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第24話
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翌日、スタジオに赴くとなんとなく室内が騒然としていた。
「おはようございます。なんかあったンすか?」
「あ、ハルカおはよう」
振り返った青山氏は、ちょっと妙な顔をしてみせる。
「それがさぁ、今朝シノさんがちょっと妙でね」
「…妙…と言うと?」
「う……ん………」
言葉を濁らせた青山氏は、チラリと広尾氏へと目線を送った。
「言葉で説明するのは難しいんだけど……、シノさんってほら、すごくコレがあるでしょ?」
広尾氏は指先で空間に波線を描いて見せた。
「ああ、1号と2号」
俺の返事に、青山氏と広尾氏は一瞬面食らったような顔をして、それから急に笑い出した。
「なんだよ、それェ!」
「だって、まるっきり二人いるみたいだから。穏やかな方が1で、低気圧の方が2って区別してたんですけど」
「そりゃいいや。ハルカに座布団1枚!」
「それで、どうしたんですか?」
「ハルカが言うところの2号が、ニュートラルのシノさんなんでしょ?」
「そうッスね」
「大体さぁ、1号はツアー中にしか顔を出さないつーか。平素のシノさんはずうっとああいう感じで上下はあるモノの、基本的には2号じゃない?」
「そうですね」
「ところが今日はどうした事が、1号なのよ」
「そうなんですか?」
「ハルカはさぁ、今回のツアーから参加してるからピンとこないかもしれないけど。これって実にビックリな話なんだよ?」
「確かに、説明を聞くと驚く事だってのは解りますけど……」
「オマケにいつも必ず一番に来て、準備万端整えているジャックが来てないんだよ? あげくにシノさんがアレでしょ? 今日はなんだろう? 天誅殺?」
「それって、ワルイコトが立て続けに起こるコトじゃないですか?」
「そうだっけ?」
「でも、そー言えばハルカはジャックと結構懇意にしてたみたいじゃん? なんか聞いてないの?」
「懇意…つっても、ちょこちょこ趣味ネタで話をしたぐらいですから、実のところ個人情報その他はほとんどノータッチっすよ?」
「そうか、じゃあ連絡なんかある訳ないよなぁ」
「とにかくそーいうワケで、なんとゆーか落ち着かないワケよ」
「あ、なんか情報入ったぽいですよ」
バタバタと慌ただしくスタッフが走ってきて、奥で話していた柊一に何事か囁いた。
途端に表情を強張らせた柊一は、取る物も取りあえずという様子でスタジオを飛び出していく。
「ありゃりゃ? なんか予想外に緊迫した展開ぢゃん」
「つーか、どーなったンすかね?」
成り行きを見ていると、プロデューサーが出てきていきなり「今日は解散」と申し渡された。
「どうしたんですか?」
「なんか、多聞センセイから連絡があって、ジャックってば昨日の内に緊急入院したらしいよ」
「ええっ? 入院~? どうしたの?」
「それが、詳細はよく解らないみたいだね。とにかく、シノさんが様子見に飛び出してっちゃったから、どっちにしろ今日はもう動きようがないし。明日以降のスケジュールは、改めてアナウンスがあるってさ」
こうなってしまっては、サポートミュージシャンには出る幕など無い。
結局荷物をまとめて、皆それぞれにスタジオを出て散っていく。
俺もまたギターを肩に掛けて、駅に向かった。
それにしても、多聞氏の行動の早さには舌を巻く。
実のところ、俺は内心モノスゴク驚いていた。
少なくとも中師氏が裏で手配を済ませるまでは、物理的な行動に及ぶ事があるなんて思ってなかったからだ。
「電話してみるか………?」
とりあえず、この急展開に情報が足りなすぎると感じていた俺は、携帯を取り出すと多聞氏のナンバーにコールする。
「もしもし?」
数回の呼び出し音の後、すんなりと多聞氏が応答に出た。
「すみません、神巫です」
「ああ、キミか」
「あの、ちょっとお訊ねしたいんですが………」
「俺、考えたんだけどね。…ハルカはもう、俺とはアポを取らない方が良いと思うんだ」
「は?」
「利用したみたいで悪いな…とは思ってるんだけどね。…ゴメン、もうすぐ柊一が来るから、切るよ」
「え? あの、多聞サン?」
有無を言わさず、通話は切れてしまった。
一体、どういうコトだ?
というか、利用した……ってどういう意味だろう?
少なくとも、俺は柊一を手に入れる為に多聞氏を利用したとは思うが。
しかし多聞氏の口調からは俺を責めると言うよりは、謝罪しているみたいだった。
と、そこまで考えた時。
俺はふと、昨日の中師氏と多聞氏の暗号めいた会話を思い出す。
多聞氏の不可解な行動と台詞のナゾを解く鍵は、中師氏が持っているような気がする。
となったら、中師氏に会わねばなるまい。
会って貰えるかどうか、実はかなり不安だったのだが。
昨日訪れたビルの、昨日と同じ受付嬢に名乗ると、まるでアポ済みみたいにすんなりと中師氏のオフィスに通された。
「来ると思ってたよ」
開口一番そう言われて、俺はビックリする。
「どういう意味ですか?」
「昨日の様子だと、多聞クンの真意を知ってる様子じゃなかったからね」
「真意?」
「あまりに素早く多聞クンが行動に出たから、訊きに来たんだろう? とりあえず、そこに座ったらどうかな?」
勧められたソファに座ると、中師氏は俺の向かい側に腰を降ろした。
「多聞クンの本当の目的は、椿の社会的地位を抹殺する事だったからね」
てっきり多聞氏は幼なじみとしての親切心やら、柊一に対する同情やらで、俺に手を貸してくれた…と思っていた俺には、あまりに意外な台詞だった。
「まさか?」
「本当だよ。……キミは、多聞クンを利用しているつもりだったようだがね」
チラッと俺の顔を見た中師氏は、すっかり俺の下心まで見透かしているようだった。
「俺が椿の代わりに、成り代わろうとしていた…って仰るんですか?」
「別にキミを責めているワケじゃない。アレは……才能を食われる宿命のコだからね」
「…それ、どういう意味ですか?」
俺の問いに、中師氏は肩を竦めてみせる。
「言葉通りだよ」
その表情と仕種から、俺は中師氏が本当に「食わせ者」だと気付かされた。
昨日、この男はものすごくキッパリと「ステージを見た事がない」なんて言い切ったが。
とんでもない!
そんなのは口からデマカセの嘘八百で、中師氏は椿と柊一では柊一の方が商品価値が高い事に気付いていたのだ。
「キミはなかなか如才のない男だ。こういった業界で独立して仕事をしようとすると、センスと如才なさが要求されるが。…キミのように目端の利く者なら、一人で両方出来る人間が大成出来ない事もよく理解しているンだろう?」
返事に詰まって黙っていると、まるでそれまでお見通しみたいな感じで中師氏は言葉を続ける。
「両方をバランス良く持っている人間…と言うのは、言い換えればどちらも中途半端な者だ。だが、どちらか一方しか持たない人間は、この業界ではやっていけない。大成する才能には、それを売り込む切れ者の営業が必ず付いている。…もっとも世間では、その営業が才能を食い物にしている…と呼ぶようだがね。……そうだろう?」
「…俺が、柊一サンの才能を食う…と?」
「それは、私の関与する事じゃないね。だが、東雲クンは己の才能で前に突き進む事よりも、常に誰かが側にいてくれる事の方が大事だ。辰巳クンの酷い扱いにも、決して自分から辰巳クンの元を離れようとしなかったのは、偏にそういう東雲クンの性格があったからじゃないかな?」
「まさか……、柊一サンは単に虐待をされている間、逃げる術がないと思いこまされていただけでしょう?」
「確かに、同姓同名で同じ顔をしている…という逃げにくい理由はあったと思うが。しかし、東雲クンは多分逃げるチャンスがあっても逃げなかっただろうな。…理解しにくいかもしれないが、あれは一種の依存にも近いと私は思っているよ」
「じゃあ、こんな強制的に椿と切り離されたら………」
「かなりのパニックになるだろう。辰巳クンを失った今、東雲クンは…それこそキミ以外に頼る相手が居ないんじゃないのかい? …というか、キミはそれを意図して多聞クンを利用したのだとばかり思っていたのだがね?」
柊一が、どんな理由にせよ椿に執着する理由があったなんて…、それは俺にしてみればかなりの動揺を招く話だ。
「多聞サンは椿の治療の間だけ二人を引き離すつもりだって……」
「私は辰巳クンがこの業界に身を置いた時からの付き合いしかないから、多聞クンがいつからそういうつもりになっていたのか、正確には知らない。だが、私が会った時にはもう多聞クンは辰巳クンを陥れる為に奔走していたようだね。…元々、辰巳クンがミュージシャンとしてデビューするように仕向けたのも彼だし」
「ちょっと待って下さいよ。なんで椿の社会的地位を抹殺したい多聞サンが、わざわざ椿をゲーノージンにする必要があったんですか?」
「多聞クンには、東雲クンが必要だったからさ」
「はぁ?」
「つまりね、キミは多聞クンを利用して「してやったり」とするつもりだったんだろうけれど、実は多聞クンの手の中の駒にされていた…って事なんだよ。多聞クンは東雲クンを捜し出して、最初から辰巳クンと入れ替わりにさせるつもりだったんだ」
「それじゃあ、椿に『東雲柊一』を名乗るように勧めたのも………?」
「もちろん、多聞クンだ。…彼は辰巳クンをけしかけて東雲クンの社会的立場を抹消させるように勧め、頃合いを見計らって東雲クンと辰巳クンを入れ替える事によって、辰巳クン自身に己の顔も名前も手放させた…というワケだよ」
「でも、なんで中師サンがそのコトを知ってるんです?」
「東雲クンと辰巳クンを入れ替えるように、頼まれた事があるからさ」
「じゃあ、昨日のアレは2度目の交渉だったんですか?」
「最初に多聞クンから、東雲クンと辰巳クンの代役をやらせる話を聞かされた時は、辰巳クンにすっぽかしの癖があったからこちらとしては丁度イイ…程度に考えていたんだがね」
中師氏が言うには、その後になって多聞氏が椿の覚醒剤使用の話を持ってきて、このままだと不味いから椿を入院させたい…というような意向を示してきたのだそうだ。
他の人間ならともかく怪物レベルの食わせ者である中師氏だ、多聞氏の動向に不審を抱いて用心の為に椿を多聞氏の病院ではない薬物矯正施設に入院させた。
とりあえず、それで一度はクスリから離れた椿だったが。
しかし椿に覚醒剤を融通していたのは、実は多聞氏本人だったのだ。
退院したところで、側に売人がいれば直ぐにも椿は元の木阿弥になる。
そのカラクリに気付いた中師氏は、多聞氏に早々にクギを刺した。
つまり、椿単体ではビッグヒットが望めないのと同じく、柊一単体でも商品としての価値は下がるから、企業としては今更どちらか一人にされては困る…という勧告をしたワケだ。
そこで多聞氏は、椿の代わりになる人物を物色し、俺に白羽の矢を立てた。
てっきりノセられた俺は、多聞氏の予定通りに柊一にハマりこみ、お先棒をしっかり担いでしまったのだ。
「でも、多聞サンが一体どうしてそうまでして椿サンを陥れなきゃならなかったんですか?」
「さぁね。申し訳ないが、私はそこまで知る必要はないから解らないな。……だが、私の個人的見解では、彼はずっと辰巳クンを愛玩物にしたかったように見受けたよ」
「ペット………ですか?」
「まぁ、そうも言えるかもしれないが。そうは言えないかもしれない。…ただ、彼が辰巳クンを扱う時の態度は、幼い弟を取り扱うのにも似ていたね」
そこで丁度、テーブルの上に乗っていた内線が鳴った。
受話器を取った中師氏は、俺の顔をチラッとだけ見てから通話を切る。
「東雲クンが来たけれど、通して良いかな?」
「柊一サンが? なんの為に?」
俺の問いに、中師氏はちょこっと肩を竦めてみせる。
「椿クンに会わせて欲しい…と、頼みに来たんじゃないかな?」
一瞬、自分でも解るほど顔が強張った。
「会わずに帰りたいなら、そっちの扉を使って隣の部屋に行きなさい。別の出口が秘書室に繋がっているから」
さすがにここまで自分が動揺している状態では、柊一と顔を合わさない方が懸命だろう。
俺は勧められるまま、入ってきたのとは違う扉に向かった。
「……ああ、そうだ」
中師氏は俺を呼び止めると、ポケットから名刺を取り出し裏側になにかを書き込んで手渡してくる。
「なにかあったら、連絡をしなさい。これからは、キミに必要になるだろうからね」
そう言って、中師氏は半ば強引に俺を扉の向こうに押しやった。
手の中の名刺を見ると、090から始まる11桁の数字が書いてある。
どうやら、中師氏の個人名義の携帯番号らしい。
扉の向こうからは、中に通されたらしい柊一の悲痛な声が聞こえてきた。
多聞氏の病院に行っても、椿に面会させて貰えない…という、中師氏の予想通りの訴え。
その声から逃れるように、俺は中師氏のオフィスを後にした。
「おはようございます。なんかあったンすか?」
「あ、ハルカおはよう」
振り返った青山氏は、ちょっと妙な顔をしてみせる。
「それがさぁ、今朝シノさんがちょっと妙でね」
「…妙…と言うと?」
「う……ん………」
言葉を濁らせた青山氏は、チラリと広尾氏へと目線を送った。
「言葉で説明するのは難しいんだけど……、シノさんってほら、すごくコレがあるでしょ?」
広尾氏は指先で空間に波線を描いて見せた。
「ああ、1号と2号」
俺の返事に、青山氏と広尾氏は一瞬面食らったような顔をして、それから急に笑い出した。
「なんだよ、それェ!」
「だって、まるっきり二人いるみたいだから。穏やかな方が1で、低気圧の方が2って区別してたんですけど」
「そりゃいいや。ハルカに座布団1枚!」
「それで、どうしたんですか?」
「ハルカが言うところの2号が、ニュートラルのシノさんなんでしょ?」
「そうッスね」
「大体さぁ、1号はツアー中にしか顔を出さないつーか。平素のシノさんはずうっとああいう感じで上下はあるモノの、基本的には2号じゃない?」
「そうですね」
「ところが今日はどうした事が、1号なのよ」
「そうなんですか?」
「ハルカはさぁ、今回のツアーから参加してるからピンとこないかもしれないけど。これって実にビックリな話なんだよ?」
「確かに、説明を聞くと驚く事だってのは解りますけど……」
「オマケにいつも必ず一番に来て、準備万端整えているジャックが来てないんだよ? あげくにシノさんがアレでしょ? 今日はなんだろう? 天誅殺?」
「それって、ワルイコトが立て続けに起こるコトじゃないですか?」
「そうだっけ?」
「でも、そー言えばハルカはジャックと結構懇意にしてたみたいじゃん? なんか聞いてないの?」
「懇意…つっても、ちょこちょこ趣味ネタで話をしたぐらいですから、実のところ個人情報その他はほとんどノータッチっすよ?」
「そうか、じゃあ連絡なんかある訳ないよなぁ」
「とにかくそーいうワケで、なんとゆーか落ち着かないワケよ」
「あ、なんか情報入ったぽいですよ」
バタバタと慌ただしくスタッフが走ってきて、奥で話していた柊一に何事か囁いた。
途端に表情を強張らせた柊一は、取る物も取りあえずという様子でスタジオを飛び出していく。
「ありゃりゃ? なんか予想外に緊迫した展開ぢゃん」
「つーか、どーなったンすかね?」
成り行きを見ていると、プロデューサーが出てきていきなり「今日は解散」と申し渡された。
「どうしたんですか?」
「なんか、多聞センセイから連絡があって、ジャックってば昨日の内に緊急入院したらしいよ」
「ええっ? 入院~? どうしたの?」
「それが、詳細はよく解らないみたいだね。とにかく、シノさんが様子見に飛び出してっちゃったから、どっちにしろ今日はもう動きようがないし。明日以降のスケジュールは、改めてアナウンスがあるってさ」
こうなってしまっては、サポートミュージシャンには出る幕など無い。
結局荷物をまとめて、皆それぞれにスタジオを出て散っていく。
俺もまたギターを肩に掛けて、駅に向かった。
それにしても、多聞氏の行動の早さには舌を巻く。
実のところ、俺は内心モノスゴク驚いていた。
少なくとも中師氏が裏で手配を済ませるまでは、物理的な行動に及ぶ事があるなんて思ってなかったからだ。
「電話してみるか………?」
とりあえず、この急展開に情報が足りなすぎると感じていた俺は、携帯を取り出すと多聞氏のナンバーにコールする。
「もしもし?」
数回の呼び出し音の後、すんなりと多聞氏が応答に出た。
「すみません、神巫です」
「ああ、キミか」
「あの、ちょっとお訊ねしたいんですが………」
「俺、考えたんだけどね。…ハルカはもう、俺とはアポを取らない方が良いと思うんだ」
「は?」
「利用したみたいで悪いな…とは思ってるんだけどね。…ゴメン、もうすぐ柊一が来るから、切るよ」
「え? あの、多聞サン?」
有無を言わさず、通話は切れてしまった。
一体、どういうコトだ?
というか、利用した……ってどういう意味だろう?
少なくとも、俺は柊一を手に入れる為に多聞氏を利用したとは思うが。
しかし多聞氏の口調からは俺を責めると言うよりは、謝罪しているみたいだった。
と、そこまで考えた時。
俺はふと、昨日の中師氏と多聞氏の暗号めいた会話を思い出す。
多聞氏の不可解な行動と台詞のナゾを解く鍵は、中師氏が持っているような気がする。
となったら、中師氏に会わねばなるまい。
会って貰えるかどうか、実はかなり不安だったのだが。
昨日訪れたビルの、昨日と同じ受付嬢に名乗ると、まるでアポ済みみたいにすんなりと中師氏のオフィスに通された。
「来ると思ってたよ」
開口一番そう言われて、俺はビックリする。
「どういう意味ですか?」
「昨日の様子だと、多聞クンの真意を知ってる様子じゃなかったからね」
「真意?」
「あまりに素早く多聞クンが行動に出たから、訊きに来たんだろう? とりあえず、そこに座ったらどうかな?」
勧められたソファに座ると、中師氏は俺の向かい側に腰を降ろした。
「多聞クンの本当の目的は、椿の社会的地位を抹殺する事だったからね」
てっきり多聞氏は幼なじみとしての親切心やら、柊一に対する同情やらで、俺に手を貸してくれた…と思っていた俺には、あまりに意外な台詞だった。
「まさか?」
「本当だよ。……キミは、多聞クンを利用しているつもりだったようだがね」
チラッと俺の顔を見た中師氏は、すっかり俺の下心まで見透かしているようだった。
「俺が椿の代わりに、成り代わろうとしていた…って仰るんですか?」
「別にキミを責めているワケじゃない。アレは……才能を食われる宿命のコだからね」
「…それ、どういう意味ですか?」
俺の問いに、中師氏は肩を竦めてみせる。
「言葉通りだよ」
その表情と仕種から、俺は中師氏が本当に「食わせ者」だと気付かされた。
昨日、この男はものすごくキッパリと「ステージを見た事がない」なんて言い切ったが。
とんでもない!
そんなのは口からデマカセの嘘八百で、中師氏は椿と柊一では柊一の方が商品価値が高い事に気付いていたのだ。
「キミはなかなか如才のない男だ。こういった業界で独立して仕事をしようとすると、センスと如才なさが要求されるが。…キミのように目端の利く者なら、一人で両方出来る人間が大成出来ない事もよく理解しているンだろう?」
返事に詰まって黙っていると、まるでそれまでお見通しみたいな感じで中師氏は言葉を続ける。
「両方をバランス良く持っている人間…と言うのは、言い換えればどちらも中途半端な者だ。だが、どちらか一方しか持たない人間は、この業界ではやっていけない。大成する才能には、それを売り込む切れ者の営業が必ず付いている。…もっとも世間では、その営業が才能を食い物にしている…と呼ぶようだがね。……そうだろう?」
「…俺が、柊一サンの才能を食う…と?」
「それは、私の関与する事じゃないね。だが、東雲クンは己の才能で前に突き進む事よりも、常に誰かが側にいてくれる事の方が大事だ。辰巳クンの酷い扱いにも、決して自分から辰巳クンの元を離れようとしなかったのは、偏にそういう東雲クンの性格があったからじゃないかな?」
「まさか……、柊一サンは単に虐待をされている間、逃げる術がないと思いこまされていただけでしょう?」
「確かに、同姓同名で同じ顔をしている…という逃げにくい理由はあったと思うが。しかし、東雲クンは多分逃げるチャンスがあっても逃げなかっただろうな。…理解しにくいかもしれないが、あれは一種の依存にも近いと私は思っているよ」
「じゃあ、こんな強制的に椿と切り離されたら………」
「かなりのパニックになるだろう。辰巳クンを失った今、東雲クンは…それこそキミ以外に頼る相手が居ないんじゃないのかい? …というか、キミはそれを意図して多聞クンを利用したのだとばかり思っていたのだがね?」
柊一が、どんな理由にせよ椿に執着する理由があったなんて…、それは俺にしてみればかなりの動揺を招く話だ。
「多聞サンは椿の治療の間だけ二人を引き離すつもりだって……」
「私は辰巳クンがこの業界に身を置いた時からの付き合いしかないから、多聞クンがいつからそういうつもりになっていたのか、正確には知らない。だが、私が会った時にはもう多聞クンは辰巳クンを陥れる為に奔走していたようだね。…元々、辰巳クンがミュージシャンとしてデビューするように仕向けたのも彼だし」
「ちょっと待って下さいよ。なんで椿の社会的地位を抹殺したい多聞サンが、わざわざ椿をゲーノージンにする必要があったんですか?」
「多聞クンには、東雲クンが必要だったからさ」
「はぁ?」
「つまりね、キミは多聞クンを利用して「してやったり」とするつもりだったんだろうけれど、実は多聞クンの手の中の駒にされていた…って事なんだよ。多聞クンは東雲クンを捜し出して、最初から辰巳クンと入れ替わりにさせるつもりだったんだ」
「それじゃあ、椿に『東雲柊一』を名乗るように勧めたのも………?」
「もちろん、多聞クンだ。…彼は辰巳クンをけしかけて東雲クンの社会的立場を抹消させるように勧め、頃合いを見計らって東雲クンと辰巳クンを入れ替える事によって、辰巳クン自身に己の顔も名前も手放させた…というワケだよ」
「でも、なんで中師サンがそのコトを知ってるんです?」
「東雲クンと辰巳クンを入れ替えるように、頼まれた事があるからさ」
「じゃあ、昨日のアレは2度目の交渉だったんですか?」
「最初に多聞クンから、東雲クンと辰巳クンの代役をやらせる話を聞かされた時は、辰巳クンにすっぽかしの癖があったからこちらとしては丁度イイ…程度に考えていたんだがね」
中師氏が言うには、その後になって多聞氏が椿の覚醒剤使用の話を持ってきて、このままだと不味いから椿を入院させたい…というような意向を示してきたのだそうだ。
他の人間ならともかく怪物レベルの食わせ者である中師氏だ、多聞氏の動向に不審を抱いて用心の為に椿を多聞氏の病院ではない薬物矯正施設に入院させた。
とりあえず、それで一度はクスリから離れた椿だったが。
しかし椿に覚醒剤を融通していたのは、実は多聞氏本人だったのだ。
退院したところで、側に売人がいれば直ぐにも椿は元の木阿弥になる。
そのカラクリに気付いた中師氏は、多聞氏に早々にクギを刺した。
つまり、椿単体ではビッグヒットが望めないのと同じく、柊一単体でも商品としての価値は下がるから、企業としては今更どちらか一人にされては困る…という勧告をしたワケだ。
そこで多聞氏は、椿の代わりになる人物を物色し、俺に白羽の矢を立てた。
てっきりノセられた俺は、多聞氏の予定通りに柊一にハマりこみ、お先棒をしっかり担いでしまったのだ。
「でも、多聞サンが一体どうしてそうまでして椿サンを陥れなきゃならなかったんですか?」
「さぁね。申し訳ないが、私はそこまで知る必要はないから解らないな。……だが、私の個人的見解では、彼はずっと辰巳クンを愛玩物にしたかったように見受けたよ」
「ペット………ですか?」
「まぁ、そうも言えるかもしれないが。そうは言えないかもしれない。…ただ、彼が辰巳クンを扱う時の態度は、幼い弟を取り扱うのにも似ていたね」
そこで丁度、テーブルの上に乗っていた内線が鳴った。
受話器を取った中師氏は、俺の顔をチラッとだけ見てから通話を切る。
「東雲クンが来たけれど、通して良いかな?」
「柊一サンが? なんの為に?」
俺の問いに、中師氏はちょこっと肩を竦めてみせる。
「椿クンに会わせて欲しい…と、頼みに来たんじゃないかな?」
一瞬、自分でも解るほど顔が強張った。
「会わずに帰りたいなら、そっちの扉を使って隣の部屋に行きなさい。別の出口が秘書室に繋がっているから」
さすがにここまで自分が動揺している状態では、柊一と顔を合わさない方が懸命だろう。
俺は勧められるまま、入ってきたのとは違う扉に向かった。
「……ああ、そうだ」
中師氏は俺を呼び止めると、ポケットから名刺を取り出し裏側になにかを書き込んで手渡してくる。
「なにかあったら、連絡をしなさい。これからは、キミに必要になるだろうからね」
そう言って、中師氏は半ば強引に俺を扉の向こうに押しやった。
手の中の名刺を見ると、090から始まる11桁の数字が書いてある。
どうやら、中師氏の個人名義の携帯番号らしい。
扉の向こうからは、中に通されたらしい柊一の悲痛な声が聞こえてきた。
多聞氏の病院に行っても、椿に面会させて貰えない…という、中師氏の予想通りの訴え。
その声から逃れるように、俺は中師氏のオフィスを後にした。
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