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02 占い師ラムダ
しおりを挟むシグマにはラムダという相棒のような存在がいた。
腰が曲がっていて杖をついた年寄りの婆だ。
常に水晶玉を持ち歩いていて、占いを生業としているらしい。
シグマが僕を盗みに来たのも、ラムダから天啓のように告げられたのがきっかけらしい。
『お前が人生を懸けて護るべき子供がいる』と。
元々子供が不当な暴力に遭っているのを見過ごせない性分であり、保護するのも珍しくなかったが、僕のことを調べて流石に尻込みしたらしい。
『お前なら出来る。寧ろ、お前にしか出来ん』
そんな言葉で背を押されては、腹を決めるしかなかった、と。
そんなエピソードを聞き、僕も一度だけ未来を占ってもらったことがあるが、ラムダは驚いた顔をするだけで何も教えてくれなかった。
だから、結局占い師としてのどうこうはよくわからないのだが。
「ジョシュア、ちゃんと食べろ」
「…食べたよ」
「もっと食べろ。それからちゃんと寝ろ」
「…ベッドで横にはなっている」
別に反抗しているわけじゃない。
身体が、心が、拒絶するのだ。
生きたくないと。
「ラムダ」
そんな時にシグマは決まってそう呟き、僕は意識を失う。
そして次に気付いた時には言われていたことを実行出来ているのだ。
食事も、睡眠も、入浴も、運動も。
それがラムダの異能の『憑依』で、僕の身体を乗っ取って動かしていると知ったのは随分経ってからのことだった。
この世界には異能という特殊能力を持つ人間がいる。
僕の『魅了眼』もおそらく異能だろう。
その昔、この聖大陸が一つに統一されていた大国リットランドの英雄王リットがその異能の始祖だと言われている。
三つに分かれた国のそれぞれの王族は勿論リットの血筋だが、その血脈の広がりは追い切れるものでなく、平民の中にもリットの子孫はいる。
親に異能がなくとも子にひょっこり授かることがあり、異能があるのならと貴族へ迎えられたりもする。
つまり異能は高貴な血筋の証明であり、王族貴族がその嫡子を決めるときに異能の有無は大きな判断材料の一つだ。
僕も異能持ちとして王太子になれるはずだったのだ。
それなのに何故、冷遇されたのか。
今となってはもう、わからない。
僕の身体は順調に回復した。
それはラムダのお陰だと言っても良い。
心身は一体であり、身体の回復は心の回復にも繋がる。
身体が動けるようになるにつれ、僕の心も少しずつ動くようになっていった。
「ラムダ、僕の身体で一体何を食べたの?」
「春のイチゴフェア、ケーキバイキングじゃ」
「うっ…、またそんな栄養の欠片もないものを」
「何を言う、甘いものは心の栄養じゃぞ」
「その栄養は全部ラムダに行って、僕に残されるのは胃もたれだけなんだよ」
「そうか、もっと胃を鍛える必要があるのう」
「シグマ、またラムダが僕の身体で好き勝手なことを~」
甘えることも少しずつ覚えてきた。
いつでもシグマは優しい目をして僕の頭を撫でてくれる。
「婆はジョシュアの若い身体が羨ましいんや。たまには許してやれ」
書類の山に囲まれているシグマはベンジャミン・キングスターという表の顔があり、この国の流通を牛耳っている商会のオーナーである。
この王都の邸もベンジャミンの所有物であり、貴族ではないものの下手な貴族よりよっぽど金も権力もあるらしい。
だがその分いつも多忙で、この邸の使用人曰く、主人がこんなに長く邸に滞在しているのは珍しいとのこと。
「たまにじゃないよ。先週だって焼肉食べ放題で」
「そういや随分とぽっちゃりしてきたよな」
そう言ってシグマは僕の両頬をプニプニと摘まんできた。
確かに、此処へ来た一か月ほど前のガリガリに比べたら、今は標準よりも少し痩せているくらいだ。
それでもまだ、ぽっちゃりではないだろうと思うが。
「外出出来るようにまで回復したのは良かったけど、このままじゃマズイよな。変装を考えんと」
「変装?」
「お前、目立つからな~」
じっとシグマに見つめられ、ああそうかと思い出す。
この瞳、オッドアイだったと。
一応、僕は誘拐されたことになっているのだから隠さなければならない。
兄上は母上譲りの金髪碧眼で、僕はそれが羨ましかった。
母上が優しくしてくれないのは、この片方の瞳が自分とは違う金色の瞳だからだろう、と。
僕は前髪を伸ばして瞳を隠すようにしていたが、母上が死んでからはもうどうでもよくなっていた。
シグマが髪を切り揃えてくれて、視界は広くなったけれど…。
「また前髪、伸ばす?」
「いや、目ぇ悪くなるやろ。出かける時だけでええ。眼帯で片方隠すか」
「眼帯」
「あと、瞳だけやなくてもうちょっと…」
シグマは暫く一人で考え込み、突然「あ」と声をあげる。
「いいこと考えついた」
この時のシグマはものすごく悪い顔をしていた。
「シグマ!僕、嫌だよ、こんな格好!」
「ヒッヒッヒ、似合っとるぞジョシュア」
「ちゃうちゃう、『僕』じゃなくて『私』や」
フリル満載ワンピースを着せられた僕は当然文句を言ったが、それは誰にも届かなかった。
既に正体を隠す為の変装は女装と決定しており、一人称の呼び方まで窘められる。
「う…。わ、私?」
「そうそう。髪色はウィッグで誤魔化せるとして、あとは…偽名やな」
「偽名」
「何か希望あるか?」
訊ねられ、このまま黙っていては可愛い女の子の名前になってしまうと焦る。
「ええと…。ジョ…、ジョシ…、ジョーカーで」
「ジョーカー」
シグマが復唱し「いいやん」と笑う。
この日を境に、僕は女の子になった。
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