幼馴染を追いかけて

小貝川リン子

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第二章 邂逅

4 競馬場③

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 東京競馬場は新宿から京王線で四十分ほどの場所にある。大きなレースが開催されるため朝から混雑していた。落ち合う場所も時間も決めていなかったので苦労したが、入口付近の売店でどうにか合流することができた。出会い頭に馨が早速コートを返そうとすると、遼真は両手を振って遠慮した。

「いいよいいよ。馨ちゃんすごく薄着じゃないか。寒いだろうからそれ着てなよ」

 実際、遼真が冬用の厚手のコートを着ているのに対して、馨は季節外れなほど薄着だった。一応ゴムの伸びていない、目立った汚れも付いていないトレーナーを選んで着てきたものの、防寒には全く優れていない。

「けんど、こりゃおまんのもんやき」
「でも、寒くないかい? 晴れてるからまだいいけど、北風が冷たいよ」
「全然、寒うない」

 そう強がった途端、くしゃみをした。遼真はコートを手に取って馨の肩に掛ける。

「な、おまんはまた勝手なことをしくさって」
「だって馨ちゃんが風邪引いたら困るよ」
「風邪なんぞ引かん。子供扱いしなや」
「子供扱いなんかじゃないよ。ほら、ちゃんと袖通して」
「やっぱり子供扱いしゆう! こがなもん一人で着れるきに。わやにしなや」
「ごめんね、そんなつもりじゃなかったんだけど」

 馨は自分でボタンを留めた。そして少し後悔する。一週間置いても、繊維の奥まで染み付いた遼真の匂いだけは取れなかったのだった。

「それで、最初はどうするのかな。こんなとこ来るの初めてだから教えてほしいな。まずは新聞でも買うのかな。結構並んでるね。ねぇ、馨ちゃん?」

 ぼんやりしていた馨ははっと我に返って首を振る。

「ほうじゃ、新聞、買うぜよ」
「どうして急に片言なんだい」

 競馬新聞片手にパドックで馬の状態をチェックする。右も左もわからない遼真は、これがサラブレッドかぁ、などと感心したような声を上げて眺めているだけだが、その横で馨は熱心にチェックをつけている。

「馨ちゃん、これはどう見ればいいのかな」
「適当に、気に入った馬でも探しゃえいろう」
「気に入ったって言ったって、全部似たようなものじゃないか」
「全然違うちや。よう見ぃ。元気そうなの、眠そうなの、色々おるろう。やっぱり本物はえいのう。今日は勝てる気がしゆう」
「あ、あの真っ黒い子、今目が合ったよ」
「ありゃいかん。血統はえいけんど、最近ずっと負けちゅうき」
「じゃああの白い子は? 白い馬もいるんだね。かわいいな」
「あれはなかなかえいのう。ずば抜けて調子がえい。人気の馬じゃ」

 パドックで様子を見た後、馬券を買う。やはり遼真は右往左往するだけだが、馨は迷わずマークカードを塗り潰していく。

「にゃあ、これはどうすればいいの?」
「初心者なら適当に複勝かワイドでも買っときゃえいが」
「あ、ねぇ、このがんばれって書いてるのは何だい? なんかかわいい。これほしいな」
「そりゃ応援馬券じゃ。一頭選んで単複で賭ける――」
「じゃあさっきの白い子にしようかな。何番だったっけ」
「けんど、オッズが低いき当たっても大した額にならんぜよ」
「いいんだよ。儲けに来たわけじゃないんだから」

 馬券を買ったらレースを観戦する。コースが広い上馬の足が速すぎるためレースの様子は肉眼ではよく見えないのだが、スタンドは十分に盛り上がっていた。ゴールに近付くにつれて歓声は大きくなる。何番いけ、させ、と馨は夢中になって叫んだ。遼真も、何番がんばれ、と見様見真似で応援した。

 着順が確定するとモニターに払戻金が表示される。その後スタンドは悲喜こもごもの様相を呈し、勝った者の笑い声と負けた者の溜め息が同時に聞こえてくる。

「はー、だめじゃだめじゃ。全然勝てん」

 馨は外れ馬券を破り捨てた。

「おまんはどうじゃ」
「うーん、どうも当たったみたい」
「ほんに? 見せてみぃ」

 確かに当たっていた。二百円が千円に増えるらしい。

「はん。ま、こういうこともある。なんちゅうがやったかよ? こういう……」
「ビギナーズラック?」
「それじゃ。びぎなーずなんたらで勝てたがよ。えかったにゃあ」

 馨は遼真の肩をぽんと叩いてにやりと笑ってみせた。

「これ、お金はすぐにもらえるのかい」
「すっともらえるぜよ。中にある機械から現ナマが出てくるがじゃ。はよ行こ、きっと並んじゅうよ。ほいたら飯にしよ。もちろんおまんの奢りやきにゃ」

 馨は上機嫌で遼真の腕を引っ張り、建物内を案内した。
 スタンド内には、ちょうどフードコートのような感じで飲食店が並んでいる。味噌ラーメンを一杯食べた後、遼真が食べたいと言ったたこ焼きと、馨が食べたいと言ったもつ煮ビールセットを買い、食べながら次のレースの予想をした。

「一日何レースも買うものなのかい?」
「当ったり前じゃ。さっきのは運試しみたぁなもんで、今日の目玉はこの後やき。気合入れぇ」
「ほいじゃあ、僕はまたあの白い子にしようかな」
「そいつはもう走らんで。同じ日に何遍も走らん。他の馬探しや」

 パドックで下見した後、再び馬券を買った。遼真はよくわからなかったが良さそうな馬を選んで再び応援馬券を買った。唐揚げを摘まみながら最前列で観戦する。
 ファンファーレが奏でられると、それまで余裕をかましていた馨はそわそわし始める。スタンド全体がそわそわざわざわしている。いざレースがスタートすると地鳴りのような歓声が沸いた。コースをぐるりと回って最後の直線に入ると一層盛り上がる。女の悲鳴、男の絶叫が響き渡る。馨もやはり、何番いけ、させ、がんばれ、と叫んでいる。

「あああ、いかんいかん、これは来る、来るかもしれん、来た、来た、来るっ……!」

 馨は遼真の袖をぎゅうっと掴む。

「あ、あ、いかんちや、これは、あっ」

 ゴールと同時に馨は拳を突き出して天高く飛び上がった。着順が確定すると、モニターと馬券とを交互に見比べる。それから満面の笑みで遼真を見る。

「りょーまぁ、当たったぜよ! 完全に当たった! 勝ったがじゃ!」
「何が当たったんだい」
「ばかたれ、万馬券じゃ! 百円が一万円になるが!」

 馨は興奮してぎゅっと遼真に抱きつく。遼真も嬉しくなって馨を抱きしめ返す。二人で喜びを分かち合った。

「にゃっはははぁ、勝った勝ったぁ! おまんのおかげじゃ、りょーまぁ。びぎなーずなんちゃらのおかげじゃあ! 今晩はえい酒が飲めるのう!」

 興奮冷めやらぬまま帰途に就き、JR新宿駅近くの焼肉店で祝宴を開いた。食べ放題の一番豪華なコースに、アルコール全種飲み放題も付けて。もちろん馨の奢りである。今日は乾杯から始まった。

「っはー! 勝って飲む酒ほどうまいもんはないのう! げにまっことうまい!」

 初めての競馬はどうだったかと馨が訊くので、遼真はテーマパークみたいで案外楽しかったと答えた。

「にゃはは、ほうじゃろほうじゃろ。それに夢があるろう。まさに夢の国じゃ。今日は馬鹿みたぁな高額配当は出ざったけんど、百万馬券らぁてバケモンが出ることもあるぜよ」
「変な人少なかったし、意外と建物も綺麗だったよ」
「ウインズと比べりゃほうじゃろうにゃ」
「うん、まぁ、変な人もいたっちゃいたけどね。発狂したように叫んでたりね」
「そらしょうがない。賭博に人生ぶっ壊されたがじゃろ。かわいそうに」

 酒を浴びるように飲み、炭火で肉を焼いた。煙がもくもく上がって服に髪に絡み付く。喫煙席だったので、煙草の煙も絡み付く。

 食後、馨はゆっくりと一服した。遼真はにこにこ笑ってそれを見ている。

「何じゃあ、じろじろ見よって」
「いや、馨ちゃんが楽しそうだから嬉しくて」
「勝ったがやき、楽しいがは当たり前じゃ」
「そうやなくて、だって昼間も結構楽しそうだったじゃないか」
「別にそがなことはない」
「あるよ。だから僕、普段はギャンブルなんて絶対しないけど、今日は来てよかったって思ったんだ。馨ちゃんの笑いゆうとこが一等好きやきに」

 馨は肺にまで煙を吸い込んでしまい、酷く咽せた。遼真が心配してハンカチを差し出すが、馨は涙を浮かべてこれを断る。

「ったくおまんは……どこまでが本心なが。酔っちゅうがか?」
「酔っとりゃせんよ。僕、馨ちゃんのこと好いちゅう」

 馨は苦い顔をして煙を吐き出す。

「……わしゃあおまんが嫌いじゃ」
「ほいでもえいよ。僕は好きやき」

 馨はますます苦い顔をして、まだ半分ほど残っている吸殻を灰皿に押し付けて火を消した。

「もう帰るちや。時間やき」

 馨は伝票を荒々しく掴んでレジへ向かった。

「ごちそうさま。ありがとう、馨ちゃん」
「ふん。別にえい。今のわしは金持ちやきに」
「うん、でも、」

 店外へ出た。すっかり温まった体に厳しい夜風が吹き付ける。遼真は身を竦めてマフラーを固く巻いた。

「お会計、一万ちょっとだったろう? 余ったお金のことで提案があるんだ。携帯電話を買うのはどうかと思って」
「はぁあ? おまん、まっことつまらんことを言いゆうのう。そがなん、来週のレースに賭けるに決まっちゅう。次こそ三連単的中させちゃるき」

 会計時にもらったガムをくちゃくちゃ噛みながら馨は言う。

「つまらんことを言いなや。酔いが醒める」
「それでもね、馨ちゃん。また今朝みたいに道に迷ってなかなか会えないなんてことがあると困るだろう? 型落ちのスマホなら結構安く買えるし、それにあんまりギャンブルばっかりやるっていうのも不健全……」
「ごちゃごちゃやかましい! そがなもん買わん言うたら買わん。おまんの指図は受けん。わしかてもうえい大人じゃ、自分の面倒は自分で見れるわ」

 馨はいよいよ声を張り上げた。遼真はごめんねと溜め息と共に吐き出した。雰囲気は一気に険悪なものとなったが、ともかく駅までは連れ立って歩いた。
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