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奇禍
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「何故、貴女がこんな目に合わなければいけないのだ……」
まだ雪が残る山の木々の間を抜けて、私を抱きかかえて走る彼の口調は、まるで怒っているかのようだ。
感情の起伏の少ない私には、その矛先がどこにむいているのかがわからない。
咄嗟に出会った彼に助けを求めてしまったのは、やはり迷惑だったのだろうか。
「申し訳ありません……」
詫びる私の言葉を聞いて、彼は気が付いたように顔を私に向けた。
「いや、貴女を責めているわけではないのだ」
すまない、と彼は力強い視線を進む方に向け直して言った。
私たち雪女は、術を使って男を篭絡する。
しかし術が不完全だと、目が覚めてから再び戻って来る男がいる。
そんな男たちはまた雪女に会いたいと、そしてまた抱かれたいと、彼女たちの塒の戸をたたく。
その術を使うのが得意ではない私の塒が、里の外れにあるのはその為だ。他の者に迷惑をかけるなと、里の者にそう告げられた。
でも今日押しかけて来た男たちは甘い目的を持っていた訳ではなかった。おそらく雪女に同胞を殺され、報復の為に来たのであろう。
私はもう長い事、彼の鬼以外の男を精を食らってはいない。だから、彼らの報復の相手は他の雪女なのだ。
でもおそらく、彼らにとってはそんな事は関係なく、雪女全てが憎しみの対象なのだろう。
襲われたのなら彼らを凍らせてしまえばいい。もしくは篭絡して精を吸いつくして殺してしまえばいい。
でも私はそうはせず、気が付くと塒を飛び出して山を下っていた。
そして、いつもの場所に辿りつくと、そこには彼が居た。
* * *
「良いのですか? 鬼の里に私などが……」
他の鬼に見られては、彼の立場が悪くなるのではないか。そう心配をする私に、
「俺に、攫われたことにしてくれ」
と、彼は言った。
どうせなら、本当に攫ってくれぬものかと、そう思い彼の身に頬を寄せると、あの時と同じ彼の匂いがした。
もうすぐ鬼の里に入るからと言って、彼は自分の上着を脱いで私に寄越した。頭から被って顔を隠すようにと言われ、その通りにする。
彼の逞しい腕の中で、被った上着によって視界は閉ざされているが、音と周りの気配は感じられる。
「よお」
何者かが乱暴な口調で声をかけ、彼の足が止まる。それだけでなく少し緊張をしたのがわかった。
「なんだ女か? どうしたんだ?」
「……攫ってきた」
「ははっ。お前が女を攫ってくるなんて珍しいな。よほどいい女なんだろう」
その言葉に続けて、じゅるりと舌なめずりをする卑下た音がした。それと同時に、私を抱えた彼の腕に力が入る。
「これは俺の女だ」
「いいじゃねえか、減るもんじゃなし。俺にも抱かせろよ」
「ダメだ」
「ふふん。なんだ? 嫁にでもするつもりか?」
相手の鬼が鼻で笑いながら言った言葉を聞いて、心がとくんと揺れた。
「そうだ。だからダメだ」
「……チッ。仕方ねーな」
彼が言うと、その鬼は去って行ったらしい。足音が遠ざかると、また彼が歩き出した。
「すまない…… 嫌な思いをさせて」
彼が小声で私に詫びたが、どの事を指して言っているのかはわからない。
「いいえ」
とだけ言ってみせたが、先ほどの鬼が言った言葉を思い出し、また心が揺れた。
* * *
鬼の里の中心には大きな広場がある。被った上着の隙間からちらりと見ると、まだ日があるうちだというのに多くの鬼がそこで酒盛りをしていた。
その広場の周囲の小屋や洞が各々の棲み処になっているのだそうだ。
彼の棲み処は広間から離れた場所にある小さな洞で、その奥の幾重にも積まれた獣の毛皮の上に私は下ろされた。
「怪我などはしていないか?」
「すぐに逃げてきましたので、大丈夫です」
そう答えると、彼はほっと安堵の表情を浮かべた。
彼が甕から柄杓で椀に水を注いでいると、洞の入口に掛けられた扉代わりの布の向こう、さらに遠いところからか、女の短い叫び声が聞こえた。
私がその声を気にした事に気付いたのか、彼は私に椀を差し出しながら「いつもの事だ」と言った。
「あいつらは食料がなくなると山を降りて、一緒に女も攫ってくるのだ」
あいつらとは、広場にいた鬼たちの事だろう。そして、その攫ってきた女たちを伴って酒を飲んでいるのだろう。もちろんそれだけではない。
そのうち広場の方からだけではなく、あちらこちらから男女の睦み声が聞こえてきた。
鬼は精の強い種族だと聞く。酒が入り、女が居れば……ああなるのも当然だろう。
羨ましくなって、つい口から言葉が漏れた。
「私も、ふりではなく…… 本当に攫ってくださったのなら良かったのに……」
「俺に……?」
私の言葉に、彼が問いかけで応える。
「貴方が私を攫ってくれたのなら、あのように……」
あの日の事を思い出し、恥ずかしさでそっと視線を外した。
「俺も……お前が篭絡してくれたらと……」
「で、でも私は…… 術をうまく使えないのです」
「俺相手に術は必要ない」
「え……?」
「貴女が語りかけてくれるだけで、俺の事を見つめてくれるだけで。こうして側にいてくれるだけで…… いや、遠く離れていても……」
顔を上げると、彼はじっと私を見つめていた。
「俺は貴女の事しか考えられないのだ」
その言葉を聞き、思わず彼の胸元に身を投げた。
まだ雪が残る山の木々の間を抜けて、私を抱きかかえて走る彼の口調は、まるで怒っているかのようだ。
感情の起伏の少ない私には、その矛先がどこにむいているのかがわからない。
咄嗟に出会った彼に助けを求めてしまったのは、やはり迷惑だったのだろうか。
「申し訳ありません……」
詫びる私の言葉を聞いて、彼は気が付いたように顔を私に向けた。
「いや、貴女を責めているわけではないのだ」
すまない、と彼は力強い視線を進む方に向け直して言った。
私たち雪女は、術を使って男を篭絡する。
しかし術が不完全だと、目が覚めてから再び戻って来る男がいる。
そんな男たちはまた雪女に会いたいと、そしてまた抱かれたいと、彼女たちの塒の戸をたたく。
その術を使うのが得意ではない私の塒が、里の外れにあるのはその為だ。他の者に迷惑をかけるなと、里の者にそう告げられた。
でも今日押しかけて来た男たちは甘い目的を持っていた訳ではなかった。おそらく雪女に同胞を殺され、報復の為に来たのであろう。
私はもう長い事、彼の鬼以外の男を精を食らってはいない。だから、彼らの報復の相手は他の雪女なのだ。
でもおそらく、彼らにとってはそんな事は関係なく、雪女全てが憎しみの対象なのだろう。
襲われたのなら彼らを凍らせてしまえばいい。もしくは篭絡して精を吸いつくして殺してしまえばいい。
でも私はそうはせず、気が付くと塒を飛び出して山を下っていた。
そして、いつもの場所に辿りつくと、そこには彼が居た。
* * *
「良いのですか? 鬼の里に私などが……」
他の鬼に見られては、彼の立場が悪くなるのではないか。そう心配をする私に、
「俺に、攫われたことにしてくれ」
と、彼は言った。
どうせなら、本当に攫ってくれぬものかと、そう思い彼の身に頬を寄せると、あの時と同じ彼の匂いがした。
もうすぐ鬼の里に入るからと言って、彼は自分の上着を脱いで私に寄越した。頭から被って顔を隠すようにと言われ、その通りにする。
彼の逞しい腕の中で、被った上着によって視界は閉ざされているが、音と周りの気配は感じられる。
「よお」
何者かが乱暴な口調で声をかけ、彼の足が止まる。それだけでなく少し緊張をしたのがわかった。
「なんだ女か? どうしたんだ?」
「……攫ってきた」
「ははっ。お前が女を攫ってくるなんて珍しいな。よほどいい女なんだろう」
その言葉に続けて、じゅるりと舌なめずりをする卑下た音がした。それと同時に、私を抱えた彼の腕に力が入る。
「これは俺の女だ」
「いいじゃねえか、減るもんじゃなし。俺にも抱かせろよ」
「ダメだ」
「ふふん。なんだ? 嫁にでもするつもりか?」
相手の鬼が鼻で笑いながら言った言葉を聞いて、心がとくんと揺れた。
「そうだ。だからダメだ」
「……チッ。仕方ねーな」
彼が言うと、その鬼は去って行ったらしい。足音が遠ざかると、また彼が歩き出した。
「すまない…… 嫌な思いをさせて」
彼が小声で私に詫びたが、どの事を指して言っているのかはわからない。
「いいえ」
とだけ言ってみせたが、先ほどの鬼が言った言葉を思い出し、また心が揺れた。
* * *
鬼の里の中心には大きな広場がある。被った上着の隙間からちらりと見ると、まだ日があるうちだというのに多くの鬼がそこで酒盛りをしていた。
その広場の周囲の小屋や洞が各々の棲み処になっているのだそうだ。
彼の棲み処は広間から離れた場所にある小さな洞で、その奥の幾重にも積まれた獣の毛皮の上に私は下ろされた。
「怪我などはしていないか?」
「すぐに逃げてきましたので、大丈夫です」
そう答えると、彼はほっと安堵の表情を浮かべた。
彼が甕から柄杓で椀に水を注いでいると、洞の入口に掛けられた扉代わりの布の向こう、さらに遠いところからか、女の短い叫び声が聞こえた。
私がその声を気にした事に気付いたのか、彼は私に椀を差し出しながら「いつもの事だ」と言った。
「あいつらは食料がなくなると山を降りて、一緒に女も攫ってくるのだ」
あいつらとは、広場にいた鬼たちの事だろう。そして、その攫ってきた女たちを伴って酒を飲んでいるのだろう。もちろんそれだけではない。
そのうち広場の方からだけではなく、あちらこちらから男女の睦み声が聞こえてきた。
鬼は精の強い種族だと聞く。酒が入り、女が居れば……ああなるのも当然だろう。
羨ましくなって、つい口から言葉が漏れた。
「私も、ふりではなく…… 本当に攫ってくださったのなら良かったのに……」
「俺に……?」
私の言葉に、彼が問いかけで応える。
「貴方が私を攫ってくれたのなら、あのように……」
あの日の事を思い出し、恥ずかしさでそっと視線を外した。
「俺も……お前が篭絡してくれたらと……」
「で、でも私は…… 術をうまく使えないのです」
「俺相手に術は必要ない」
「え……?」
「貴女が語りかけてくれるだけで、俺の事を見つめてくれるだけで。こうして側にいてくれるだけで…… いや、遠く離れていても……」
顔を上げると、彼はじっと私を見つめていた。
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その言葉を聞き、思わず彼の胸元に身を投げた。
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