ボクとユキ、緘黙症の聲。

蒼井瑠水

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幸の子

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 私は姉の事しか知らないーー。
 これは桜井由希という一人の少女の物語。
 私の姉、桜井風花は私のお父さんとお母さん、二人の人間を知ってる、愛を知ってる、私にとって特別な人だった。
 否、今だってそう。
 お姉ちゃんは私に『由希』という名前をつけてくれた、ここまで私を大きく育ててくれた人だから。
 私が三歳の時、お母さんとお父さんは亡くなった。死因は交通事故。
 姉が誕生日だからとバースデーケーキを買いに行った二人は、私たちを置いて逝ってしまった。原因はトラックとの衝突。ブレーキとアクセルを踏み間違えた単純な操作ミス。その一つの失敗でトラックの運転手ごと泉下へと逝ってしまった。
 その時姉は十八歳。社会人になる齢だった。そのため姉は叔父や叔母の力も借りず一人で私を育てると決めたらしい。
 最初、両親が帰らず泣きじゃくる私に手間取って学校にも行けずバイトも中々手に着けられず、困ったらしいが一番はもう帰って来ない事をどう教えるか悩んだらしい。
 それはそうだろう。だって物心もついてない子供に教える方法なんてないのだから。当然頭を抱える姉を見ていた記憶は私にはないし、両親がいた記憶もなくいつの間にかいないのが、姉が母親代わりというのが普通だった。もちろん両親がどうなったのかをどう伝えられたのかさえもいくら追憶、追想しても解らない。 
 でも姉はこういったそうだ。
『パパもママも帰って来ないけど、由希の中にはいるから、もういるから。帰って来ててずうっと一生いるから、一緒にいてくれるから大丈夫だよ』
 もちろんわたしの中にもね、って。そう抱きかかえて優しくあやしてくれたそうだ。
 それから随分時が経って、小学校入学式。新年生の私達は担任の教師に名前を呼ばれ、次々と立ち上がる。
 はいっ!
 元気な男の子の声。
 はいっ。
 ちょっと恥ずかしそうな女の子の声。
 そして次は私。
 ガタッ。
 パイプイスからは立ち上がれた。でも声が出ない。あれっ、なんで?
 全力で絞り出そうとした。しかし時遅し。タイミングが遅れた。 
 体育館ステージ前、出入り口を正面として座っている新一年生の列に、私に、在校生の、教師らの、そして保護者らの全員に奇異な目を向けられる。雰囲気ががらりと変わる。
 なんだ、こいつ?みたいな。そんな感じの空気。
「桜井由希さん?……こほん。佐野勇気くんーー」
 次に流れる。生々流転。輪廻する名前の読み上げに私はほっとしながらも顔を真っ赤に染め上げてた。ほんとに真っ赤っか。元々白い肌の私の体とはかけ離れてるぐらい、紺色の制服からくっきり浮かび上がってるぐらい。それぐらい顔の色が紅くなってた。当然体感温度は四十度。かんかんに熱い。心臓も消防車の放水ポンプぐらいの速さで血液を押し出していた。立ってるのがきついぐらい。マジで死ぬ。
 続けて教室に戻った後もクラスの自己紹介があったから泣きっ面に蜂だ。同じような状況に立たされてもやっぱり同じぐらいの赤面、動悸があった。のちにこれを縅動だと知った。
 出席確認の時も声を出せないから、ただ、にこーっ?と笑うだけ。そんな私を見て先生は、他校に存在する、『言葉の教室』という場所に通わせた。もちろん送り迎えは全部姉が車で送り出してくれた。
 中学校に上がっても簡単な受け答えしか出来るようにならず、人との対話に、学校生活に辛酸嘗め、苦しめられた。ほんときつい。
 だって物を忘れた時とか、人に貸してとも言えず、気軽に貸してくれるような交流のある人間もいないから、どうしようもなかった。
 ある日、学校帰りに家でのんびり過ごして足をぐーっと伸ばしたとき、姉がテレビの電源を点けた。丁度コミュニケーション障害の特集をやってて縅黙症という症例を挙げていた。
「……」
 なぜか興味が湧く。それは内容が喋れない女の人の半生を物語ったエピソードだったから。なんだか私に似てたから。
 幼い頃から人前に出ると喋れなくなり、無理に声かけに対応しようとすると赤面と動悸が起こる。
 ーーもう完全に私ではないか。
 その人は大学生になって好きな人ができるとだんだん打ち解けて会話出来るようになっていったが、ふと通りがかりに、小学校の頃の同級生に声をかけられ、やっぱり喋れなかったという。
 その時、彼氏さんが対応してくれたが、不自然に思った彼氏さんは恥をかいたじゃないか、ときつく当たると女の人はひどく傷付いたという。
 そして気紛れに自分の症状をネットの検索にかけて、愕然とした。
 なぜなら、自分と同じように喋れない人がいるという事を知ったから。事実を知ったから。だから、びっくりした。
 そしてそれを彼氏さんに伝えて、そのカミングアウトに彼氏さんも驚きながらも、攻めてしまった事を謝ったという。
 それで二人は一生のパートナーに、夫婦になったという。
「お姉ちゃん、これ……」
 番組のエンドロールを見て、そして最後までテレビを見つめながら、姉の肩を叩いた。
 その私の反応に姉は、
「……ごめんね、由希。わたし、実は知ってたの」
 ーーえっ?
「言ったらあなたの気が狂うんじゃないかって、ひどく落ち込むんじゃないかって、由希がおかしくなるんじゃないかって思うと、怖くて言えなかった」
 伝えられなかった。
 銀髪をポニーテールにした姉は怯えたような、ひどく悲哀に満ちた声で呟いた。
 ーーそう、だったのか。そうだったんだ。
 私の方こそ、
「私の方こそごめん。心配かけて。本当はお姉ちゃんがやる事じゃないのに」
 ほんとごめん。
 その言葉を最後に私は泣き崩れた。姉のその豊かな胸の中に顔をうずめて、沈めて、ぐちゃぐちゃに泣いた。泣く事しか出来なかった。ほんとは、ほんとは彼女にお礼を言うべきなのに、心配かけてごめんねって謝るべきなのに、私の人生に自分の半生を費やし、精神に負担、疲弊させたお姉ちゃんを慰めてあげるべきなのに。私は何も出来なかった。
 自分の、己の役目を一つも果たせなかった。姉の妹には、姉妹には、助け合う“きょうだい,,にはなれなかった。私は彼女の一人娘でしかなかった。娘にしかなれなかった。
 ーー泣く事しか出来なかった。
「なんであなたが泣くの。わたしが泣けないじゃない」
 私の頭に姉の手のひらが乗せられる。ふわりと、優しく。
 次第に頭上から、あまり聴かない姉のえづく声が、嗚咽が降ってきた。泣き声が落ちてくる。
 ーーお姉ちゃん、ほんとごめん。
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