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2.過去と嘘と
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昼休みの教室はざわめきで満ちていた。窓際の席は心地よい温度を机に溜めていく。お弁当箱をかばんにしまい、緑の匂いを纏った風を吸い込む。
転校したときは自分の居場所ではないとさえ思っていたのに。毎日通えば自然と慣れていく。心より先に体が覚えるのだ。美月センパイがいなくなった学校に、私は今も通えている。
――美月センパイも、私がいない日々に慣れてしまっただろうか。
「藤咲さん」
零れてしまったため息を隠すように
「何?」
と笑顔で振り向く。隣の席に座る若宮さんが声を弾ませた。
「藤咲さんは教育実習の先生、もう会った?」
高校三年生になって一か月。連休が明けたタイミングで教育実習生がやって来た。来た、と言ってもうちのクラスにではない。二年生のクラスに。三学年合わせて六クラスしかないので情報が回るのは早い。とくに興味もなかったけど、「まだなら見に行こうよ」と誘われ、断る方が面倒だったのでついていくことにした。
階段を上り、一つ下の学年の教室が並ぶ廊下へと足を進める。といってもほとんどが空き教室だ。昼休みを半分ほど過ぎているので、廊下には騒がしさが膨らんでいる。
ふと、柱のところにできた人だかりが目に入る。周りの質問に丁寧に答えているのが遠目からでもわかる。同じ制服に囲まれて頭二つほど飛び抜けているのが、噂の教育実習生だろう。紺色の細身のスーツ。フレームのない眼鏡の奥で目を細め、小さく笑っている。背が高くて、線が細くて、肌が白い。男の人なのに「キレイ」が似合う人だった。
「先生もここの卒業生なんだよね。懐かしい?」
「懐かしいと言えば懐かしいけど。僕がいたときとあまり変わらないかな」
大学四年生ということは四つ上。先生よりは近いけど、自分たちよりは少し大人。憧れと親しみやすさの混じる距離だ。
「あ、ウチのお姉ちゃんがよろしくって」
狭い町なので、顔見知りもいるらしい。
輪に加わらずとも姿は見えるし、声も聞こえる。もう十分だろう。そろそろ教室に、と言いかけたところで後ろから声が聞こえた。内緒話くらいの小さな声。でも、しっかりと耳は捉える。だって。
「カヤシロセンパイとはもう会ってないのかな」
カヤシロセンパイ。かやしろせんぱい。萱白先輩。この町で萱白と言ったら美月センパイの家で。美月センパイはひとりっ子で。聞こえた名前が美月センパイのことだと理解するまでに時間はかからなかった。
「お似合いだったのにね」
付け足された言葉が硬度を持った何かに変わって胸に落とされる。ポチャン、と奥に沈んでいく。
お似合い、ってことは。付き合っていた、ということだろうか。
「二年生いいなあ。――藤咲さん?」
「あ、うん」
若宮さんに顔を覗き込まれ、咄嗟に笑顔を作る。
「そろそろ戻ろうか」
「だね。付き合ってくれてありがとう」
先に歩き出した背中を視界に入れながら、そっと振り返る。肩を軽く揺らして、小さく笑っているのが見えた。
――私の知らない美月センパイを、あの人は知っているのだろうか。
美月センパイのことは何でも知りたい。知りたかった。けれど今は別の人が来ればよかったのに、と思ってしまった。
「教育実習生?」
そういう時期か、と美月センパイの表情に懐かしさが混じる。スマートフォンを通して聞こえる美月センパイの声は少しだけ幼くて、くすぐったい。
美月センパイの通う大学は県外にある。ここからでは通学に不便なので、春から大学の近くで一人暮らしをしている。気軽に訪ねに行ける距離ではなく(そもそもこの町の交通機関が頼りなさすぎる)、連絡は毎日のメッセージと三日に一度のビデオ通話のみになった。
「うちの卒業生なので、もしかしたら美月センパイも知ってる人かなって」
一昨年越してきた私とは違い、美月センパイは小学生のときからここに住んでいた。狭い町だから学年が違っても知り合いになっている可能性は高い。という一般的な解釈とは別に、私はすでに確信を得ている。
――カヤシロセンパイとはもう会ってないのかな。
昼間聞こえた声が耳から離れない。ベッドに寝転がり、心臓を押し潰す。知りたいような。知りたくないような。迷いながらも尋ねずにはいられなかった。美月センパイの答えで安心したかったのかもしれない。
「名前は?」
コクッと自分が唾を飲むのを感じる。何でもないように、ただの世間話として伝えるためにそっと息を吸う。
「……高遠豊、先生です」
聞こえたのは雨の音。美月センパイが言葉を一瞬飲み込んだのだと理解するよりも早く、
「知らないなあ」
とカラリとした声が耳に響いた。画面に映る美月センパイの表情は変わらない。
「え」
驚く私に美月センパイはとても自然に、まるでずっと前から用意されていたかのように淀みなく言葉を紡ぐ。
「三つ差でしょう。兄弟がいるとか近所に住んでいるとかでもなければ知らないことの方が多いよ」
でも、と声になる前に「それより」と美月センパイが続けた。
「受験勉強はちゃんと進んでるの?」
にっこりと笑う美月センパイの顔。声は優しいのに決して柔らかくはない。笑顔だけど、本当の笑顔じゃない。ピリッと空気が引き締められ、胸の奥で針が震えた。
「や、やります!」
スマートフォンを手にしたまま起き上がり、その勢いで机に向かう。
「……っふ、ふふ」
耳には小さく震える美月センパイの声。柔らかでくすぐったくて、大好きな笑い方。
「やってます、って言わないところがみのりだよね」
「だって」
美月センパイに嘘はつけない。ついてもすぐにバレてしまう。画面越しであっても、目の前にいるかのように、あっさりと美月センパイは見破ってしまう。それこそ魔法みたいに。
「じゃあ、そろそろ切るね。勉強頑張って」
「……はい」
素直に寂しさを滲ませれば、
「みのり」
美月センパイが名前を呼んだ。いつもの聞き慣れた声で。
「待ってるね」
「っ、はい!」
一年後に美月センパイとまた並べるように。今は頑張るしかない。ビデオ通話を終了させて開いたままだった問題集に向き直る。
「絶対美月センパイと同じ大学に行くんだから」
まるで魔法にかけられたかのように、私からは美月センパイの過去に関する話も嘘も全部キレイに消えてしまっていた。
転校したときは自分の居場所ではないとさえ思っていたのに。毎日通えば自然と慣れていく。心より先に体が覚えるのだ。美月センパイがいなくなった学校に、私は今も通えている。
――美月センパイも、私がいない日々に慣れてしまっただろうか。
「藤咲さん」
零れてしまったため息を隠すように
「何?」
と笑顔で振り向く。隣の席に座る若宮さんが声を弾ませた。
「藤咲さんは教育実習の先生、もう会った?」
高校三年生になって一か月。連休が明けたタイミングで教育実習生がやって来た。来た、と言ってもうちのクラスにではない。二年生のクラスに。三学年合わせて六クラスしかないので情報が回るのは早い。とくに興味もなかったけど、「まだなら見に行こうよ」と誘われ、断る方が面倒だったのでついていくことにした。
階段を上り、一つ下の学年の教室が並ぶ廊下へと足を進める。といってもほとんどが空き教室だ。昼休みを半分ほど過ぎているので、廊下には騒がしさが膨らんでいる。
ふと、柱のところにできた人だかりが目に入る。周りの質問に丁寧に答えているのが遠目からでもわかる。同じ制服に囲まれて頭二つほど飛び抜けているのが、噂の教育実習生だろう。紺色の細身のスーツ。フレームのない眼鏡の奥で目を細め、小さく笑っている。背が高くて、線が細くて、肌が白い。男の人なのに「キレイ」が似合う人だった。
「先生もここの卒業生なんだよね。懐かしい?」
「懐かしいと言えば懐かしいけど。僕がいたときとあまり変わらないかな」
大学四年生ということは四つ上。先生よりは近いけど、自分たちよりは少し大人。憧れと親しみやすさの混じる距離だ。
「あ、ウチのお姉ちゃんがよろしくって」
狭い町なので、顔見知りもいるらしい。
輪に加わらずとも姿は見えるし、声も聞こえる。もう十分だろう。そろそろ教室に、と言いかけたところで後ろから声が聞こえた。内緒話くらいの小さな声。でも、しっかりと耳は捉える。だって。
「カヤシロセンパイとはもう会ってないのかな」
カヤシロセンパイ。かやしろせんぱい。萱白先輩。この町で萱白と言ったら美月センパイの家で。美月センパイはひとりっ子で。聞こえた名前が美月センパイのことだと理解するまでに時間はかからなかった。
「お似合いだったのにね」
付け足された言葉が硬度を持った何かに変わって胸に落とされる。ポチャン、と奥に沈んでいく。
お似合い、ってことは。付き合っていた、ということだろうか。
「二年生いいなあ。――藤咲さん?」
「あ、うん」
若宮さんに顔を覗き込まれ、咄嗟に笑顔を作る。
「そろそろ戻ろうか」
「だね。付き合ってくれてありがとう」
先に歩き出した背中を視界に入れながら、そっと振り返る。肩を軽く揺らして、小さく笑っているのが見えた。
――私の知らない美月センパイを、あの人は知っているのだろうか。
美月センパイのことは何でも知りたい。知りたかった。けれど今は別の人が来ればよかったのに、と思ってしまった。
「教育実習生?」
そういう時期か、と美月センパイの表情に懐かしさが混じる。スマートフォンを通して聞こえる美月センパイの声は少しだけ幼くて、くすぐったい。
美月センパイの通う大学は県外にある。ここからでは通学に不便なので、春から大学の近くで一人暮らしをしている。気軽に訪ねに行ける距離ではなく(そもそもこの町の交通機関が頼りなさすぎる)、連絡は毎日のメッセージと三日に一度のビデオ通話のみになった。
「うちの卒業生なので、もしかしたら美月センパイも知ってる人かなって」
一昨年越してきた私とは違い、美月センパイは小学生のときからここに住んでいた。狭い町だから学年が違っても知り合いになっている可能性は高い。という一般的な解釈とは別に、私はすでに確信を得ている。
――カヤシロセンパイとはもう会ってないのかな。
昼間聞こえた声が耳から離れない。ベッドに寝転がり、心臓を押し潰す。知りたいような。知りたくないような。迷いながらも尋ねずにはいられなかった。美月センパイの答えで安心したかったのかもしれない。
「名前は?」
コクッと自分が唾を飲むのを感じる。何でもないように、ただの世間話として伝えるためにそっと息を吸う。
「……高遠豊、先生です」
聞こえたのは雨の音。美月センパイが言葉を一瞬飲み込んだのだと理解するよりも早く、
「知らないなあ」
とカラリとした声が耳に響いた。画面に映る美月センパイの表情は変わらない。
「え」
驚く私に美月センパイはとても自然に、まるでずっと前から用意されていたかのように淀みなく言葉を紡ぐ。
「三つ差でしょう。兄弟がいるとか近所に住んでいるとかでもなければ知らないことの方が多いよ」
でも、と声になる前に「それより」と美月センパイが続けた。
「受験勉強はちゃんと進んでるの?」
にっこりと笑う美月センパイの顔。声は優しいのに決して柔らかくはない。笑顔だけど、本当の笑顔じゃない。ピリッと空気が引き締められ、胸の奥で針が震えた。
「や、やります!」
スマートフォンを手にしたまま起き上がり、その勢いで机に向かう。
「……っふ、ふふ」
耳には小さく震える美月センパイの声。柔らかでくすぐったくて、大好きな笑い方。
「やってます、って言わないところがみのりだよね」
「だって」
美月センパイに嘘はつけない。ついてもすぐにバレてしまう。画面越しであっても、目の前にいるかのように、あっさりと美月センパイは見破ってしまう。それこそ魔法みたいに。
「じゃあ、そろそろ切るね。勉強頑張って」
「……はい」
素直に寂しさを滲ませれば、
「みのり」
美月センパイが名前を呼んだ。いつもの聞き慣れた声で。
「待ってるね」
「っ、はい!」
一年後に美月センパイとまた並べるように。今は頑張るしかない。ビデオ通話を終了させて開いたままだった問題集に向き直る。
「絶対美月センパイと同じ大学に行くんだから」
まるで魔法にかけられたかのように、私からは美月センパイの過去に関する話も嘘も全部キレイに消えてしまっていた。
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