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第二章 蒜壺一族と那美 1
しおりを挟むその昔、そこを訪れた人々はその異様な光景に、心の奥底から苦悶し、絶望感に苛まされた。
腐った魚を思わせるような濁りきった空気と、乾燥し、苔すら生えていない荒涼とした大地が人の嫌悪感を最大限まで引き上げていた。大地に散らばる切り立った断崖絶壁からは、猛り狂った風が吹き荒れるのみ。時おり地に突き刺す雷電が、薄暗いしじまを激しく照らし出し、雷電とともに降り出した冷たい雨が通り過ぎると、雲海ににも似た霧が、辺りに立ちこめる。地に蠢くものはおのれと、そこに住んでいると思われる奇怪な姿の化け物たちだけだった。
ここには希望はない。この地に落ちた人々の未来には、死よりも恐ろしい憎しみに満ちた狂気が横たわり、人々は発狂しながら朽ちて行った。
伽羅(きゃら)たち蒜壷一族は、その地を極異界と呼んでいた。現界でも幽現界でも、幽界でもない、極異界には、蒜壷一族が棲んでいる。数年に一度、現界から人間が迷い込んでくることがあるが、生き残った者などいない。
この地の墜ち、発狂した人々は、狂気のはざまに挟まれながら、蒜壷一族の餌になるだけだった。
那美との戦いを終えた伽羅と琥耶姫(くやひ)は、極異界にある沼のほとりに腰を下ろしていた。
伽羅が言う。
「琥耶姫よ。あてずっぽうに那美を襲ったところで、十種神宝は手に入らんぞ」
「あらっ、あてずっぽうじゃあないわよ。俄蔵山に那美をおびき寄せたのは、それなりに考えがあってのこと」
「考えがあってのこと? 俄蔵山には、ここ極異界につながる異空間が、いたるところにあるからか。ふん、伯楠(はくなん)でも呼び出して、那美に奇術でも見せる気だったのか」
「からかうな。わらわにそんな趣味などないわ」
伯楠とは、その昔、俄蔵山に棲んでいたといわれる仙人だ。年に二、三度、山から麓の村に降り、人々をたぶらかしていたと伝えられている。
「伯楠は、蒜壷の中でも、ほとんど戦闘力がない身分の低い、とるに足らないモノ。それゆえ、餓鬼もあやつの元には集まらず、あやつは、その憂さをはらすために、いつも人間どもをからかっては、その後で、食していた。あれほど洪暫さまが注意を促したのにもかかわらず、頻繁に下界に降り、その正体を人間どもに知られそうになってしまった愚かな奴よ」
伽羅が言葉を続ける。
「それゆえ、俺たち蒜壷のモノが拠り所とする極異界を追われ、いまでは、どこにいるのか分からない……。琥耶姫……。おまえも伯楠と同じような道を歩むというのか。同じように、人間どもをたぶらかしたいか」
「何を言う。わらわは伯楠とは違う。大昔のバカ者と、わらわを一緒にするな」
室緒がネットで調べた伯楠の記述が載せられていた文献は、平安時代のモノだった。ということは、蒜壷一族は平安時代にはすでに、その姿を現世に現していたのだ。
「わらわは、わらわたちの拠り所、極異界に、那美を誘い込めれば、那美をしとめることなど簡単な事だと思ったのじゃ。だから、わらわは雁黄から連絡を受け取った時、雁黄に俄蔵山の廃寺で待つようにいったまでのこと」
と、琥耶姫が言うと、
「廃寺まで那美を誘い出し、そのまま。ここ極異界まで引きずり込もうとしたわけか。引きずり込んだところで、あの那美がおとなしく口を割ると思うか。おとなしく十種神宝のことを言うと思うのか」
と、伽羅が応えた。
「癒士(いやしし)であるわらわを馬鹿にするではない。わらわの術で、那美の口などたやすく割らせてみせようぞ」
「おまえの術!? 確かにおまえの術と薬は、人はおろか、俺たち蒜壷の者たちには有効だろうよ。けど、那美に対してはどうかな?」
「効かないと言うのか」
「いいか、琥耶姫。よく聞け。俺たちは十種神宝(とくさのしんぽう)を那美が持っているという情報を得た。俺たちの運命を変えるかも知れないという十種神宝が、那美の手の中にあるということをな。が、十種神宝がどういう形のモノか、那美がどのようにしまいこんでいるのか、まるでわかっていない」
「古来から伝わっている文献の絵図や言い伝えは、役にたたないというのか。わらわたちや人間どもは、それを頼りに十種神宝を探し続けてきたはず」
十種神宝を示したと思われる絵図は、垂加神道系の書物や、神社の護符などで人々に知られている。蒜壷一族のものも、それが十種神宝ではないかと信じてきた。
だが……。
「あの絵図は、物部(もののべ)一族が蘇我(そが)一族に滅ぼされる前に描かれた絵図にすぎん。物部が滅亡した後、十種神宝は数百年の時を経て、那美の手に渡った。俺はそう思っている。もっとも物部氏に伝わってきた十種神宝が那美の持っているものと同じものだと仮定しての話だがな」
「同じ物ではない? どういうことだ。那美の持っている者は、いにしえより伝わっている十種神宝とは違うものなのかえ」
「おまえ、気づかなかったのか。那美は十種神宝らしきものを持たない状態で、十種神宝の力をつかっていた」
那美は、伽羅たちとの戦闘時に十種神宝を使用していた。
十種神宝の一つ、八握剣(やつかのつるぎ)を光破剣と呼び、その剣で数十匹の餓鬼を葬り去り、すべての魔を退けると言う品物比礼(クサグサノモノノヒレ)を使い、雁黄の愛犬であった黒堕を焼殺し、足玉(たるたま)といわれる十種神宝の力で空を飛び、食吐と呼ばれる巨大な怪物を倒したのだ。
「ならば、わらわの術で那美の口を割らせよい。わらわの術で那美の口を割らせ、十種神宝のありかを聴き出せばいいではないか」
「十種神宝がどんな形でそこにあるのかもわからず、那美に近づくというのか。笑止。十種神宝がどのようなものであるか聞き出す前に、黒堕みたいに焼殺されるだろうよ」
果敢にも那美の首筋に噛みついた黒堕。黒堕の牙は那美には届かなかった。愛する主人雁黄の前で黒堕の首は、真っ黒な煤と化してしまったのだ。
「那美は常に十種神宝を身に付けている。身に付けているからこそ、戦闘状態でも自由自在に十種神宝を操れるのだ……。そこでだな、琥耶姫。おまえの持っている薬を使いたい」
伽羅は沼のほとりに置かれたある巨岩に眼を向けた。
「オイ、いつまでも、そこに隠れていないで出て来いよ」
巨岩の陰から出てきたのは、二本足で歩く奇怪な姿のヒキガエルだった。ヒキガエルは、泣いているのか嗤っているのか、分からない奇妙な声を出して、伽羅たちの方に向かって歩いてきた。
「惟三(これぞう)……。おまえ、いつからここに……」
琥耶姫は、惟三の突然の出現に戸惑っていた。惟三は、まったくその存在を感じさせていなかった。絶えず辺りに気を配り、神経を研ぎ澄ませている琥耶姫にとって、惟三の現れ方は、まさしく脅威だった。
「惟三は、気配を消し、闇にまぎれて諜報活動を得意とする蒜壷だ。が、ヒキガエルの姿では、よういに人間界に潜り込むことはできん」
伽羅がそう言うと、琥耶姫の顔に狼狽の色が走った。
「まさか……。惟三にわらわが大事にしている化瑠魂(かりゅうこん)を分け与えろと!?」
琥耶姫が持つ化瑠魂は、人間に化身できない蒜壷のものを、人に化身させることができる粒上の秘薬だ。人に化身できない癒士である琥耶姫が、苦心して造りあげた秘薬である。
「その、まさかだ。琥耶姫よ。おまえの持っている化瑠魂を数粒、惟三に分け与えてくれんか」
「い、嫌じゃ。化瑠魂は、わらわがわらわのためだけに造った秘薬。惟三になど渡すことなどできぬ」
琥耶姫は、醜いヒキガエルの姿の惟三に軽蔑の眼差しを送った。
惟三は、いつも陰に隠れ、仲間の動向をあれこれ詮索する男だ。そんな、嫌らしい男に大事な化瑠魂を与えるなど、とんでもない。
「ふん、俺や死んでいった雁黄は人に化身できるが、おまえは薬の力なしじゃあ人に化身できないからな」
伽羅が琥耶姫を、挑発する。
「黙らっしゃい! いつか、わらわもおまえたちのように秘薬なしでも、人に化身してみせるわ」
琥耶姫は、地団太を踏んで悔しがった。
蒜壷一族の中には、羅刹や食吐のような本能だけで生きている餓鬼もいれば、伽羅や琥耶姫、雁黄や惟三みたいに理性を働かせて論理的に行動をする蒜壷もいる。
だが、論理的に行動をする蒜壷たちの中にも、人に化身できない蒜壷も存在するのだ。琥耶姫や惟三は、おのれの力のみでは、人に化身できない。
「琥耶姫よ。冷静になれよ。誰もおまえの持っている化瑠魂、すべてを惟三に分け与えよと、言ってはいない。化瑠魂一粒で三日間、人間に化身できるんだろう。一粒でいい。惟三は三日もあれば、十種神宝の秘密をさぐってくるさ」
「化瑠魂一粒造るのに、どれだけ時間と労力がかかると思っているのよ。二ヶ月……、二ヶ月、蔵に籠って作業をしなけりゃならないのじゃ」
「だから、普段は化瑠魂を使わず、トカゲ顔でいるわけか」
「だまらっしゃい!」
琥耶姫は、伽羅を睨み付けた。
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