また、猫になれたなら

秋長 豊

文字の大きさ
6 / 60

5、黒猫の青年

しおりを挟む
 空雄は寝るのを諦めて居間に下り、冷蔵庫から牛乳をコップに注いだ。縁に唇をつけた時、カツッと犬歯が当たった。歯に触れてみると、犬歯の先端が異様にとがっていた。急いで洗面所の鏡で確認すると、他の歯と比べて犬歯だけが鋭く突き出ていた。

 がっくりきた。もう猫化は止まったのかと思っていた。体調は悪くないとみんなの前で言ったわりには、体の変化は目まぐるしい。このまま変化し続けて、もし本当の猫になったら? 考えただけでもゾッとした。

 午後11時40分。両親は自室にいるのか居間はしんとしていた。空雄は庭に面したベランダに出て空を見た。今の悩みがちっぽけに思えるくらい美しかった。月は雲に隠れて見えなかったが、風の行方次第では顔を出してくれそうだ。

 少し肌寒い春の夜に、どこからともなく鈴の音がした。暗闇に目を細めてみるも、どこから音がしたのか分からない。耳を澄ましていると、またチリンと音がした。薄く広がった灰色の雲が風に流され月が顔をのぞかせた時、家の屋根が柔和な白い光でキラキラと輝き、ここは束の間閉じ込められた箱庭みたいになった。

 みとれていたせいか、向かいの屋根に人がいることに気付かなかった。

 人は屋根から跳び出し、舞った。およそ人間の跳躍とは思えないきれいな弧を描いて。光に照らされたその姿は、一言で言うと”黒猫”。黒一色の髪に猫耳。周囲に同化する漆黒の着物、首には鈴の付いた赤い首輪。

 目の前で、さっきの鈴の音が響いた。

 青年は空雄の前にふわりと着地した。空雄はあっと息をのみ、至近距離に迫った青年の黄色い瞳から目をそらせなかった。

「ずっとこの時を待っていた」

 青年は笑顔で言った。



「あんたはこの町にすむ猫の神様、猫善義王(ねこぜんぎおう)の使い、白猫の白丸に選ばれ憑依された。猫を石に変える化け物、石男を滅ぼすための、猫戦士にするために」

 青年は迷いなく言い放った。猫の神様? 白丸に憑依された? 猫を石に変える化け物? この青年はいったい何を言っているのか。

「猫戦士の使命は石男を滅ぼすこと。俺とあんたがいれば、きっとこの長い戦いに終止符が打てる。だからともに猫神社まで来い!」

「待ってください」

 空雄は急き込んで言った。聞きたいことは山ほどあるが、まずは――「あんた誰?」である。この青年からは敵意が感じられないし、話せばちゃんと聞いてくれるタイプに見える。だから空雄は単刀直入に「あなたは誰ですか?」と聞いた。

「橋本流太(りゅうた)。それじゃあ聞くけど、あんたは?」

「奥山空雄です」

 青年の名前がいたって普通なことに驚きつつ、どこか親近感も感じる。耳はあるけど、一応人……だよな? 念のため用心深く流太の顔を見た。

「あなたも同じなんですか? その、俺と」

「そうだね」

 流太はにゅるりと動く黒いしっぽをつかみ耳を指さした。

「俺もあんたと同じ猫になった人間。黒猫の黒丸に憑依された。憑依された人間はその時の記憶を失う。あんたにも、記憶はないだろ。だけど、猫がかんだ傷跡はあるはずだ」

 空雄は親近感を忘れ、変な汗をかいた。公園にいた一部の記憶がなくなっていたことに加え、右手に身に覚えのない傷ができていた。猫人間になったのは、確かその直後のはず。まさか、ここまで言い当てられるとは。

 流太は隠そうとした空雄の右手をつかんだ。

「この傷がそう。人間に戻るまで、消えることはない」

「人間に戻るまでって、どういうことですか?」

「俺たち猫戦士は、憑依されたその日を繰り返し生きている。そうだな、例えれば無限ループ。だけど記憶は積み重ねられる。午前0時が再生される時間だ。つまり、あんたは、午前0時を迎えるのと同時に、体は憑依された日に戻る。要するに――リセットだ」

 体が1日でリセット? 空雄は驚いた。今になって、猫に憑依されたという言葉がずしりと重くのしかかる。
「誰と話してるの?」

 母の声がした。ドキリとして振り返ると、寝巻姿の母と父が寝室から顔を出していた。空雄は慌ててカーテンを閉めたが、流太は構わず隙間から入ってきた。

「ちょっ、何してるんですか!」

「こんばんは」

 突然現れた猫耳の好青年に両親は沈黙、いや、撃沈。ややあって、母は流太に歩み寄った。父は慌てて引き戻そうとしたが、母はじっと流太のことを見た。流太はいわば、真夜中に突如現れた不法侵入者。普通なら警察を呼ぶか、追い返すかして当然なのに母はそうしなかった。何を思ったのか、流太の顔を両手で引き寄せると、

 むにゅっ
 むにむに
 
 猫耳を、もんだ。

 いきなり人の耳、しかも猫耳をもみもみするなんて! 空雄はひやひやしたが、母はいたって真面目だった。そんな恐れを知らない母を見た流太は思わず噴き出した。

「そんなに珍しい?」

「珍しいというか、まさか、空雄と同じような方がいるとは思っていなくて」

「普段は姿を見せない。俺がこうして、この姿で現れたのは彼を迎えにきたからだ」

「迎えに? 失礼。あなたはいったい誰なんですか?」父が尋ねる。

「俺は橋本流太。あんた方の息子を猫神社に連れていくために来た。彼は、猫善義王の使いである白猫の白丸に選ばれ猫戦士となった。もう、簡単には人間の姿に戻れない」

しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

春の雨はあたたかいー家出JKがオッサンの嫁になって女子大生になるまでのお話

登夢
恋愛
春の雨の夜に出会った訳あり家出JKと真面目な独身サラリーマンの1年間の同居生活を綴ったラブストーリーです。私は家出JKで春の雨の日の夜に駅前にいたところオッサンに拾われて家に連れ帰ってもらった。家出の訳を聞いたオッサンは、自分と同じに境遇に同情して私を同居させてくれた。同居の代わりに私は家事を引き受けることにしたが、真面目なオッサンは私を抱こうとしなかった。18歳になったときオッサンにプロポーズされる。

敗戦国の姫は、敵国将軍に掠奪される

clayclay
恋愛
架空の国アルバ国は、ブリタニア国に侵略され、国は壊滅状態となる。 状況を打破するため、アルバ国王は娘のソフィアに、ブリタニア国使者への「接待」を命じたが……。

四季の姫巫女(完結)

襟川竜
ファンタジー
いすゞの里に住む女中の冬は、どこにでもいる平凡な14歳の少女。 ある日、ひょんな事から姫巫女見習いを選ぶ儀式に強制参加させられてしまい、封印されていた初代姫巫女の式神を目覚めさせた事で姫巫女になる資格を得る。 元女中である冬を、当然ながら姫巫女達は疎んじたが、数か月も経たぬうちに里全体を襲う蛇神との戦いに身をさらす事になってしまう。 ※小説家になろう、で公開したものに、若干の加筆・修正を加えています。

転生99回目のエルフと転生1回目の少女は、のんびり暮らしたい!

DAI
ファンタジー
99回のさよならを越えた、究極の『ただいま』 99回転生した最強エルフは、のんびり暮らしたいだけなのに――なぜか家族が増えていく。 99回も転生したエルフの魔法使いフィーネは、 もう世界を救うことにも、英雄になることにも飽きていた。 今世の望みはただひとつ。 ――森の奥の丸太小屋で、静かにのんびり暮らすこと。 しかしその願いは、 **前世が日本人の少女・リリィ(12歳)**を拾ったことで、あっさり崩れ去る。 女神の力を秘めた転生少女、 水竜の神・ハク、 精霊神アイリス、 訳ありの戦士たち、 さらには―― 猫だと思って連れ帰ったら王女だった少女まで加わり、 丸太小屋はいつの間にか“大所帯”に!? 一方その裏で、 魔神教は「女神の魂」と「特別な血」を狙い、 世界を揺るがす陰謀を進めていた。 のんびり暮らしたいだけなのに、 なぜか神々と魔王と魔神教に囲まれていくエルフ。 「……面倒くさい」 そう呟きながらも、 大切な家族を守るためなら―― 99回分の経験と最強の魔法で、容赦はしない。 これは、 最強だけど戦いたくないエルフと、 転生1回目の少女、 そして増え続ける“家族”が紡ぐ、 癒しと激闘の異世界スローライフファンタジー。

冷遇妃マリアベルの監視報告書

Mag_Mel
ファンタジー
シルフィード王国に敗戦国ソラリから献上されたのは、"太陽の姫"と讃えられた妹ではなく、悪女と噂される姉、マリアベル。 第一王子の四番目の妃として迎えられた彼女は、王宮の片隅に追いやられ、嘲笑と陰湿な仕打ちに晒され続けていた。 そんな折、「王家の影」は第三王子セドリックよりマリアベルの監視業務を命じられる。年若い影が記す報告書には、ただ静かに耐え続け、死を待つかのように振舞うひとりの女の姿があった。 王位継承争いと策謀が渦巻く王宮で、冷遇妃の運命は思わぬ方向へと狂い始める――。 (小説家になろう様にも投稿しています)

聖女の証

とーふ(代理カナタ)
ファンタジー
後の世界で聖女と呼ばれる少女アメリア。 この物語はアメリアが世界の果てを目指し闇を封印する旅を描いた物語。 異界冒険譚で語られる全ての物語の始まり。 聖女の伝説はここより始まった。 これは、始まりの聖女、アメリアが聖女と呼ばれるまでの物語。 異界冒険譚シリーズ【アメリア編】-聖女の証- ☆☆本作は異界冒険譚シリーズと銘打っておりますが、世界観を共有しているだけですので、単独でも楽しめる作品となっております。☆☆ その為、特に気にせずお読みいただけますと幸いです。

愛された側妃と、愛されなかった正妃

編端みどり
恋愛
隣国から嫁いだ正妃は、夫に全く相手にされない。 夫が愛しているのは、美人で妖艶な側妃だけ。 連れて来た使用人はいつの間にか入れ替えられ、味方がいなくなり、全てを諦めていた正妃は、ある日側妃に子が産まれたと知った。自分の子として育てろと無茶振りをした国王と違い、産まれたばかりの赤ん坊は可愛らしかった。 正妃は、子育てを通じて強く逞しくなり、夫を切り捨てると決めた。 ※カクヨムさんにも掲載中 ※ 『※』があるところは、血の流れるシーンがあります ※センシティブな表現があります。血縁を重視している世界観のためです。このような考え方を肯定するものではありません。不快な表現があればご指摘下さい。

新人メイド桃ちゃんのお仕事

さわみりん
恋愛
黒髪ボブのメイドの桃ちゃんが、働き先のお屋敷で、旦那様とその息子との親子丼。

処理中です...