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11.涙
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目を覚まして初めて自分が泣いていることに気づいた。
夢はあっという間に遠ざかり、苦しさだけが胸に残される。
「土曜日か」
ケーキを買いに行く約束を思い出すと同時に、もうそんな必要はないのだと思い直す。もう一度目を閉じたなら消えてしまった夢に会えるだろうか。そんなことを考えて瞼を下ろすと、夢の中よりもはっきりとした声が間近で響いた。
「いつまで寝てんだよ」
「っ、なんで⁉︎」
思わず飛び起きるとハルはふわふわと浮いていた。器用に(?)胡坐をかいた状態で。
「なんで、って俺まだ成仏してないし」
「そうじゃなくて。出ていったんじゃないの?」
「え、もしかしてまだ怒ってる?」
「……」
怒っている、と言いたい。言いたかった。それなのに出てきたのは言葉ではなく涙だった。
「え、なんで」
戸惑った表情を見せるハルを睨み上げ、口を開く。
「全部知っていて黙ってたの?」
ハルの顔を見た瞬間に押し込めたはずの気持ちは溢れ出していた。だって悲しかったのだ。悲しくて仕方なかったのだ。ハルに事実を教えてもらえなかったことが悲しくてたまらなかった。事実そのものよりも、優しさだと思っていたハルの言葉に裏切られたことが悲しかった。
「恋を応援するって言っておいて。最初から望みなんかないのに。それなのに」
「まあ兄貴とのことはそうだけど」
「じゃあ、なんで」
「俺さ、今の恋を応援するとは言ってないよな?」
ため息とともに言葉を吐き出したハルはそこでふいっと顔を横に向けた。
「え?」
「璃子の恋を応援するって言ったのは、今の兄貴への恋を終わらせて新しく始めて欲しかったからだから……」
顔を背けたまま、空中で胡坐の姿勢を取るハルの声は次第に小さくなっていく。
「……なんで?」
「なんで、って……幸せになってほしかったから」
どんどんハルの声は小さくなっていったけれど、しっかりと私の耳には届いた。届いたからこそ聞き返してしまった。
「え?」
「あーもう。だから、璃子に、幸せになって欲しかったの! だから早く振られればいいのに、ってずっと思ってたんだよ」
「ふ、振られって、なんでそんな」
あんまりな言い方に思わず声を荒げれば、くるりと振り返ったハルは先ほどとは違う大きな声で言った。少し怒ったような顔で。
「好きだったから」
まっすぐ見つめられて言われた言葉に、すぐには理解が追いつかない。
――え? 今、なんて?
「璃子のことが好きだったから、だから、こんな不毛な恋とっとと諦めて俺の方見てほしいって思ってたんだよ」
「……うそ」
「うそじゃない。うそじゃないから俺は今ここにいるんだよ」
ハルは言った。本当の心残りは私なのだと。
「本当は俺が――でも、もう無理だから。だからせめて璃子が新しい恋を見つけるまでは見守ろうって」
「じゃあ、なんで『日曜は午前中に』って言ったの? 早く失恋して欲しかったなら『日曜は午後に』って言うはずでしょ?」
本当に早く失恋させたかったのなら。さっさと彼の奥さんに私を出会わせてしまえばよかったのに。それなのにハルが指定した曜日も時間も店内に奥さんの姿はなかった。ハルならお店のシフトを知っていたはずなのに。
「それは……っ、失恋はしてほしかったけど、でも、傷ついてほしかったわけじゃないから、だから……」
視線を落とし、ハルは言葉を途切れさせた。俯けられた顔の横、短い髪の間から覗く耳は赤く染まっている。触れることはできなくても。冷たい風のような感触しかなくても。もうこの世界に生きているのではなくても。ハルは確かにここにいた。表情をくるくると変え、残っている熱を――体温を――色に変えて目の前に存在していた。
不意に浮かんだのは柔らかな甘さだった。気づいたときには言葉は勝手にこぼれていた。
「――シュークリーム」
「え?」
さっきのハルと同じ。私も怒ったような声で言ってしまう。
「シュークリーム選んでたの! 早く成仏させなきゃ、早く出ていってもらわなきゃって思っていたはずなのに。あのときはそんなこと考えてなかった。ただ一緒に食べたいなって、一番好きなシュークリームを選んでた。それなのに全然美味しくなかったの。一番好きなのに全然美味しくなくて」
「璃子……それって」
顔を上げたハルと目が合う。繋がった視線の先に映るお互いの姿はきっと同じだ。私たちは今、同じ表情をしているに違いない。
「ひどいよ。応援するなんて言って、気づいた途端に失恋なんて。ひどすぎるよ」
本当は気づきたくなかった。気づきたくなんてなかったのに。
「なんで、俺……死んだんだろ……」
落とされた言葉がすべてだった。
私たちは静かな土曜日の朝、ただずっと泣いていた。
――ああ、幽霊も泣くんだ。
そんなことを思いながらも涙は止まらなかった。
夢はあっという間に遠ざかり、苦しさだけが胸に残される。
「土曜日か」
ケーキを買いに行く約束を思い出すと同時に、もうそんな必要はないのだと思い直す。もう一度目を閉じたなら消えてしまった夢に会えるだろうか。そんなことを考えて瞼を下ろすと、夢の中よりもはっきりとした声が間近で響いた。
「いつまで寝てんだよ」
「っ、なんで⁉︎」
思わず飛び起きるとハルはふわふわと浮いていた。器用に(?)胡坐をかいた状態で。
「なんで、って俺まだ成仏してないし」
「そうじゃなくて。出ていったんじゃないの?」
「え、もしかしてまだ怒ってる?」
「……」
怒っている、と言いたい。言いたかった。それなのに出てきたのは言葉ではなく涙だった。
「え、なんで」
戸惑った表情を見せるハルを睨み上げ、口を開く。
「全部知っていて黙ってたの?」
ハルの顔を見た瞬間に押し込めたはずの気持ちは溢れ出していた。だって悲しかったのだ。悲しくて仕方なかったのだ。ハルに事実を教えてもらえなかったことが悲しくてたまらなかった。事実そのものよりも、優しさだと思っていたハルの言葉に裏切られたことが悲しかった。
「恋を応援するって言っておいて。最初から望みなんかないのに。それなのに」
「まあ兄貴とのことはそうだけど」
「じゃあ、なんで」
「俺さ、今の恋を応援するとは言ってないよな?」
ため息とともに言葉を吐き出したハルはそこでふいっと顔を横に向けた。
「え?」
「璃子の恋を応援するって言ったのは、今の兄貴への恋を終わらせて新しく始めて欲しかったからだから……」
顔を背けたまま、空中で胡坐の姿勢を取るハルの声は次第に小さくなっていく。
「……なんで?」
「なんで、って……幸せになってほしかったから」
どんどんハルの声は小さくなっていったけれど、しっかりと私の耳には届いた。届いたからこそ聞き返してしまった。
「え?」
「あーもう。だから、璃子に、幸せになって欲しかったの! だから早く振られればいいのに、ってずっと思ってたんだよ」
「ふ、振られって、なんでそんな」
あんまりな言い方に思わず声を荒げれば、くるりと振り返ったハルは先ほどとは違う大きな声で言った。少し怒ったような顔で。
「好きだったから」
まっすぐ見つめられて言われた言葉に、すぐには理解が追いつかない。
――え? 今、なんて?
「璃子のことが好きだったから、だから、こんな不毛な恋とっとと諦めて俺の方見てほしいって思ってたんだよ」
「……うそ」
「うそじゃない。うそじゃないから俺は今ここにいるんだよ」
ハルは言った。本当の心残りは私なのだと。
「本当は俺が――でも、もう無理だから。だからせめて璃子が新しい恋を見つけるまでは見守ろうって」
「じゃあ、なんで『日曜は午前中に』って言ったの? 早く失恋して欲しかったなら『日曜は午後に』って言うはずでしょ?」
本当に早く失恋させたかったのなら。さっさと彼の奥さんに私を出会わせてしまえばよかったのに。それなのにハルが指定した曜日も時間も店内に奥さんの姿はなかった。ハルならお店のシフトを知っていたはずなのに。
「それは……っ、失恋はしてほしかったけど、でも、傷ついてほしかったわけじゃないから、だから……」
視線を落とし、ハルは言葉を途切れさせた。俯けられた顔の横、短い髪の間から覗く耳は赤く染まっている。触れることはできなくても。冷たい風のような感触しかなくても。もうこの世界に生きているのではなくても。ハルは確かにここにいた。表情をくるくると変え、残っている熱を――体温を――色に変えて目の前に存在していた。
不意に浮かんだのは柔らかな甘さだった。気づいたときには言葉は勝手にこぼれていた。
「――シュークリーム」
「え?」
さっきのハルと同じ。私も怒ったような声で言ってしまう。
「シュークリーム選んでたの! 早く成仏させなきゃ、早く出ていってもらわなきゃって思っていたはずなのに。あのときはそんなこと考えてなかった。ただ一緒に食べたいなって、一番好きなシュークリームを選んでた。それなのに全然美味しくなかったの。一番好きなのに全然美味しくなくて」
「璃子……それって」
顔を上げたハルと目が合う。繋がった視線の先に映るお互いの姿はきっと同じだ。私たちは今、同じ表情をしているに違いない。
「ひどいよ。応援するなんて言って、気づいた途端に失恋なんて。ひどすぎるよ」
本当は気づきたくなかった。気づきたくなんてなかったのに。
「なんで、俺……死んだんだろ……」
落とされた言葉がすべてだった。
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――ああ、幽霊も泣くんだ。
そんなことを思いながらも涙は止まらなかった。
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