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1.卒業の日

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 魔女のうたは祝福 愛する人に捧げる祝福
 それは一度きり 心に決めた人だけに
 魔女ではない私を見せる瞬間
 触れ合わせた先から
 魔法は祝福に変わる

 魔女のうたは祝福 愛する人に捧げる祝福
 それは一度きり 心に決めた人だけに

「私の大事なうたをあげる」
「だからあなたの――を、私にちょうだい」

   ***

 ――それだけは叶えてあげられない。
 あれは何に対しての言葉だったのだろうか。
 捕まえようとした瞬間、羽根を翻すように、すぐそばにとまっていたはずの蝶々は――美月センパイは、ふわりと逃げていった。

 三月になったばかりの空は薄く曇っていた。校舎から一歩だけ出て、辺りを見渡す。グラウンドの周りに植えられた桜の花はまだ眠っていて、木蓮の白い花だけが目覚めている。なんだか寂しさが増す景色だ。そっと吐き出した息も白く溶けていく。
「みのり」
 この一年と八か月の間に聞き慣れたはずの声。それでも名前を呼ばれるたびにパチッと胸の中で何かが弾ける。一生慣れることはないのかもしれない、と思って、そう思えることが少しだけ嬉しい。
 振り返ればローファーへと履き替える美月センパイの姿。明日も普通に学校に来る私と違い、美月センパイは上履きを袋にしまう。ああ、本当にもう来ないのか、と今さらながらに思った。
「お待たせ」
 美月センパイはセーラー服に水色のマフラーを巻き、通学カバンとは別に大きな袋を肩から下げていた。卒業証書に卒業アルバム、花束と大荷物だ。胸にも小さな造花が付けられている。
 正面に立った美月センパイをまっすぐ見つめ、そっと息を吸ってから口を開く。砂埃の匂いも壁のシミも校舎の古さも今は気にならない。美月センパイのいる景色を忘れないようひとつひとつ大切に刻んでいく。
「ご卒業おめでとうございます」
 笑わないと。自分で自分に言う。だけど嬉しくも楽しくもないのに笑顔を作るなんて無理だった。クラスメイトに対してはできるかもしれないけど。美月センパイには無理。どうしたって寂しさが膨らんでしまう。おめでたいなんてちっとも思えない。きゅっと唇を噛みしめるので精いっぱいだ。
「ありがとう」
 美月センパイは少し困ったように笑うと、白く細い手を伸ばしてきた。頭? 頬? 手? どこに向かっているのかわからず固まっているとそれは顔の前できゅっと形を変えた。
「……何するんですか」
 鼻を摘まれて変な声になる。それでも振り払おうとは思えなくて、触れた指の冷たさを覚えたくて肌の感度を上げようと意識する。ひんやりと染み込んでいく体温。
「鼻赤いから温めようと思って」
「美月センパイの手の方が冷たいです」
「じゃあ、みのりが温めて」
 泣きたい。泣きたくてたまらなかったのに。美月センパイにかかると魔法なんてなくても胸は温かくなる。
「仕方ないですね」
 鼻に触れていた手首を掴んで引き離し、そのままきゅっと握った。てのひら全体から美月センパイの低い体温を感じる。大きさはそれほど変わらないのに細くて白くてそっと握らないといけない気がした。
「みのりはあったかいね」
 小さく弾む美月センパイの声が胸をくすぐる。
「じゃあ、このままずっと繋いで帰りましょう」
 こういうとき女の子でよかった、って思う。手を繋いでいても目立たないから。不自然じゃないから。美月センパイは返事の代わりにきゅっと力を加えた。
 校門へと体の向きを変え、ゆっくり歩き出す。春とは言え、気温はまだ冬を纏っている。いつもなら自然と速くなる足も今日だけはいつものスピードを忘れていた。美月センパイと同じ制服を着て、同じ校舎を出て、同じ道をたどって……そういうひとつひとつが明日からはなくなってしまうのだと思ったら、自然と歩幅は小さくなり、ローファーが先から沈むように重くなっていく。
 美月センパイが合わせてくれるからこそ、離れがたさはどんどん膨れていく。あと数メートル。あと数歩。
 校門を二人分の足音が超えた瞬間、
「みのり」
 美月センパイが名前を呼んだ。
 ずっと、って言ったのに美月センパイの手はするりと離れていく。どうして、とか。なんで、とか。口にする前に優しく笑われて、何も言えなくなる。
「これ、あげる」
 スカートのポケットから取り出されたのは水色のスカーフ。美月センパイが三年間つけていたものだ。嬉しいはずなのに、じわじわとせり上がるのはやっぱり寂しさだった。本当にいなくなっちゃうんだって。スカーフを受け取ったら美月センパイはもう学校ここには来ないんだって。頭でだけ理解していたことを心の中まで沁み込ませなくてはいけなくなる。
「マフラーの上にはつけられないね」
 美月センパイが私の首元へ視線を向ける。本当はマフラーなんてなくても、学年カラーの違うそれを私は付けていくことができない。
「じゃあ、こっちで」
 さっき離された手を掬い上げ、「いい?」と首を傾ける。まっすぐな黒髪がマフラーの隙間から零れ落ち、つられるように頷いた。
 ポケットの中にしまわれていたからだろう。少しだけ温かい。きゅっと手首に巻かれるとふわりとジャスミンの香りが浮かんだ。吸い込んだ空気に混ざり、体の内側で溶けていく。掠めたのは小さな既視感。けれど形にはならず消えてしまう。
「美月センパイ」
 胸の奥が温かい。寂しさは消えないけれど、さっきよりは速く歩ける気がした。
「これも『魔法』ですか?」
「……みのりがそう思うなら、そうかもね」
 一瞬、不思議そうに目を丸くした美月センパイだったけど。すぐにいたずらっぽく笑った。それは私が一番好きな表情だった。

   ***

 美月センパイは魔女だ。
 正確には魔女の血をごく薄く引いている。
 空を飛ぶ、なんてすごい魔法が使えるわけではない。
 落し物を見つけるとか、壊れた傘を直すとか、そんな程度だけど。
 そのおかげで私たちは出会った。
 そして今も私たちは付き合っている。
 キスはしない、という約束を守りながら。
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