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僕の我儘で傲慢な婚約者
僕の婚約者は我儘で傲慢だ。
一日に一度は「わたくしに五分…いいえ三分でいいから時間を頂戴」と僕の執務室に乗り込んでくる。
大事な話かと思えばどうでも良さそうなくだらない話。
「それでね、わたくし思ったんですの。これを貴方と一緒に食べられたら美味しいんじゃないかって」
「…三分経ちました。出て行ってください」
要求を受け入れたのに帰りはいつも不満顔。
歓迎されていないのはわかっているはずなのに、それでも懲りずにまた現れる。
似たようなやりとりを繰り返すたび、僕は彼女が嫌いになっていった。
そして、ある日とうとう僕はキレてしまった。
「いい加減にしてくれ!忙しいのだと見ればわかるだろうっ?これ以上僕を煩わせないでくれ!!!」
怒鳴りつけた時でさえ僕は書類を見つめていて、彼女がどんな顔をしているのか見ようとさえしなかった。
「…ごめん、なさい」
か細く謝罪した彼女が僕の執務室から去り、その日を境に現れなくなったが、僕はそれで良かったと安堵した。
彼女と顔を合わせなくなって三年。
僕はふと、彼女のことを思い出した。
来春からは王都学園へ一緒に通うことになる。
成績順にクラス分けがされるということだが、最底辺のCクラスだったりはしないだろうな。
ちゃんと勉強するように釘を刺しておけばよかった。
学園ではベタベタ纏わりついてこないように手紙を書いておいた方がいいのだろうか。
いや、余計なことをするとまた以前のように執務を邪魔される生活になってしまうかもしれない。
放っておくのが一番だ。
なんだかんだで結局、思い出したものの何の行動も取ることなく春を迎えた。
約束もしなかったので迎えに行くこともしなかった入学式。
そういえば三年も会っていなくて、そもそもそれ以前に顔をしっかり見たことがなくて、どこにいるのかもわからず、彼女に会うことはなかった。
僕のクラスはAで、同じクラスに第二王子や聖女認定された平民、騎士団長の息子などもいた。
面倒だ、というのが正直な感想だ。
僕は公爵家の嫡男。派閥には最大限に気を遣わなければならない。
この第二王子の派閥、出来れば近寄りたくないのだが、向こうからはグイグイ近寄ってくる。
「カイン、お前には婚約者がいるのか?」
平民聖女の勉強を見てやってくれという王子の頼みを断る言い訳として口に出した言葉に、意外だと目を瞠って食いついてくる。
「いますよ。この学園に通っています」
「ええ?…だってカイン様、いつも一人でいらっしゃるじゃない」
「名前は?どこの家の娘だ?」
真偽を確かめるつもりなのか、詳細を訊ねてくる。
嘘ではないのだから隠す必要もない、と僕は正直に答えた。
「ハロルドワーク伯爵家のエリーです」
「…ハロルドワーク伯爵家?」
僕の返答に王子が顔を顰める。
「没落したハズだが…?」
「え?」
僕は目を瞬かせ、訊き返す。
没落?…そんなハズがない。
もしそうだとしたら僕の耳に入らないわけがない。
「ご冗談を」
「いや、本当に。三年前の大雨で大きな災害が起こっただろう?その影響を大きく受けたのがハロルドワーク伯爵領だ。それで領地運営が立ち行かなくなって、爵位返上したのが昨年の話。たしか奥方のキサラギ子爵を頼り、子息令嬢は養子に入ったと記憶しているが」
キサラギ子爵に…そうか。平民落ちでないなら婚約は継続しているのかもしれないな。
婚約解消されていないのなら、僕の耳に入ってこないのも仕方ない。
だって関係ないことだから。
「だが、令嬢の名はエリーとかではなかったような…」
「ええ、ハロルドワーク伯爵令嬢の名は確か、アリスティアでした」
王子の側近のような立ち位置の騎士団長息子の発言で、ああそうだったと思い出す。
「そうです。それで愛称でアリーと呼んでいるんです」
「お前、今エリーと言っていたよな…?」
うわ、と王子にドン引きされる。
平民聖女も騎士団長息子も同様だ。
婚約者の家が没落しても知らないというのは流石に引いても仕方がない。
ちゃんと報告しろと文句を言っておかなければ。
「アリスティアちゃんなら同じクラスですよ。でも婚約者がいるなんて話、聞いたことないですけれど」
「政略なんでね。ドライな関係ですよ」
同じAクラスだったのか、と教室を見渡す。
まもなく次の授業が始まるタイミングでほぼ全ての生徒が席に着いていたが、僕には誰がアリスティアなのか見分けがつかなかった。
「セイラ、アリスティアはどれだ?」
こっそり平民聖女に耳打ちするが、顔もわからないのだと察したのかセイラは冷たい目を僕に向けてきた。
「今日はお休みですよ」
ならばまた明日訊こうと思ったのだが、それ以降平民聖女が僕に近付いてこなくなり、訊くことが出来なくなってしまった。
婚約者がいようといまいと、僕の生活は変わらない。
僕は勉強して、帰宅して、執務をする。
公爵家の執務は年を追うごとに増えていき、僕の自由な時間は全く取れない。
だからアリスティアがどうなったのか、どうなっているのか、確認する時間などなかった。
『五分、いいえ三分でいいから』
アリスティアに会うたびに繰り返されたフレーズが頭を過ぎり、ふと手を止めた。
婚約者の為に一日のたった三分を捧げる。
それがそんなにも我儘で傲慢な要求だっただろうか。
その三分が僕にどれほどの負担をかけただろうか。
「…」
そのたった三分間でさえ、僕は誠実でなかった。
顔も見なかった。話も聞かなかった。
彼女がどんな気持ちで会いに来ていたか、察することさえ…
僕はインクが垂れそうだったペンを仕舞い、椅子から立ち上がった。
「すでに婚約は解消されています」
優雅に紅茶を飲む彼女は、僕の知っているアリスティアではなかった。
いや、僕の知っているアリスティアなんて、そもそもいない。
僕はアリスティアのことなんて、何も知ろうとはしなかったのだから。
「そうか」
「今日は何をしにいらっしゃったのですか?」
冷たく訊ねられ、テーブルに素っ気なく放られた花束を見つめる。
「謝罪を…しようと思って」
「わかりました、受け入れますわ。お話は以上で?」
「アリス…ティア」
「もう婚約者ではありませんので、わたくしのことはキサラギ子爵令嬢とお呼びくださいな」
喘ぐように名を呼ぶが冷たくあしらわれる。
「正直に言いますと、婚約が解消されてホッとしていますの。わたくし、あのまま婚姻しても幸せにはなれなかったと思いますから」
「それは…すまない」
「謝罪はもう結構ですわ。身分差のある政略結婚などそういうものですもの。わたくしが勝手に夢を見ていただけですわ」
あの日、あの最後の日、彼女は僕に何を伝えようとしたのだろうか。
ハロルドワーク伯爵家が没落の一途を辿ることとなり、僕に助けを求めに来ていたのかもしれない。
婚約が解消されることとなり、別れの言葉を言いに来ていたのかもしれない。
僕は聞かなかった。聞こうとしなかった。
「僕が子供だった。何でも許されると思っていた」
やり直そうと言えるほど、築けたものなどない。
関係はまだ始まってさえいなかったのだから。
「我儘で傲慢だったのは僕の方だった。すまなかった」
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