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第23話
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自分でも、目的の為には結構あくどい事もやってのける性格だと自負している。
椿もずいぶんとあくどいヤツだと思うが、柊一を手に入れたい一心から俺はその椿の作った柊一の心の隙間につけいっているんだから、更にロクデナシと言っても過言ではないだろう。
実際、あんな風に強引で無理矢理な行為を強いた後も、柊一は俺の誘いを断るでもなく。
無料のツーショットタイプの掲示板を設置したら、ちゃんと日に1回はチェックをしているようで、俺がカキコミをするとちゃんと翌日までにレスが入っていた。
呼び出せば応じるし、不本意な様子を見せながらも行為にも特別な抵抗はしない。
もちろんツアーの時と同じように、俺は逢った時に毎回セックスをねだったりしないし、食事をしたり映画を見たりコンサートに誘ったりと言った、いわばデートってヤツを繰り返しただけだ。
ツアー終了から2ヶ月もすると椿のレコーディングが始まって、久しぶりに北沢氏の姿も見かけるようになった。
そんなある日、スタジオに差し入れを持って顔を出した多聞氏が俺と北沢氏の様子を見て、久しぶりにメールを寄越してきた。
内容は呼び出しで、レコーディングの合間のオフに都心にあるスターバックスに来て欲しい…という内容だった。
それだけでも不思議な感じがしたが、一番理解出来なかったのは「まともな恰好をしてくるように」という妙な指示だ。
とはいえ、共犯である多聞氏の指示とあらば仕方がない。
俺は滅多にしないタイなぞ締めて、指定されたスタバに出向いた。
落ち合った多聞氏は、これまたきちんとした身なりで現れて、なんだかちょっと見慣れない感じだ。
「随分、順調みたいだね?」
「まぁまぁ、やってますよ」
「青山が言ってたけど、ホントにハルカって変なところが謙虚って言うか。事実をその通りに話してくれないねェ?」
「ええ? 俺は自分がココまでは絶対って思った部分までしか話さないコトにしてるだけですよ。だって、予測で物を言って予定通りにならないコトってままあるじゃないですか」
「まぁ、それはそうだけどね。…でも、この辺でもう一歩前進しても良いと思うんだけど?」
「と言うと、なにか行動を起こすんですか?」
「うん、ハルカはウチの病院に来た時に、工事中だったの覚えてる?」
「ええ、覚えてますよ。それが?」
「あの工事は、実は薬物中毒患者を専門に治療する病棟を建てていたんだけど、それが先日完成してね」
「薬中患者専門……というと、まさかそこに椿を?」
「その通り。椿にはまず、薬物中毒から立ち直って貰う。椿の治療の期間中に、柊一の自立を促すのがキミの役目。俺は治療と同時に椿の自立を目指すつもりだ」
「でもそんなコト、椿サンが納得しないでしょう?」
「そりゃね。椿だって納得しないし、柊一だって尻込みするだろうね。…だから、どっちにも有無を言わせないヒトに、きっぱりそうする方針だって言って貰う必要があるワケなんだよ」
「有無を言わせないヒト?」
「椿をミュージシャンとしてトップにのし上げたヒト……つまり、中師氏をこちらの味方に付ける」
多聞氏の一言に、俺は納得した。
確かに、椿を強制的に病院に撤収して柊一にその代理を務めさせるとしたら、中師氏の了承を取っておくのは順当だ。
ツアーのステージを1度か2度、代理をする訳ではなく。
長期に渡って入れ替わりを演じるとなったら、上層部に話を通しておく方がトラブルも少ない。
第一、いっそ柊一の方がミュージシャンとしての価値は高いと、俺は見ている。
むしろ、所属事務所的には美味い汁を吸えると言えるだろう。
「だから、これから一緒に中師サン所に行くのに付き合って欲しいんだ。今日の午後、時間を空けておいて貰えるようにアポは取ってあるから」
「いいでしょう。付き合いますよ」
俺は快諾して、多聞氏と一緒に席を立った。
東雲柊一が所属しているレーベルの本社ビルは、さすがに業界大手だけあって丸の内に居を構えている。
俺と多聞氏が受付に行くと、アポの事はちゃんと受付嬢に伝わっていたらしく、直ぐに高層階にある応接室に通された。
「やあ、多聞先生久しぶりだね。神巫君とは、一昨年のイベント以来かな? こんにちは」
「覚えていて頂けて、光栄ですね」
俺達の顔を見ると、中師氏は穏やかに微笑んでソファを勧めてくれた。
「それで、話というのは?」
「実はね、ハルカ君が俺の所にちょっと面倒な相談事を持ち込んでくれて。…ちょっと俺じゃあなんとも判断のしようがないンで、中師サンに直に話した方が良いって思ったんで……」
「というと?」
「東雲柊一サンのコトなんですけど…」
切り出した俺に、中師氏は表情一つ変えもしないで先を促してくる。
「先日のツアーの後、次回以降も出来れば契約したいってお話し頂いて、現在レコーディングに参加させて頂いてるんですが」
「なにか、不都合でも?」
「契約違反…だと思うんですよ」
引っかかる単語が出てきた所為か、さすがの中師氏も少し真面目な顔になった。
「具体的に、どこがかな?」
「俺は東雲柊一サンのサポートをやるように要請されて、俺自身その条件を受諾して契約しているワケですが。実際ツアーに参加して、東雲サン以外の方のサポートをやらされたから…です」
「どういう意味かな?」
「そらっとぼけて貰っちゃ困りますよ。東雲柊一って名前を騙ってる、別人にステージやらせているでしょう? それとも、中師サンのご存じない東雲氏側のスタンドプレイでそういうコトになってるんですか?」
「……………さて、随分込み入った話を持ってきてくれましたね」
チラッと多聞氏に目線を投げて、中師氏は俺がこの一件をどの程度まで解っているのか? と問い掛けたようだった。
業界のウワサ通り、実に食えない男だ。
先程までの明らかに俺をナメてかかっていた様子とは異なり、笑っていない目が俺の評価をどうしようか計り始めている。
「別に、さほど難しい話じゃないでしょう? 俺は契約通りに東雲柊一サンのバックサポートを演らせてもらえるなら、仕事に充分満足出来ますよ」
「つまりキミは、東雲柊一が連れている代役の首を切れ…と、こう言っているのかな?」
「いいえ」
「ほう、ではどういう意味だろう?」
「俺は、東雲柊一を騙る男を排斥して欲しいと言っているだけで、東雲柊一のミュージシャンとしての才能は評価してますよ」
俺の持って回った言い方に一瞬不審な顔をしたが、察しの良い中師氏は直ぐにも俺の真意を理解したらしい。
「キミがどう思っているか知らないが、辰巳クンがヴォーカリストの東雲柊一だと、私は認識しているんだがね?」
「まさか。中師サンほどの慧眼がそんな誤認をするとは思えませんけど?」
「最初に契約しているのは辰巳クンで、辰巳クンが連れて歩いている代役の北沢クンに関しては、私が関与する事じゃあないよ。契約書には辰巳クンの名前で契約が成されているから、法的に東雲柊一は辰巳クンの芸名になるね」
「存在しない北沢淳司を名乗らせて、本人から名前を取り上げるワケですか?」
「ミュージシャンとして名乗らなければ、同姓同名の一般人に過ぎないだろう?」
中師氏の返答に、今度は俺が多聞氏に目線を送った。
「あの、医者として一言良いですか?」
俺の目配せに頷いた多聞氏は、話に割り入るような形で口を切る。
中師氏は黙ったまま、目で多聞氏に先を続けるように促した。
「椿は、このまま行くと後1年しない内に廃人になるか、最悪で命を落とす可能性があります」
「医者として、そう診てる……と?」
「そうです。…俺は友人としても医者としても、椿に出来るだけ覚醒剤の使用をさせないようにしています。でも、俺には俺の生活や仕事がありますし椿を24時間付きっきりで見張る事は出来ません。今のペースでクスリを使い続けたら、命の保証はしかねます」
中師氏は「ふむ」と言って黙り込むと、俺と多聞氏の顔を交互に見やった。
契約の内容が…と中師氏は言ったが、実際の所いざとなったらそんなモノの内容は中師氏の意向でどうにでも出来る。
椿が覚醒剤中毒で、人間的にかなり使い物にならなくなってきている事を多聞氏が。
柊一の音楽的才能が、椿のそれを凌駕する保証を俺が。
それぞれ中師氏に訴える事によって、中師氏は動くだろうと多聞氏は言う。
中師氏は椿を今の地位までの仕上げた大立て者ではあるけれど、しかし基本的には会社側の人間だ。
会社の利益になるならば、少々法に触れるような事………つまり、中野氏の死因の隠蔽なんていう汚い仕事も、椿の意に添ってやってのける。
だが、会社の損失になるとなれば、椿を簡単に切り捨てる事もするだろう。
真っ向からやりあったら椿のバックボーンに瞬殺されるのがオチだが、それを逆手にとって椿の動きを封じようと言うのだ。
しばらく俺達の顔を見つめてから、中師氏は再びあの「食えない笑み」を浮かべて見せた。
「東雲柊一が覚醒剤所持で更正施設に入所したら、スキャンダルも甚だしいな」
「でも、ボサボサ頭にヒゲを生やしたグルグル眼鏡の付き人サンが、体調不良で入院するなら問題ないでしょう?」
シビアなビジネスマンなら、この申し出にさほどの抵抗を見せないだろう。
仮に中師氏が温情派だったらば、この事態になる前に柊一に対してなんらかの手配をしたはずだ。
「…一つだけ問題があるんだがね?」
「なんですか?」
「実を言うと、私は柊一のステージを見た事が無い。…つまり、東雲柊一が本来あるべき姿になった場合、今まで通りの商品的価値が維持されるかどうか…の保証を、キミが出来るのかな?」
促すように訊ねてきた中師氏に、俺は確信犯で笑みを返した。
「俺みたいなそんじょそこらのギタリストが何を言ったところで、保険にも保証にもなりゃしないでしょう? 百聞は一見にって言いますから、今回のツアーで録った東雲柊一の音源を視聴されれば納得出来るんじゃないですか?」
自信満々に答えた俺の様子を見て、中師氏はそれまで浮かべていた「食えない笑み」から、不意に…まるで哀れむような笑みを浮かべてみせる。
「………結局、最後はキミの思い通りになるんだな?」
一瞬、中師氏の言葉の意味が理解出来なかった。
だが、それは俺に…ではなくて、多聞氏に向かって発せられた台詞だと言う事に、遅ればせながら気付く。
それにしてもやっぱり理解不能なその言葉に戸惑う俺をどう思ったのか、多聞氏はチラッとだけ俺の顔を見た。
「俺は医者として、常に最良の方法を模索しているだけですから」
「解ったよ。……では、書類の方の手配は私が済ませておく。こちらの準備が済んだら連絡を入れるから、その後はそっちで処理を進めてくれ」
そう言って、中師氏は立ち上がるとサッサと部屋を出て行った。
「あの、最後に中師サンが言っていた、思い通りとかナントカって言うのはなんですか?」
俺の問いに、多聞氏は肩を竦めてみせる。
「以前にも、椿がクスリ漬けになって廃人になる前に手を打たないと…って助言した時に、相手にされなかったからね。…やっぱり、ちゃんとしたミュージシャンに太鼓判を押して貰うと、全然違うモンだよねェ」
良かったと言って立ち上がった多聞氏は、なんとなく俺の質問をはぐらかしたようにも見えたが。
その時の俺は、そんなモノかと納得して多聞氏の後に続いて部屋を出たのだった。
椿もずいぶんとあくどいヤツだと思うが、柊一を手に入れたい一心から俺はその椿の作った柊一の心の隙間につけいっているんだから、更にロクデナシと言っても過言ではないだろう。
実際、あんな風に強引で無理矢理な行為を強いた後も、柊一は俺の誘いを断るでもなく。
無料のツーショットタイプの掲示板を設置したら、ちゃんと日に1回はチェックをしているようで、俺がカキコミをするとちゃんと翌日までにレスが入っていた。
呼び出せば応じるし、不本意な様子を見せながらも行為にも特別な抵抗はしない。
もちろんツアーの時と同じように、俺は逢った時に毎回セックスをねだったりしないし、食事をしたり映画を見たりコンサートに誘ったりと言った、いわばデートってヤツを繰り返しただけだ。
ツアー終了から2ヶ月もすると椿のレコーディングが始まって、久しぶりに北沢氏の姿も見かけるようになった。
そんなある日、スタジオに差し入れを持って顔を出した多聞氏が俺と北沢氏の様子を見て、久しぶりにメールを寄越してきた。
内容は呼び出しで、レコーディングの合間のオフに都心にあるスターバックスに来て欲しい…という内容だった。
それだけでも不思議な感じがしたが、一番理解出来なかったのは「まともな恰好をしてくるように」という妙な指示だ。
とはいえ、共犯である多聞氏の指示とあらば仕方がない。
俺は滅多にしないタイなぞ締めて、指定されたスタバに出向いた。
落ち合った多聞氏は、これまたきちんとした身なりで現れて、なんだかちょっと見慣れない感じだ。
「随分、順調みたいだね?」
「まぁまぁ、やってますよ」
「青山が言ってたけど、ホントにハルカって変なところが謙虚って言うか。事実をその通りに話してくれないねェ?」
「ええ? 俺は自分がココまでは絶対って思った部分までしか話さないコトにしてるだけですよ。だって、予測で物を言って予定通りにならないコトってままあるじゃないですか」
「まぁ、それはそうだけどね。…でも、この辺でもう一歩前進しても良いと思うんだけど?」
「と言うと、なにか行動を起こすんですか?」
「うん、ハルカはウチの病院に来た時に、工事中だったの覚えてる?」
「ええ、覚えてますよ。それが?」
「あの工事は、実は薬物中毒患者を専門に治療する病棟を建てていたんだけど、それが先日完成してね」
「薬中患者専門……というと、まさかそこに椿を?」
「その通り。椿にはまず、薬物中毒から立ち直って貰う。椿の治療の期間中に、柊一の自立を促すのがキミの役目。俺は治療と同時に椿の自立を目指すつもりだ」
「でもそんなコト、椿サンが納得しないでしょう?」
「そりゃね。椿だって納得しないし、柊一だって尻込みするだろうね。…だから、どっちにも有無を言わせないヒトに、きっぱりそうする方針だって言って貰う必要があるワケなんだよ」
「有無を言わせないヒト?」
「椿をミュージシャンとしてトップにのし上げたヒト……つまり、中師氏をこちらの味方に付ける」
多聞氏の一言に、俺は納得した。
確かに、椿を強制的に病院に撤収して柊一にその代理を務めさせるとしたら、中師氏の了承を取っておくのは順当だ。
ツアーのステージを1度か2度、代理をする訳ではなく。
長期に渡って入れ替わりを演じるとなったら、上層部に話を通しておく方がトラブルも少ない。
第一、いっそ柊一の方がミュージシャンとしての価値は高いと、俺は見ている。
むしろ、所属事務所的には美味い汁を吸えると言えるだろう。
「だから、これから一緒に中師サン所に行くのに付き合って欲しいんだ。今日の午後、時間を空けておいて貰えるようにアポは取ってあるから」
「いいでしょう。付き合いますよ」
俺は快諾して、多聞氏と一緒に席を立った。
東雲柊一が所属しているレーベルの本社ビルは、さすがに業界大手だけあって丸の内に居を構えている。
俺と多聞氏が受付に行くと、アポの事はちゃんと受付嬢に伝わっていたらしく、直ぐに高層階にある応接室に通された。
「やあ、多聞先生久しぶりだね。神巫君とは、一昨年のイベント以来かな? こんにちは」
「覚えていて頂けて、光栄ですね」
俺達の顔を見ると、中師氏は穏やかに微笑んでソファを勧めてくれた。
「それで、話というのは?」
「実はね、ハルカ君が俺の所にちょっと面倒な相談事を持ち込んでくれて。…ちょっと俺じゃあなんとも判断のしようがないンで、中師サンに直に話した方が良いって思ったんで……」
「というと?」
「東雲柊一サンのコトなんですけど…」
切り出した俺に、中師氏は表情一つ変えもしないで先を促してくる。
「先日のツアーの後、次回以降も出来れば契約したいってお話し頂いて、現在レコーディングに参加させて頂いてるんですが」
「なにか、不都合でも?」
「契約違反…だと思うんですよ」
引っかかる単語が出てきた所為か、さすがの中師氏も少し真面目な顔になった。
「具体的に、どこがかな?」
「俺は東雲柊一サンのサポートをやるように要請されて、俺自身その条件を受諾して契約しているワケですが。実際ツアーに参加して、東雲サン以外の方のサポートをやらされたから…です」
「どういう意味かな?」
「そらっとぼけて貰っちゃ困りますよ。東雲柊一って名前を騙ってる、別人にステージやらせているでしょう? それとも、中師サンのご存じない東雲氏側のスタンドプレイでそういうコトになってるんですか?」
「……………さて、随分込み入った話を持ってきてくれましたね」
チラッと多聞氏に目線を投げて、中師氏は俺がこの一件をどの程度まで解っているのか? と問い掛けたようだった。
業界のウワサ通り、実に食えない男だ。
先程までの明らかに俺をナメてかかっていた様子とは異なり、笑っていない目が俺の評価をどうしようか計り始めている。
「別に、さほど難しい話じゃないでしょう? 俺は契約通りに東雲柊一サンのバックサポートを演らせてもらえるなら、仕事に充分満足出来ますよ」
「つまりキミは、東雲柊一が連れている代役の首を切れ…と、こう言っているのかな?」
「いいえ」
「ほう、ではどういう意味だろう?」
「俺は、東雲柊一を騙る男を排斥して欲しいと言っているだけで、東雲柊一のミュージシャンとしての才能は評価してますよ」
俺の持って回った言い方に一瞬不審な顔をしたが、察しの良い中師氏は直ぐにも俺の真意を理解したらしい。
「キミがどう思っているか知らないが、辰巳クンがヴォーカリストの東雲柊一だと、私は認識しているんだがね?」
「まさか。中師サンほどの慧眼がそんな誤認をするとは思えませんけど?」
「最初に契約しているのは辰巳クンで、辰巳クンが連れて歩いている代役の北沢クンに関しては、私が関与する事じゃあないよ。契約書には辰巳クンの名前で契約が成されているから、法的に東雲柊一は辰巳クンの芸名になるね」
「存在しない北沢淳司を名乗らせて、本人から名前を取り上げるワケですか?」
「ミュージシャンとして名乗らなければ、同姓同名の一般人に過ぎないだろう?」
中師氏の返答に、今度は俺が多聞氏に目線を送った。
「あの、医者として一言良いですか?」
俺の目配せに頷いた多聞氏は、話に割り入るような形で口を切る。
中師氏は黙ったまま、目で多聞氏に先を続けるように促した。
「椿は、このまま行くと後1年しない内に廃人になるか、最悪で命を落とす可能性があります」
「医者として、そう診てる……と?」
「そうです。…俺は友人としても医者としても、椿に出来るだけ覚醒剤の使用をさせないようにしています。でも、俺には俺の生活や仕事がありますし椿を24時間付きっきりで見張る事は出来ません。今のペースでクスリを使い続けたら、命の保証はしかねます」
中師氏は「ふむ」と言って黙り込むと、俺と多聞氏の顔を交互に見やった。
契約の内容が…と中師氏は言ったが、実際の所いざとなったらそんなモノの内容は中師氏の意向でどうにでも出来る。
椿が覚醒剤中毒で、人間的にかなり使い物にならなくなってきている事を多聞氏が。
柊一の音楽的才能が、椿のそれを凌駕する保証を俺が。
それぞれ中師氏に訴える事によって、中師氏は動くだろうと多聞氏は言う。
中師氏は椿を今の地位までの仕上げた大立て者ではあるけれど、しかし基本的には会社側の人間だ。
会社の利益になるならば、少々法に触れるような事………つまり、中野氏の死因の隠蔽なんていう汚い仕事も、椿の意に添ってやってのける。
だが、会社の損失になるとなれば、椿を簡単に切り捨てる事もするだろう。
真っ向からやりあったら椿のバックボーンに瞬殺されるのがオチだが、それを逆手にとって椿の動きを封じようと言うのだ。
しばらく俺達の顔を見つめてから、中師氏は再びあの「食えない笑み」を浮かべて見せた。
「東雲柊一が覚醒剤所持で更正施設に入所したら、スキャンダルも甚だしいな」
「でも、ボサボサ頭にヒゲを生やしたグルグル眼鏡の付き人サンが、体調不良で入院するなら問題ないでしょう?」
シビアなビジネスマンなら、この申し出にさほどの抵抗を見せないだろう。
仮に中師氏が温情派だったらば、この事態になる前に柊一に対してなんらかの手配をしたはずだ。
「…一つだけ問題があるんだがね?」
「なんですか?」
「実を言うと、私は柊一のステージを見た事が無い。…つまり、東雲柊一が本来あるべき姿になった場合、今まで通りの商品的価値が維持されるかどうか…の保証を、キミが出来るのかな?」
促すように訊ねてきた中師氏に、俺は確信犯で笑みを返した。
「俺みたいなそんじょそこらのギタリストが何を言ったところで、保険にも保証にもなりゃしないでしょう? 百聞は一見にって言いますから、今回のツアーで録った東雲柊一の音源を視聴されれば納得出来るんじゃないですか?」
自信満々に答えた俺の様子を見て、中師氏はそれまで浮かべていた「食えない笑み」から、不意に…まるで哀れむような笑みを浮かべてみせる。
「………結局、最後はキミの思い通りになるんだな?」
一瞬、中師氏の言葉の意味が理解出来なかった。
だが、それは俺に…ではなくて、多聞氏に向かって発せられた台詞だと言う事に、遅ればせながら気付く。
それにしてもやっぱり理解不能なその言葉に戸惑う俺をどう思ったのか、多聞氏はチラッとだけ俺の顔を見た。
「俺は医者として、常に最良の方法を模索しているだけですから」
「解ったよ。……では、書類の方の手配は私が済ませておく。こちらの準備が済んだら連絡を入れるから、その後はそっちで処理を進めてくれ」
そう言って、中師氏は立ち上がるとサッサと部屋を出て行った。
「あの、最後に中師サンが言っていた、思い通りとかナントカって言うのはなんですか?」
俺の問いに、多聞氏は肩を竦めてみせる。
「以前にも、椿がクスリ漬けになって廃人になる前に手を打たないと…って助言した時に、相手にされなかったからね。…やっぱり、ちゃんとしたミュージシャンに太鼓判を押して貰うと、全然違うモンだよねェ」
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