MAESTRO-K!

琉斗六

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S5:ハトコとゴリラ

15.復讐の序曲

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 数日すると、シノさんと白砂サンの言った通り、敬一クンは朝のロードワークにも出られるようになった。
 昼過ぎになって、ランドセルをゴトゴトいわせながら、スバルとミナトが帰宅する。

「ただいまー! タモンさん、ケイ帰ってる?」
「おかえり、スバル。今日は、まだだよ」

 俺の答えに、スバルはつまらなそうな顔をしたが、それでも「ありがとう」と言って、いつもの店の奥の席に向かった。
 先にテーブルに着いて、手提げバッグからワークノートを出していたミナトは、隣の椅子に座ったスバルをチラッと見て、首を傾げる。

「スバル、野球すんの?」
「しないよ」
「じゃあ、なんでそんなバット持ってるの? しかもそれ、なんかあんまり綺麗じゃないよね?」
「だって、学校の体育倉庫に転がってたやつだもん」
「でも、野球はしないんだよね?」

 スバルは素早く辺りを見回して、それから声を顰めた。

「これは、復讐のために持ってるんだ」
「復讐?」

 ミナトはスバルに比べると慎重派と言うか、いつも周りを見ている子供だが、そのミナトも実は店での会話の殆どを俺が聞いていることには気付いていない。
 店の中で客を見渡せる俺の定番ポジションは、子供達が使っているテーブルの直ぐ傍なのだが、アナログレコードの試聴コーナーには仕切りが付いているので、俺の姿は二人の座っている場所ばしょからは死角になって見えないからだ。

「ミナトさ、僕がエビに連れられてって、朝ごはん一緒に食べたの、覚えてる?」
「うん」
「あの前の晩、ケイは遅くなっても帰ってこなかったし、朝から具合悪そうで、僕はケイを助けたかったんだ。なのにエビに部屋から連れ出されちゃって、あとから柊一に聞いても、ケイに何があったか教えてくれないし」
「そうだろうね」
「だけど僕、それからずっと気を付けて、エビとホクトが話してんの聞いてたんだ」
「うん」
「そしたら、あの日、ケイはゴリラに騙されて、酷いコトされたって」
「えっ? ケイ、ゴリラにやられちゃったの?」
「うん。だから僕、みんなのケータイとかパソコンとかこっそり見て、ケイをいじめたゴリラのコト調べたんだ。そしたらゴリラはゴリラじゃなくて、ケイと同じ大学の、伊吹って奴だった」
「それは、そうだろうね……」

 子供の思い込みと行動力は、大人の予想を遥かに超えてる。
 しかも続いたセリフは、更に大問題だった。

「ゴリラの住んでるとこも、もう調べてあるんだ。そんなに遠くないから、僕達でも地下鉄で行けると思う。夜になったら待ち伏せて、このバットでボコボコに殴ってやるんだ! 柊一が相手に顔を見られない裏道で、後ろから襲って逃げろって言ってたからね!」

 シノさんの持論が、最悪のカタチでスバルにしっかり継承されている。
 俺は客の去ったテーブルの上を急いで片付けて調理場に運び、白砂サンに子供達の会話を伝えた。
 白砂サンはあんまり表情を変えず、でも口では「それは、困ったな」と言って、店に出てきた。

「行くのは良いけど。でもスバル、そんな大きな武器じゃ目立っちゃうよ」
「だって、他に思いつかなかったんだもん。ミナトならどうするの?」
「僕は、コレを持ってる」

 白砂サンと二人で店先に戻ると、ミナトがランドセルから、金属製のハンマーを取り出していた。

「どうすんの、それ?」
「これでミナミの頭を殴る」
「そんなことを、してはいけないよ」

 子供達の座っている試聴コーナー側は、厨房からフロアへと続く出入り口からだと店内をほぼ斜めに横断しなければならない。
 が、そもそも気配がしない白砂サンは、子供達に全く気付かれず真後ろに立って、ミナトの手からハンマーを取り上げた。

「あ、聖一」
「南もゴリラも、殴ってはいかん」
「だってっ!」
「スバル。気持ちは良く解る。大好きな敬一を傷付けられて、腹が立っているのだろう?」
「そうだよっ! だから柊一が言うみたいに、暗い所でゴリラを……っ」
「そんな時間に、子供が家から出歩いてはいけないよ」

 スバルはプウッと膨れっ面になった。

「それに、柊一は喧嘩がかなり強いが、スバルはそうじゃないだろう?」
「ミナトと二人でするしっ!」
「だが、ミナトはスバルほど早く走れない。計画に無理がある」
「あの、ちょっといいですか?」

 振り返ると、ホクトが帰宅したところらしく、立っていた。

「なにかね?」
「俺も伊吹のやったことが許せません」
「では君も、ゴリラを待ち伏せて、夜襲がしたいと言うのかね?」
「警察沙汰になるようなことは、やりたくありません」
「ホクトのいくじなし!」
「おまえみたいな子供には解らないことだ、黙ってろ」
「なんだよそれっ!」
「スバル、今は黙って聞いていなさい。ホクト君も、立っていないで座りたまえ」

 そこにホクトも腰を据えてしまったので、俺はそうっと店の扉に「CLOSED」の札を下げた。

「当の被害者の敬一が、仕返ししたいとは言っていない。それでも君は、ゴリラに仕返しがしたいのかね?」
「当然でしょう、ケイは俺にとって、誰より大切な人だ。そうじゃなかったら海老坂と部屋をシェアしてまで、南の家の近所に住み続けたりしません。それに白砂サンは、俺を "一途なロマンチスト" と評価してくれてますよね? そのあなたになら伊吹を許せない俺の気持ちを、解ってもらえると思うのですが」
「敬一が身の振り方を決めているのに、私の主観を押し付けるようなことはしないよ」
「じゃあ、その主観にお訊ねします。白砂サンは自分の義弟があんな目に遭わされて、腹が立ってないんですか?」
「非常に、不愉快だ」
「それなら仕返しすることに、なぜ賛同してくれないんですか?」
「私も不愉快に思っているので、君の憤りには共感している。だがスバルの夜襲案には、同意しかねる」
「ボコボコに出来ないなら、ゴリラが酷い奴だって、みんなに言いふらそうよ!」
「スバルは黙ってろって言っただろ」
「僕だって、ケイをいじめたゴリラに復讐がしたいよっ!」
「そんな短絡的な話じゃないんだ」
「なんでだよ? ゴリラが悪いやつだってみんなが知れば、ゴリラだって困るだろ!」
「スバル。皆を納得させるためには、ゴリラが敬一に暴行した事実を公表しなければならない。それでゴリラの名誉は傷付くかもしれないが、同時に敬一の名誉も傷付いてしまうんだよ?」
「ケイのコトはナイショにすればいいじゃんかっ!」
「こちらが敬一の名前を伏せて公表すれば、相手はこちらが敬一の名前を出したくないと判断する。報復として向こうが敬一の名前を出したら、伏せた意味は無くなってしまう。更にゴリラが開き直ってしまったら、相手にはなんのダメージも与えられなかったことになる。そんな不安要素の多すぎる復讐は、採用は出来ないな」
「むううううっ! そんなら、聖一はどんな仕返しならイイって思うのっ!」
「そうだな……」

 白砂サンは、何かを考え込むように、視線をテーブルに落とした。


§


 数秒テーブルを見つめていた白砂サンが、不意に俺の方を見る。

「多聞君」
「へっ? 俺っ?」

 蚊帳の外だとばかり思っていたら、急に名指しされて、俺は狼狽えた。

「君はマエストロと親密だ。そこで訊ねたいのだが、マエストロはこの件に関して、憤っているかね?」

 白砂サンの問いに、俺は1秒の間に数種類のシミュレーションを考える。

「憤ってます!」

 結論だけを、俺は簡潔に述べた。
 本当は、シノさんはあの一件について、全面的に憤っているワケではナイ……と思う。

 そもそもシノさんが本当にゴリラに仕返しがしたいと思っていたら、スバルに言った通りのことを、自分でサッサと実行するに決まってる。
 だが、全然腹を立てていないのかと言えば、そうではナイ。

 正直に言えば、シノさんは現状を大いに満喫している。
 エビセンとホクトが、敬一クンを巡って競り合っていること。
 敬一クンが無自覚に、フタマタを掛けて二人を結果的に弄んでいること。
 今後敬一クンに言い寄る誰かが増えて、更に事態がややこしくなることまで含めて、楽しみなのだ。

 だがそれはあくまでも "敬一クンを中心としたイケメンハーレム" が形成されることを期待しているのであって、敬一クンが誰かのハーレム要員にされることは肯定できない。
 キープ持ちのゴリラは、完全にアウト判定なのだ。

 だから憤っているか? といえば、いる。
 しかし、今回の件で敬一クンがゴリラとの付き合いを絶つなら、ゴリラはシノさんの興味から外れる。
 つまり、白砂サンの質問に対する正解は "憤っていない" なのだ。

 ここで問題になるのは、その正解がやっぱり不正解ふせいかいって点である。
 なぜなら、ココでその結論を伝えたら、白砂サンはホクトとスバルを説得して仕返しを止めさせるだろう。
 けれど白砂サンはああいうヒトだから、何かのおりにシノさんに「こういう話し合いがあったが、多聞君がマエストロは憤っていないと言うので、仕返しは止めさせた」と告げるに違い無い。

 そうなったら、シノさんは俺に制裁を加えに来る。
 自分に火の粉が降り掛かってこないトラブルが大好きなシノさんは、揉め事や騒動が事前に収束するなんてつまらないと思っている野次馬人間だ。
 なので、この場合ばあいの正解は "シノさんは憤っている" 一択なのだ。

「了解した」

 俺の逡巡を読み取ったのかどうかは解らないが、白砂サンは頷いた。

「私なら、ゴリラへの仕返しは、もっと陰湿で手の込んだ方法を取る」

 視線をスバルとホクトに戻した白砂サンは、やっぱりあんまり表情を変えずにそう言ったけれど、なぜか俺には白砂サンの顔が、モノスゴク暗黒面の微笑みを浮かべているように見えた。

「それってつまり、白砂サンも伊吹への仕返しに賛同して、手を貸してくれる……ってことですよね?」

 ホクトが訊ねた。

「うむ。実力行使に出る」
「そうこなくっちゃっ!」

 スバルがはしゃいだ声を上げた。

「じゃあ、俺は何をすれば?」
「君は、なにもしなくていい」
「はあ?」
「私の知り合いに、世間的には少々憚られる仕事でも、請け負ってくれる人物がいる」
「お金を払うと、ゴリラをブッ殺してくれるとか?」
「スバル、安易に人を "ブッ殺す" などと口にしてはいけないよ。それに、もし相手に対して腹を立てているのならば、簡単に殺すなんて発想は、貧困だ。ゴリラが死んだところで、私の憤りは収まらないからね」

 やっぱり声音は淡々としているのに、白砂サンから底冷えのする冷気が吹き付けられたような気がした。

「じゃあ、白砂サンはその人に何を依頼するつもりなんですか?」
「通常ならば、子供に聞かせていい話……ではないのだが。話さなければ、スバルも納得しないだろう。だから、スバルとミナトにも話を聞かせるが、この話をするのは、今この場限りだ。以後は誰にも話してはいけない」
「ケイと柊一なら、イイでしょ?」
「駄目だ」
「あの、海老坂は……?」
「駄目だ。今後はお互いでも話さない。スバルとミナトの二人だけでも、話してはいけないよ。約束が絶対に守られなければ、計画が頓挫して、仕返しが出来なくなってしまうからね」
「う……ん。なんか、よくワカンナイけど、分かった。絶対に、この話はミナトとも話さない」
「よろしい。その知り合いの本業は探偵なのだが、多岐に渡る才能を持ち合わせており、特にヒモとしての才能は人並み外れている」
「そんな怪しげな……いえ、多彩な人と、どこで知り合いになったんですか?」
「ゲイバーだ」
「聖一、ヒモって、なあに?」
「大人になれば、解る」
「じゃあ、ゲイバアって、なに?」
「大人になれば、解る」

 白砂サンの返事にホクトは吹き出したが、スバルは再び頬をぷんぷくに膨らませている。

「その多彩な探偵さんに、何をして貰うんですか?」
「彼に頼めば、ゴリラに毛じらみを仕込むことが出来る」
「はぁ?!」
「ケジラミって、なんだろ?」

 スバルはコソッと、ミナトに訊ねた。

「たぶん……おちんちんが腐ったバナナみたく真っ黒になって、ポロッと取れちゃう病気とかじゃないかな」
「うわあ、ホントにっ!」

 スバルは確かめるように白砂サンを見た。

「違うよ」

 白砂サンがあまりにシレッと返事をするので、スバルもミナトも、その答えが真実なのか嘘なのか、判別が出来ないような顔をしている。

「毛じらみ、ですか……?」
「そうだ」
「どうやって?」
「そこまでは、知らん。ただ、彼に頼んで相応の謝礼を払えば、やってくれる」
「でもそんなモノに罹患したら、他の人にも伝染ります……よね?!」
「そうだな。ゴリラとセックスをしたら、ほぼ確実に罹患する。だが、毛じらみは所詮、命に関わる事態にはならない。胯間が異常に痒くなるだけだ。彼に頼めば淋病でもクラミジアでも感染させられるが、そういった病気は深刻な事態になる可能性がある。ゴリラがどうなろうと構わんが、不特定多数の人物にそのような危険な病気を故意に罹患させるのは、さすがに心が咎めるからな」

 ホクトはしばらく考え込むような顔をしていたが、顔を上げると白砂サンを見た。

「相場は、どれくらいでしょう?」
「連絡を取ってみないことには、皆目かいもく見当もつかない。それに海老坂君も、同じように腹を立てているのではないかね? 計画が成功した暁に、賛同する者で全てを分かち合おう」
「解りました」
「ねえ、それで、ゴリラどうなるの?」
「今、聖一が言ったじゃん、おちんちんがメッチャ痒くなるって!」
「それだけ?」
「それだけだよ」
「それのどこが復讐なの?」
「そうだな。……一つ、とても大事なことを教えてあげよう」

 ミナトの問いに、スバルも頷いている。
 だがそこで、いつもは鉄面皮の白砂サンが、今まで見たこともないような暗黒の笑顔を浮かべた。

「なに?」
「本当に成就させたい計画がある場合、知っている人数が少なければ少ないほど、成功率は飛躍的に上がるのだよ」

 スバルとミナトは顔を見合わせた。

「だって、計画を知ってるの、僕達だけだよね?」
「うむ。計画の全容を知っているのが私だけなら、更に成功率が上がるのだよ」
「わかった?」

 スバルがミナトに訊ねた。

「たぶん……、聖一が全部上手くやってくれるんだよ」
「そっか……」

 二人はけむに巻かれたような顔をしているが、これ以上訊ねても白砂サンが何も教えてくれないってことだけは理解したようだ。

「というわけだから、スバルはそのバットを、明日にでも体育倉庫に返しておきなさい」
「うー、ワカッタ」
「僕のカナヅチ、返してくれないの?」
「南の頭を金槌で叩いても、気分は晴れない。それに、私はミナトが傷害罪で少年院に送られてしまったら、悲しい。私のために、南を殴るのは止めにしてくれないかね?」
「……ワカッタ」

 ミナトが納得したところで、白砂サンは立ち上がった。

「多聞君、入り口の札を "OPEN" に戻しておいてくれたまえ。まだ、閉店には早すぎるからね」
「あ、じゃあ俺、着替えてきてシフト入ります。店が空いてるなら、ケイが戻るまでスバルとミナトの勉強を見ます」
「よろしく頼むよ」

 白砂サンは、厨房に戻っていってしまった。
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