ボクとユキ、緘黙症の聲。

蒼井瑠水

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緘黙症

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 レモンがパッケージになってる牛乳、レモン牛乳を飲むひとみは僕の机を占領して弁当箱を広げていやがる。
「なんで僕の机で食べるの?狭いんだけど」
 コンビニで買ったサンドイッチを手に持つ僕はそう抗議する。
 しかし、それはむなしく、
「あれ~?あたしの告白は拒否ってあんな変な女の告白を受け入れた奴に何の権利があるのかな~?」
「ぐっ」
 むなしく終わる。ちっ。
 腹いせにサンドイッチを口に詰め込み、咀嚼。
 ごくんっ。
 そして次の獲物をバッグから取り出した。カスタードホイップクリームパン。食べると至福のひと時を味わえる、そんな絶品の一品。
「よこせっ」
「あっ」
 がしっ。菓子パンの袋が悲鳴を上げて僕の手から遠ざかっていく。ああ~、僕の獲物が~……。 
 ひとみの手に渡ったその菓子パンはおもむろに顔を出し、輪郭を次々に失っていく。
 バクバクッ、もふもふ。ぺろり。
 でっかい一口をたった四回で終わらせ、菓子パンはひとみの胃に収まった。
 ……死なせてしまった。僕の手で喰い殺したかったのに。
「南無三」
 死んでいってしまった我がカスタードホイップクリームパンに祈りを捧げていると、ひとみは怪訝な顔をする。
 まっ、当然の反応か。
「いや、君の胸を拝んでただけだよ」
 発育の栄養になってクリームパンの死が無駄にならないように。そう茶化すと、
「こんのっ!!」
 右ストレートが飛んでくる。
「おっと」
 回避。予測済みである。ーーと思いきや左アッパーが待ち構えてた。
 ごすっ。
「いでっ」
 手加減気味だった。これはありがたい。今日のひとみ様はご機嫌のようだ。ラッキー。
「もうっ、ほんとあんたはヘンタイよね。他の人に言ったら通報されるからね」
「大丈夫。君にしか言わないから」
「……あんたのたまっころにシャーペン突き刺していい?」
 それよりコンパスの針がいいかな?優しい笑顔を湛えてペンケースを取り出すひとみ。
「申し訳ございませんでした。すみません」
「よろしい」
 腕を組み、ふんすと息を吐くひとみに僕はちょっと笑ってしまう。
 ふふふっ。
「なに?どうしたの?」
「いや、このやりとりが板についてきたな~って」
「……そうね、あたし達、付き合い長いもんね」
 ちょっとしんみりした空気になる。なんだか気まずいな。どうしたもんか。
 この空気を払拭するべく口を開く。でもなかなか言葉が思い浮かばない。言の葉が生い茂らない。
 結局状況を変えたのは彼女だった。彼女がタコのウインナーを箸でつまんで手を添えたまま僕の口に押しつける。
「食えっ」
「えっ?」
「いいから口を開けろっ」
「うっうん。あむっ」
 おいしい。
 そんなこんなで昼休みは終わった。

 放課後、ひとみに一緒に帰ろうと誘われたが断った。昨日の彼女からのメールが気になったから。メールアプリに『一緒に帰りませんか?』と着信があったから。
「あの女と一緒に帰るのね、まあそうよね。友達より恋人の方が大事だもんね」
 まったく。寒いねえ寒いねえ、なんて下手クソな音頭を踊る彼女に、僕は慰めの言葉を探した。でも、返す言葉もなかった。だって完全に的を射ていたから。
「休みは君の買い物にでも付き合うよ、それか遊びにでも」
「そっか、ありがと。ーーあっ、あそこにいるよ?」
 ほらっ、とひとみが指差す。するとそこには桜色の女の子が窺えた。由希だ。
「じゃあね、また」
「また」
 手を振り合って別れた後、僕の遠ざかっていく背を見てひとみは誰にも聴こえない、聴こえる事のない声量で囁いた。
「両想いだもんね、邪魔しちゃいけないよね」
 自分に言い聞かせるように、でもとても悲しそうな声でひとみは言った。

 遅咲きの桜が校門の前で舞い散る中、その風景が背景になってしまう程魅力的な女の子が目の前に立ってる。
「桜井さん」
 ぴくっ。
 気付いてなかったのか気付いてたのか至近距離で名前を呼ぶとやっと反応する。振り向き、僕の顔を見るととびっきりの笑顔。こりゃ前者か。
 さっきまで表情のない固い顔をしてたのにこの反応。無口で無表情キャラっぽい、でもどこかあどけなさの残る童顔のみてくれにしてはころころ表情が変わるな。雰囲気の割には柔らかい心証だ。
「……っ」
 手を後ろに組んで俯きがちにニコニコはにかんでる彼女に僕はつい頬を緩ませてしまう。こっちもつい、ニコニコ。
「いこっか」
 こくん。
 彼女は頷く。花吹雪く校門をくぐって数分歩く。古風な蔵の木造建築とモダンな石造りの建物、その間に梅雨になると綺麗な紫陽花が咲く水路が並ぶ時代情緒な町並みの遊歩道。蔵の町。それがこの町の名前。
 彼女と肩を並べてると彼女の手が僕の手の甲に当たる。
 こつんっ。
 しかし、その白い手は僕の手を逃がさない。触れたまま、するりと僕の手の内側に入り込むと僕の指にひとつひとつ絡め込んでくる。滑り込んで絡めてくる。ちょうどいい所を探してぴったりフィット。挟まった、握られた手の指の熱が伝わってくる。じんわりと体も熱くなってくる。胸も顔も耳も、なぜか心も。
 この熱はなんていうのか。この熱の名前はーー
 ピーンーポーンー、ーーーーーー
 プルルルルルル、新栃木駅発車いたしまーす。
 駅の音、男性のアナウンス。それも駅員の。
 気付けば駅に到着してた。その間に僕の手汗はびっしょり。つまり彼女の手も、
「……」
「ごめん……」
 彼女はハンカチで自分の手を拭いてた。びっちょりになったその手をふきふき、ふきふき。
 意外ときれい好きなのだろうか。僕もズボンで汗を拭った。彼女のエキスをズボンに染み込ませて僕は改札口にかざすパスカードを取り出す。
 外国人に、老人に、切符の買い方を教えている駅員を尻目に彼女がカードケース取り出した。
「いこう」
「っ」
 今度は僕から手を繋ぎ、彼女を引っ張る。あの時、ひとみがしたように。
 改札口にパスカードの入ったケースをかざす。ぴっ。その後にも音が続いて、ぴっ。
 駅独特の安穏とした暗めの階段を上って光が見えてくる。陽光。日差し、太陽。順に見えてくる。黒めのクリアガラスごしだから太陽が直視できる。
 丸い輪の光のプリズム、春になって随分暖かく、いや暑くなったものだ。
 そんな事をどうでもよく考えてた。バカみたいに。だから彼女にも訊いてみようか。暑くないって、ーーと。
 ふりふりふりっ。
 握られてる、いや握ったんだった。その手が揺らされる。ゆらゆらと、力任せに。でも優しく。
 僕は振り返る。髪よりも染めて顔面を朱く紅くした彼女がいた。ーー由希がいた。
「あっ、ごめん。気障った?」
「……っ」
 ぷいぷいぷい。
 首を小さく横に振る彼女に僕はほっとする。……でもここで一つ疑問。
「ねえ、訊きたい事あるんだけどいいかな?」
 こくん。
「ありがと。じゃあ、……君はなんで喋らないの?」
 ………………。
 応答なし。ほんとになんの応答もなし。
 彼女の目元が動く事も、瞠目する事も顔色一つさえ動かない。当然待っても返事すらない。
 まるで聴き慣れていると言わんばかりに。修羅場をかいくぐってきた強者のように不敵な堂々とした態度。
 そして数秒、のち、俯瞰。地を見下ろした彼女は瞼を閉じ、一つ頷くと、顔を上げる。
 そしてその彼女の表情に刮目する。
 なぜなら、悠々とした微笑を満面に湛えて、口元で人差し指を交差させたから。
 バツをつくって唇を隠す彼女がとても、とても印象的だったから。
 春風が吹く。彼女の髪がなびいて頬にぴったりくっつく。それだからか、彼女はなんだかくすぐったそう。
 絵になるような婉然な動きで髪を一房、耳にかける。
「ーー喋れないって事?」
 こくん。
「喋れないの?」
 こくりっ。
 彼女は笑顔で頷く。頷く事しかしない。頷く事しかしてくれない。喋ってはーーくれない。
「そっか」
 彼女の声、聴いてみたいのにな。君の事知りたい。もっと知りたい。気になるから。好きだから。人の声には色んな情報量が込められてる。
 その人が何を考えているか。どんな気分なのか。自分に対してどう思ってくれてるのか。感情があるのか、ないのか。
 その人の心が分かる。だから、
「君の声、聴きたいのにな……」
 気付けばぽつり、口から零れていた。
 ……あっ。
「ごっごめんさっきのはにゃしっ!!」
 慌てて手をぶんぶん振る。うまく呂律が回らない。
 でも彼女は、
「……っ」
 こくんっこくん。
 頬をほんのり染めてただ頷いてた。
『まもなく、大平下方面列車が参ります。黄色い線のーー』
 ……電車が来る。
 シュウウウウウーーカタンカタンーー
 待って。まだ話したいのに。話すら出来てないのに。
「っ」
 彼女は電車にぴょんと乗り込むとこっちに手を振る。微笑みながら、にっこり、ふりふり。手を振る。
「……じゃあまたね」
 僕も手を振る。胸に空しさを作って、それを補う事すらできず。
 そして電車を見送って、スマホが鳴る。メールの着信。誰だろうか。
 新規メールを開封。……桜井さんからだ。
『ごめんなさい、私、縅黙症なんです。あなたが嫌いだから、とかじゃあありません。詳しくはこのサイトで。あと私の事は由希でいいですよ、由希って呼んでください』
 URLが最後に記載されてる。そのサイトを開く。
 すると縅黙症についてさまざまな情報が細かく載った特設サイトが掲示される。
 場面縅黙。全縅黙。縅動。読んでいくうちに、全部、彼女に抱いた疑問、そこら辺の人とは違う違和感が連鎖的に解消される。駆逐される。ほとんどの情報が符合する。合致する。
(そう……か)
 僕はただ空を仰ぎ、込み上げるなにかを堪えて、また視線を落とす。そして、何事かスマホに入力する。フリック。
『ありがとう、今日から君を由希って呼ぶ』
 ピロリン。
『うん』
 ピッ。
『でもこれだけは約束させて』
 ピロリン。
『うん?』
 ピッ。
『いつかは君の声、きかせてね』
 ピロリン。
 最後の返信に目を通して、スマホの電源を落とす。
 その一言に唇が弧を描いて。
 ーー救われて。
『恥ずかしいけどね』
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