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第一話 三日月神社
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ごうごうと鳴り響く雨音……。今にも崩れそうな古い神社のお社の前で、狛犬は苦悩した。
『私は狛犬なのに、神社を風雨から守ることさえできないの?』
彼女が護り続けているその神社の名は、三日月神社という。
数百年前に建てられたその神社は、死者をもよみがらせるという強い力を持つ神が祀られているといわれている。
実際に、三日月神社周辺の村では幽霊や化け物のたぐいが頻繁に出没していた。
白装束のような衣装を着せられていた化け物達は、傍から見るとかなり不気味だった。
しかし、彼らは特に村の人々に害をなす存在ではなかった。むしろ小さな子供の遊び相手になっていたり、畑仕事を手伝ったりと、村の人々にとっては当たり前の存在だった。
彼らはそんな化け物達を、神様が生まれ変わらせた存在だろうからと大切に扱い、時には一緒に暮らすこともあった。
そうして村の人々に親しまれていた当時は毎日山のように人間が参拝にやってきたが、数十年前に管理者がいなくなってからはその存在すら忘れられていた。
雨が狛犬の身体を激しく打つ。石像である彼女には、身震いすることすらできない。
その時、激しい雷鳴が鳴りひびいた。
松明の炎よりも明るい光を、彼女ははじめて見た。めまいがするほどの光の中で、彼女は激しい音を立てて崩れるお社をじっと見つめていた。
百年以上もの間護り続けていたはずの神社が、自分がその存在をかけても護らなければならないその神社が、自分を置いて崩れ去ってゆく。
『私は……、何の為にここにこうして置かれていたの?せっかく狛犬ならそれらしく神社を護りたかったよ……。』
彼女はかつての神主を思い出していた。
昼夜を問わずご利益を求めて押し掛けてくる人間に説教をしつつ、境内は常に綺麗に保つその熱心な姿に、彼女はとても憧れていた。
自分がもし動けたならば彼と共に仕事ができたのに……という彼女の欲望をなだめるかのように、神主は狛犬の身体にびっしりと生えた苔を優しく取り除いてやるのだった。
神主のその一連の行動が、より一層狛犬の欲望を駆り立てるのだ。
彼女はしょっちゅう人間になりたいと神に願っては、叶う訳が無いだろうとすぐに諦めてしまうのだった。
神社の境内を包み込んだ激しく強い光は、やがて収まった。
跡形も無く崩れ去った神社の中で、しかしひとつだけ動くものがある。
立派な耳と、太く長い尻尾。人間の子供のような姿をしているが、苔色の澄んだその目は紛れもなく狛犬のものだった。所々髪色が緑になっているのは、身体にびっしりと生えていた苔の名残だろう。
ずっとずっと願っていた、思い通りに動かせる身体。
「これで……!神社を建て直せる……!!!」
そう言うやいなや、彼女は先程の雷で焼き崩れたお社に走っていった。
彼女には、人になる事以外には自分の欲といったものは存在しない。
その人になりたいという欲も、全ては神社を護り、神に仕える為だけのものだった。
百年以上も昔から、自分の目の前に鎮座する獅子と共にひたすら神社を見守ってきた、それだけなのだ。
神社をまもるため、見たことも無い神を護るため、ずっとずっと境内の端に座り続けてきた。
自由に動き回れる身となった今でもそれは変わらない。崩れ去ったお社をどう建て直すか、ただそれしか考えていないのだ。
「なんたって元は狛犬だからね、建て直しだってできるはず……!」
そう言うと、彼女は腕まくりをしてお社の建て直しに取りかかった。真っ白に輝くその白装束のような衣装は、彼女が人間の姿を得た時に着せられていたものだ。彼女もまた、数百年前に村の人々と共に暮らした彼らと同じ化け物なのだった。
今まで動く事もなかった元石像である。自分の力加減など知るよしもない。だが、自分の何倍も重いであろう木切れを持ち上げるあたり確かに力はあるのだろう。
あっという間に木切れをまとめては近くのつる草で固く縛り、そばにどんどん積み上げていった。
激しい雨が彼女の身体に降りそそぐ。真っ白だったはずの衣装は、いつの間にか泥だらけになっていた。
お社の跡地からは、彼女が見た事もないような高価な宝物がごろごろと出てきた。神を祀るための道具なのだろうが、暗くて何も見えやしない。
夜が明けると共に、昨日のあれほど激しかった雨もやんだ。
自分が狛犬だった頃とは全く異なる神社の姿に、彼女はしばし絶句した。
ふと目を見やれば、相方の獅子が激しく崩れていた。
それはもう、原型を留めてなどいない。まるでただの石ころの様にばらばらに転がっていた。
彼女は、本当に一人だった。
つる草で編んだかごの中にお社にあった宝物を納め、崩れた木切れを組み立てていった。当然ぼろぼろの木切れでは上手く組み立てられるはずもない。そこら中に生えている竹や木の枝を集めてきても、なかなか思い通りにはいかない。
それでも彼女が投げやりになる事は決してなかった。昼間はひたすら地道な作業を続け、夜になると粉々になった相棒のそばに座り、物思いにふけるのだった。
狛犬に自我が芽生えたのは、何十年前の事だろうか。彼女は神社のほとんど全てを知っていた。歴代の神主の顔や性格、度々参拝に訪れる客の家庭事情まで、神社で見聞き出来ることなら何でも記憶しているのだ。
神社にやってくるのは人間ばかりではない。小鳥が自分の身体に止まって毛づくろいをしたり、ネズミやヘビがどこからともなく現れて参拝客の腰を抜かす事もあった。
そういえば、数年前境内に犬が現れた事がある。それは小さな黒い子犬だった。捨て犬だろうか、どれだけ耳をすませても、母犬らしき存在は確認できない。子犬は境内の少し奥にある沢で小魚を捕って生活しているらしかった。ごくわずかに陽の当たる境内が心地良いのか、狛犬のすぐ側でよくくつろいでいた。
あの犬は今どこにどうしているのだろうか…。
―やがて時が経ち、神社はあらかた落ち着いた。
もちろん彼女一人では完全に元に戻す事など出来ないため、まるでバラック小屋のようなお社になった。
それでも、彼女は満足していた。
毎朝自作の竹箒で境内を掃除してから、神社のある山一帯を散策する。
狛犬であった頃は考えもしなかった外の世界。
枯葉を踏みしめる感触、刻々と変わってゆく空の色が彼女にとってはたまらなく愛おしいのだ。山は広く、そして希望に満ち溢れていた。
そこで、彼女はあるものを発見した 。
昨日までは無かった小さな看板……。当然ながら狛犬に字など読めるはずもないのだが、彼女は頬を紅潮させた。
「お客さんかな……?きっとここまで来た参拝客が居るのね!それならもっと神社を綺麗にしなくちゃ……。人の居ない神社なんて寂しいものね。」
『売地』。それがその看板に書かれた文字だった。
それから数ヶ月たったある日、彼女がいつも通り境内の掃除をしていると、数名の作業着姿の男がやってきた。
耳をすませば、山のふもとの方で聞き慣れない重機のエンジン音が鳴っている。
彼女にとっては、数十年ぶりとなる参拝客だ。
「ようこそ三日月神社へ!」
そう言ってお社へのお参りをしきりに勧めるのだが、化け物を前にして男達は完全に硬直している。当然だろう、少女の様な姿をした化け物がいきなり目の前に現れたのだから。
「あ、あの……。私はこんな姿になっちゃったけど、狛犬です!ここの神社の!」
そう弁明しているうちに、ようやく男の1人が口を開いた。
「俺たち、宅地造成に来たとこなんすよ。……つまり、この神社も一緒に山全体を崩すんですわ。だから化け物の嬢ちゃんには申し訳ねぇけどここを退いてもらえないかな、危ないから。」
「ここの神社を……?どうしてです?確かにお客さんは来ないけどここだって立派な神社なのに。」
「さっきも言っただろう、宅地造成だ。ここの山を崩して新しい住宅地を作るんだよ。俺たちだってこんな所に神社があるなんて思いもしなかったんだ…もっとも、何があったとしても俺たちには解体しか命ぜられて無いけどな。」
神社を…解体……。
今までずっと神社を守り続けてきた彼女には到底信じられない言葉だった。
「そんなの、神様と私が許しません。いくら貴方達に悪意が無いとしても……。私は何としてでもこの神社を守ります。私はその為に生まれたのですから。」
「そんな事言ったって嬢ちゃん、もう時間がねぇんだよ。今に重機が木を切り倒しながら登ってくる。この神社の事は当然下見に来た奴が知ってるだろうからあんたが説得したところで変わらないだろうな……。下っ端の俺たちだけが知らされなかったってこった。」
「それなら、助けてくださいませんか、この神社の為に。なにせ貴方達はこの神社の存在を知らなかったのでしょう?助ける事だって……出来るはずです!」
「それは無理だ。」
男達は口々に呟いた。
「俺たちは雇われの身なんだよ。上が山を崩すって言うならそれに従わなくちゃならない。だから……お嬢ちゃんがこの神社を守り続けるつもりなら、俺たちや重機と戦って打ち負かす必要があるって事だ。そうすれば多分上の奴らも神社もろとも崩すような事はひとまず辞めるだろう。そんなに恐ろしく強い化け物が居るところにいきなりマンションなんて建てたくはないからな。」
男達に服従してその場を退くか、見たこともない重機と戦って勝つか。当然、彼女には神社を捨てるという考えはない。
「やります…貴方達を一人残らずこの神聖な山から追い出してみせます!神社を壊すなんて信じられない。」
「そうか、本当にやるのか……。相手が人間なら俺たちももっと考えた所だが、お嬢ちゃんどう見ても化け物だからな、殺したって罪にはなるまいよ。俺たちはあくまで神社を壊すまでだからな。しかし……こんなバラック小屋が神社とはねぇ。未だに信じられないよ……。」
間もなく工事が始まった。
男達は、狛犬似の化け物など見ていないかのように作業を進めている。そこに彼女はぶつかっていく。持ち前の馬鹿力で、神社を崩す者をひたすら攻撃していく。
蹴って、殴って、噛み付く。ただそれだけだ。たとえどんなに喚こうが、彼らの耳には届かない。その間にも、ボロボロのお社はどんどん崩されてゆくのである。
半ば絶望しかけた彼女は、ふと神社の外の方を見た。そこには、地道に石段を崩してゆく男と重機の姿があった。
『やめて、もうこれ以上神社を壊さないで……!』
彼女は、無我夢中で石段へと突進して行った。そして、重機に指示する一人の男を突き放した。彼女も反動で石段から足を踏み外し、男と共に石段の最下段まで落ちていった。
顔が血で濡れている。
狛犬は直ぐに意識を取り戻し、男の容態を確認した。まさか、男を殺すつもりなどありはしなかった。ただ夢中で、破壊を辞めさせたかった。それだけなのだ。
「大丈夫ですか!意識は!意識はありますか?どうか目を覚ましてください!」
必死で男の肩を叩き意識を取り戻させようとするが、相手は動かない。血塗れの身体で男を揺さぶり、声を張り上げる。身体を揺さぶるごとに、男の血と汗との間から、何ともいえない潮の香りがした。なんとかしなくては。彼女は神に仕える狛犬である。当然人を殺す訳にはいかない。もはや解体工事などどうでもよかった。
必死の介抱もむなしく、男の呼吸はどんどん浅くなっていった。石段の上に居る他の作業員は皆こちらを見下ろしたまま、何やら耳に道具を当てて会話をしている様だった。あそこまで転がり落ちればまず助からないと決めてかかっているのだろうか。何にせよ、彼らが降りてくることはなかった。
遠くからサイレンが聞こえてくる。血濡れの男はもう息をしていなかった。
狛犬が絶望したその時、ごうっと強い風が吹いた。風は山中を駆け巡り、辺りは砂埃で何も見えなくなった。狛犬はすぐに気がつき、大声で呼び掛けた。
「ああ神様!来てくださったのですか。私はこの通り人を殺めてしまいました。神社も護れず、こんな事までして、もう私は存在する資格もございません。しかしどうか、この男を甦らせてはくださいませんか!この男には何の罪もないのです!私はもうどうなってもよいのです。全ての罪を償います!地獄へも何処へでも堕としてください!だからどうか……。」
神に自分の尻拭いをさせるなど非常識極まりないのだが、それでも男を助ける為にはこうするしかなかった。
またいきなり強い風が吹いたかと思うと、辺りはもう全く見えなくなった。何故か意識が朦朧とする。
『神様……。申し訳ありません、こんな愚かな狛犬で申し訳ありません。』
消えゆく意識の中で、必死で神に謝った。
男は結局助かるのだろうか。どちらにせよ、自分は恐らく存在を消されるだろう。神社も護れず、人も殺めたとなれば、当然この世に存在する価値など無い。もう自分はどうなってもいい……。
『罪深き狛犬よ。』
ふと声がした。初めて聴く声。しかし、それはどこか懐かしい声でもあった。声は語る。
『貴方は大罪を犯した。』狛犬はゆっくりとうなずく。
『しかし、貴方は神社を護った。』
「護れてなどいません、神様。私は二度も神社を壊されたのです。一度は雷に、もう一度は人の手によって。さらに人を殺めてしまいました。言うなれば私は神社の穢れでございます。」
『そう思うのならば、一生をかけてその罪を償うのです。貴方はかつて人間になりたいと願った。神への願いを引き下げることは不可能。きっと償うのです。』
風が収まり、気がついた時には狛犬は山の入口に立たされていた。遠くに作業員の姿が見える。救急車が到着し、灰色の作業服を着た別の人間がわらわらと出てきて男を救助していた。他の作業員も降りてきて騒いでいる。間もなく救急車は出発し、作業員もやがて皆去っていった。
『この一生をかけて……きっと償ってみせます。』
狛犬は神社のあった方向に向きなおると、膝をつきこれでもかと頭を下げた。
さらさらと風が頬を撫でる。
やがてゆっくりと立ち上がり、神社の外の、見たことも無い景色の中へ足を踏み出した。
ゆくあてなどない。
彼女の居場所は唯一、あの神社だけであった。しかしそこにはもう居られない。贖罪の為に、その終わり無き一生を過ごすのだ。具体的に何をすればいいのか。男を探し出して謝罪すれば良いのか。分からない。分からないけれども確実に前に進まなくてはならないのだ。
『私は狛犬なのに、神社を風雨から守ることさえできないの?』
彼女が護り続けているその神社の名は、三日月神社という。
数百年前に建てられたその神社は、死者をもよみがらせるという強い力を持つ神が祀られているといわれている。
実際に、三日月神社周辺の村では幽霊や化け物のたぐいが頻繁に出没していた。
白装束のような衣装を着せられていた化け物達は、傍から見るとかなり不気味だった。
しかし、彼らは特に村の人々に害をなす存在ではなかった。むしろ小さな子供の遊び相手になっていたり、畑仕事を手伝ったりと、村の人々にとっては当たり前の存在だった。
彼らはそんな化け物達を、神様が生まれ変わらせた存在だろうからと大切に扱い、時には一緒に暮らすこともあった。
そうして村の人々に親しまれていた当時は毎日山のように人間が参拝にやってきたが、数十年前に管理者がいなくなってからはその存在すら忘れられていた。
雨が狛犬の身体を激しく打つ。石像である彼女には、身震いすることすらできない。
その時、激しい雷鳴が鳴りひびいた。
松明の炎よりも明るい光を、彼女ははじめて見た。めまいがするほどの光の中で、彼女は激しい音を立てて崩れるお社をじっと見つめていた。
百年以上もの間護り続けていたはずの神社が、自分がその存在をかけても護らなければならないその神社が、自分を置いて崩れ去ってゆく。
『私は……、何の為にここにこうして置かれていたの?せっかく狛犬ならそれらしく神社を護りたかったよ……。』
彼女はかつての神主を思い出していた。
昼夜を問わずご利益を求めて押し掛けてくる人間に説教をしつつ、境内は常に綺麗に保つその熱心な姿に、彼女はとても憧れていた。
自分がもし動けたならば彼と共に仕事ができたのに……という彼女の欲望をなだめるかのように、神主は狛犬の身体にびっしりと生えた苔を優しく取り除いてやるのだった。
神主のその一連の行動が、より一層狛犬の欲望を駆り立てるのだ。
彼女はしょっちゅう人間になりたいと神に願っては、叶う訳が無いだろうとすぐに諦めてしまうのだった。
神社の境内を包み込んだ激しく強い光は、やがて収まった。
跡形も無く崩れ去った神社の中で、しかしひとつだけ動くものがある。
立派な耳と、太く長い尻尾。人間の子供のような姿をしているが、苔色の澄んだその目は紛れもなく狛犬のものだった。所々髪色が緑になっているのは、身体にびっしりと生えていた苔の名残だろう。
ずっとずっと願っていた、思い通りに動かせる身体。
「これで……!神社を建て直せる……!!!」
そう言うやいなや、彼女は先程の雷で焼き崩れたお社に走っていった。
彼女には、人になる事以外には自分の欲といったものは存在しない。
その人になりたいという欲も、全ては神社を護り、神に仕える為だけのものだった。
百年以上も昔から、自分の目の前に鎮座する獅子と共にひたすら神社を見守ってきた、それだけなのだ。
神社をまもるため、見たことも無い神を護るため、ずっとずっと境内の端に座り続けてきた。
自由に動き回れる身となった今でもそれは変わらない。崩れ去ったお社をどう建て直すか、ただそれしか考えていないのだ。
「なんたって元は狛犬だからね、建て直しだってできるはず……!」
そう言うと、彼女は腕まくりをしてお社の建て直しに取りかかった。真っ白に輝くその白装束のような衣装は、彼女が人間の姿を得た時に着せられていたものだ。彼女もまた、数百年前に村の人々と共に暮らした彼らと同じ化け物なのだった。
今まで動く事もなかった元石像である。自分の力加減など知るよしもない。だが、自分の何倍も重いであろう木切れを持ち上げるあたり確かに力はあるのだろう。
あっという間に木切れをまとめては近くのつる草で固く縛り、そばにどんどん積み上げていった。
激しい雨が彼女の身体に降りそそぐ。真っ白だったはずの衣装は、いつの間にか泥だらけになっていた。
お社の跡地からは、彼女が見た事もないような高価な宝物がごろごろと出てきた。神を祀るための道具なのだろうが、暗くて何も見えやしない。
夜が明けると共に、昨日のあれほど激しかった雨もやんだ。
自分が狛犬だった頃とは全く異なる神社の姿に、彼女はしばし絶句した。
ふと目を見やれば、相方の獅子が激しく崩れていた。
それはもう、原型を留めてなどいない。まるでただの石ころの様にばらばらに転がっていた。
彼女は、本当に一人だった。
つる草で編んだかごの中にお社にあった宝物を納め、崩れた木切れを組み立てていった。当然ぼろぼろの木切れでは上手く組み立てられるはずもない。そこら中に生えている竹や木の枝を集めてきても、なかなか思い通りにはいかない。
それでも彼女が投げやりになる事は決してなかった。昼間はひたすら地道な作業を続け、夜になると粉々になった相棒のそばに座り、物思いにふけるのだった。
狛犬に自我が芽生えたのは、何十年前の事だろうか。彼女は神社のほとんど全てを知っていた。歴代の神主の顔や性格、度々参拝に訪れる客の家庭事情まで、神社で見聞き出来ることなら何でも記憶しているのだ。
神社にやってくるのは人間ばかりではない。小鳥が自分の身体に止まって毛づくろいをしたり、ネズミやヘビがどこからともなく現れて参拝客の腰を抜かす事もあった。
そういえば、数年前境内に犬が現れた事がある。それは小さな黒い子犬だった。捨て犬だろうか、どれだけ耳をすませても、母犬らしき存在は確認できない。子犬は境内の少し奥にある沢で小魚を捕って生活しているらしかった。ごくわずかに陽の当たる境内が心地良いのか、狛犬のすぐ側でよくくつろいでいた。
あの犬は今どこにどうしているのだろうか…。
―やがて時が経ち、神社はあらかた落ち着いた。
もちろん彼女一人では完全に元に戻す事など出来ないため、まるでバラック小屋のようなお社になった。
それでも、彼女は満足していた。
毎朝自作の竹箒で境内を掃除してから、神社のある山一帯を散策する。
狛犬であった頃は考えもしなかった外の世界。
枯葉を踏みしめる感触、刻々と変わってゆく空の色が彼女にとってはたまらなく愛おしいのだ。山は広く、そして希望に満ち溢れていた。
そこで、彼女はあるものを発見した 。
昨日までは無かった小さな看板……。当然ながら狛犬に字など読めるはずもないのだが、彼女は頬を紅潮させた。
「お客さんかな……?きっとここまで来た参拝客が居るのね!それならもっと神社を綺麗にしなくちゃ……。人の居ない神社なんて寂しいものね。」
『売地』。それがその看板に書かれた文字だった。
それから数ヶ月たったある日、彼女がいつも通り境内の掃除をしていると、数名の作業着姿の男がやってきた。
耳をすませば、山のふもとの方で聞き慣れない重機のエンジン音が鳴っている。
彼女にとっては、数十年ぶりとなる参拝客だ。
「ようこそ三日月神社へ!」
そう言ってお社へのお参りをしきりに勧めるのだが、化け物を前にして男達は完全に硬直している。当然だろう、少女の様な姿をした化け物がいきなり目の前に現れたのだから。
「あ、あの……。私はこんな姿になっちゃったけど、狛犬です!ここの神社の!」
そう弁明しているうちに、ようやく男の1人が口を開いた。
「俺たち、宅地造成に来たとこなんすよ。……つまり、この神社も一緒に山全体を崩すんですわ。だから化け物の嬢ちゃんには申し訳ねぇけどここを退いてもらえないかな、危ないから。」
「ここの神社を……?どうしてです?確かにお客さんは来ないけどここだって立派な神社なのに。」
「さっきも言っただろう、宅地造成だ。ここの山を崩して新しい住宅地を作るんだよ。俺たちだってこんな所に神社があるなんて思いもしなかったんだ…もっとも、何があったとしても俺たちには解体しか命ぜられて無いけどな。」
神社を…解体……。
今までずっと神社を守り続けてきた彼女には到底信じられない言葉だった。
「そんなの、神様と私が許しません。いくら貴方達に悪意が無いとしても……。私は何としてでもこの神社を守ります。私はその為に生まれたのですから。」
「そんな事言ったって嬢ちゃん、もう時間がねぇんだよ。今に重機が木を切り倒しながら登ってくる。この神社の事は当然下見に来た奴が知ってるだろうからあんたが説得したところで変わらないだろうな……。下っ端の俺たちだけが知らされなかったってこった。」
「それなら、助けてくださいませんか、この神社の為に。なにせ貴方達はこの神社の存在を知らなかったのでしょう?助ける事だって……出来るはずです!」
「それは無理だ。」
男達は口々に呟いた。
「俺たちは雇われの身なんだよ。上が山を崩すって言うならそれに従わなくちゃならない。だから……お嬢ちゃんがこの神社を守り続けるつもりなら、俺たちや重機と戦って打ち負かす必要があるって事だ。そうすれば多分上の奴らも神社もろとも崩すような事はひとまず辞めるだろう。そんなに恐ろしく強い化け物が居るところにいきなりマンションなんて建てたくはないからな。」
男達に服従してその場を退くか、見たこともない重機と戦って勝つか。当然、彼女には神社を捨てるという考えはない。
「やります…貴方達を一人残らずこの神聖な山から追い出してみせます!神社を壊すなんて信じられない。」
「そうか、本当にやるのか……。相手が人間なら俺たちももっと考えた所だが、お嬢ちゃんどう見ても化け物だからな、殺したって罪にはなるまいよ。俺たちはあくまで神社を壊すまでだからな。しかし……こんなバラック小屋が神社とはねぇ。未だに信じられないよ……。」
間もなく工事が始まった。
男達は、狛犬似の化け物など見ていないかのように作業を進めている。そこに彼女はぶつかっていく。持ち前の馬鹿力で、神社を崩す者をひたすら攻撃していく。
蹴って、殴って、噛み付く。ただそれだけだ。たとえどんなに喚こうが、彼らの耳には届かない。その間にも、ボロボロのお社はどんどん崩されてゆくのである。
半ば絶望しかけた彼女は、ふと神社の外の方を見た。そこには、地道に石段を崩してゆく男と重機の姿があった。
『やめて、もうこれ以上神社を壊さないで……!』
彼女は、無我夢中で石段へと突進して行った。そして、重機に指示する一人の男を突き放した。彼女も反動で石段から足を踏み外し、男と共に石段の最下段まで落ちていった。
顔が血で濡れている。
狛犬は直ぐに意識を取り戻し、男の容態を確認した。まさか、男を殺すつもりなどありはしなかった。ただ夢中で、破壊を辞めさせたかった。それだけなのだ。
「大丈夫ですか!意識は!意識はありますか?どうか目を覚ましてください!」
必死で男の肩を叩き意識を取り戻させようとするが、相手は動かない。血塗れの身体で男を揺さぶり、声を張り上げる。身体を揺さぶるごとに、男の血と汗との間から、何ともいえない潮の香りがした。なんとかしなくては。彼女は神に仕える狛犬である。当然人を殺す訳にはいかない。もはや解体工事などどうでもよかった。
必死の介抱もむなしく、男の呼吸はどんどん浅くなっていった。石段の上に居る他の作業員は皆こちらを見下ろしたまま、何やら耳に道具を当てて会話をしている様だった。あそこまで転がり落ちればまず助からないと決めてかかっているのだろうか。何にせよ、彼らが降りてくることはなかった。
遠くからサイレンが聞こえてくる。血濡れの男はもう息をしていなかった。
狛犬が絶望したその時、ごうっと強い風が吹いた。風は山中を駆け巡り、辺りは砂埃で何も見えなくなった。狛犬はすぐに気がつき、大声で呼び掛けた。
「ああ神様!来てくださったのですか。私はこの通り人を殺めてしまいました。神社も護れず、こんな事までして、もう私は存在する資格もございません。しかしどうか、この男を甦らせてはくださいませんか!この男には何の罪もないのです!私はもうどうなってもよいのです。全ての罪を償います!地獄へも何処へでも堕としてください!だからどうか……。」
神に自分の尻拭いをさせるなど非常識極まりないのだが、それでも男を助ける為にはこうするしかなかった。
またいきなり強い風が吹いたかと思うと、辺りはもう全く見えなくなった。何故か意識が朦朧とする。
『神様……。申し訳ありません、こんな愚かな狛犬で申し訳ありません。』
消えゆく意識の中で、必死で神に謝った。
男は結局助かるのだろうか。どちらにせよ、自分は恐らく存在を消されるだろう。神社も護れず、人も殺めたとなれば、当然この世に存在する価値など無い。もう自分はどうなってもいい……。
『罪深き狛犬よ。』
ふと声がした。初めて聴く声。しかし、それはどこか懐かしい声でもあった。声は語る。
『貴方は大罪を犯した。』狛犬はゆっくりとうなずく。
『しかし、貴方は神社を護った。』
「護れてなどいません、神様。私は二度も神社を壊されたのです。一度は雷に、もう一度は人の手によって。さらに人を殺めてしまいました。言うなれば私は神社の穢れでございます。」
『そう思うのならば、一生をかけてその罪を償うのです。貴方はかつて人間になりたいと願った。神への願いを引き下げることは不可能。きっと償うのです。』
風が収まり、気がついた時には狛犬は山の入口に立たされていた。遠くに作業員の姿が見える。救急車が到着し、灰色の作業服を着た別の人間がわらわらと出てきて男を救助していた。他の作業員も降りてきて騒いでいる。間もなく救急車は出発し、作業員もやがて皆去っていった。
『この一生をかけて……きっと償ってみせます。』
狛犬は神社のあった方向に向きなおると、膝をつきこれでもかと頭を下げた。
さらさらと風が頬を撫でる。
やがてゆっくりと立ち上がり、神社の外の、見たことも無い景色の中へ足を踏み出した。
ゆくあてなどない。
彼女の居場所は唯一、あの神社だけであった。しかしそこにはもう居られない。贖罪の為に、その終わり無き一生を過ごすのだ。具体的に何をすればいいのか。男を探し出して謝罪すれば良いのか。分からない。分からないけれども確実に前に進まなくてはならないのだ。
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言葉で支配され、触れられるたびに、自分の知らなかった感情と快楽を知る。それは、上司としての誇りを壊すほどに甘く、逃れられないほどに深い。
だが、篠原の視線の奥に宿るのは、ただの欲望ではなかった。
そこには、ずっと榊だけを見つめ続けてきた、静かな執着がある。
「俺、前から思ってたんです。
あなたが誰かに“支配される”ところ、きっと綺麗だろうなって」
支配する側だったはずの男が、
支配されることで初めて“生きている”と感じてしまう――。
上司と部下、立場も理性も、すべてが絡み合うオフィスの夜。
秘密の扉を開けた榊は、もう戻れない。
快楽に溺れるその瞬間まで、彼を待つのは破滅か、それとも救いか。
――これは、ひとりの上司が“愛”という名の支配に沈んでいく物語。
同じアパートに住む年上未亡人美女は甘すぎる。
ピコサイクス
青春
大学生の翔太は、一人暮らしを始めたばかり。
真下の階に住むのは、落ち着いた色気と優しさを併せ持つ大人の女性・水無瀬紗夜。
引っ越しの挨拶で出会った瞬間、翔太は心を奪われてしまう。
偶然にもアルバイト先のスーパーで再会した彼女は、翔太をすぐに採用し、温かく仕事を教えてくれる存在だった。
ある日の仕事帰り、ふたりで過ごす時間が増えていき――そして気づけば紗夜の部屋でご飯をご馳走になるほど親密に。
優しくて穏やかで――その色気に触れるたび、翔太の心は揺れていく。
大人の女性と大学生、甘くちょっぴり刺激的な同居生活(?)がはじまる。
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