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第二部:ハリー

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 署に戻ったハリーが一番先に行ったのは、資料室だった。

「マーフィー、先輩の、アレックス・グレイス事件の資料出して!」
「やれやれ、ノックをしないで部屋に飛び込む癖が、まだ治っとらんのかい? 頼むから、扉を壊さんでくれよ…」

 資料室長のマーフィー・マクレガーは、パーソナルコンピューターの画面から顔を上げ、笑いながら立ち上がる。

「あっ、すいません。焦ってるとどうも忘れちゃって…」

 マクレガーは署内の最長老で、ハリーやアレックスが勤務する以前から、この資料室の主であった。

「お前さんは昔からそうだった。アレックスとは正反対だ。ヤツはどんな時も必ず礼儀はわきまえとった。取っ付きの悪いヤツでもあったがな。さてと、あの事件はまだ入力してなかったかな。…全くお役所ってトコは、一番欲しい部署にはなかなか必要な機材をまわさんから…」

 マクレガーの仕事は、資料室に収められた古い書類達を、必要と不必要に分けた後に必要な物をデータベース化する事である。
 その資料室の膨大な書類の山を、全て把握し管理しているただ一人の人物。故に資料室の「主」なのだ。
 ハリーの求めた資料を取りに部屋の奥へと向かい、何枚かのフロッピーを持って、マクレガーは戻ってきた。

「うん、もうちゃんとコイツになってたよ。デスクトップの使い方は、解るよな?」
「大丈夫、扉よりもコイツの方が壊さないから」
「そいつは安心だ。しかしハリー、また奥方に心配かける程、籠もるんじゃ無いぞ」
「うん。判ってるよ」

 マクレガーの言葉に苦笑いを浮かべ、ハリーは側のコンピューターの電源を入れて、回転する事務用椅子に腰を降ろした。
 フロッピーを差し込み、フォルダを開くと記載された細かな文字が画面に表れる。
 主任のはからいで、その場に居合わす事の出来なかったハリーにも、まるでその場の状況が目に浮かぶかのようだった。
 《…アレックスの死体は、まるで弔いの最中のように目を閉じ、両手を組んであった。死体はアレックスの物のみであったが、相当量の血痕と人の頭部と思わしき骨及び頭髪が発見された。血液の中には、脳細胞と思わしき物も混じっており、それらはアレックスの物とは全く別の人物の物である…》
『センパイは、やっぱり警官だと見破られて殺されたんだろうか? でもそれにしては、先輩の死を悼んで死体に敬意を払っている…』
すべての事を一人の人間が行ったとするには、あまりにも無理がある。
 組織がアレックスを始末するつもりだったならば、アレックスの死体は簡単に発見される事の無い処分の仕方をされただろう。
 逆に、見せしめにするつもりなら、もっと残忍な方法でこちらにアピールしてくる筈だ。
 通り魔的な、殺人を楽しむような犯罪者に偶然目を付けられたのだとしても、アレックスの死体には外傷が有り過ぎる。
 どちらにしろ、考えられる事はアレックスを殺害した人物と、アレックスの死を悼んだ人物は同一ではありえないという事だ。
 『もしも、ロイの言う事が本当だとしたら、この撃たれたもう一人の人物は誰なんだろう? 大体、誰が先輩の死を悼んだんだ?』
ロイの言動から考えても、この場にロイがいたのは間違い無い。
 もう一人の人物。
 大人数で撃ち合いを演じたような痕跡は、資料を見る限り残っていない。
 状況から見て、アレックスとは別に多量の血痕を残している、この人間がその三人目にあたるのだろう。
 アレックスを殺害した者と、アレックスの死を悼んだ者が対立した結果の、二つ目の死体だとしたら、勝者は死を悼んだ者の方だ。
 そして、アレックスの死を悼んでいたのがロイだとしたら…。
 『…組織を潰したいと言ったロイの言葉は、彼の本音だって事になる』
ハリーは報告書のページをめくった。
 《…血痕の近くにあった壁に、銃痕有り。弾丸は発見されなかったが、四十四口径のマグナム銃と思われる…》
ふと思い出したのは、逆上した瞬間にロイがハリーに向けた、その容姿に似つかわしくない大きな銃…。

「マーフィー、これと同じ時期に身元不明の死体が出てないか見てくれないか?」
「ああ、良いともさ。ちょっと待ってろよ」

 デスクを離れ、マクレガーは何枚かのフロッピーを出してきた。

「アレックスの事は忘れないよ。奴ほど身勝手でワンマンで切れ者の刑事もいないからな」

 一人言のように呟き、マクレガーは目線をデスクトップの画面へと戻す。
 いくつかの事項をリストアップしては、速やかにキーボードを叩く。その年令を感じさせない手際の良さは、いつも感心させられた。

「ほらよ、そっちに送るぞ。ちゃんと先輩の仇をとっとくれ」
「ありがとう。…解ってるよ、マーフィー」

 マクレガーの作ってくれたリストを受取りながら、ハリーは力なく微笑んだ。
 身元不明の死体は全部で三つ。うち二つは浮浪者の路上での凍死。もう一つは…。
 《…幅一m程の用水路に浮かんでいた。顔面は、刃物状のものでめった打ちにされており、両手が手首から切断されていた…》
『血液型は一致するな…』
「ハリー、主任が呼んでいるそうだ。行った方がいいぞ」
「主任が? 何だろう」
「また、報告もしないでここに飛び込んだんじゃないのか? ボヤいとったぞ、ハリーは自分の所属を覚えてないんじゃないかってな」

 カラカラとマクレガーは笑う。ハリーは少しきまり悪そうな顔をして立ち上がった。

「報告をしなかったのは本当の事だけど…、もう遅いから明日でいいと思ったんだよ。マーフィー、ちょっとこの資料持って帰りたいから、プリントしていく。後でまた来るから、このままにしておいてね」
「解ったよ」

 プリンターの電源を入れ、二つの書類のプリントをセットすると、ハリーは資料室を出る。
 廊下にはボンヤリとした蛍光灯が灯っていて、外は既に暗闇に包まれていた。
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