元の鞘に収まれない!

小貝川リン子

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11 邂逅①

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 桐葉も東京で就職して一人暮らしをしているようだった。ようだった、と言うのは、本人の口から直接聞いていないからだ。居酒屋で飲んでいた時、スーツを着ていたから、仕事帰りなのだろうと勝手に思った。
 
 桐葉は昔よりずいぶんと垢抜け、背が伸び、目付きはより鋭くなったけれども、ムカつくくらいの艶々ストレートヘアーはそのままだった(なぜムカつくのかというと、俺は生まれた時から癖毛に悩まされてきたからだ)。変わったといえば変わったが、一目でそれとわかる程度には変わっていなかった。
 
 最初に会ってから二週間……いや、三週間は顔を見ていない。俺が働いているのを知っているから来ないのか、単純にこの店が気に食わなかったのかはわからない。あの時、無理やりにでも連絡先を聞いておけばよかった。
 
「近いうちにまた来るから」
 そう言って手を振り解かれた。追いかけたかったけど、店長が呼んでいるのが聞こえ、仕方なく店に戻ったのだった。俺は今夜も桐葉の言葉を信じて健気に待っている。
 
 ドアベルが軽やかな音を立てた。カウンターでだらけていた俺は背筋を伸ばす。本日のお客さん第一号だ。
 
「らっしゃっせー」
「おーっす杉本ォ! 元気してたか?」
 
 常連の赤石だ。常連だがツケの常習犯でもある。いや、そんなことはどうでもいい。赤石の後ろの人影の方が重要だ。
 
「桐葉!」
 
 懐かしい桐葉の仏頂面。今日もスーツ姿だ。ネクタイを外して、胸元を楽にしている。赤石は俺と桐葉を見比べ、「おたくら知り合いなの?」と目を丸くした。俺だって、桐葉と赤石が知り合いだなんて驚いた。
 二人は大学が同じで知り合ったのだそうだ。桐葉は今も昔も愛想のない男だが、赤石がおしゃべりでぐいぐい構いに行くタイプのためか、不思議と親しくなったらしい。今日も、赤石が強引に誘って連れてきたのだそうだ。
 
「店の前ですんごい嫌がったよね。もしかして、杉本がいるの知ってたの?」
「別に嫌がってねぇ」
「いやいや、帰るって何回も言ってたじゃん。昔なんかあったの?」
「ねぇよ。しつこい」
「もぉー、気になるなぁ」
 
 カウンター席からそんな会話が聞こえる。そうか、嫌がっていたのか。俺は会いたくてたまらなかったけど、桐葉はそうでもなかったのだろうか。
 
「杉本。ぼさっとしてないで、これ運んでくれ」
「あ、すんません」
 
 とはいえ気になる。仕事なんて手につかない。桐葉と赤石、案外仲がいいみたいだ。赤石のやつ、「悠絃ちゃん」なんて呼んで。肩なんか組んだりして。俺は一度も「悠絃ちゃん」なんて呼んだことないのに。ライン交換もしてないってのに。そもそもちゃんとした会話すら交わしていないのに。
 
「すいませーん、杉本ォ?」
 赤石が手を上げる。んだよ、今忙しいっての。
「悠絃ちゃんが、ライン交換しよって言ってるぅ」
「あ、おい、んなこと一言も」
 
 俺は直ちにすっ飛んでいって、桐葉にペンとメモ帳を渡し、早口で告げる。
「スマホロッカーだから、ここにID書いといて。あ、ついでに電話番号も教えて。よければメアドと住所も……」
「ふは、杉本必死すぎぃ」
 
 赤石は腹を抱えて笑った。そりゃ必死にもなる。せっかくのチャンスなんだ。ありがとう赤石、お前のおかげだ。今夜だけはお前に敬意を表すよ。
 桐葉は何とも言えない表情で紙を見ていたが、俺の期待の眼差しに気づいたのか、仕方なくペンを取った。
 
「おいこら杉本! サボってないで、暇なら厨房手伝え!」
「はいはーい、今行きますから! ――書いたらそこ置いといて。後で取りにくる」
 
 小声で付け足し、厨房へ戻った。次にカウンターを覗いた時には二人ともいなくなっていて、メモだけが残されていた。書かれていたのはラインのIDだけ。でも今の俺にとっては十分すぎる収穫だった。感無量ってのはこのことだ。赤石に嫉妬していたことなんてとっくに忘れて、うきうきと退勤した。
 
 帰りの電車内で、早速ラインを打つ。
 『今日は来てくれてありがとう。次は事前に連絡してよ』
 丁寧すぎか? 逆に馴れ馴れしすぎ? いくら何でも敬語はないよなぁ、なんて考えつつ幾度も読み返した後、震える手で送信ボタンを押した。すごく、すごくどきどきする。どきどきしすぎてくらくらする。ほんの一文送るのにこれほど緊張したことはない。
 
 初めてなのだ。ラインどころか、電話だってしたことがなかった。トーク画面の一番上に俺の送ったメッセージ。その下はがら空き。桐葉のアイコンは猫の写真だった。
 電車に揺られながら、そして家に帰ってからも延々スマホと睨めっこしていたけど、返信がくるどころか既読もつかない。なんでだろう、と思って時計を見る。深夜二時前だ。明日も仕事だろうからもう寝たのかもしれない。そうに違いない。自分に言い聞かせて大人しく眠った。
 
 翌日の朝――といっても昼近いが――起きて即スマホを確認する。メッセージあり。俺は大いに喜んだが、桐葉からの返信は実に簡素なものだった。
 『礼なら赤石に言ってくれ』
 
 なんで赤石だよ。つうかまた赤石かよ。俺は桐葉が来てくれたのをありがとうって言ったのに。いや、俺の言葉が足りなかったのかもしれない。メールやラインは難しいものだ。
 俺はすぐに返信したが、桐葉から返信がきたのは丸一日経ってからだった。一日中そわそわそわそわしていたのに、また翌朝まで焦らされた俺の気持ちがわかるか? 読んだらすぐ返信してよ、なんて図々しいお願いはできない。そもそもそんなことしたら鬱陶しいだろ。もし俺が逆の立場だったら、こいつ鬱陶しいなって思うもん。
 
 一日に一回か二回ラインをする。そんな日々がしばらく続いた。時折、桐葉は赤石と共に店にやってきた。当たり前だが仕事中はまともに話せないので、俺はもっぱら聞耳を立ててばかりいた。仕事が忙しいとか、忙しくないとか、金がどうの女がどうの――って、赤石が一方的に話しているだけなのであまり意味はなかったが。
 桐葉は酒は得意でないらしかった。甘いカクテルやサワーを好んで飲む。ビールは苦いから嫌い、ワインや日本酒は酒臭いから嫌いらしい。全部赤石がもたらした情報である。
 
「俺も桐葉と仲良くなりたい」
 赤石に愚痴を零す。開店準備中の店内である。
 
「仲良くないのぉ? 地元の友達なんでしょ?」
「そうなんだけど、いまいち心開いてもらってない気がすんだよな」
「オレといる時、結構杉本の話してくれるけど」
「お前ズルいぞ。俺だって桐葉と飲みいきたい。ここでしか顔合わせねぇもん。ラインもさぁ、お前のおかげでラインゲットしたけど、反応は今一つなんだよな。全ッ然返ってこねぇの。既読つくの次の日とかだぜ。避けられてんのかな」
「ふへへ、なんでそんな塩対応? 昔いじめてたとか? 杉本やんちゃっぽいもんな」
「そんなわけあるか。普通に仲良くやってたぜ」
 
 俺は深く溜め息をついた。本当は、避けられてる理由は薄々わかっている。昔のことをなかったことにしたいんだろう。でも俺は易々と諦められない。だって、桐葉ともう一回ヤリたいって、九年前からずーっと思い続けていたんだから。脳みそが下半身に付いているんじゃないかって? どうとでも言ってくれ。
 
 昔のことは赤石にも誰にも秘密にしている。ただの同級生でしかないということになっている。たぶん、桐葉もそういうことにしていると思う。本当のことを話すのはさすがに気が引ける。友情を失う覚悟が必要だ。
 
「だったらさ」
 赤石が口を開いた。
 
「今度、合コンでも開いてあげようか。最近やってないし、ちょうどいいんじゃない?」
「はぁ? なんで合コンだよ。俺は別に、女の子と付き合いたいとかは」
「だーかーら、合コンやるんだけど人足りなくてーって嘘言って、悠絃ちゃんにも来てもらうんだよ。杉本がいるってのは隠してさ。そこで仲良くなりゃあいいじゃん。オレは女の子と仲良くするけどね」
「ほぉー……」
 
 俺はぽかんとした後、「その手があったか!」と叫んだ。
「さすが大卒だな! 考えることが違ぇぜ」
「いやオレ中退なんだけどね」
「そうなの? そういや歳もだいぶ上だな」
「三留……四留? とにかくダブりまくって結局退学よ」
「はぁー、これだからボンボンは」
 
 俺は呆れて首を振った。と、後ろに人の気配。店長が厨房から現れた。渋い低音が降ってくる。
「杉本ォ~、掃除やっとけって言ったよなぁ」
「あは、さーせん」
 笑って誤魔化したが誤魔化しきれない。俺は慌てて立ち上がり、モップ片手に駆け回った。
 
「諏訪ちゃんってばぁ、そんなに怒んないでよ。おっかない顔しちゃって」
 赤石はまだカウンターにいる。諏訪ちゃんというのは店長のことだ。本名は諏訪部だが、赤石はこうやって呼ぶ。二人は旧知の仲らしい。
 
「お前もだぞ、赤石ィ。ツケいくら溜まってると思ってんだ。たまには体で返しやがれ」
「やだも~、言い方がおっさん臭いよ?」
「文句言わんで働け」
 
 赤石も、台布巾片手に駆け回る羽目になった。
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