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82、きれいな目
しおりを挟む陽たちと話していると、背の高い大柄な男が病室に入ってきた。誰かと思えば龍太郎だった。その後ろには大量の菓子袋を持たされた也草の姿が見える。
「おう! 調子どうだ」
「一日やそっとじゃ舌は治りませんよ」
「それもそうだな」
龍太郎は具視のベッドに腰掛けると、持ってきたお菓子を披露し始めた。修学旅行のお菓子タイムみたいになっていると、也草がさっそくボリボリせんべいを食べだした。
「龍太郎さん。事件のことですけど……」
「ん?」
「あの麻美と名乗った紫奇霧人、俺は会ったことがあったんです」
具視は告白した。
この場にいた誰もが驚きに目を見張った。
「おい、それはどういうことだ! そんな話……」
「連次」
陽になだめられて連次はグッと言葉をのみこんだ。
具視は目の前のシーツをじっと見つめていたが、意識は3年前のあの日に戻っていた。
「3年前、世田谷区の保護マンションで起こった住人消失事件。その時、俺は部屋の中に1人いて、玄関のチャイムが鳴ったんです。のぞいてみると、霧の中に紫色の目が浮かんでいて、急いでベランダがある自分の部屋に駆け込みました。玄関のドアを壊して入ってくる音がしたので、ベランダから下の階に逃げようと身を乗り出しました。その時、背中を押されて落ちたんです。この話は、龍太郎さんと也草さんにはすでに話してある通り」
具視は驚く陽たちを見て話を続けた。
「俺の背中を押したのは、麻美でした」
病室の中に分厚い静寂がのさばる。也草は持っていたせんべいを手の中で粉々にした。その乾いた音だけが異様に
響く。彼はかかった前髪の奥で目つきを変えた。
「どうして麻美が押したと分かる」
也草は率直に疑問をぶつけた。
「彼女がそう言ったからです」
「姉上の変装をしてまで俺たちをだました相手だぞ」
「あの紫奇霧人は……現場にいた者にしか分からないことを知っていました。押したチャイムの回数、俺がどのタイミングでどこに逃げたのかまで。でも、麻美は3年前の主犯じゃありません。何か、後ろにもっと大きな存在がいる。彼女はそれ以上のことを話そうとはしませんでしたが」
「当たり前だ」
也草はポツリと言った。
「マンションの住人丸々消すほどの霧を吐き、なおかつ綿密な計画的犯行を企てた。そんなことをするやつが、払霧師でもないお前に殺されるような紫奇霧人なわけがない。俺の兄が……そんな雑魚に殺されるわけがない」
彼の声にはやるせなさがこもっていた。
「あの事件は突発的に起こったものじゃなく、綿密に計画されたものだった。マンションだけじゃなく、保護区全体の構造も全て把握しなければできない犯行だ。麻美が3年前、現場にいた紫奇霧人であることが本当ならば、今回の事件はなぜ起きた? しかも、払霧師じゃなくて、大学生を狙った。狙いは払霧師狩りだ。だけど、どうせ力のない紫奇霧人は大学生から狙ったんだろう。地下室の壁には払霧師と大学生の顔写真が貼られていたと聞いた。だが、数いる大学生の中でも具視たちを選んだのは何か理由があるんだろう」
也草は龍太郎に言った。
「どうして俺が霧に溶けないのか、試したいと言っていました」
「紫奇霧人も知らないのか。何も?」
連次は疑るような目を具視に向けた。
「紫奇霧人が全員目的、意識を同じくしているわけじゃないってことだ」
龍太郎はすっくと立ち上がると、具視の頭をワシャワシャした。どんよりした病室の中で、龍太郎の顔だけが明るい陽だまりのように見えた。彼は笑っていた。
「とにかくよく頑張った。お前たち、全員」
龍太郎たちが病室を出ていった後、具視は病院内の売店に立ち寄った。適当にお菓子や飲み物を買ってエレベーターに乗り、3階へ向かう。松渕という名前が書かれた病室の前でドアをノックした。
「天さん。波江具視です。入ってもいいですか?」
しばらくするとドアが開いた。
入院着姿の天が出迎えた。
「えっと……具視さん?」
具視は笑って買い物袋を持ち上げた。天はスリッパをパタパタいわせながら椅子を用意してくれた。
「助けてくれて、ありがとうございました。やっぱり、具視さんは才能があるんですね」
天はどこかこそばゆそうに言った。
「才能なんて、そんな――俺にはありません」
「謙遜しないでください。あんなの目の前で見せられたら、誰だってすごいって思いますよ。プロの払霧師を見ているようでした。きれいな……光で。かっこよかった」
天はポカポカした笑みを浮かべながら言った。女の子から笑顔で褒められるのは気恥ずかしいが、それ以上に心の中は温かくなった。
「私、自分の心に負けたんです。守護影審査に合格できなくて、そんな自分がみじめになって、線路に飛び降りそうに……」
「え?」
「でも、寸でのところで助けられたんです。あの、麻美という女子高生に」
「麻美って、紫奇霧人の?」
「はい。よく話を聞いてくれて、心が楽になりました。だから、彼女が紫奇霧人だなんて思わなかったんです」
具視は心の中に突如現れたしこりに不安が拭えなかった。線路に落ちそうになった天を、偶然その場に居合わせた紫奇霧人の麻美が助けた? 話がうますぎやしないだろうか。
「それ以前に、麻美を見たことは一度も?」
「はい」
麻美が死んだ今、事実は確かめようがないが、これが偶然でなければ考えられることは一つ。守護影審査に通う天を最初から狙っていたということ。そう考えれば、払霧師を含め大学生たちが普段から監視されているという線があってもおかしくない。こちらが紫奇霧人を仕留めようと目を光らせている時には、向こうもこちらを見ている。それほどまでに紫奇霧人と払霧師は大敵同士。考えれば当然な気もする。
「勘違いしていました。紫奇霧人は人の気持ちなんて分からなくて、ただ本能に従って霧を吐くような化け物だって、そう思ってたんです。だけど、あんなに人間らしかったなんて」
人間らしい――か。
確かにその通りだ。
ただ、そこに思いやりは存在しない。麻美が天に甘い言葉をかけたのだって、誘拐し霧に溶かし食するため。
「彼らの目的は、単純に人間を捕食することではないと思うんです。喜怒哀楽の感情があるように見えて、一部が著しく欠如している。例えば、あの麻美という紫奇霧人は捕食より他の部分に優先順位を置いていました。苦痛から快楽を得るタイプのようですが、だからこそ善人の面もする」
本性を現した麻美と相対した時、具視は明らかに話が通じないと感じた。人の自由を奪ってから粘着質に、じわじわと弱らせていく。快楽的で、残虐的。
「具視さん」
ものすごく言いづらそうに天は顔を上げた。
「あなたの目……」
具視は身構えた。
霧を吸った時に、具視の目はぼんやりと青く光る。それが紫奇霧人との類似点である限り、具視にとってはコンプレックスであり続ける。鏡を見るたびに憎らしくて、えぐり取ってしまいたいと思うほどに。
そうか、あの時――
天は目の前で見ていた。
具視が霧を吸って、その目が青く光るのを。
具視はすっくと立ち上がった。
「もう、行きますね。お大事に」
ドアノブに手をかけようとした具視の手を天が取った。
「待って」
天は具視の前に入り込むと、薄水色の瞳で具視を見つめた。
「きれいな目だなって」
具視は動けなくなった。
きれい、だなんて。
「不気味ですよね、こんな目」
「私、好きですよ」
一瞬頭の中が真っ白になった。冗談かと思って見返すと、天は天使みたいな顔でにっこり笑っていた。
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