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馴れ初めの章
1.訓練生時代の思い出
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教官室のノックの音は、少し控えめだった。
「開いてるぞー」
室内に残っていた若桐守は、帰り支度の手を止めて答えた。
「失礼します」
「なんだ、真壁か。どうした?」
扉を開けて入ってきたのは、訓練生の真壁百合緒だった。
深緑のフライトスーツに包まれた長身が、ドア枠をかすめる。
ジッパーは胸元まできっちり上げられ、姿勢の良さが布地に張りを与えている。
その真っすぐな立ち姿のまま、わずかに視線を落としているのが、かえって落ち着かない気配を漂わせた。
「お時間よろしいでしょうか?」
「いいぞ。なんだ? 座学か? 実技か?」
「いえ……あの……」
言葉を探す間、指先が無意識に袖口をつまむ。
珍しい仕草だった。いつも隙のない男が、わずかに足元を見る。
「……体格のことで」
「体格が?」
「……あの……」
視線が揺れる。
若桐は、彼が本気で気にしていると察した。
「どうした?」
「実は……、自分は筋肉がつきにくい体質のようで……。同期と比べると、どうしても見劣りすると言うか……」
「響野を比較対象にしてるなら、やめとけ。ありゃ、化け物だ」
笑い飛ばす若桐の声に、真壁はかすかに眉を寄せた。
「ですが……、背中が貧弱と指摘されまして……」
どうせ成績優秀な真壁に対する、やっかみかなにかだろう……と思ったが。
これは言葉でなだめたところで、聞く耳は持たないな……と、若桐は心の内で嘆息する。
「そこまで言うなら見せてみろ。上だけでいい。気になってんのは背中だろ?」
「あ、はい」
若桐が肩のバッグを机に下ろす間に、ジッパーが下がる音がした。
上衣を腰まで脱ぎ、下に着ていたTシャツをためらいなく頭上へ抜き取る。
その動きは、任務中と変わらぬ無駄のない所作で──それがかえって、肌を露わにする瞬間をゆっくり見せつける。
「なんだ立派な……」
そこそこに褒め、筋肉ばかりつけたところで、飛ぶのにあまり関係がない……と言ってやればいいだろう──などと思っていた若桐だったが。
目の前に現れた背中を前に、言葉を失う。
首筋からまっすぐに伸びる背筋。
しなやかで均整の取れた筋肉が、呼吸に合わせて静かに動く。
その上をかすめる光が、わずかな汗を煌めかせる。
肩甲骨の滑らかな起伏。引き締まった腰の曲線。
すべての無駄を削ぎ落とした、精緻な彫刻のような背中だった。
こぼれるような色香が、そこにたゆたっている。
はっきり言って、見てはいけないものを見たような気分になっていた。
男の体など、履いて捨てるほど見てきた若桐は、始めて同性の裸を見て欲情した。
思わず、ごくりと喉が鳴った音が、耳の奥に響く。
その音に、ハッとなった。
「……服着ていいぞ」
「あの……」
「いいから、すぐ着ろ」
とにかく、早くその "危険なもの" を視界から追い出したくて。
不自然なまでに顔をそむけて、若桐は言った。
しかし──。
「あの……、でも教官、ご覧になってませんよね?」
「なにが?」
「だって今、僕のこと、見てませんよね?」
真壁がこちらに、一歩近づく気配を感じ、若桐はほとんど無意識のうちに半歩下がって逃げる。
「いや、見たよ。見た、見た。すごく綺麗な筋肉だ。申し分ないぞ」
「でも……」
更に詰め寄ってくる真壁の気配に、若桐はもう一歩下がろうとした。
「おわっ!」
「教官っ!」
なにかにつまづきバランスを崩した若桐を、真壁は支えようと手を伸ばし、そのまま二人は一緒に倒れた。
「あたたたた……、真壁、大丈夫か?」
「はい……、すみません……」
顔を上げると、間近に真壁の顔があった。
抱きとめる形で、腕の中に半裸の体が収まっている。
その吐息ですら掛るような距離に、若桐の思考はショートしていた。
微かに香る、石鹸の香り。
汗の匂いも混ざっているはずだが、まさに百合緒の名のごとく、花のような甘い匂いしかしない。
ドクン……っと、胸の奥で音がした。
「……っっ!」
気付いた時には、キスをしていた。
ぐいと引き寄せ、指を差し込んだ後頭部の感触。
舌で舐め上げた下唇の柔らかな感触と、うすく開いた口の奥で戸惑っている舌。
しかし目を見開いたのは一瞬のことで、真壁はすぐにもまぶたを閉じて、若桐のキスに応じてきた。
絡めた舌が、ぎこちなく動きを真似てくる。
温かく、甘い。
呼吸が重なり、真壁の手が若桐の胸の生地を、ぎゅうと掴んでいる。
ふと、腿になにか異物感を感じて──。
それが真壁の反応だと気づいた瞬間、理性が一気に戻った。
「おわっ!」
「ふえっ?」
ほとんど突き飛ばすようにして、体を起こして真壁から距離を取る。
真壁は、ぺたりと床に座ったまま、ぽやんと若桐を見ていた。
「い……今のナシ!」
「教官……?」
「すまん! 本当にすまん! 今のはナシだ!」
「……ナシ?」
ぼんやりした表情のまま、真壁はこくんと頷いた。
「失礼しました……」
シャツを身に着け、真壁は頭を下げると、教官室から出ていった。
ドッと汗をかき、若桐は椅子に座り込む。
「……やっちまった……」
机に突っ伏し、若桐は頭を抱えた。
「開いてるぞー」
室内に残っていた若桐守は、帰り支度の手を止めて答えた。
「失礼します」
「なんだ、真壁か。どうした?」
扉を開けて入ってきたのは、訓練生の真壁百合緒だった。
深緑のフライトスーツに包まれた長身が、ドア枠をかすめる。
ジッパーは胸元まできっちり上げられ、姿勢の良さが布地に張りを与えている。
その真っすぐな立ち姿のまま、わずかに視線を落としているのが、かえって落ち着かない気配を漂わせた。
「お時間よろしいでしょうか?」
「いいぞ。なんだ? 座学か? 実技か?」
「いえ……あの……」
言葉を探す間、指先が無意識に袖口をつまむ。
珍しい仕草だった。いつも隙のない男が、わずかに足元を見る。
「……体格のことで」
「体格が?」
「……あの……」
視線が揺れる。
若桐は、彼が本気で気にしていると察した。
「どうした?」
「実は……、自分は筋肉がつきにくい体質のようで……。同期と比べると、どうしても見劣りすると言うか……」
「響野を比較対象にしてるなら、やめとけ。ありゃ、化け物だ」
笑い飛ばす若桐の声に、真壁はかすかに眉を寄せた。
「ですが……、背中が貧弱と指摘されまして……」
どうせ成績優秀な真壁に対する、やっかみかなにかだろう……と思ったが。
これは言葉でなだめたところで、聞く耳は持たないな……と、若桐は心の内で嘆息する。
「そこまで言うなら見せてみろ。上だけでいい。気になってんのは背中だろ?」
「あ、はい」
若桐が肩のバッグを机に下ろす間に、ジッパーが下がる音がした。
上衣を腰まで脱ぎ、下に着ていたTシャツをためらいなく頭上へ抜き取る。
その動きは、任務中と変わらぬ無駄のない所作で──それがかえって、肌を露わにする瞬間をゆっくり見せつける。
「なんだ立派な……」
そこそこに褒め、筋肉ばかりつけたところで、飛ぶのにあまり関係がない……と言ってやればいいだろう──などと思っていた若桐だったが。
目の前に現れた背中を前に、言葉を失う。
首筋からまっすぐに伸びる背筋。
しなやかで均整の取れた筋肉が、呼吸に合わせて静かに動く。
その上をかすめる光が、わずかな汗を煌めかせる。
肩甲骨の滑らかな起伏。引き締まった腰の曲線。
すべての無駄を削ぎ落とした、精緻な彫刻のような背中だった。
こぼれるような色香が、そこにたゆたっている。
はっきり言って、見てはいけないものを見たような気分になっていた。
男の体など、履いて捨てるほど見てきた若桐は、始めて同性の裸を見て欲情した。
思わず、ごくりと喉が鳴った音が、耳の奥に響く。
その音に、ハッとなった。
「……服着ていいぞ」
「あの……」
「いいから、すぐ着ろ」
とにかく、早くその "危険なもの" を視界から追い出したくて。
不自然なまでに顔をそむけて、若桐は言った。
しかし──。
「あの……、でも教官、ご覧になってませんよね?」
「なにが?」
「だって今、僕のこと、見てませんよね?」
真壁がこちらに、一歩近づく気配を感じ、若桐はほとんど無意識のうちに半歩下がって逃げる。
「いや、見たよ。見た、見た。すごく綺麗な筋肉だ。申し分ないぞ」
「でも……」
更に詰め寄ってくる真壁の気配に、若桐はもう一歩下がろうとした。
「おわっ!」
「教官っ!」
なにかにつまづきバランスを崩した若桐を、真壁は支えようと手を伸ばし、そのまま二人は一緒に倒れた。
「あたたたた……、真壁、大丈夫か?」
「はい……、すみません……」
顔を上げると、間近に真壁の顔があった。
抱きとめる形で、腕の中に半裸の体が収まっている。
その吐息ですら掛るような距離に、若桐の思考はショートしていた。
微かに香る、石鹸の香り。
汗の匂いも混ざっているはずだが、まさに百合緒の名のごとく、花のような甘い匂いしかしない。
ドクン……っと、胸の奥で音がした。
「……っっ!」
気付いた時には、キスをしていた。
ぐいと引き寄せ、指を差し込んだ後頭部の感触。
舌で舐め上げた下唇の柔らかな感触と、うすく開いた口の奥で戸惑っている舌。
しかし目を見開いたのは一瞬のことで、真壁はすぐにもまぶたを閉じて、若桐のキスに応じてきた。
絡めた舌が、ぎこちなく動きを真似てくる。
温かく、甘い。
呼吸が重なり、真壁の手が若桐の胸の生地を、ぎゅうと掴んでいる。
ふと、腿になにか異物感を感じて──。
それが真壁の反応だと気づいた瞬間、理性が一気に戻った。
「おわっ!」
「ふえっ?」
ほとんど突き飛ばすようにして、体を起こして真壁から距離を取る。
真壁は、ぺたりと床に座ったまま、ぽやんと若桐を見ていた。
「い……今のナシ!」
「教官……?」
「すまん! 本当にすまん! 今のはナシだ!」
「……ナシ?」
ぼんやりした表情のまま、真壁はこくんと頷いた。
「失礼しました……」
シャツを身に着け、真壁は頭を下げると、教官室から出ていった。
ドッと汗をかき、若桐は椅子に座り込む。
「……やっちまった……」
机に突っ伏し、若桐は頭を抱えた。
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