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第三部:エリザベス

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 ハリーの身体に張り付けて合った小型マイクからの指示で、数分後にはマクミラン邸に警官隊が駆け込んだ。
 ロイとの会話の最中に、マイクの音声を切っていたハリーに対し、イーストンはなにも言わなかった。
 警察病院に運び込まれ、早急に手当をしてもらった結果、ハリーの撃たれた足はなんとか元の機能を取り戻せると診断された。
 そして、怪我の療養に専念するようにとの医師の指示から、ロイの容態に関する情報を完全にシャットアウトされてしまった。

「おい、ジョナサン。一体いつまで、俺を隔離しておくつもりなんだい?」
「隔離? おや、キミの部屋の扉には、外から鍵でも掛かっているのか?」

 回診に来た友人でもある医師は、ニイッと笑って見せる。

「俺が動けないの知ってて、そうゆうコト言うか?」
「言うと思ったよ。今日から、車椅子でなら動いていいぜ。形成外科からは、リハビリはまだ始めるなってお達しだけどな」
「本当かっ? じゃあ、ロイの病室に行っても良いんだな?」
「まるで、恋人に会いに行く女のコみたいなカオしてるゾ。奥さんに、告げ口してやろうかな」
「莫迦言うなっ。それより、リサはもう会ったのか? ロイの具合はどうなんだよ?」

 ジョナサンの用意してくれた車椅子に身体を移し、ハリーは友人を見上げた。

「奥様も、今日が初面会だよ。この部屋の担当看護婦に、キミがロイの病室に行ったって言付けしておけば、ちゃんと後からそっちの部屋に顔を出すさ」

 喧騒に満ちた廊下を抜け、エレベーターでフロアを二つほど上がる。
 開いた扉の向こうは、先程と打って変わって人気の少ない静かな廊下だった。

「出血多量だったって事を除けば、命に関わるような怪我じゃなかったからね。今はすっかり元気だよ」

 すれ違う医師や看護婦の足音さえもが響く廊下で、声のトーンを落としながらジョナサンが言った。

「それならなぜ、ずっと面会謝絶だったんだ?」
「まぁ、その辺はこちらの都合というヤツさ。このフロアの、妙に緊迫した雰囲気からも判るだろう? あの坊やが、どうして自分を取り戻す事が出来たのかが、大先生達の興味の的なんだよ。じゃあ、俺はまだ回診が残っているから、ごゆっくりどうぞ」

 病室の前の扉の所で、ジョナサンはハリーの車椅子から手を離した。

「じゃあ、また後で」

 開いたままになっている扉を抜けると、見晴らしの良い少し広めの部屋の真ん中にあるベッドの上で、ロイは本を読んでいた。

「具合はどうだい?」

 ハリーの声に顔を上げ、ロイはニッと笑ってみせる。

「まるでモルモットにでもなったようだね。毎日、毎日、ナントカ大先生がやってきては、人に同じ事ばかりを訊ねてくるんだから」
「先日まで、何一つ物を言わなかった患者だからだろう」
「訊かれたって、判らない物は判らないよ。まぁ、キミの友人って言う担当の医師に、少々のダダをこねても怒られないのが唯一の救い、かな」
「駄々? 何を言ったんだい?」
「まぁ、この本とかも、そのひとつだけど。…後は、コレかな」

 車椅子をベッドの側に寄せたハリーに向かって、ロイは左手を差し出した。

「義手を、つけたの?」

 撃ち砕かれ、手首から先の部分のほとんどを失った筈のそこに、黒い革の手袋に包まれた掌がついている。

「手袋、はずしてごらん」

 言われるままに手袋を外したハリーは、一瞬息をのんだ。

「これは…、一体…」
「不気味?」

 そこには、人の手の形を模した透明なガラスがあった。

「どういうつもりでこんな事したんだい?」

 ハリーの質問には答えず、ロイは悪意に満ちた笑みを浮かべたままハリーの顔を見つめている。

「ロイ?」

 不意にその手を伸ばし、ロイはハリーの鼻を摘んだ。

「うわっ!」

 思わず仰け反ったハリーの目の前で、ガラス細工の掌が人差し指を立てた格好で握りしめられ、クルクルと円を描き始める。

「え…っ?」

 乾いた音を立てて、握りしめたり開いたりしているその掌を、ハリーは驚いた顔で凝視してしまった。

「なんて顔してるのさ。…面白いだろう? こんな風に、ちゃんとページだってめくれるんだよ」

 膝の上に開いたまま置かれている本のページを、一枚だけ摘んでめくってみせる。

「あんなにいろんな医者が出入りしてるんだから、コレくらい出来るだろうって言ってさ。特注でね、頼んだの。中はハイテクのコンピュータチップで、僕の腕の筋肉からの動きを読み込むんだって。外側は特殊強化の偏光クリスタルガラス、中が見えないだろ?」
「な、なんだってこんな悪趣味な事、したんだいっ? 同じ特注なら、もっと本物に近づける事だって出来ただろう?」
「本物そっくりに造っておいて、偽物だって気がついた時の方が気持ちが悪いだろ。はじめからそれだって解れば、たいして驚かないと思ったのさ」
「物がそれじゃあ、何度見ても驚くよ…」
「気味悪がられて、人に好かれない方が良いんだ」

 ロイは掌に視線を落としたままで、口元に自身を嘲るような笑みを刻み、ポツリと言った。
 そんなロイの様子に、ハリーは掛ける言葉を失ってしまう。
 重い沈黙を破ろうと、ハリーが口を開きかけた時、廊下の方から軽い足音が近付いてきた。

「ローイッ!」

 病室に駆け込んできた少女は、そのままピョコンとベッドの上のロイめがけて飛びついた。

「お手々をつけたの? お医者様に聞いたのよ」
「うんつけたよ。ちゃんと動く良いヤツをね」

 少女に向けられたロイの微笑みに、ハリーは我が目を疑ってしまう。それは、今までハリーが見た事もないような、穏やかで慈愛に満ちた表情だったからだ。

「ホント? ホントに動くの? スゴイ、スゴーイ」

 はしゃぐエリザベスにせがまれるまま、ロイは掌を窓の方へとかざしてみせる。

「わあ、綺麗!」

 窓から射しこむ陽の光を受けて、クリスタルガラスは宝石のように輝いた。

「あなた…」

 背後からかけられた声に振り向くと、扉の所にはなんとも言えない表情のリサが立っている。

「……………」

 ハリーは一瞬、視線をはしゃぐ子供達に向けてから、そのまま黙って部屋を出た。

「今、ジョナサンに会ってきたわ。ロイに義手をつけたって聞いたけど…、アレは一体…」
「僕だって、そうさ。義手を見たのも聞いたのも、今日が初めてだよ…」

 見上げた先のリサの顔は、困惑の色をますます深めていた。

「どうしてあんな…?」
「人に好かれたくない…んだってさ。本人の弁によるとね。気を変えるつもりもなさそうだし。こちらが思っている以上に、ロイの傷は大きいのかもしれないな…」

 記憶が失われたままの方が、ロイにとって良い事なのか否かの答えが出る前に、ロイが自身を取り戻してしまった。それは、ハリーとリサにとって大きな戸惑いになったけれど。

「これから、うまくやっていけるかしら…?」

 それは、ハリーにとっても大きな疑問であったが。

「大丈夫だよ…」

 しかしハリーは、そう答える事しか出来なかった。
 ハリーがもっとも不安に思っていた、エリザベスとロイの関係は、ロイの記憶を呼び戻した事件によって、何事もなく円滑に育まれている。
 しかし、ロイが一体なにを思い、考えているのかは、相変わらず解らないままで…。
 ハリーの不安とは裏腹に、エリザベスのはしゃぐ声がここまで聞こえてくる。
 窓から射し込む陽を弾いて、ロイの左手が宝石のように輝いていた。
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