今日はなんの日

hamapito

文字の大きさ
20 / 34

『クリスマスイヴ』side伊織(2) 

しおりを挟む

 つま先の感覚はすでに失われていたけれど、それでもひたすら足を動かし続けた。冷え切った両手をコートのポケットに突っ込んだまま、吐き出される自分の白い息を置き去りにして、歩き続けた。頭に残る光景を振り払いたくて、冷えきった空気を大きく吸い込んでみるが、体に残るのは一瞬の冷たさと疼き出したまま消えない胸の痛みだけで、蘇ってしまった記憶を塗りつぶしてはくれない。
「……っ、」
 噛み締めた唇の先から声が漏れる。日が暮れ、下がり続ける気温とは反対に、目の奥は熱くなり、鼻の痛みは増していく。
 こわい。
 こわくてたまらない。
 なんで、こんなに苦しいのだろう。
 どうして、こんな気持ちになるのだろう。
 どうしたら、コレは消えてくれるのだろう。
 ——本当はわかっている。どこかで気づいていた。大和への自分の気持ちを自覚した、その瞬間から、この不安はずっとあったのだから。ずっとあったのに、それに気づかないフリをしていた。気付きたくない、このままでいたい。そう思っていたくせに、俺はいつのまにか手を伸ばしてしまっていた。俺がちょっとくらい壊しても、大和が変わらなければ、どうにかなるのだと、そう勝手に決めつけて、自分だけがしたいように振舞って、それで……大和を傷つけた。なんの覚悟もないくせに自分勝手に動いた俺が、大和を傷つけたんだ。
 手を離したのは、自分だった。
 足を止めたのは、自分だった。
 声をあげなかったのは、自分だ。
 ——まだ間に合うなんて、どうして思ったのだろう。

     *

 もう何度同じ仕草を繰り返しているだろう。
 見慣れたメッセージアプリを起動させては、すぐに閉じる。そして表示される時刻を確かめては画面を真っ暗に戻す。
 一言でいい。
 いつもと同じように、何も気にせず送ればいい。
 既読がつかなかったら、気づいていないだけ。
 返信が来なかったら、ちょっとタイミングが悪かっただけ。
 自分に都合のいい理由なんていくらでも考えられる。
 ——だけど、そうじゃなかったら?
 見慣れてしまった、白地にシルバーのラインが入ったバッシュを並べただけのシンプルなアイコンの上を、俺の人差し指は触れることなく通過する。
 一人で部室へと向かう、その背中に声をかけることも、何か言い合いをしながらも、バス停へと駆けていく二人を追いかけることも、何も、できなかった。
 それでも、そのまま家に帰ることもできなくて、途切れないクリスマスソングと繰り返されるクリスマスケーキを勧める声の中に一人立ち止まったまま、消えかけていた熱を集めるように強く手を握りしめる。
 電車の発車ベルとともに、階段を上って大勢の人が改札へと向かってくる。その一人一人の顔を確かめることなんて到底できない。できないけれど、それでも、どこかで俺は期待していた。あの日——大和の誕生日の時と同じように、この人混みの中でも俺たちは出会えるのだと、そう信じていた。
 電車の到着を知らせる音楽が駅構内に響き渡る。
 反対側のホームに吐き出された乗客が先ほどの人波に混ざり合い、線を引かれたように並ぶ改札前は一層混雑していた。それでも、その中で頭一つ分飛び抜けた、見慣れたその姿を俺は見つけ出す。
「!」
 近づくにつれ、首に巻かれた紺色のマフラーとチャコールグレーのダッフルコートがはっきりと見え始め、そして——
やま……!!」
 開いていた口をとっさに閉じ、出かかっていた名前を飲み込んだ俺は、体を翻し、背中を預けていた大きな柱の影へと滑り込んだ。
「……」
 頭の中まで鳴り響く自分の心臓をコートの上から押さえ、そっと視線だけを振り返らせる。
 改札を抜け、自由に人が行き交うその場所に、大和はいた。
 隣を歩く自分よりも小さな存在を守るように、少しだけ顔を傾けて。
 大きくなるざわめきと、聞き飽きたクリスマスソングと、クリスマスケーキのタイムセールを告げる声が俺の耳を塞ぐ。
 流れる人を避けるように歩き出した二人の声など、聞こえるはずもない。
 大和を見上げるたびにポニーテールの先が揺れる。
「!」
 大和の隣で小さく笑うその横顔に、閉じ込めていた記憶の蓋が音を立てて外れた。
 ドクンッ……
 ずっとその後ろ姿しか見えていなかった。
 まさか同じ学校だとも、こんなに近くにいるとも思わなかった。
 あれはほんの一瞬の出来事。
 俺だって、はっきりと覚えていたわけじゃない。
 だけど、きっと、彼女だ。
 あの時、あの場所にいたのは——
 大和はきっと気づいていない。
 彼女も、どこまで気づいていたのか、俺にはわからない。
 彼女に視線を向ける大和はどこか呆れたように笑っている。
 ほんの少しの間、駅ビルの入り口にあるフロアマップの前で立ち止まった二人だったが、やがて賑やかなBGMが流れる店内へと吸い込まれていってしまった。
「っ、……」
 俺は二人が消えた方角とは反対の、真っ暗な夜の空が広がる出口へと歩き出した。

     *

 自分に都合のいい言い訳なんて、いくらでも浮かぶはずだった。
 学校で二人を見送ったその後、すれ違ったバスケ部の誰かが言っていた。
「監督も鬼だよなぁ。ウィンターカップなんて29日まであるんだから、何も今日にしなくてもいいじゃんな」
「だよなぁ。ほんと、押し付けられなくてよかった」
「ほんとそれ。大和には悪いけど」
 その言葉に、俺はその場に足を止め、用もないのにスマホを取り出した。
 明るくなった桜の花に視線を落としたまま、意識を遠ざかっていく声へと向ける。
「……それ、本気で言ってる?」
「は?」
「あのチケット、監督からのクリスマスプレゼントだと私は思うけど」
「?」
「だって、部活の一環ってことにすれば誘いやすいじゃない」
「!」
 思わず振り返った俺に気づく人はいなかった。
 校門の先の坂道を下っていく彼らの姿が、俺の視界から消えていく。
「チケットだって仕組まれたように二枚しかくれないしさ」
「え、じゃあ、何?監督はイヴを潰したかったわけじゃなくて、むしろデートのお膳立てをしたってこと?」
「ま、これを押し付けられたと取るか、デートのチャンスと取るかは本人次第だけど」
「うわぁ、なに?じゃあ、あの二人付き合いだしちゃうかもってこと?」
 ——言い訳なんて、いくらでも浮かぶのに。
 あの時の彼女の視線がどうしても頭から離れない。
 バスケ部の誰かの声が耳に残ったまま消えない。
 ぼやけ始める視界に逆らうように必死に顔を前に向ける。
 降り始めた雪がかすめていく、その先に、いつもの分かれ道が現れる。
 俺は足を止め、柔らかな光が漏れる家々が並ぶ道へと視線を向ける。
 この場所に、二人で立ち止まることは、もうないのかもしれない。
「……大和、」
 飲み込んだまま、口にすることのできなかった、その名前を、届くはずはないとわかっていながらも、俺はこぼさずにはいられなかった——


しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

笑って下さい、シンデレラ

椿
BL
付き合った人と決まって12日で別れるという噂がある高嶺の花系ツンデレ攻め×昔から攻めの事が大好きでやっと付き合えたものの、それ故に空回って攻めの地雷を踏みぬきまくり結果的にクズな行動をする受け。 面倒くさい攻めと面倒くさい受けが噛み合わずに面倒くさいことになってる話。 ツンデレは振り回されるべき。

【完結・BL】春樹の隣は、この先もずっと俺が良い【幼馴染】

彩華
BL
俺の名前は綾瀬葵。 高校デビューをすることもなく入学したと思えば、あっという間に高校最後の年になった。周囲にはカップル成立していく中、俺は変わらず彼女はいない。いわく、DTのまま。それにも理由がある。俺は、幼馴染の春樹が好きだから。だが同性相手に「好きだ」なんて言えるはずもなく、かといって気持ちを諦めることも出来ずにダラダラと片思いを続けること早数年なわけで……。 (これが最後のチャンスかもしれない) 流石に高校最後の年。進路によっては、もう春樹と一緒にいられる時間が少ないと思うと焦りが出る。だが、かといって長年幼馴染という一番近い距離でいた関係を壊したいかと問われれば、それは……と踏み込めない俺もいるわけで。 (できれば、春樹に彼女が出来ませんように) そんなことを、ずっと思ってしまう俺だが……────。 ********* 久しぶりに始めてみました お気軽にコメント頂けると嬉しいです ■表紙お借りしました

【完結・BL】俺をフッた初恋相手が、転勤して上司になったんだが?【先輩×後輩】

彩華
BL
『俺、そんな目でお前のこと見れない』 高校一年の冬。俺の初恋は、見事に玉砕した。 その後、俺は見事にDTのまま。あっという間に25になり。何の変化もないまま、ごくごくありふれたサラリーマンになった俺。 そんな俺の前に、運命の悪戯か。再び初恋相手は現れて────!?

溺愛系とまではいかないけど…過保護系カレシと言った方が 良いじゃねぇ? って親友に言われる僕のカレシさん

315 サイコ
BL
潔癖症で対人恐怖症の汐織は、一目惚れした1つ上の三波 道也に告白する。  が、案の定…  対人恐怖症と潔癖症が、災いして号泣した汐織を心配して手を貸そうとした三波の手を叩いてしまう。  そんな事が、あったのにも関わらず仮の恋人から本当の恋人までなるのだが…  三波もまた、汐織の対応をどうしたらいいのか、戸惑っていた。  そこに汐織の幼馴染みで、隣に住んでいる汐織の姉と付き合っていると言う戸室 久貴が、汐織の頭をポンポンしている場面に遭遇してしまう…   表紙のイラストは、Days AIさんで作らせていただきました。

【完結】男の後輩に告白されたオレと、様子のおかしくなった幼なじみの話

須宮りんこ
BL
【あらすじ】 高校三年生の椿叶太には女子からモテまくりの幼なじみ・五十嵐青がいる。 二人は顔を合わせば絡む仲ではあるものの、叶太にとって青は生意気な幼なじみでしかない。 そんなある日、叶太は北村という一つ下の後輩・北村から告白される。 青いわく友達目線で見ても北村はいい奴らしい。しかも青とは違い、素直で礼儀正しい北村に叶太は好感を持つ。北村の希望もあって、まずは普通の先輩後輩として付き合いをはじめることに。 けれど叶太が北村に告白されたことを知った青の様子が、その日からおかしくなって――? ※本編完結済み。後日談連載中。

【完結】後悔は再会の果てへ

関鷹親
BL
日々仕事で疲労困憊の松沢月人は、通勤中に倒れてしまう。 その時に助けてくれたのは、自らが縁を切ったはずの青柳晃成だった。 数年ぶりの再会に戸惑いながらも、変わらず接してくれる晃成に強く惹かれてしまう。 小さい頃から育ててきた独占欲は、縁を切ったくらいではなくなりはしない。 そうして再び始まった交流の中で、二人は一つの答えに辿り着く。 末っ子気質の甘ん坊大型犬×しっかり者の男前

握るのはおにぎりだけじゃない

箱月 透
BL
完結済みです。 芝崎康介は大学の入学試験のとき、落とした参考書を拾ってくれた男子生徒に一目惚れをした。想いを募らせつつ迎えた春休み、新居となるアパートに引っ越した康介が隣人を訪ねると、そこにいたのは一目惚れした彼だった。 彼こと高倉涼は「仲良くしてくれる?」と康介に言う。けれど涼はどこか訳アリな雰囲気で……。 少しずつ距離が縮まるたび、ふわりと膨れていく想い。こんなに知りたいと思うのは、近づきたいと思うのは、全部ぜんぶ────。 もどかしくてあたたかい、純粋な愛の物語。

ある日、友達とキスをした

Kokonuca.
BL
ゲームで親友とキスをした…のはいいけれど、次の日から親友からの連絡は途切れ、会えた時にはいつも僕がいた場所には違う子がいた

処理中です...