そして家族になる

小貝川リン子

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第六章 番外編

バレンタインデーにはチョコレートを①

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 バレンタインデーは、恋人達の愛を祝う記念日らしい。まさに自分達にぴったりのイベントだ、と千紘は思った。
 
 一般的にはチョコレートを贈るらしい。商店街にもデパートにも、駅の構内にまでチョコレート売り場が特設され、若い女の子でごった返していた。
 
 千紘も、一旦はチョコを買おうとした。ショーケースに並ぶチョコレートはどれもこれも綺麗で、一粒一粒が宝石のようだった。真っ赤なハート形の缶に入った真っ赤なハート形のチョコレートは、愛し合うカップルの燃えるような愛を象徴しているようだった。
 
 しかし、そういえば颯希は、甘いものはあまり得意でなかった気がする。会社でお菓子をもらってもほとんど千紘にくれてしまうし、クリスマスケーキもほんのちょっとしか食べていなかった。
 
 チョコレートでないなら、バレンタインに何を贈ればいいのだろう。
 
 *
 
「夕飯何がいい」
 
 のんびり過ごした休日の夜。俺の問いかけに、千紘は適当な返事しかしない。
 
「なんでもいー」
「それが一番困るんだよ」
 
 キッチンを探すと、ちょうどよくタマネギとジャガイモとニンジンが残っていた。
 
「カレーでいいか」
「お~」
「お前福神漬け買ってこい」
「え~~」
 
 千紘は読んでいた漫画を渋々閉じ、キッチンを覗く。そして、突拍子もないことを言い出した。
 
「料理はオレがすっからさ、颯希が福神漬け買ってきてくれよ」
「何言ってんだ。料理なんかしたことないだろ」
「レトルトカレー作れっし!」
「それは料理なのか?」
「ねるねるねるねしたことある!」
「あれはどう考えても料理じゃねぇ」
「む~……でもぉ……」
 
 相変わらず、千紘が考えることはよく分からない。が、とにかく料理に挑戦したいということは伝わった。
 
「エプロン持ってこい」
「いーの!?」
「早くしねぇと先始めちまうぞ」
 
 千紘は喜び勇んでタンスからエプロンを引っ張り出す。俺が普段から着回している赤いエプロンだ。ちなみに俺が今着けているのは色違いの青いエプロンだ。
 
「なぁ~、後ろやってぇ~」
「はいはい」
 
 腰の辺りでリボンを結んでやる。これくらい自分でやらせろって感じだが、つい世話を焼いてしまった。
 
 石鹸で手を洗ったら準備万端だ。千紘は早速包丁を持ってまな板の前に立ち、感嘆の声を漏らした。
 
「おお……」
「包丁はまだだ。まずは皮剥きから」
 
 俺は千紘にニンジンとピーラーを渡す。
 
「なンこれ」
「野菜の皮剥く道具。軽く当てて、スーッと下に引け。指切るなよ」
「えッ、指切れんの……?」
「刃に触れなければ大丈夫だ」
 
 一回お手本を見せて、千紘にやらせた。まぁ、ニンジンの皮剥きなんて大したことはない。ただ真っ直ぐ引けばいいだけなのだから。問題はジャガイモだ。形が丸くて表面が凸凹しているから、持ちにくい上に刃を当てにくい。千紘もかなり苦労している。
 
「うぇ~~、なんかぼろぼろになっちった」
「煮込んだら同じだ」
 
 いよいよ包丁の出番だ。千紘は張り切って包丁を握る。正直、不安しかない。
 
「じゃあまずニンジンを半分にしてみろ」
「おう!」
 
 張り切って刃を当てる。
 
「かてェ!!」
「ゆっくりでいいから焦るな。手は猫の手にしろ」
「猫の手ェ~~?」
 
 にゃん、と招き猫のポーズを真似る千紘がかわいい。などと、俺はまたつまらないことを考える。
 
「猫の手で食材を押さえるんだ。指伸ばしてると危ないからな」
「にゃるほど~」
「分かったら集中しろ。研いだばっかりだから、よく切れるぞ」
 
 ニンジンの次はジャガイモ、終わったらタマネギを切る。包丁もまな板も一つしかないので、俺は、千紘が慎重にゆっくり時間をかけて食材を切る様子を横で見守ることしかできない。
 
「うっ……」
 
 千紘が突然呻き声を上げるから、肝が冷えた。
 
「どこか切ったか?」
「ちがくてぇ……」
 
 ぐすん、と鼻を鳴らす。どうやらタマネギ汁の攻撃を受けたようだ。鼻の頭を真っ赤にして、涙をぽろぽろ零している。
 
「悲しくねーのに涙がぁ……前が見えねぇよぉ」
「タマネギってのはそういうもんだ」
「でも颯希が泣いてんの見たことねぇ」
「俺は慣れてるからな」
 
 千紘が涙を拭いている間に、残りのタマネギと肉は俺がカットした。
 
 鍋を温めて、油を適量注ぐ。「適量って何だよ?」と千紘が細かいところを気にするが、適量は適量だから見て覚えろと教えた。
 
 材料を全部鍋に入れ、ざっと炒めていく。せっかく中火に設定しておいたのに、千紘が勝手に強火にして炒めたせいで、底の方が焦げた。
 
「バカ、強火は滅多に使うな」
「強ぇ方が早くできんじゃん」
「火が通る前に表面が焦げるんだ。いいか、火加減は基本中火だぞ。覚えとけ」
 
 野菜がしんなりしたら、水を計って入れる。沸騰したら、しばらく煮込む。その間に、俺は味噌汁とサラダを作る。「それもオレがやる!」と千紘が意気込むが、時間がいくらあっても足りないので、火の番を任せた。
 
 ニンジンに火が通ったら火を止め、ルウを溶かす。ルウが溶けたら再び火をつけ、弱火で煮込む。千紘が鍋を混ぜてくれたが、勢いよく混ぜるので汁が跳ねた。エプロンをしていて本当によかった。
 
「なんで一回火ィ消すんだ? どうせまたつけんのに。めんどくせー」
「熱すぎるとルウが溶けないんだ。そんなカレー嫌だろ?」
「へぇ~。確かにやだな」
 
 さて、普段の倍時間がかかった気がするが、ようやく夕食が完成した。盛り付けも千紘がしたいと言うから任せた。コンロ回りが汚れたが、後で掃除すればいいだろう。
 
 二人で食卓を囲み、「いただきます」と手を合わせる。俺はまず味噌汁に口をつけ、サラダを食べる。千紘はというと、スプーンを握ったまま動かず、なぜか俺のカレー皿を見つめていた。カレーライスは好物だから、普段ならとっくにがっついているはずなのに。
 
「足りなそうなら足してこい」
「へぁ?」
「カレー、足りなそうならもっと盛ってこいよ」
「え? あ、ちがくて……」
 
 千紘は微かに頬を染め、もじもじと俯いた。
 
「さ、颯希は、食わねぇのかなって……」
「……食うけど……」
「あ、えっと……だから、その……」
 
 なるほど、俺の反応が気になって手を付けられなかったのか。こいつのこういうところ、ちょっと子供っぽくていじらしくて、かわいいと思う。
 
 俺は、千紘の熱視線を感じながらカレーを一口食べた。リンゴとハチミツが溶けている、まろやかでコクのある味わいはいつも通り。野菜は普段より大きめで、形はちょっと歪。でも、芯まで火が通っていて食べやすい。
 
「うまいよ」
 
 俺の一言で、千紘はぱっと顔を輝かせた。
 
「マジ!? うまい? ちゃんとできてる?!」
「ちゃんとできてる。お前も食え。冷めちゃうぞ」
「うん! へへ、いただきま~す」
 
 いつも通り千紘はがつがつと食べ始め、自画自賛する。
 
「うまっ! ちゃんとうまい! つかいつもよりうまいかも!」
「初めてでこれだけできれば十分なんじゃないか」
「オレって天才!?」
「それは言い過ぎだ。次はシチューに挑戦するか」
「お~、ホワイトチョコレートか」
 
 何の気なしの発言だったようだが、俺が首を傾げると、千紘はしまったとばかりに口を押さえた。
 
「何だよ、その反応は」
「な……んでもねぇ」
「余計に気になるだろ。何だよ、チョコレートって。シチューのルウはホワイトチョコじゃないぞ?」
「わ、わーってるよ、んなこと……」
「そもそも、なんで急に料理したいなんて言い出したんだ。そりゃ、お前が料理を覚えてくれたら俺も楽だけどな、どうして急にそんな気になったんだ? またテレビの影響か? 料理漫画でも読んだのか?」
「ちが、ち、ちがくて……」
 
 千紘は頬を紅潮させて、もじもじと瞼を伏せる。
 
「その……ぅ……ば、バレンタイン、だから……」
「……は?」
「ばっ、バレンタイン、だから! でも颯希チョコとか嫌いそーだし、代わりにカレー作ってやろーと思ったの! そんだけだし! ばーかばーか」
「なっ……んだその低レベルな悪口は」
「うっせーうっせー、颯希が気付いてくんねーのがわりーんだ!」
「き、気付かねぇだろ普通! 言えよ、そういうのは!」
「ヤダ! だってなんか恥ずかしーもん。くそ、こんなことなら普通にチョコ買ってくるんだったぜ……!」
 
 どうしてチョコレートの代わりにカレーなのか。おおかた、カレーのルウが板チョコに似ていたからとか、そんなくだらない理由だろう。いかにも千紘の思い付きそうなことだ。そして、そんなくだらない考えが一瞬で頭に浮かぶ俺もまた、千紘の影響を多分に受けている。
 
「くそ~、にやにやすんな!」
「してるか?」
「してるっ!」
「悪い。お前からのプレゼントが嬉しくて」
「なっ……! う、うそだ!」
「本当に決まってるだろ。お前がくれるもんなら、チョコでもカレーでも嬉しいよ」
「ぅ……」
 
 千紘は、赤面したまま唇を尖らせた。そんなつもりはないだろうが、キスを待っているような表情だ。
 
「で、でもよぉ……やっぱ、ヘンだよな? バレンタインなんて年一回なんだし、チョコのがよかったろ? オレ、一応探しに行ったんだぜ? 色々売っててさ、キラキラしててかわいくってさ。そんで、何がいーんかわかんなくなっちまって」
「俺のために悩んでくれたのか」
「そっ……んなんじゃねーけどぉ」
 
 照れたようにぷいっと視線を背ける千紘がかわいくて、俺は我慢できなくなった。首筋に手を添えて抱き寄せて、つんと尖った桃色の唇にキスを落とした。千紘は一瞬呼吸を止め、目を瞑ってキスを受け入れた。
 
「……えっち」
「エッチなキスのがよかったか?」
「カレー味のチューなんてやだね」
 
 千紘がいたずらっ子みたいにベロを出すので、俺はその苺色の舌にしゃぶり付いた。確かにカレーの風味はあるが、千紘の味に掻き消されて気にならなかった。
 
 カレー味のチューなんて嫌だとプンスカしていたくせに、千紘はいとも容易くキスに溺れた。甘えたように鼻を鳴らし、俺の舌に吸い付いてくる。
 
「……するか? 今夜」
「でも昨日したし……」
「たまにはいいだろ? 特別」
 
 キスだけでふにゃふにゃになった体を抱きしめてやれば、千紘ははにかんで笑った。
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