと俺のそばを離れずくっついていた。
 
 そこは、真夏のビーチの代名詞と言っても過言ではないような場所だった。カモメが鳴き、肺がざらざらするくらい潮の香りが濃い。眩しい太陽、焼けた砂浜、弾ける白波、そして溢れる人人人。若いカップルから家族連れまで、様々な人達が入り乱れている。一応平日を選んで来たのに、海水浴場は大変盛況だった。
 
「ここが海か」
 
 先日一緒に買いに行った水着に着替え、瑞季は眩しそうに目を細めて海岸線を眺める。
 
「初めて?」
「こういうところは初めてだ。地元の海はもっと狭くて、黒かった」
「黒い? まぁ冬の日本海ってそういうイメージあるけど……」
「あっちの冬は長いからな」
「でも今は夏だし、ここはビーチだぜ。ほら、浮き輪できたから、海入ろう」
 
 浮き輪? みたいな顔を瑞季はしていたが、促されるまま水に足をつけた。
 
「つめたっ」
「気持ちいだろ。お前、泳ぎは平気だよな?」
「でも、あっ、波が……波がすごいぞ。持ってかれる」
「これが楽しいんじゃん。もっと深いとこまで行こう。波が来たらジャンプするんだ」
 
 浮き輪に掴まってちょっと泳いだ。瑞季は口に海水が入る度に渋い顔をしていた。しょっぱいのともまた違って、舐めたことのない変な味がすると言う。それは俺も同感だ。
 
「それに、ん……目に入って沁みる」
「目が大きいからな。あ、擦っちゃダメだぞ。濡れるの嫌なら浮き輪乗る? 押してってやるよ」
「でも」
「大丈夫だから、ほら」
 
 瑞季の体、脇の下辺りを掴んで持ち上げ、浮き輪に乗せた。思いのほか体重が軽く、肌はしっとり吸い付くようだった。きっと水に濡れているせいだ。妙な考えが浮かんだが、頭を振って掻き消した。
 
 浮き輪に乗ってから、瑞季は結構ご機嫌だった。足がギリギリ着くくらいの深いところまで来たので、他の客があまりいなかったのもあると思う。海の家のBGMも遠くなって、わりあい静かだった。
 
 瑞季はゆったりと浮き輪に寝そべり、波に揺られながらのんびり空を仰いでいる。それにしても、と俺は思う。それにしても色が白い。白日の下で瑞季の体をまじまじ見るのは初めてだけど、新雪のごとく真っ白で光を弾く。陶器のように滑らかで艶があり、白を通り越していっそ透明なんじゃないかってくらい白い。
 
 色の白いは七難隠すと言うし、なんだかとても儚げで、魅力的で、色っぽく見える。乳首も――そこに目が行く時点で大分おかしいが――ほのかな淡い桜色で、思わず手が延びそうになる。ああ、こんな風に感じるなんておかしい。こいつは男で、友達なのに。俺は一体どうしちゃったんだろう。もしかして、変態なのかな。
 
「なぁ、おい、聞いてるのか」
 
 バシャリと顔に水をかけられて正気に返った。さっきより波に流され、海岸近くまで戻ってきていた。
 
「あ、なに、ごめん」
「ぼんやりするな。この浮き輪ってやつ、ぷかぷかしておもしろいなって言ったんだ。なのにお前上の空で、どこ見てるかわかんないし」
「ごめんてば。ちょ、水かけないで」
 
 瑞季はむっとむくれて海面をバシャバシャ叩いた。水飛沫が跳ねる。
 
「ひゃ、あはは、濡れる濡れる」
「それから、お前は浮き輪に乗らなくていいのかって言ったんだ。お前が持ってきたものだろ」
「いいよ、気に入ったんだろ。大きいの買ってよかったな」
 
 波に乗ってゆらゆらぷかぷか気持ちいい。水面は太陽を反射してきらきら七色に煌めく。瑞季は無邪気にはしゃいでいて、だから先ほどの妙な感情も感覚もすっかり忘れてしまった。
 
 瑞季を乗せたまま浮き輪を引っ張って岸まで戻った。海から上がると体が重たく感じ、どっと疲れが出る。
 
「腹減ったぁ。なんか食おうぜ」
 
 砂浜の端から端まで、ずらりと海の家が並んでいる。適当に空いている店に入り、見晴らしのいいテラス席に陣取った。店内に張り出されたメニューを眺める。
 
「何にするか迷うなぁ。カレー……もいいけど、やっぱ焼きそばかな。お前は?」
「うどん……月見うどん」
「あと、フランクフルトとポテトと、たこ焼きかな」
「よく食うな」
「腹減ってんだよ。ポテトとかは半分こしようぜ」
 
 料理は注文して五分で出てきた。ほとんどファストフードである。だけど、なるべく時間をかけて食べた。せっかく非日常な空間に身を置いているのだから、せかせかするのはもったいない。急がず焦らず、この時間を大切に味わいたい。瑞季のうどんは熱そうで、ふーふーしながら食べていた。
 
 お腹が膨れて少し休憩し、その後は砂浜で遊んだ。バケツを借りて砂の城を作った。城といえば天守閣だろ、と瑞季が言うので、なんとかそういうのを作ろうとしたけど無理だった。っていうか、砂で天守閣ってどうやって作ればいいんだ。日本のお城は諦めて、洋風の城を目指す。結構難しかったけど、二階建てで塔のある城っぽいものが出来上がった。
 
 瑞季がもっと綺麗に飾り付けしようと言うので、ビーチを歩いて貝殻やビーチグラスを拾い集め、城壁や屋根にはめ込んだ。赤やオレンジなどの鮮やかな色で形も整った貝は正面に、そうでないものは周囲を囲うように散りばめる。飾りを付けたことでかなり城に近付いた気がする。ようやく完成だ。
 
「へへ、どーだ、すごいだろ」
「おれも手伝ったぞ」
「そうだけど! 達成感あるな。写真撮っとこ」
 
 俺がスマホを構えてパシャパシャやっているその隣で、瑞季は砂の上に座り込む。
 
「疲れた?」
「少し」
 
 夕暮れにはまだ程遠いけど、瑞季の白い肌はほんのり赤く染まって見えた。日焼けすると赤くなるタイプらしい。俺は黒くなるだけだけど。
 
「そろそろ帰ろうか。もう十分遊んだし」
「まだ早くないか」
「いいよ。遅くなると混むからな。シャワー浴びて、帰ろうぜ」
 
 電車は朝よりもずっと空いていたし、始発だから角の席に座れた。発車してすぐに瑞季はうとうとし始め、俺の肩にもたれて眠った。俺も眠くなかったわけではないが、目が冴えてしまって全く眠れなかった。気を紛らわせたくても、瑞季が記念にと持ち帰ってきた桜貝が手の中に見え、そわそわと気が逸る。
 
 桜貝……桜色……妙なものを連想してしまう。眠っている瑞季の薄く開いた唇も、こうしてよく見てみると同じ色をしている。それに艶があって、ふっくらと柔らかそうで、そう思うとますます目が離せなくなり、気もそぞろになる。ちょっとくらい触ってみてもいいだろうか、なんて、そんなことを思う俺はやっぱり変態なのだろうか。
 
 悶々としているうちに、駅に到着した。慌てて瑞季を起こして電車を降り、駅の出口で別れた。俺は自転車で、瑞季は徒歩で家まで帰る。空はまだ明るいが、すっかり夕焼け色である。ヒグラシが鳴いて、少し切ない。
 
 帰宅して、気が抜けたようにソファでぼんやりしていたら、犬が首輪を咥えて足元にすり寄ってきた。尻尾をパタパタ振り、一声吠える。
 
「あ、そっか散歩……」
 
 俺が立ち上がると、もう一度ワンと吠える。頭を撫でると嬉しそうに鼻を鳴らして押し付けてくる。ふさふさの毛並みが気持ちいい。
 
「よしよし、ごめんな。忘れてたわけじゃないんだけど」
「柊、今から出かけるの?」
 
 母さんがキッチンから呼びかける。
 
「うん。ポチの散歩」
「ならついでにおつかい頼まれてくれる?」
「えー……めんどくさ」
「いいじゃない。ついでよ、ついで。コンビニでいいから、ゴミ袋買ってきてくれない? 緑色の一番大きいやつね」
 
 仕方なくお金を受け取り、家を出た。犬は大変元気で、リードをぐいぐい引っ張った。合わせて俺も速足になる。夜風は涼しく、気分まで爽やかになった。日常に戻ってきたという気がした。
 
 コンビニで仕事帰りの父さんに会い、プリンを買ってもらった。ついでにって言うならおつかいくらい父さんに頼めばいいのにと母さんの文句を言ったら、ママはそういう人だからねと笑った。
 
「仕事帰りで疲れてるのに頼み事なんて悪いと思ったんだろう。気遣いができる人なんだよ」
「でも、頼まれたら買ってくるでしょ」
「そうだな。頼まれれば何だって買って帰るよ」
 
 それから、今日海に行って遊んできた話をした。友達と二人だったけど結構楽しかったよ、と。
 
 
 翌日、瑞季に電話を掛けたが全然出ず、翌々日アパートまで赴いたら部屋にもいない。どうしたんだろうとやきもきしていたら、どこぞの公衆電話から電話が掛かってきた。恐る恐る出てみると、受話器の向こうから懐かしい声が聞こえてくる。瑞季だった。
 
 連絡が遅れたことをまず謝罪されたが、声を聞いて安心したのもあって怒る気にはならなかった。なんでも田舎のおじいちゃんが体調を崩したとかで、急遽帰省することになったのだという。
 
「でも大したことないんだ。すぐ帰る」
「いいっていいって。せっかくだからゆっくりしてこいよ」
「でも……おれのこと忘れたりしない?」
「はは、まさか。忘れるわけねぇだろ。俺は鶏かよ」
「いや、うん……でもすぐ帰るよ。二、三日で帰るから」
 そう言って電話は切れた。
 
 ゆっくりしてこいよと言ったのに、瑞季は結局三日後に帰ってきた。以降、夏休みの残り期間のほとんどを瑞季のアパートで過ごした。基本は勉強をし、時々気分転換に映画を見たりして過ごした。
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