しあわせな休日

hamapito

文字の大きさ
1 / 1

記念日

しおりを挟む

 ふっと意識が浮上したあと。アラームが鳴っていないことを喜ぶべきか悲しむべきか。遮光カーテンの向こう側は見えない。あとどれくらい寝られるだろうか、と枕元のスマートフォンを手に取る。
 ぱっと明るくなった画面は暴力的な眩しさで、きゅっと自然に視界を縮めていた。だから、その衝撃は一瞬遅れてやってきた。
「――は?」
 静かな室内に自分の声が大きく響き、思考を整える間もなくベッドから飛び出す。
ひびきっ!」
 向かいのドアを勢いよく開け放てば、室内は俺の部屋と同じ薄暗さに染まっていた。真っ白な布団の膨らみが動き「きょう、うるさい」と掠れた抗議の声が返ってくる。いや、そんな場合じゃないから。
「もう八時だぞ!」
「――は?」
 こういうときの反応ってみんな同じなのかな。一瞬のフリーズの後、響がヘッドボードの目覚まし時計をひっつかむ。
「うわ、マジじゃん。なんで起こしてくれないの」
「俺だってまったく同じ状況だったんだよ」
「最悪。この忙しい時期に遅刻とか」
「電車遅延してねえかな」
「もう休みたい」
 洗面所と部屋を行き来しながら、互いに必要最低限の準備を整える。それにしても、ふたりしてアラームかけ忘れるなんて、よっぽどだよな。そういえば昨日は仕事から帰ってきてそのままベッドへ直行したから響の顔も見ていない。
 こういうすれ違いを防ぎたくて一緒に暮らし始めたのに。そうだ、一年前のちょうど今ごろも……。
「あっ!」
「なに? どした?」
 悲鳴に近い声が聞こえ、慌ててリビングへと駆け込む。ネクタイを結びかけたままの響が、テレビの前に立ち尽くしていた。
「なに? やばいニュース?」
 自分たちが会社に遅刻することよりやばいことなんて今はないと思うのだけど。響の視線を追っていけば、いつもは見られない時間帯のニュース番組が流れている。ちょうど天気予報に変わるところだった。
『――春分の日の今日は』
 聞こえた言葉がすぐには飲み込めない。春分の日。春分の日。つまり、今日は……。
「祝日?」
 おそるおそる言葉にすれば「はぁー……」と隣から盛大なため息が返ってきた。
「お前なあ。めっちゃ焦ったじゃん」
「俺だってマジで寝坊だと思ったんだって」
「絶対いまので寿命縮んだんだけど?」
「俺も。心臓めっちゃバクバクしてる」
 ワイシャツの上から押さえれば、元気のよすぎる鼓動が手のひらに伝わってくる。
「あー、もう。恭のせいで無駄に起きちゃったじゃん」
 するりとネクタイがシャツと擦れ合う音が響き、「どうしてくれるんだよ」とへの字に曲がった唇が突き出された。あれ、と浮かんだ問いが、トンと心臓を揺らす。
「いやいや、無駄でもなくない?」
「せっかくゆっくり寝られるところだったのに? そもそも恭が……」
 吐き出される文句を口で塞げば、ん、と声になる前の息が落ちてくる。唇の柔らかさを味わいながら「キスするのいつぶりだろ」と先ほど浮かんだ問いが頭を巡る。同じ部屋で生活しているのに、こんなに触れられないことあるんだな。胸がきゅっと痛くなって、ようやく味わうことができた熱に心地よさが増していく。起きたからこそいまがある。全然無駄なんかじゃない。
「ん……、きょ、う」
 きゅっとシャツが握られたのを合図に、腰を引き寄せ、舌を割り入れる。吐き出される息が重なり、内側から求め合えば、いまが朝だということも、着替えたばかりだということも(会社には行かないからどうせ着替えるんだけど)どうでもよくなる。
「……響」
 きょう、と息だけで呼ばれた名前を掬い取るように舌を動かせば、小さな震えが声とともに落ちてくる。名前を呼ばれるたび、お腹の底へ熱が溜まっていき、じわじわと体温が上がっていく。
 ほしい。舌先で歯列をなぞっても、顎裏を撫でても足りない。口の中だけじゃなくて、響をつくる全部に触れたい。
「ひびき」
 一瞬でも離れたくなくて、口を塞いだまま、シャツの裾を引っ張りだす。ベルトを外すのももどかしく、できた隙間へと手を伸ばす。響の弱い場所なんて知り尽くしている。腰の後ろを指先で辿れば「あ、やっ……」と震えた吐息が隙間に落ちてきた。
 足の力が抜けたのだろう、シャツを掴む力が強くなった。十分な広さのないソファよりはベッドに行きたい。互いの部屋まではほんの数メートル。でも、その数メートルさえいまは遠く感じてしまう。せめてもう少し、と唇を重ねたままバックルに手をかければ、張り詰め具合がわかってしまい、心が急くのを止められない。やっぱりこのまま――。
「待って」
 ベルトを外そうとした手を止められる。
「さすがに、ここじゃ……ちょっと」
 きゅっと寄せられた眉。逸らされた視線。耳も頬も赤く、シャツを掴む手は何かに堪えるように力が入っている。
「明るすぎるし、ソファ汚したくない、し」
 ――ソファ買ったばっかだろ。
 むっと尖った唇と上目遣いに、記憶が重なる。ああ、そうだ。ここへ引っ越した日、届いたばかりのソファに並んで座っていたら、そういう雰囲気になって、それで……。
「あっ」
「なに?」
「今日、記念日じゃん」
「……あっ」
 年明けからの繁忙期は年度末である三月が一番忙しい。年末年始を心のまま触れ合って堪能したあとの日常で、俺たちは顔を合わせることすらできなくなった。もう限界、と一緒に住むことを決め、いまの部屋へ引っ越したのは去年のこと。
 同棲一日目、引っ越しの日に「これからもずっと一緒にいてほしい」と伝えた。ちょうど一年前の春分の日に。
 さすが繁忙期。ふたりして記念日を忘れるとは。
「えーっと」
 一度途切れた雰囲気に、自分たちの状況が突きつけられる。晴天を告げるニュースの声。ベランダから伸びる日差し。爽やかな朝の空気には不似合いな、着たばかりの衣服を乱す自分たち。南向きの部屋は明るすぎて、見渡す必要もないほど鮮明に姿を浮かび上がらせた。
「どう、したい?」
 思わず尋ねていた。朝の光に縁取られる自分たちがあまりに不似合いでおかしくて。
 正直な気持ちを言えば、続きをしたい。記念日を思い出したことで愛おしさは増してしまっている。一年変わることなく一緒にいられたことが嬉しい。記念日を忘れるくらいの日常も、一緒に思い出したことも、最近触れられていなかった分も含めて愛したかった。
「どうって」
 響が視線を揺らす。手は変わらずシャツを掴んだまま。素直に頷いてはくれないけど、言葉もくれないけど、十分すぎるくらい伝わってくる。離れがたく思っているのは、俺だけじゃないって。
「よし、やるか」
「は?」
 ぎゅっと抱きしめれば、互いの熱が消えていないことは明らかで、そのまま擦り合わせたくなる衝動を抑えて体を離す。
「響の部屋でいい?」
 するりと手を取り、指を絡ませる。手を繋ぐ必要なんてない距離だけど、だからこそ触れていたい。
「……いいけど」
「祝日サイコーだな」
 響の匂いで満ちる部屋で響を抱ける。これ以上しあわせな休日なんてない。

 遮光カーテンは開けず、ライトもつけない。窓の向こうの明るさを隙間から感じるからこそ、この部屋だけに許された暗さが特別に思える。
「なんか脱ぐの勿体ないな」
 響が自らのシャツに手をかけながら呟く。ほんの数分しか着ていないのに、と。同じようにボタンを外していた手を止め、俺は響を後ろから抱きしめた。
「ちょっと、なに」
「んー、勿体ないって言うから? このまましようかなって」
「このままって……あっ」
 中途半端に開けられたシャツの隙間から手を入れ、アンダーシャツ越しに小さな膨らみに触れる。縁取るように指を回せば、胸の尖りはすぐに硬くなった。
「やっ、ん……ちょっと、ま」
「待たないよ」
 先回りした言葉のまま、もう一方の手を下へと滑らせる。ベルトは抜き取られていたが、窮屈そうに張り詰めた場所へ外から触れる。
「ん……んんっ」
 指の腹で撫であげれば、響の中を走る震えが触れているすべてから伝わってきた。ダメだ、やっぱり直接触れたい。丸まっていく背に体を沿わせ、耳へと口を寄せる。
「……ひびき」
 息とともに名前を落とせば、びくっと肩が跳ね、力が抜けていく足とは反対に、両手の先は存在感を増していく。
「触るよ」
「もう、さわっ……んっ」
 緩めてあった前から下着の中へと直接手を入れる。可哀想なほど熱を持ったそれを、呼吸を促すように外へと導く。
「あっ、やっ、あっ」
 胸へと回した腕を響がぎゅっと掴んできて、嬉しさと愛しさでいっぱいになる。もっと気持ちよくしたい。もっと可愛い響を見たい。
 ベッド、と囁けば、コクコクと小さな頷きが返ってきた。

 逸る気持ちを抑えながら、丁寧に体をひらいていく。息で舌で指で、触れられるものすべてで熱を埋めていく。
「……んっ」
 柔らかく広げた粘膜から指を引き抜けば、洩れた声とともに潤んだ瞳を向けられる。一度吐き出させた熱は違う形で溜まっているのだろう。
「ちょっと待ってて」
 額に唇を落としてから、ゴムを手に取る。硬く膨らんだ自らに「一回じゃ終わらないよなぁ」と心の中で呟く。まだ午前中だし。今日は休みだし。記念日だし?
 お待たせ、と脚の間へ体を寄せれば、じっと見上げられていることに気づく。白い枕カバーには響の細い髪が広がっている。
「なに?」
「結局、脱いでるなと思って」
 床にはふたりぶんの衣服が重なっている。シワになるのはわかっていたけど、綺麗に折り畳む余裕なんてなかった。
「記念日ですから」
「記念日関係ないだろ」
「あるよ」
 膝裏に手をかけ、赤く窄まる蕾の先へ触れる。あ、と期待の含んだ声が落ちてきて、吸い込むように広がった口へ、ぐっと押し込む。熱い。熱くて柔らかくて、どうしようもなく心地いい。
「やっば、気持ちよすぎる」
 緩く前後へと動かしながら進めば、ローションを馴染ませた粘膜が吸いつくように導いてくれる。
「んぅぅっ……あ、や、まだ」
「うん、まだ、な」
 奥へとたどり着き、動かしたくなる衝動をどうにか堪える。ここで無理やりやって「もう無理」って一回で終わってしまうほうが辛い。何より響にも気持ちよくなってほしい。願わくば、まだ、もっと、と響から求めてほしかった。
「響」
 そっと脚から手を離し、体を倒せば、自分よりも細い腕に抱きとめられる。
「……恭」
 じわりと溶け合う体温が気持ちよく、汗ばんだ肌がぴたりとくっつくのが嬉しい。シャツ一枚にだって隔られたくない。ゆっくり過ごせる時間があるからこその心地よさ。響も同じように思っているだろうか。
「脱いでよかっただろ?」
「――記念日だから?」
「そ、じっくり好きなだけくっつける日だから」
 ふっ、と小さな笑いを含んだ声が肩に落ちてくる。
「なんだよ」
「忘れてたくせに」
「響もだろ」
 重なった胸から同じくすぐったさが伝わり合う。本当は記念日なんてなくてもいいのだ。触れたいと思ったときに、触れたいと思う相手がそばにいる。求めれば応えてくれる、求めてもらえる。変わることなく続く日常は当たり前で、全部が特別なのだから。
「……すごい伝わってくる」
 響の中で耐えながらもドクドクと脈は大きくなっている。そろそろ限界が近い。
「そりゃ、中に入れてもらってますから」
「そうじゃなくて」
 くすくすと胸から伝わる振動がくすぐったくて、限界ラインがさらに近づく。伝わっているのは必死に耐えている俺のことではないのだろうか。そろそろ「もういいよ」って言ってほしいのだけど。
「恭」
 一度きつくなった力が緩み、両手で頬を包まれる。
「愛してるよ」
 俺も、と唇を合わせると、響の脚が絡みつき、奥だと思っていた場所よりもさらに先へ導かれた。
「ちょっ、ひび」
「……きて」
 息に近い声が落ちきるより早く、必死で握っていた自らの手綱を手放す。
「響……ひびき……」
 走り始めた衝動を抑えるものは何もなく、ただひたすらに腰を動かし、奥を突く。気持ちよさしかなくて、響の名前を呼ぶことしかできない。
「っ、きょ、う……」
 ん、あ、と跳ねる声の合間に挟まれる名前を閉じ込め、噛みつくようにキスを重ねる。柔くなった唇を味わいながら、止まることのない律動の先へふたりで駆けていく。早くたどり着きたいと逸る体と、この気持ちよさに攫われていたいと願う心と。どれだけ触れ合わせても、決してひとつにはなれない体を互いに求め合う。
「あっ、あ、きょう、もう……っ」
「ん、俺も…………ひびきっ」
「きょう……っ」
 ぐっと奥へとたどり着いた先で熱が弾ければ、擦り合わせた肌の間でも響の熱が外へと飛び出した。
「あー……、気持ちよすぎる」
 繋がりを解き、そのまま体を落とせば「重い」と抗議の声が返ってくる。でもまだ離したくない。というか、まだ全然足りない。最初から一回で終わるつもりなんてなかったけど、響はどうなんだろう。
 ちら、と横に着地させた顔を響のほうへと向ける。
「なに?」
「いや、どうかなって」
「なにが?」
「……きついかなって」
 ふっと、緩んだ息のあと、小さな振動が流れてくる。
「じっくり好きなだけくっつける日だって、恭が言ったんだろ」
「ということは?」
 期待に満ちた視線を向ければ、こちらへと顔を倒した響と数センチのところで見つめ合う。まだ足りない、という答えは、再び触れ合った唇の間で溶けていった。
しおりを挟む
感想 0

この作品の感想を投稿する

あなたにおすすめの小説

鎖に繋がれた騎士は、敵国で皇帝の愛に囚われる

結衣可
BL
戦場で捕らえられた若き騎士エリアスは、牢に繋がれながらも誇りを折らず、帝国の皇帝オルフェンの瞳を惹きつける。 冷酷と畏怖で人を遠ざけてきた皇帝は、彼を望み、夜ごと逢瀬を重ねていく。 憎しみと抗いのはずが、いつしか芽生える心の揺らぎ。 誇り高き騎士が囚われたのは、冷徹な皇帝の愛。 鎖に繋がれた誇りと、独占欲に満ちた溺愛の行方は――。

後宮の男妃

紅林
BL
碧凌帝国には年老いた名君がいた。 もう間もなくその命尽きると噂される宮殿で皇帝の寵愛を一身に受けていると噂される男妃のお話。

アプリで都合のいい男になろうとした結果、彼氏がバグりました

あと
BL
「目指せ!都合のいい男!」 穏やか完璧モテ男(理性で執着を押さえつけてる)×親しみやすい人たらし可愛い系イケメン 攻めの両親からの別れろと圧力をかけられた受け。関係は秘密なので、友達に相談もできない。悩んでいる中、どうしても別れたくないため、愛人として、「都合のいい男」になることを決意。人生相談アプリを手に入れ、努力することにする。しかし、攻めに約束を破ったと言われ……?   攻め:深海霧矢 受け:清水奏 前にアンケート取ったら、すれ違い・勘違いものが1位だったのでそれ系です。 ハピエンです。 ひよったら消します。
誤字脱字はサイレント修正します。
また、内容もサイレント修正する時もあります。
定期的にタグも整理します。
批判・中傷コメントはお控えください。
見つけ次第削除いたします。 自己判断で消しますので、悪しからず。

仕事ができる子は騎乗位も上手い

冲令子
BL
うっかりマッチングしてしまった会社の先輩後輩が、付き合うまでの話です。 後輩×先輩。

ブラコンすぎて面倒な男を演じていた平凡兄、やめたら押し倒されました

あと
BL
「お兄ちゃん!人肌脱ぎます!」 完璧公爵跡取り息子許嫁攻め×ブラコン兄鈍感受け 可愛い弟と攻めの幸せのために、平凡なのに面倒な男を演じることにした受け。毎日の告白、束縛発言などを繰り広げ、上手くいきそうになったため、やめたら、なんと…? 攻め:ヴィクター・ローレンツ 受け:リアム・グレイソン 弟:リチャード・グレイソン  pixivにも投稿しています。 ひよったら消します。
誤字脱字はサイレント修正します。
また、内容もサイレント修正する時もあります。
定期的にタグも整理します。

批判・中傷コメントはお控えください。
見つけ次第削除いたします。

同居人の距離感がなんかおかしい

さくら優
BL
ひょんなことから会社の同期の家に居候することになった昂輝。でも待って!こいつなんか、距離感がおかしい!

【BL】捨てられたSubが甘やかされる話

橘スミレ
BL
 渚は最低最悪なパートナーに追い出され行く宛もなく彷徨っていた。  もうダメだと倒れ込んだ時、オーナーと呼ばれる男に拾われた。  オーナーさんは理玖さんという名前で、優しくて暖かいDomだ。  ただ執着心がすごく強い。渚の全てを知って管理したがる。  特に食へのこだわりが強く、渚が食べるもの全てを知ろうとする。  でもその執着が捨てられた渚にとっては心地よく、気味が悪いほどの執着が欲しくなってしまう。  理玖さんの執着は日に日に重みを増していくが、渚はどこまでも幸福として受け入れてゆく。  そんな風な激重DomによってドロドロにされちゃうSubのお話です!  アルファポリス限定で連載中  二日に一度を目安に更新しております

上司、快楽に沈むまで

赤林檎
BL
完璧な男――それが、営業部課長・**榊(さかき)**の社内での評判だった。 冷静沈着、部下にも厳しい。私生活の噂すら立たないほどの隙のなさ。 だが、その“完璧”が崩れる日がくるとは、誰も想像していなかった。 入社三年目の篠原は、榊の直属の部下。 真面目だが強気で、どこか挑発的な笑みを浮かべる青年。 ある夜、取引先とのトラブル対応で二人だけが残ったオフィスで、 篠原は上司に向かって、いつもの穏やかな口調を崩した。「……そんな顔、部下には見せないんですね」 疲労で僅かに緩んだ榊の表情。 その弱さを見逃さず、篠原はデスク越しに距離を詰める。 「強がらなくていいですよ。俺の前では、もう」 指先が榊のネクタイを掴む。 引き寄せられた瞬間、榊の理性は音を立てて崩れた。 拒むことも、許すこともできないまま、 彼は“部下”の手によって、ひとつずつ乱されていく。 言葉で支配され、触れられるたびに、自分の知らなかった感情と快楽を知る。それは、上司としての誇りを壊すほどに甘く、逃れられないほどに深い。 だが、篠原の視線の奥に宿るのは、ただの欲望ではなかった。 そこには、ずっと榊だけを見つめ続けてきた、静かな執着がある。 「俺、前から思ってたんです。  あなたが誰かに“支配される”ところ、きっと綺麗だろうなって」 支配する側だったはずの男が、 支配されることで初めて“生きている”と感じてしまう――。 上司と部下、立場も理性も、すべてが絡み合うオフィスの夜。 秘密の扉を開けた榊は、もう戻れない。 快楽に溺れるその瞬間まで、彼を待つのは破滅か、それとも救いか。 ――これは、ひとりの上司が“愛”という名の支配に沈んでいく物語。

処理中です...