MAESTRO-K!

琉斗六

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S4:冷めた子供とプラチナリング

1.ある日の夕食

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 白砂サンが店を仕切ってくれるようになってからこちら、俺の生活の質は上がりまくっている。
 一番の恩恵は、定休日がしっかり設定されたことだ。
 もちろん白砂サンが現れる前から、休みはあった。
 だがそれはあくまで、シノさんの気分に左右される "突発休業" だったから、前日から夜更よふかししたり、朝寝坊を満喫したりなんて望むべくもなかった。

 その日も俺は朝寝坊を満喫してダラダラ起き出し、シャワーを浴びて顔を洗うと、いつもの流れでペントハウスへ向かった。
 なぜなら、自室では朝飯を食う環境が整っていないからだ。
 俺の冷蔵庫は、ビールメーカーのCMみたいにビールしか入ってない。
 食料ストッカーはカラッポ、カップラすら常備していない。
 ぶっちゃけ、缶ビールを冷やすだけに電気代を払うってどうよ? と思うくらいだ。

 かといってペントハウスの冷蔵庫に私物ビールを入れるのも違う気がして、自室の冷蔵庫は撤去せず放置したまま。
 ちなみにこの件をシノさんに相談すれば、どうせ「スペースあるんだから入れときゃいーじゃん」で片付けられるに決まってる。


§


 赤ビルはホクトの入居で部屋割りが変わった。
 ペントハウスはシノさんと敬一クン。
 四階は二戸にこ。A室に白砂サンとミナト、そこにコグマが加わり、B室が俺。
 三階は三戸さんこ。A室にミツル、B室にハルカ、C室にエビセンとホクト。

 もっとも、エビセンとホクトは今やペントハウスに入り浸っている。
 そもそもシノさんが「飯はみんなでワイワイ食うのが楽しいべ」とか言って二人を呼び込んだのが始まりだが、実際は敬一クンを巡る攻防を眺めたいだけだろう。

 招かれたキャンパスコンビは、シノさんの美味しい家庭料理大好きだけどサボり癖が激しいトコに付けいって、夕食のシェフを買って出たのだ。
 どんどんヒートアップするキャンパスコンビの戦いは、ガチの料理バトルみたいになった。
 しかし毎晩のように満漢全席みたいな豪華料理を出されても困る。

 そこに現れた救世主は、白砂サンだ。
 エビセンとホクト、それに敬一クンと俺ってメンバーで──メゾン・マエストロ・グループチャット──通称 "MMG" を作って、その日の夕食を誰が作るのか? を決められるようにしてくれた。
 今日はエビセンがコクうま中華だったから、明日はホクトがおしゃれ洋食……とか、そんな感じだ。
 なんでメンバーにシノさんがいないのかと言うと──。

「柊一に自身のなにかを報告させる努力をするより、そばで見聞きしている多聞君が逐一書き込むほうが合理的だろう」

 と、白砂サンが言ったからだ。
 実際、シノさんが「今夜はばあちゃん直伝のロールキャベツが食べたい!」とか言い出して、キッチンで昼間から仕込みを始めた時、俺がそれを投稿すると、エビセンがデパチカで付け合せの惣菜を、ホクトが気の利いた白ワインを仕込んで帰ってきたりするってわけだ。

 ちょっと脱線するが、この "ばあちゃん直伝のレシピ" は、現在、家庭料理に異常な興味を示した白砂サンが、絶賛ラーニング中! なのだが。
 正確な比率を重んじる白砂サンは、その日の気分・天気・材料次第で塩梅の変わる "家庭料理" にかなり手こずっている。
 シノさんは「セイちゃんが覚えてくれたら、俺はもうキッチンに立たないで済むなぁ!」とか言ってるが、あの様子では永遠にそんな日は来ない気がする。

§

 その日の夕食は、エビセンが "中華やる" とMMGに書き込んで、いま中華鍋をぶん回している最中だ。
 キャンパスコンビは双方のスケジュールが読めるようになり、加えてMMGとの連携もうまく回り始めている。
 ホクトの帰宅が遅い日はエビセンが主軸になって夕飯を回す、そんなパターンも自然にできあがっていた。

 シノさんが一人暮らしだった時代は、俺がキッチンに立つと足を引っ張るだけだったけど……。
 今は料理スキルを持つエビセンや敬一クンの "さらに下" のアシスタントとして、お手伝いポジションを確保している。
 使い終わったボウルを洗うとか、皿を用意するとか、そういう下っ端仕事なら一応は役に立つのだ。

「海老坂、ミナト君の事なんだが、来週から近所の小学校に通うそうだ」
「はあん、そうかい」

 エビセンは興味なさげに気のない返事をする。

「ミナト君はひと月近く学校に行けなかったから、授業に付いて行けず、いじめにあうかもしれないと白砂さんが心配していてな」
「ま、そんなコトもあるかもな」
「それを聞いた兄さんが、俺が勉強を見てやればいいと言うんだ」
「いーんじゃねーの」
「そこまではいい。ただ白砂さんが『現役大学生の家庭教師なら相場は二千円だが、今はそこまで払えないから千円で手を打ってくれ』と言い出して……」
「確かに、イマドキの相場だと千円は激安だな」
「おまえまで、よせよ。そもそもかねをもらうなんて考えてなかったから、どうしたものかと」

 エビセンは「貰えるもんなら貰っとけ」って顔をしていたが、敬一クンが「白砂サンからバイト代を貰うのは心苦しい」と感じているのも察したらしく、ふんっと鼻を鳴らした。

かね払うことで白砂サンの気が済むなら、いーじゃねぇか」
「……そういうものか?」
「そうさ。それとも、一生恩を売りたいのかよ?」
「まさか」
「なら、貰っとけって。気になるなら、五百円まで値切ってみれば? しっかしあのガキ、結局白砂サンが引き取るんか?」
「ガキじゃない、名前はミナトだ。白砂サンは養子にしたいと言っていたが、独身だし、帰化したばかりだし、先方の意向もあるので難しいらしい」
「白砂サンも物好きだよなぁ。なんだって、あんな厄介な……」

 中華鍋の中身を大皿に移しながら、エビセンが一瞬口をつぐむ。
 "厄介なガキ" と言いかけたのを、敬一クンを慮って飲み込み、言い換えを探しているのだろう。

「なんだ?」
「いや。あんな厄介な事情を持った子供・・・・・・・・を、わざわざ預かるなんてな」
「白砂さんは自分が虐待されていたから、見過ごせないんだろう。それにミナト君も最初の頃よりずっと素直になった。前の学校の授業内容も聞けたし、俺とも普通に話すようになった。白砂さんの言ってた通り、とても賢い子だ。頑なだった心をあそこまで和らげた白砂さんを、俺は尊敬する」

 敬一クンはサラダを盛りながら、本当に感心したように頷いていた。
 ……が、エビセンの策略で家庭教師代の話からそらされたことには、まったく気づいていないらしい。

「まぁな。どっちにしろミナトの親権者からすれば、白砂サンは渡りに船なんじゃねェの? 父親は無関心、母親は男に走ってアイツを捨てた、バアさんは体裁悪くなったからってお払い箱。そんなとこだろ」
「信じられないよな……。俺は母親って、子供を守ることに必死になるもんだと思ってた。おかあさんなんて実子じゃない俺にも本当に良くしてくれて、今も心を砕いてくれている。ずっと離れていた兄さんに申し訳ないくらいだ」

 清廉潔白というか純粋培養というか。敬一クンは何事も清らかに解釈するが、実際にシノさんと椿サンを一つ屋根の下に置いたら、日々はゴジラ対キングギドラ。
 世界平和のためにも、あの母子の距離はマストだと俺は思う。

 同じことを考えているわけじゃなかろうが、エビセンはシニカルな笑みを浮かべた。

「オマエは女ってもんがわかっちゃねェんだよ。苦手だからって、女の客が来ると俺に目配せしてオーダー押し付けてんだろ」
「苦手だから押し付けてるんじゃない。あの人達が、おまえに接待されたがってるんだ」

 俺は苦笑してしまった。
 エビセンは美貌で女性客に人気だが、イケメンの敬一クンだって同じくらい注目を浴びている。
 発言内容から察するに無意識のようだが、特に秋波を送ってくる若い層の接客は全力で逃げてしまうのだ。
 結果、エビセンとホクトがタダ働きでフォローする羽目になり、今では正式にフロア担当バイト……という顛末だ。

「あのさ、敬一クンって、女の子と付き合ったコト無いの?」

 俺の問いに、エビセンが吹き出した。

「あるワケないっしょ、コイツ、女には噛まれるって思ってんだから」
「えっ? 女性客に絡まれたの?」
「絡まれたんじゃなくて、噛まれたんだってさ、ガブリとなぁ、中師?」
「バカにしたような言い方をするな。実際に何度も噛まれたから、警戒してるだけだ」
「ええっ! ホントに噛まれたの? いつ?」
「まだ名古屋に居た頃だから、幼稚園に行ってた頃です。天宮が庇ってくれてた覚えがある」
「名古屋には、随分と乱暴な女の子がいたんだねぇ……」

 今の逞しい敬一クンからは想像できないが、シノさんの話では幼少期は小柄こがらでおとなしい子だったらしい。
 しかも幼稚園くらいだと女の子の方が成長も早くてませている。
 天然な敬一クンが押し負けてたと言われれば、なんとなく納得できた。

「そういえば、その頃なんだろ? 天宮がオマエと婚約のチューをしたとか言ってるの。ホントにアイツとチューなんかしたのかよ?」
「そんな子供の頃の些細な事なんて覚えてないが、天宮があれだけハッキリ断言してるんだから、たぶんしたんだろう」

 敬一クンにあれだて執着しているホクトにしたら、絶対防衛ラインとも言える "婚約のチュー" を "些細な事" と片付けられて、ちょっと気の毒に思う。

「なんだ、初チューの記憶が無いのか。んじゃ、ちゃんと覚えてるチューの記憶は、いつ頃のなんだよ?」
「そんな事を聞くなよ。体験してないんだから、記憶があるわけないだろ」
「オマエ、チューしたコトが全然ナイの?」

 エビセンの笑顔が悪魔みたいに見えてきて、俺はものすごくこの場に居たくなくなった。
 でも足が竦んで動けず、視線すら外せない。

「全然無い。何度も言わせるな」

 やや不貞腐れたような口調で、敬一クンが答えたその時。
 エビセンは中華鍋も皿もそっと手放し、敬一クンの顔を両手で挟んでグイッと向かせ、そのまま俺の目の前でキスをした。

 俺は "ギャー!" と叫んだ。
 けど舌も喉も竦んで、音が一つも出なかった。

 俺は別に、オトコ同士が口をくっつけあったから叫んだ(つもりになった)ワケじゃない。
 単に "だれかとだれかが口をくっつけ合う行為" を間近で見せられるのが、引っ込み思案な日本人として無理だったのだ。
 それなのに、ビビり体質のせいで瞬きもできずにガン見してしまう。

 エビセンはたっぷり一分以上、敬一クンの口に吸い付いていた。
 敬一クンは最初こそ驚いたが、途中からはまんざらでもなさそうな顔になり、最後はエビセンが唇をぺろぺろ舐めて手を放した。

「どうよ?」
「驚いた」
「そんだけかよ?」
「すごく気持ちが良くて、驚いた」

 敬一クンの答えに、エビセンはご満悦な顔になり、敬一クンの肩をポンポンと叩く。

「んっか。じゃあまた気持ち良くなりたかったら、いつでも海老坂サンがお応えしてやるから、遠慮なく言えよ」
「解った」

 気づけばエビセンは鍋と皿を元通りに手にしていて、俺に大皿を差し出した。

「あいよ、青椒肉絲」
「ああああ、あ、うん……。はい……」

 俺はエビセンから受け取った皿を、ダイニングテーブルに運んだ。
 エビセンと敬一クンは、あんなトンデモイベントが挟まったのが嘘みたいに、カニ玉あんかけも作るだの角煮が出来ただのと、夕食の支度を続行している。
 だが、驚き過ぎてグッタリ疲れてしまった俺は、もうキッチンに戻る気力が出なかった。
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