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『大晦日*前日』side大和
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「大和くん?」
伊織に会うことなく、冬休みも折り返そうとしていた、大晦日前日。
大掃除の邪魔だからと、母さんに年末の買い物を言いつけられた俺は駅前のスーパーを出たところだった。エコバックいっぱいの荷物を抱えた俺は、突然聞こえたその声に少し驚きながら振り返った。
「あ、やっぱり。わぁ、ちょっと見ない間にまた背が伸びたんじゃない?」
そう言って楽しそうに目を細める、その表情は伊織にとてもよく似ている。
「あ、お久しぶりです」
途切れることのない買い物客を避けるように、少しだけ足を進める。
「ふふ、頭一つ飛び抜けてるからすぐにわかっちゃった。あー、その身長、ちょっと伊織に譲ってほしいくらいだわ」
耳に響くその名前に、少しだけ胸の奥が痛んだが、「はは、分けられたらいいんですけどね」となんでもないように笑って返す。
「まぁでも、身長より今はもうちょっとたくましくなって欲しいかな」
「伊織、細いですもんね」
「食べても太らないっていうのは羨ましい限りなんだけどね」
駅から遠ざかる、伊織と俺の家の方角に向かって自然と体を向けた俺に対し、並んでいた黒のパンプスの音はピタリと止まった。
「?あれ、家に帰るんじゃないんですか?」
きっちりと後ろで束ねられたまっすぐな黒髪、ロングコートの裾から覗く細身の黒のパンツスーツ、ヒールの音と重なるように鳴っていたキャリーケースのタイヤが転がる音。なんの疑いもなく、仕事帰りなのだと思っていた。
「残念ながら、これから仕事なの」
「え?これから?」
「本当は私も休みたいんだけどね。昨日まで休んじゃったから仕方ないのよ」
「あー、そうだったんですね」
そう言って肩にかけた荷物を持ち直しつつも、俺は足元に置かれたキャリーケースが気になってしまう。
「えっと、出張とかですか?」
「そう、残念ながらね。帰ってくるのは年明けの2日」
「え、じゃあ、伊織は」
思わず放ってしまった俺の言葉に、少し困ったような寂しそうな声が返ってくる。
「本当はおばあちゃん家に行ってもらおうと思ってたんだけど、たった三日なんだから問題ないって言われちゃって。まぁ、インフルも治ったことだし、大丈夫だとは思うんだけどね」
「え、伊織、インフルだったんですか!?」
「あれ?大和くん知らなかった?ちょうどクリスマスくらいに発症しちゃって、昨日まで一歩も外に出られなかったのよ、あの子」
「そう、だったんですか……」
俺が最後に見た伊織は、教室でいつもと同じように女子たちに囲まれていた。
その後ろを声もかけずに、通り過ぎたのは俺だった。
あの時の俺は、どこかでまだ期待していたのかもしれない。
可愛く化粧をされた伊織が当たり前に俺の前に現れることを——
*
——ふと、名前を呼ばれた気がして、思わず振り返っていた。
「どうかした?」
けれど、振り返った先、お店の出入り口付近に見えるのは足早に過ぎていく人の波で、自分に向けられている視線などどこにもなかった。目の前に座る佐渡が不思議そうな表情をして、俺を見上げている。
「あ、いや、なんでもない」
顔を戻した俺は、机に置かれた白いカップを手に取る。酸味の効いたコーヒーの香りが鼻の奥に柔らかく広がる。
監督にタダでもらったチケットとはいえ、佐渡が元気のない俺を見かねて誘ってくれたらしいので、そのお礼として試合後にそのままお茶を奢ることになった。
「……まぁ、ショックだよね」
「え?」
「好きな子に手を振り払われたら、さ」
「は!?え、なに、」
驚き叫んだ俺の声は、店内にかかる緩やかなBGMと出入り口から流れ込む駅ビル内に響くクリスマスソングにかき消される。
「遊園地、いたでしょ?伊織くんと」
「!!」
かろうじて飛び出さずに済んだ熱いコーヒーがカップの中で波打つ。
「たまたま見ちゃったんだよね」
何層にも重なる生地を細いフォークの先で器用に切り取り、口に運んだ佐渡が視線だけを俺に向ける。俺にとっては驚くばかりの言葉を平然と放ちながら、佐渡の小さな手は止まることなくケーキを切り分けていく。
「たまたまって、」
「あの日、ちょうど妹の誕生日で、私も家族で行ってたんだよね」
「……」
口の端についたココアパウダーを指先でさらった佐渡は、まだ半分残るケーキの横にフォークを置き、両手で抱えるようにミルクティーの入ったカップを持ち上げた。ふわりと揺れる湯気の中、その声はどこか寂しそうに揺れる。
「私だって、まさか会うとは思ってなかったよ」
静かに外へと向けられた佐渡の顔が窓ガラスに反射していて、初めて見るその表情に俺の声も不安定に揺れる。
「な、んだよ。気づいてたなら、声かけてくれれば……」
「できないよ。できるわけないじゃん、成瀬くんのあんな顔、初めて見たもん」
「!」
「……泣きたいのは、こっちだったのに、さ」
「え?」
呟くように漏らした佐渡の言葉は、とても小さく、俺の耳にはっきりと届く前に店内の音楽にかき消された。それでも、窓に映るその表情に、聞き逃していい言葉だったとはとても思えなくて、俺はもう一度確かめようと口を開いた。
「佐渡、今、なんて……」
「らしくないなぁ」
けれど、そんな俺の声を遮るように振り返った佐渡は、もういつもと同じように少し呆れたように笑って見せた。
「え?」
再び細いフォークの先をミルクレープの先に当てながら、佐渡が少し怒ったように声を尖らせる。
「なんか、今の成瀬くんって、ちっともらしくないんだよね」
佐渡は目の前のケーキを見つめたままココアパウダーのついたフォークの先を口の中に入れる。
「らしくないって、」
「成瀬くんはさ、速攻の先頭走って、そのまま一人でシュート決めれちゃう選手じゃん」
「??」
「それをわざわざディフェンスが来るのを待った挙句に、結局自分では打たないでパス出しちゃうなんて、そんなこと、しないでしょ?」
「……そんなんしたら、怒られるわ」
「そう、だから私が怒ってあげる」
「いや、さっきから言ってる意味がよくわかんないんだけど」
最後の一口を口に運び、その甘さを味わった佐渡がまっすぐ俺の顔を見つめて言った。
「こんなところで試合終了のブザー待ってないで、ちゃんと前見て走りなよ」
「!?」
「シュート打つ前から外れる心配ばっかりしてるなんて、ちっとも成瀬くんらしくないし、すっごいカッコ悪いから」
両手で大きなカップを傾け、喉を鳴らすように残っていたミルクティーを飲み込んだ佐渡が戸惑ったままの俺の顔を見て笑った。
「何度ディフェンスに弾かれたって、諦めずにまた突っ込んでいくのが成瀬くんでしょ?」
「佐渡……」
「ごちそうさまでした!んー、美味しかった」
話したいだけ話して満足したのか、佐渡は椅子の背にかけていたコートを手に取り、そのまま袖を通す。
「じゃあ、帰ろっか」
「え、あ、あぁ」
促されるように帰り支度を整え、きっちり佐渡の分までお会計を済ませた俺が店を出ると、マフラーを巻き終わった佐渡が「ごちそうさま」と小さく笑った。
「あ、ケーキのお礼に、私がボール拾ってあげてもいいよ」
「え?」
くるりと俺に背を向けた佐渡は、俺を振り返ることなく歩き出す。
その表情を俺から確かめることはもうできない。マフラーから飛び出たポニーテールの先を見つめながら、俺も歩き出す。途切れることのないクリスマスソングに駅のざわめきが混ざっていく。
「あのさ、さっきの例えだけど……」
「シュート……外れたらさ、私が拾ってあげるね」
駅ビルの自動ドアを抜け、人の声で溢れる駅構内に出た時だった。振り返った佐渡が俺を見上げて言った。
その言葉を理解できないほど、俺は鈍感ではなかった。
「!佐渡、それって、」
「ボール拾い、得意だからさ、私。じゃあ、健闘を祈る!」
「え、いや、佐渡、」
呼び止めようとする俺の声を振り切り、大勢の人が行き交う場所を器用に走り抜けた佐渡は、あっさり改札の中へと入ってしまう。
ホームへと向かう人の波に乗りながら、佐渡が一瞬だけ、こちらを向いた気がしたけれど、その小さな体はあっという間に俺の視界から消えてしまった。
「……らしくない、かぁ」
思わず漏らした言葉は、誰にも届かずに消えてしまうけれど。それでも、自分の中にだけは刻み込まれる。
俺はコートのポケットからスマホを取り出し、見慣れた桜の写真をスライドさせる。
何度も目にしたその名前を表示させ、発信ボタンに触れると同時に、俺は雪の中へと駆け出した。
*
あの日——
何度も繰り返される呼び出し音に、伊織が応えることはなかった。
いつものように「大和、手伝ってよ」と家のチャイムが鳴らされることもなかった。
それが俺に対する伊織の答えだと、そう思っていたけれど、でも——
「あのっ!伊織、うちに連れてっちゃダメですか?」
「え?」
「あ、ほら、うちの母さんも、伊織のこと大好きなんで、むしろ大歓迎だと思うし!それに、ほら、おばさんも伊織に一人でいられるより、うちの方が安心じゃないかなって、思ったん、ですけど……」
震えるほど寒かったはずの手の先が熱を持ち始める。持ち手から伝わる重みによって肩にかかる痛みさえどこか消えていて、マフラーで半分ほど隠した顔は熱くなっていく。
「……うん、そうね。それじゃあ、お願いしてもいいかしら」
「!」
「大和くんのお母さんには、私から伝えておくから。明日から伊織のこと、お願いね」
「はい!ありがとうございます!!」
「……ふふ、まさかお礼を言われるとは」
そう言って小さく笑ったその表情は、やっぱり伊織によく似ていた。
伊織に会うことなく、冬休みも折り返そうとしていた、大晦日前日。
大掃除の邪魔だからと、母さんに年末の買い物を言いつけられた俺は駅前のスーパーを出たところだった。エコバックいっぱいの荷物を抱えた俺は、突然聞こえたその声に少し驚きながら振り返った。
「あ、やっぱり。わぁ、ちょっと見ない間にまた背が伸びたんじゃない?」
そう言って楽しそうに目を細める、その表情は伊織にとてもよく似ている。
「あ、お久しぶりです」
途切れることのない買い物客を避けるように、少しだけ足を進める。
「ふふ、頭一つ飛び抜けてるからすぐにわかっちゃった。あー、その身長、ちょっと伊織に譲ってほしいくらいだわ」
耳に響くその名前に、少しだけ胸の奥が痛んだが、「はは、分けられたらいいんですけどね」となんでもないように笑って返す。
「まぁでも、身長より今はもうちょっとたくましくなって欲しいかな」
「伊織、細いですもんね」
「食べても太らないっていうのは羨ましい限りなんだけどね」
駅から遠ざかる、伊織と俺の家の方角に向かって自然と体を向けた俺に対し、並んでいた黒のパンプスの音はピタリと止まった。
「?あれ、家に帰るんじゃないんですか?」
きっちりと後ろで束ねられたまっすぐな黒髪、ロングコートの裾から覗く細身の黒のパンツスーツ、ヒールの音と重なるように鳴っていたキャリーケースのタイヤが転がる音。なんの疑いもなく、仕事帰りなのだと思っていた。
「残念ながら、これから仕事なの」
「え?これから?」
「本当は私も休みたいんだけどね。昨日まで休んじゃったから仕方ないのよ」
「あー、そうだったんですね」
そう言って肩にかけた荷物を持ち直しつつも、俺は足元に置かれたキャリーケースが気になってしまう。
「えっと、出張とかですか?」
「そう、残念ながらね。帰ってくるのは年明けの2日」
「え、じゃあ、伊織は」
思わず放ってしまった俺の言葉に、少し困ったような寂しそうな声が返ってくる。
「本当はおばあちゃん家に行ってもらおうと思ってたんだけど、たった三日なんだから問題ないって言われちゃって。まぁ、インフルも治ったことだし、大丈夫だとは思うんだけどね」
「え、伊織、インフルだったんですか!?」
「あれ?大和くん知らなかった?ちょうどクリスマスくらいに発症しちゃって、昨日まで一歩も外に出られなかったのよ、あの子」
「そう、だったんですか……」
俺が最後に見た伊織は、教室でいつもと同じように女子たちに囲まれていた。
その後ろを声もかけずに、通り過ぎたのは俺だった。
あの時の俺は、どこかでまだ期待していたのかもしれない。
可愛く化粧をされた伊織が当たり前に俺の前に現れることを——
*
——ふと、名前を呼ばれた気がして、思わず振り返っていた。
「どうかした?」
けれど、振り返った先、お店の出入り口付近に見えるのは足早に過ぎていく人の波で、自分に向けられている視線などどこにもなかった。目の前に座る佐渡が不思議そうな表情をして、俺を見上げている。
「あ、いや、なんでもない」
顔を戻した俺は、机に置かれた白いカップを手に取る。酸味の効いたコーヒーの香りが鼻の奥に柔らかく広がる。
監督にタダでもらったチケットとはいえ、佐渡が元気のない俺を見かねて誘ってくれたらしいので、そのお礼として試合後にそのままお茶を奢ることになった。
「……まぁ、ショックだよね」
「え?」
「好きな子に手を振り払われたら、さ」
「は!?え、なに、」
驚き叫んだ俺の声は、店内にかかる緩やかなBGMと出入り口から流れ込む駅ビル内に響くクリスマスソングにかき消される。
「遊園地、いたでしょ?伊織くんと」
「!!」
かろうじて飛び出さずに済んだ熱いコーヒーがカップの中で波打つ。
「たまたま見ちゃったんだよね」
何層にも重なる生地を細いフォークの先で器用に切り取り、口に運んだ佐渡が視線だけを俺に向ける。俺にとっては驚くばかりの言葉を平然と放ちながら、佐渡の小さな手は止まることなくケーキを切り分けていく。
「たまたまって、」
「あの日、ちょうど妹の誕生日で、私も家族で行ってたんだよね」
「……」
口の端についたココアパウダーを指先でさらった佐渡は、まだ半分残るケーキの横にフォークを置き、両手で抱えるようにミルクティーの入ったカップを持ち上げた。ふわりと揺れる湯気の中、その声はどこか寂しそうに揺れる。
「私だって、まさか会うとは思ってなかったよ」
静かに外へと向けられた佐渡の顔が窓ガラスに反射していて、初めて見るその表情に俺の声も不安定に揺れる。
「な、んだよ。気づいてたなら、声かけてくれれば……」
「できないよ。できるわけないじゃん、成瀬くんのあんな顔、初めて見たもん」
「!」
「……泣きたいのは、こっちだったのに、さ」
「え?」
呟くように漏らした佐渡の言葉は、とても小さく、俺の耳にはっきりと届く前に店内の音楽にかき消された。それでも、窓に映るその表情に、聞き逃していい言葉だったとはとても思えなくて、俺はもう一度確かめようと口を開いた。
「佐渡、今、なんて……」
「らしくないなぁ」
けれど、そんな俺の声を遮るように振り返った佐渡は、もういつもと同じように少し呆れたように笑って見せた。
「え?」
再び細いフォークの先をミルクレープの先に当てながら、佐渡が少し怒ったように声を尖らせる。
「なんか、今の成瀬くんって、ちっともらしくないんだよね」
佐渡は目の前のケーキを見つめたままココアパウダーのついたフォークの先を口の中に入れる。
「らしくないって、」
「成瀬くんはさ、速攻の先頭走って、そのまま一人でシュート決めれちゃう選手じゃん」
「??」
「それをわざわざディフェンスが来るのを待った挙句に、結局自分では打たないでパス出しちゃうなんて、そんなこと、しないでしょ?」
「……そんなんしたら、怒られるわ」
「そう、だから私が怒ってあげる」
「いや、さっきから言ってる意味がよくわかんないんだけど」
最後の一口を口に運び、その甘さを味わった佐渡がまっすぐ俺の顔を見つめて言った。
「こんなところで試合終了のブザー待ってないで、ちゃんと前見て走りなよ」
「!?」
「シュート打つ前から外れる心配ばっかりしてるなんて、ちっとも成瀬くんらしくないし、すっごいカッコ悪いから」
両手で大きなカップを傾け、喉を鳴らすように残っていたミルクティーを飲み込んだ佐渡が戸惑ったままの俺の顔を見て笑った。
「何度ディフェンスに弾かれたって、諦めずにまた突っ込んでいくのが成瀬くんでしょ?」
「佐渡……」
「ごちそうさまでした!んー、美味しかった」
話したいだけ話して満足したのか、佐渡は椅子の背にかけていたコートを手に取り、そのまま袖を通す。
「じゃあ、帰ろっか」
「え、あ、あぁ」
促されるように帰り支度を整え、きっちり佐渡の分までお会計を済ませた俺が店を出ると、マフラーを巻き終わった佐渡が「ごちそうさま」と小さく笑った。
「あ、ケーキのお礼に、私がボール拾ってあげてもいいよ」
「え?」
くるりと俺に背を向けた佐渡は、俺を振り返ることなく歩き出す。
その表情を俺から確かめることはもうできない。マフラーから飛び出たポニーテールの先を見つめながら、俺も歩き出す。途切れることのないクリスマスソングに駅のざわめきが混ざっていく。
「あのさ、さっきの例えだけど……」
「シュート……外れたらさ、私が拾ってあげるね」
駅ビルの自動ドアを抜け、人の声で溢れる駅構内に出た時だった。振り返った佐渡が俺を見上げて言った。
その言葉を理解できないほど、俺は鈍感ではなかった。
「!佐渡、それって、」
「ボール拾い、得意だからさ、私。じゃあ、健闘を祈る!」
「え、いや、佐渡、」
呼び止めようとする俺の声を振り切り、大勢の人が行き交う場所を器用に走り抜けた佐渡は、あっさり改札の中へと入ってしまう。
ホームへと向かう人の波に乗りながら、佐渡が一瞬だけ、こちらを向いた気がしたけれど、その小さな体はあっという間に俺の視界から消えてしまった。
「……らしくない、かぁ」
思わず漏らした言葉は、誰にも届かずに消えてしまうけれど。それでも、自分の中にだけは刻み込まれる。
俺はコートのポケットからスマホを取り出し、見慣れた桜の写真をスライドさせる。
何度も目にしたその名前を表示させ、発信ボタンに触れると同時に、俺は雪の中へと駆け出した。
*
あの日——
何度も繰り返される呼び出し音に、伊織が応えることはなかった。
いつものように「大和、手伝ってよ」と家のチャイムが鳴らされることもなかった。
それが俺に対する伊織の答えだと、そう思っていたけれど、でも——
「あのっ!伊織、うちに連れてっちゃダメですか?」
「え?」
「あ、ほら、うちの母さんも、伊織のこと大好きなんで、むしろ大歓迎だと思うし!それに、ほら、おばさんも伊織に一人でいられるより、うちの方が安心じゃないかなって、思ったん、ですけど……」
震えるほど寒かったはずの手の先が熱を持ち始める。持ち手から伝わる重みによって肩にかかる痛みさえどこか消えていて、マフラーで半分ほど隠した顔は熱くなっていく。
「……うん、そうね。それじゃあ、お願いしてもいいかしら」
「!」
「大和くんのお母さんには、私から伝えておくから。明日から伊織のこと、お願いね」
「はい!ありがとうございます!!」
「……ふふ、まさかお礼を言われるとは」
そう言って小さく笑ったその表情は、やっぱり伊織によく似ていた。
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