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第九章
9-9 祈りの部屋
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その部屋の扉の取っ手は難なく回った。鍵は掛かっていない様だ。
「何かを隠してるわけじゃねえみたいだな」
ヴィーさんの言葉に振り返った。
「別に怪しい匂いがするとか、そういうのじゃないんです。むしろ以前に嗅いだことがあるような気がします。……なんとなくですけど」
自分の言葉にそこまでの自信はない。だから最後にぼやかすような言葉を付け足して、扉を開いた。
「え……?」
てっきり、扉の先には部屋があるのだと思ったのに。いや、一応は部屋なのかもしれない。でも、部屋と思われる空間を囲んでいるのは石造りの壁ではなく、岩そのものだ。これではまるで岩屋だ。
そう言えば、この神殿が山肌に添うように建てられていたことを思い出した。この部屋にあたる部分は、その山肌の内側なのだろう。
妙なのはそれだけじゃない。この岩屋の壁に、無数の文字のようなものが書かれている。呪文か何かだろうか。でも僕には読むことができない。
扉から見て正面の壁には小さな祭壇が据えられている。その前の床に敷かれた絨毯は、きっと祈りの為の席だろう。
僕に続いて部屋に入ってきた皆も、キョロキョロと部屋の中を見回した。
「……なんだ? この部屋は?」
訝し気な低い声でジャウマさんが言った。
セリオンさんは壁に書かれた文字のようなものを眺めている。
「これは……悪趣味だな」
どうやらセリオンさんにはこれが読めるらしい。
「ああ、気持ちわりいな」
ヴィーさんもセリオンさんに同調するように言った。てことは、ヴィーさんにも読めているのか。
「あの…… これはなんて書いてあるんですか?」
僕が尋ねると、3人は一様に複雑そうな顔をした。そんなに変なことが書かれてるのか?
「こりゃあ、ただの愚痴みてえなもんだな」
そう言ったのはヴィーさんだった。
「愚痴…… ですか?」
「まあ、愚痴と言えば愚痴だが…… しかしそんなに可愛げのあるものではない」
そう言って、壁の一角を指さしながら、セリオンさんが読み上げはじめた。
「『死にたい。死にたくない。生きたい。生きるのがつらい』」
「え……?」
なんだそれは?
「『あいつらを守りたい。もう守れない。どうすればいいんだ。もうどうなってもいい……』」
静かにセリオンさんが読み上げ、読み続ける。
確かに、これじゃあ愚痴と言われても仕方ない。誰にも言えない胸中を壁に向かって吐露している。そんな風にしか聞こえない。
しかも書いていることが一貫していない。一つの言葉とそれを打ち消すような言葉が入り交ざっている。
「『……、一人は寂しい。俺は一人じゃあない。あいつらは仲間じゃない』」
そこまで読んで、セリオンさんの口は止まった。
「そんな言葉が、繰り返し繰り返し、延々と書かれている。かなり古いものだが、時が経って消えた部分は丁寧に修復してある。神殿の者たちは、これを有難い言葉とでも思っているのだろう」
セリオンさんは、ふーーっと呆れたように長いため息を吐きだした。
「これは俺たち『神魔族』の、しかも古代文字だ。この世界の者たちには読めなくて当然だ」
ジャウマさんが言った。
その時、僕の腕にアリアちゃんがぎゅっとしがみついた。
「ラウル……」
見ると、俯き加減にした顔を、やけに曇らせている。
「アリアちゃん、どうしたの?」
アリアちゃんは僕の問いには答えずに、黙って顔を僕の腕に埋めた。
「ラウル、アリアを連れて部屋の外に出ていろ。ここは俺たちが調べる」
ジャウマさんから声がかかる。僕もその方がいいと思っていた。
「アリアちゃん、少し休もう」
彼女の小さい肩を抱きかかえて、元いた礼拝堂に戻った。
壁際に据えられた椅子にアリアちゃんと並んで座る。
まだ彼女は不安そうに項垂れたまま、僕の腕にしがみついている。僕らに付いて部屋を出てきたクーも、アリアちゃんを心配するように床に座り込んだ。
あの部屋でアリアちゃんに何かあったんだろうか?でも今、その理由を聞くことなんて出来やしない。
ただ黙って彼女を慰めるように、その小さな手を膝の上で握りしめた。
その時、さっきザネリーさんが出ていった扉の向こうから、また足音と話し声が聞こえてきた。しかも、少しだけバタバタと騒がしい。
僕が気付いたのにほんの少しだけ遅れてクーが耳を立てて立ち上がる。クーにも聞こえたらしい。
「私の不在時に余所者を村に入れるなど――」
「しかし、彼らは息子からの手紙を――」
そんな会話が聞こえてきた。どうやらザネリーさんが誰かと話しながら、こちらに向かって来ているようだ。でも相手はさっきの兎獣人の青年の声ではない。
バタンッと大きな音を立てて、扉が開いた。
入ってきたのは、神官長のザネリーさんともう一人、目深にフードを被ったローブ姿の獣人だ。
この人が、ヘンリーさんから聞いていた行商人だろう。確かに、なんだか怪しい。
でも、この人の魔力の匂いを、僕は知っている気がした。
神官長はアリアちゃんの様子を見て、心配そうに眉を寄せた。
「どうしましたか? 気分でも?」
「……はい、アリアちゃんが…… 多分少し休めば大丈夫かと思うんですが……」
「他の皆さんはどちらへ?」
ここで、あの部屋に居ると言ってしまってもいいんだろうか? 僕がほんの少し迷っているうちに、神官長は言葉を続けた。
「ああ、礼拝室ですか」
神官長のなんともないような言いぶりからすると、秘密の部屋とかではなかったんだろう。ほっと胸を撫で下ろした。
「あそこは、変わった部屋ですね」
「はい。あそこはこの村を作った偉大な神官が、修行を行った部屋だと言われています。彼の神官は私たちの為に部屋の壁に祈りの言葉を残してくださったのです」
やっぱり、あれを有難い言葉だと思っている。まさかただの愚痴だなんて思っていないだろうな。
僕らが話している間、フードの人物は僕らを観察するようにじっと見ていた。が、ハッと気が付いたように弾けると、僕らの前に駆け寄ってきた。
「失礼します。もしや」
その人物から発せられたのは、大人の柔らかい男性の声だ。
「姫様ではありませんか? いいえ、姫様ですよね! ようやくお会いすることができました!」
フードの人物はアリアちゃんに向かって、両膝を突き深く頭を下げた。
「何かを隠してるわけじゃねえみたいだな」
ヴィーさんの言葉に振り返った。
「別に怪しい匂いがするとか、そういうのじゃないんです。むしろ以前に嗅いだことがあるような気がします。……なんとなくですけど」
自分の言葉にそこまでの自信はない。だから最後にぼやかすような言葉を付け足して、扉を開いた。
「え……?」
てっきり、扉の先には部屋があるのだと思ったのに。いや、一応は部屋なのかもしれない。でも、部屋と思われる空間を囲んでいるのは石造りの壁ではなく、岩そのものだ。これではまるで岩屋だ。
そう言えば、この神殿が山肌に添うように建てられていたことを思い出した。この部屋にあたる部分は、その山肌の内側なのだろう。
妙なのはそれだけじゃない。この岩屋の壁に、無数の文字のようなものが書かれている。呪文か何かだろうか。でも僕には読むことができない。
扉から見て正面の壁には小さな祭壇が据えられている。その前の床に敷かれた絨毯は、きっと祈りの為の席だろう。
僕に続いて部屋に入ってきた皆も、キョロキョロと部屋の中を見回した。
「……なんだ? この部屋は?」
訝し気な低い声でジャウマさんが言った。
セリオンさんは壁に書かれた文字のようなものを眺めている。
「これは……悪趣味だな」
どうやらセリオンさんにはこれが読めるらしい。
「ああ、気持ちわりいな」
ヴィーさんもセリオンさんに同調するように言った。てことは、ヴィーさんにも読めているのか。
「あの…… これはなんて書いてあるんですか?」
僕が尋ねると、3人は一様に複雑そうな顔をした。そんなに変なことが書かれてるのか?
「こりゃあ、ただの愚痴みてえなもんだな」
そう言ったのはヴィーさんだった。
「愚痴…… ですか?」
「まあ、愚痴と言えば愚痴だが…… しかしそんなに可愛げのあるものではない」
そう言って、壁の一角を指さしながら、セリオンさんが読み上げはじめた。
「『死にたい。死にたくない。生きたい。生きるのがつらい』」
「え……?」
なんだそれは?
「『あいつらを守りたい。もう守れない。どうすればいいんだ。もうどうなってもいい……』」
静かにセリオンさんが読み上げ、読み続ける。
確かに、これじゃあ愚痴と言われても仕方ない。誰にも言えない胸中を壁に向かって吐露している。そんな風にしか聞こえない。
しかも書いていることが一貫していない。一つの言葉とそれを打ち消すような言葉が入り交ざっている。
「『……、一人は寂しい。俺は一人じゃあない。あいつらは仲間じゃない』」
そこまで読んで、セリオンさんの口は止まった。
「そんな言葉が、繰り返し繰り返し、延々と書かれている。かなり古いものだが、時が経って消えた部分は丁寧に修復してある。神殿の者たちは、これを有難い言葉とでも思っているのだろう」
セリオンさんは、ふーーっと呆れたように長いため息を吐きだした。
「これは俺たち『神魔族』の、しかも古代文字だ。この世界の者たちには読めなくて当然だ」
ジャウマさんが言った。
その時、僕の腕にアリアちゃんがぎゅっとしがみついた。
「ラウル……」
見ると、俯き加減にした顔を、やけに曇らせている。
「アリアちゃん、どうしたの?」
アリアちゃんは僕の問いには答えずに、黙って顔を僕の腕に埋めた。
「ラウル、アリアを連れて部屋の外に出ていろ。ここは俺たちが調べる」
ジャウマさんから声がかかる。僕もその方がいいと思っていた。
「アリアちゃん、少し休もう」
彼女の小さい肩を抱きかかえて、元いた礼拝堂に戻った。
壁際に据えられた椅子にアリアちゃんと並んで座る。
まだ彼女は不安そうに項垂れたまま、僕の腕にしがみついている。僕らに付いて部屋を出てきたクーも、アリアちゃんを心配するように床に座り込んだ。
あの部屋でアリアちゃんに何かあったんだろうか?でも今、その理由を聞くことなんて出来やしない。
ただ黙って彼女を慰めるように、その小さな手を膝の上で握りしめた。
その時、さっきザネリーさんが出ていった扉の向こうから、また足音と話し声が聞こえてきた。しかも、少しだけバタバタと騒がしい。
僕が気付いたのにほんの少しだけ遅れてクーが耳を立てて立ち上がる。クーにも聞こえたらしい。
「私の不在時に余所者を村に入れるなど――」
「しかし、彼らは息子からの手紙を――」
そんな会話が聞こえてきた。どうやらザネリーさんが誰かと話しながら、こちらに向かって来ているようだ。でも相手はさっきの兎獣人の青年の声ではない。
バタンッと大きな音を立てて、扉が開いた。
入ってきたのは、神官長のザネリーさんともう一人、目深にフードを被ったローブ姿の獣人だ。
この人が、ヘンリーさんから聞いていた行商人だろう。確かに、なんだか怪しい。
でも、この人の魔力の匂いを、僕は知っている気がした。
神官長はアリアちゃんの様子を見て、心配そうに眉を寄せた。
「どうしましたか? 気分でも?」
「……はい、アリアちゃんが…… 多分少し休めば大丈夫かと思うんですが……」
「他の皆さんはどちらへ?」
ここで、あの部屋に居ると言ってしまってもいいんだろうか? 僕がほんの少し迷っているうちに、神官長は言葉を続けた。
「ああ、礼拝室ですか」
神官長のなんともないような言いぶりからすると、秘密の部屋とかではなかったんだろう。ほっと胸を撫で下ろした。
「あそこは、変わった部屋ですね」
「はい。あそこはこの村を作った偉大な神官が、修行を行った部屋だと言われています。彼の神官は私たちの為に部屋の壁に祈りの言葉を残してくださったのです」
やっぱり、あれを有難い言葉だと思っている。まさかただの愚痴だなんて思っていないだろうな。
僕らが話している間、フードの人物は僕らを観察するようにじっと見ていた。が、ハッと気が付いたように弾けると、僕らの前に駆け寄ってきた。
「失礼します。もしや」
その人物から発せられたのは、大人の柔らかい男性の声だ。
「姫様ではありませんか? いいえ、姫様ですよね! ようやくお会いすることができました!」
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