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01 怪盗シグマ
しおりを挟むあと何日眠らなければ
あと何日食べなければ
死ぬことが出来るだろうか。
そいつが現れたのは、僕がそんなことを考えていた夜だった。
「怪盗シグマ、参上。なんつってな」
薄緑の髪にシルクハットを乗せた紳士風の男は、そんな軽口を叩きながら僕の部屋へ侵入してきた。
「怪…盗?」
おかしい。
この部屋へそんな簡単に部外者が侵入出来るはずない。
見張りは?
鍵は?
いや、それよりも
「此処に盗むようなモノなんて無いけど」
「いーや?」
怪盗は不敵に笑いながら屈み、僕と視線を合わせてきた。
「俺は君を盗みにきたんや」
兄上そっくりな男が王宮に現れたのは、僕が九歳の時。
一年ほど前のことだ。
自分が本物の王太子だ!なんてそんな馬鹿げた主張が何故か通ってしまうほど、王宮内部は既に侵略されていた。
その男は『青の王太子』と呼ばれ、元々の王太子のことを『赤の王太子』と呼んで人々は区別した。
赤の王太子は早々に王宮を脱出して行方を眩ませ、取り残された僕は青の王太子に毎日甚振られる。
元々僕は冷遇されていて力が無く、護ってくれる者など王宮には誰もいなかった。
それに、母上を盾に取られていた。
僕が言うことを聞かないと代わりに母上が酷い目に遭わされると。
僕に優しくない人だったが、それでも僕は母上を好きだった。
一度母上が暴力を振るわれている場面を見せられ「言うことを聞くからやめて」と泣いて懇願した。
それから僕は
したくもない行為をさせられ
言いたくもない台詞を言わされ
喜ぶフリも、強請る演技も、張り付けた笑顔も、全部全部
母上を護るためだったのに。
結局、その母上は黒幕の仲間だった。
「君のその瞳は『魅了眼』ってヤツやな」
「みりょう…がん?」
「精神的に作用する媚薬みたいなモンやな。見つめられると君のことが好きで好きで堪らなくなる。…とはいえ」
「その『好き』っちゅうのは、君の欲しい感情と違うんやろうけどな」
愛されなかった僕を憐れむような目で見つめ、淡々と語る。
それは人の欲望を刺激する、と怪盗は教えてくれた。
「君を手に入れるために、何でも従うようになる。君が手に入らないことは重々承知の上で」
「…何でも」
わかる。
一度使ったから。
母上に…
死ねと命令した。
母上は公衆の面前で自殺した。
「要らない」
抉り取ってやりたい、と指を添える。
とはいえ、勇気のない僕にそんな芸当は出来ない。
死にたいと望んでいながらも生き永らえてしまっている弱い僕には。
「僕を殺して瞳だけ持っていけばいい。僕はこんなの要らない」
「わかってねぇな、お前」
ガッと顎を掴まれ脅すような声音で凄まれる。
「あの青、お前の魅了眼に酔い散らかしてるやないかい。お前の今の境遇は全部お前のせいなんやで?」
「…」
それは考えたことなかった、と呆然とする。
いつだって自分は被害者で、あの青の王太子は加害者側だと思っていたから。
「僕の…せい…?」
「お前は此処に居たらあかん。俺が連れ出して教育したるさかい」
いつの間にか紳士に見えた怪盗の呼び方が『君』から『お前』に変わり、態度も横柄なモノになっていた。
僕のことを第二王子ジョシュア・リット・クラウンだと間違いなく知っているはずなのに、何故こんなにも偉そうなのか。
「連れ出すって…」
「ああ、了承を取る気はないんで。お構いなく」
薬剤がしみ込んだ布で鼻口を覆われ、秒で意識が遠のく。
そして俺の地獄の幼少期、王宮編が終了したのだった。
目が覚めた時にはふかふかのベッドに寝かされ、腕には点滴の針が差し込まれていた。
もう少しで死ねると思ったのに、という絶望に襲われて乱暴に針を引き抜く。
「おはよーさん。思ったより元気やな」
呑気な声が意外と近くから聞こえ驚く。
ベッド脇にあの怪盗の緑髪が居たことに気付き、僕は力いっぱい睨みつけてやった。
「死にたかったのに…!」
「無理やな」
「生きていたくなんかないのに!」
「どんな手を使ってでも生かす」
「どうしてっ!?」
自分でも驚くぐらいの大声が出た。
全ての感情が死んで、気力も何もかも無くなったと思っていたのに。
緑髪は黙ってこちらに手を伸ばしてきた。
信頼できる人間など皆無の生活をしていた僕は身体を震わせて怯えるが、構わずに両手で頬を包み込む。
「どうしてやろな。自分からこんな面倒事を抱え込むなんてホンマ阿保やで」
「さ…わるな」
「せやけどこんな子供が一番の貧乏くじ引かされてボロボロにされてんの、放っておけんやろ」
「僕に触るな」
「お前のことは俺が引き受けた」
「…」
「俺が引き受けた。安心しろ」
意味がわからない。
わかるのは、頬を包む手が温かいということだけ。
「お前は俺が護ったる。もう大丈夫だから安心しろ」
人を信じるのが怖かった僕は、この時に何も言うことが出来なかったけれど。
その言葉はちゃんと心に響いていて。
この人が裏切ったら今度こそ心が壊れる、なんて
そんな台詞はもう信じてしまったから出てくるものなのに。
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