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10.揺れる針
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聞きたいこと、と口の中で繰り返せば、高遠先生が「とりあえず座ったら?」と視線を動かす。応接スペースと呼ぶには狭いが、部屋の奥にはガラスのローテーブルとソファが置いてある。
「お弁当食べながらでいいよね」
若宮さんの言葉が私あてなのか高遠先生あてなのかわからず、小さく頷き返す。
若宮さんとソファに並んで座る。正直、お腹は空いていない。高遠先生に何を聞けばいいのか、そればかりが頭を回っている。高遠先生は自分の席へと移動し、「何が聞きたいの?」と声だけを投げる。「先生」というニスを剥がした素の声。少しぶっきらぼうにも響くが、拒絶されていないのは伝わってくる。
「うーん、とりあえず彼女がちゃんといるってこととか?」
「は?」
隣に座る若宮さんは笑って言った。
「豊くんね、彼女いるんだよ」
え、だって。言葉にできないまま若宮さんを見つめる。笑顔は崩れない。
「うちのお姉ちゃんと付き合ってるの」
「お前なあ。なんで」
ギッと背もたれが音を立て、体ごと高遠先生がこちらに振り返ったのがわかる。何かに驚いて言葉を途切れさせたのも。けれど私は若宮さんから視線を離せない。だって、若宮さんは……。
「だから藤咲さんが不安に思うことなんて何もないんだよ」
気づいていた。若宮さんは私の不安も、美月センパイとのことも。
「豊くんも知らなかったって言ってたよね。萱白先輩が同じ大学だって」
若宮さんがスカートから取り出したハンカチで私の頬に触れる。
「……電話、聞いてたな」
「聞こえたんだよ」
若宮さんは笑って言う。だけど、私の涙は途切れない。自分でもどうして泣いているのかわからない。高遠先生に彼女がいてホッとしたから? 美月センパイへの不安がひとつ消えたから? どれかはわからなかったけど、今は若宮さんが泣けない分まで泣きたかった。
「聞きたいことって、それだけ?」
私が落ち着くのを見計らい、かけられた声。それは先ほどよりも柔らかで温かかった。優しい人なのだろう。美月センパイが好きになった人は。若宮さんが好きな人は。
「み――、いえ、もう大丈夫です」
美月センパイのことはもう好きじゃないんですよね。そんな質問に意味なんてない。
高遠先生が口を開きかけるが、
「私たち受験生だからさ」
と若宮さんがわずかに早く話し出す。
「いろいろ不安なんだよ」
微かに声が震えたのは、きっと私にしかわからなかっただろう。
「だからしっかりキャンパスライフを満喫している人の話聞いて、元気もらおうかなって」
「……なんだそれ」
高遠先生が呆れたように笑う。若宮さんの言葉をどこまで信じているのかはわからない。けれど、二人の間にだけ通じるものがある気がした。二人が重ねた時間が消えることはなくて、恋人として結ばれることはなくてもずっとずっと存在し続ける。
「あ、お昼食べなきゃ」
「――うん」
二人で包みを開いていると、カタン、と小さな音が鳴る。
「お茶淹れるわ」
立ち上がった高遠先生の背中に「ありがとうございます」と二人分の声が重なった。
「藤咲さん」
失礼しました、と部屋を出ようとしたところで高遠先生に名前を呼ばれる。
「――よろしくね」
言葉を探すように揺れた瞳は、すぐに細められた隙間に隠される。
「はい」
若宮さんのことか、美月センパイのことか。わからなかったけど、強く頷く。
そこへ予鈴のチャイムが鳴り出した。
「わ、急がなきゃ」
若宮さんとともに駆け出そうとすれば
「廊下は走らないように」
と静かな声が追いかけてくる。一瞬だけ振り返れば、高遠先生は「先生」の顔に戻っていた。初めて廊下で見たときと同じ、穏やかな笑顔だった。
ふと、どうして美月センパイと出会った頃のことは思い出せないのに、この前の電話でのことはあっさり思い出せたのかと不思議に思った。
そもそも美月センパイは大きな魔法を使えないのではなかったか。記憶を消すとか、気持ちを変えるとか、そんなこと本当にできるのだろうか。でも私は確かに記憶を失っていて――。
もしかして、美月センパイの魔法は弱くなっている?
完全に失われることはないのだとしても、その力が弱まっているのだとしたら。美月センパイが私にかけた魔法ももしかしたら……。
――みのりが私を好きになる魔法。
胸の奥に刺さった針が揺れる。美月センパイに名前を呼ばれたその瞬間から、ずっと刺さっていたもの。これが魔法の正体なら。確かに私はまだ魔法にかかっている。
でも、この針が揺れることを私は知っている。美月センパイが好きだと思うたび、内側ではなく外側から揺れるのだ。震わせるのは私の想い。私だけの。きっとそれはもう魔法だけでできていない。そう信じたい。だって、今も胸は痛くて、苦しくて、でも、それだけじゃないってわかるから。美月センパイを好きだと思う気持ちは、私の体じゅうに溢れているから。それに――。
「ん?」
視線に気づいた若宮さんが小さく顔を傾ける。
私は美月センパイに好きだと言える。伝えられる。私の声で、私だけの言葉で。
何よりも。美月センパイが私を好きだと言ってくれているのだから。こわいものなんて何もない。
「教えてくれてありがとう」
「すぐに言えなくてごめんね。学校では先生と生徒だから、って言われてて」
私が若宮さんの気持ちに気づいたとき、きっと誤魔化そうと思えばできただろう。幼馴染だから知っていた、と言えばよかったのだから。でも、若宮さんはそうしなかった。若宮さんは、誰にも伝えられない想いを知って欲しかったのかもしれない。
「ううん」
ありがとう、ともう一度お礼を言えば、
「どういたしまして」
若宮さんが自然な笑顔を見せてくれる。
「早く、いこ」
「うん」
空になったお弁当箱を鳴らしながら、二人で教室へと早足で歩いた。
「お弁当食べながらでいいよね」
若宮さんの言葉が私あてなのか高遠先生あてなのかわからず、小さく頷き返す。
若宮さんとソファに並んで座る。正直、お腹は空いていない。高遠先生に何を聞けばいいのか、そればかりが頭を回っている。高遠先生は自分の席へと移動し、「何が聞きたいの?」と声だけを投げる。「先生」というニスを剥がした素の声。少しぶっきらぼうにも響くが、拒絶されていないのは伝わってくる。
「うーん、とりあえず彼女がちゃんといるってこととか?」
「は?」
隣に座る若宮さんは笑って言った。
「豊くんね、彼女いるんだよ」
え、だって。言葉にできないまま若宮さんを見つめる。笑顔は崩れない。
「うちのお姉ちゃんと付き合ってるの」
「お前なあ。なんで」
ギッと背もたれが音を立て、体ごと高遠先生がこちらに振り返ったのがわかる。何かに驚いて言葉を途切れさせたのも。けれど私は若宮さんから視線を離せない。だって、若宮さんは……。
「だから藤咲さんが不安に思うことなんて何もないんだよ」
気づいていた。若宮さんは私の不安も、美月センパイとのことも。
「豊くんも知らなかったって言ってたよね。萱白先輩が同じ大学だって」
若宮さんがスカートから取り出したハンカチで私の頬に触れる。
「……電話、聞いてたな」
「聞こえたんだよ」
若宮さんは笑って言う。だけど、私の涙は途切れない。自分でもどうして泣いているのかわからない。高遠先生に彼女がいてホッとしたから? 美月センパイへの不安がひとつ消えたから? どれかはわからなかったけど、今は若宮さんが泣けない分まで泣きたかった。
「聞きたいことって、それだけ?」
私が落ち着くのを見計らい、かけられた声。それは先ほどよりも柔らかで温かかった。優しい人なのだろう。美月センパイが好きになった人は。若宮さんが好きな人は。
「み――、いえ、もう大丈夫です」
美月センパイのことはもう好きじゃないんですよね。そんな質問に意味なんてない。
高遠先生が口を開きかけるが、
「私たち受験生だからさ」
と若宮さんがわずかに早く話し出す。
「いろいろ不安なんだよ」
微かに声が震えたのは、きっと私にしかわからなかっただろう。
「だからしっかりキャンパスライフを満喫している人の話聞いて、元気もらおうかなって」
「……なんだそれ」
高遠先生が呆れたように笑う。若宮さんの言葉をどこまで信じているのかはわからない。けれど、二人の間にだけ通じるものがある気がした。二人が重ねた時間が消えることはなくて、恋人として結ばれることはなくてもずっとずっと存在し続ける。
「あ、お昼食べなきゃ」
「――うん」
二人で包みを開いていると、カタン、と小さな音が鳴る。
「お茶淹れるわ」
立ち上がった高遠先生の背中に「ありがとうございます」と二人分の声が重なった。
「藤咲さん」
失礼しました、と部屋を出ようとしたところで高遠先生に名前を呼ばれる。
「――よろしくね」
言葉を探すように揺れた瞳は、すぐに細められた隙間に隠される。
「はい」
若宮さんのことか、美月センパイのことか。わからなかったけど、強く頷く。
そこへ予鈴のチャイムが鳴り出した。
「わ、急がなきゃ」
若宮さんとともに駆け出そうとすれば
「廊下は走らないように」
と静かな声が追いかけてくる。一瞬だけ振り返れば、高遠先生は「先生」の顔に戻っていた。初めて廊下で見たときと同じ、穏やかな笑顔だった。
ふと、どうして美月センパイと出会った頃のことは思い出せないのに、この前の電話でのことはあっさり思い出せたのかと不思議に思った。
そもそも美月センパイは大きな魔法を使えないのではなかったか。記憶を消すとか、気持ちを変えるとか、そんなこと本当にできるのだろうか。でも私は確かに記憶を失っていて――。
もしかして、美月センパイの魔法は弱くなっている?
完全に失われることはないのだとしても、その力が弱まっているのだとしたら。美月センパイが私にかけた魔法ももしかしたら……。
――みのりが私を好きになる魔法。
胸の奥に刺さった針が揺れる。美月センパイに名前を呼ばれたその瞬間から、ずっと刺さっていたもの。これが魔法の正体なら。確かに私はまだ魔法にかかっている。
でも、この針が揺れることを私は知っている。美月センパイが好きだと思うたび、内側ではなく外側から揺れるのだ。震わせるのは私の想い。私だけの。きっとそれはもう魔法だけでできていない。そう信じたい。だって、今も胸は痛くて、苦しくて、でも、それだけじゃないってわかるから。美月センパイを好きだと思う気持ちは、私の体じゅうに溢れているから。それに――。
「ん?」
視線に気づいた若宮さんが小さく顔を傾ける。
私は美月センパイに好きだと言える。伝えられる。私の声で、私だけの言葉で。
何よりも。美月センパイが私を好きだと言ってくれているのだから。こわいものなんて何もない。
「教えてくれてありがとう」
「すぐに言えなくてごめんね。学校では先生と生徒だから、って言われてて」
私が若宮さんの気持ちに気づいたとき、きっと誤魔化そうと思えばできただろう。幼馴染だから知っていた、と言えばよかったのだから。でも、若宮さんはそうしなかった。若宮さんは、誰にも伝えられない想いを知って欲しかったのかもしれない。
「ううん」
ありがとう、ともう一度お礼を言えば、
「どういたしまして」
若宮さんが自然な笑顔を見せてくれる。
「早く、いこ」
「うん」
空になったお弁当箱を鳴らしながら、二人で教室へと早足で歩いた。
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