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03 人狼公シルバ
しおりを挟む女装生活が始まって数週間。
シグマが何を目指していたのか知らないが、僕は何処へ出しても恥ずかしくないような貴族の令嬢へと仕上げられた。
元々王子教育で基本的なマナーは教え込まれていたので、そう時間はかからなかったが。
姿勢、仕草、表情、ダンスまでも。
何の意味があるのかわからない教育に辟易としてきた頃、僕はシグマに外へと連れ出された。
「会わせたい相手がいる」
普段着とは違う豪華なドレスを着せられ、シグマ自身も質の良さそうなスーツに身を包んでいる。
きっと大事なことなのだろう、と締め付けられるコルセットに文句は言わないで大人しく従う。
「これから先、どうするのかはお前が決めてええ。だが、もしもこの国で生きようと思うのなら、この相手だけは落としとけ」
連れてこられたのはフェン公爵家。
人狼公の邸だった。
人狼。
この国の守り神フェンリルが人間と交わり、その子孫だと言われている獣人の一族だ。
その当主のことを人は『人狼公』と呼ぶ。
英雄王リットが健在だった頃、その傍らには三体の守り神がいた。
陸のフェンリルと空のガルーダと海のリヴァイアサン。
リット王亡き後、それぞれの守り神がリットの血筋の中で主を決め、それぞれの国を建てた。
フェンリルはクラウン国、ガルーダはステラ国、リヴァイアサンはアクア国。
人と交わったのはフェンリルだけでなく、ステラ国には天使族、マリン国には人魚族がいるわけなのだがその話は今は置いておく。
フェンリルはクラウン国の王族を深く愛し、未来永劫護ると誓いを立てた。
その為、人狼一族はクラウン国の王族を本能で認識するという。
例え相手が身分を隠していたとしても本能で『護るべき相手』だと感じ取ってしまい、敵対することができない。
それが何ともロマンチックだと国民の中では大人気であり、王族の権威が地に落ちた今でも支持され続けているのはこの人狼公が健在だからだとも言える。
つまり、実質この国で王よりも人気が高く権力を持っている人物である。
「ようこそいらした、殿下」
狼の要素を微塵も感じさせない穏やかな笑みを浮かべた初老の当主は、快く僕たちを迎え入れてくれた。
シルバ・フェン公爵。
現、人狼公である。
「公爵」
ドレスの裾を掴み、優雅にカーテシーをして挨拶を返す。
僕の変わりようにシルバは少しだけ目を瞠り、然しながらそこに触れることはなかった。
「ベンジャミン殿。息子の婚約者候補としての釣書が届きましたが…」
「お遊びですやん、公爵。それは単なるカモフラージュや」
「うっかり息子の目に留まってしまい、珍しく乗り気だったので困ってしまいました」
「…」
勝手になにをしているのかとシグマを横目で睨みつける。
シグマは悪びれの欠片もない顔で「今日、令息はどちらへ?」とシルバに訊ねた。
「急遽、公爵領への用事で出かけさせました。ややこしいことにしたくないので」
「おっと、それは残念」
「息子にも『王族には関わるな』と言い含めてあります。巻き込まないでいただきたい」
既に取り付く島もない。
ここで改めて話をするまでもなく、僕は王宮で一度保護を断られていた。
「以前にもお話した通り、私はジョシュア殿下を保護することが出来ない。フェン公爵家としてこの内戦には口を出さないことに決めたのです」
「勿論、覚えている」
『今の王族を護ろうとは思えない』
そう言い放ったシルバは、とても哀しそうな顔をしていた。
「我々人狼は王族と敵対することが出来ないが、護らなければならないという制約もない。滅びるのならばそれを見届けるのみ」
「自業自得で滅びゆく王族に、貴方が責任を負う義務もない。貴方のしたいようにすればいい。…ただ」
ただ、僕はシルバに言わなければならない言葉があった。
きっと僕以外の王族は誰も言っていないだろう言葉を。
「今までこの国の為によく尽くしてくれた。感謝する」
顔を上げ、胸を張り、凛とした声で堂々と。
王族として、僕はシルバへ労いの言葉をかけた。
「…っ」
公爵が弾かれたように椅子から立ち上がり、僕の前で膝をついて畏まる。
ここに来て初めて臣下の礼を取られ、僕はじっとその姿を見つめた。
「殿下…、ジョシュア殿下。私は一体何を見ていたのでしょうか。心の弱い王子だという噂に惑わされて、貴方を見誤っていたのかもしれません」
「…」
「貴方の為ならばこのシルバ、全力で…」
「やめろ」
最後まで言わせずに制止する。
シルバが僕の何処に何を見出したのかは知らないが、僕の望みはそれではなかった。
「貴方に頼まれたって私は立ち上がらない。この国を去り、内戦が終わるまで逃げ続ける」
『貴方に頼まれたって』
この一瞬で形勢は逆転していた。
そもそもこちらが保護を求めて訪ねてきたのだが、いつの間にかシルバから請われるような構図になっている。
僕は冷静にそれを断った。
シルバは王宮で一度僕を見捨てたのだ。
どんなに望まれても、その事実を無かったことになど出来ない。
「ジョシュア殿下…、お待ちください。私は貴方を護って」
「やめろ、と私は言った」
二度も言わせるなという圧をかけ、公爵を黙らせる。
公爵は臣下の礼を崩せないまま、何かを後悔するように荒い息を吐いていた。
「これから先、王族に関わることなく家族を大切にするが良い、公爵」
「殿下」
「帰るぞ」
引き留める言葉にも耳を貸さず、シグマを促して部屋を出ていく。
来た時とは逆で、シグマが僕の従者であるかのように後ろに付き従った。
「せっかく落としたのに」
「私の好きにすればいいと言った」
「せやけど、なぁ。青から逃げるのに此処より安全な場所なんか無いで?」
名残惜しそうに公爵邸を振り返りつつ車に乗り込む。
シグマの算段では養子として僕のことを公爵家へ捻じ込み、逃げも隠れもする必要なく青が手出し出来ないようにするつもりだったらしい。
もしくは令息の婚約者として、だろうか。
シグマのことだからアレもどこまで冗談だったのかわからないが、令嬢教育を施された意味が此処にきて活きてくるのは偶然か。
「母上が亡くなった時点で心はこの国から離れた。寧ろ、これ以上この国には居たくない」
「…」
何やら物言いたげな顔で黙り込んだシグマが間を置いて「そうか」と頷く。
僕の魅了眼は公表されておらず母上は自死とされているが、きっとシグマは真相を知っているのだろう。
「わかりましたよ、国外逃亡やな。お姫様のお気に召すまま」
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