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22、油探し
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突然世界が広がったと言えばいいのだろうか。とにかく、例のガラス玉が赤く見えるのか、見えないのか、ということは次男にとって人生をも左右しかねない大きな問題だったようだ。
翌日、有之助は次男の部屋に呼ばれた。初めて入る彼の部屋は片付いていて、猫の葉牡丹が広々とした縁側でくつろいでいた。
次男は大きな四角形のかばんをテーブルの上に広げた。中には”油のあることないこと本”と書かれた薄い本に、小鍋、ふた付きのビン、眼鏡、七つのそれぞれ形が異なる小さなビンが納まっていた。本の著者は刻印八太と書かれている。
「簡潔に聞こう。なぜ見える」
開口一番に次男は言った。
「そんなことを言われても、僕にはただ他のものと同じように見えているだけです。どうして、次男さんには見えないんですか? そもそも、このかばんのものは一体なんですか?」
半ば困り果てた顔で有之助は聞き返した。
「このガラス玉に入っているのは油だ」
「油、ですか」
「しかも、普通の人間には見えない。だから、お前が見えるというのは、お前がうそをついているか、本当に油が見える目であるということか、そのどちらかだ」
「意味が分かりません」
と言ってから、有之助は以前母が自分におかしなことを言っていたことを思い出した。
「そういえば母は」
「なんだ」
「やっぱりいいです」
「話してみろ」
真剣に催促されたので、有之助は心に抱いていた羞恥心を捨てて話しだした。
「僕が不思議なものが見えるかもしれないって、前に言っていたんです。父親譲りらしくて、母にはそれが感覚的に分かっていたようで。でも、今までそんな、幽霊が見えるとか、精が見えるとか、そんなことは一度もありませんでした。だから、本当なのか、どうかも分かりません」
「話の辻褄は合う」
「え」
霊や精が見えるならまだしも、なぜ油が見えるだけでそうなるのだろうか。ちっとも辻褄が合っているようには見えないのだが。
「そもそも、この油はなんなんですか。植物系の油ですか、それとも動物系? あぁ、でも、赤色の油なんてあまり見ませんよね。もしかして魚醤だったりして……」
「違う」
すっぱり切るように次男は断言すると、もう一度ガラス玉を指でつまんで見つめた。
「この中には、精の血が入っているんだ。俺には見えないが、この本にはそう書いてある」
「血?」
「精の血は油とも言われている。精はこの国の土地に根付き、それぞれの土地を守っている存在だ。死んだ俺のおやじは、その油を夢中になって探していた」
唐突に、浮世離れした話に入り始めた。精だとか、血だとか、油だとか……有之助は頭の中が、収拾がつかないほどにこんがらがっていた。
「でもおやじは油が見えない人間だった。だから、このガラス玉を身に着けて、いつか油が見える人間がやってくるのを待っていた」
「どうして油を探すんですか?」
そうさ。こんな油を探したところで、一体なにになると言うのだろう。精の血だかなんだか知らないが、見つかったところで、調味油よりも使途不明だ。しかも、血と称される真っ赤な油で誰が天ぷらを揚げたいというのだろうか。
「どんな金銀財宝よりも価値があるからだ」
こんな油に? と有之助は心の中で理解に苦しんだ。まるで、どこかの画廊で見掛けた絵を見て、こんな絵が1臆で売れるのか? という疑問を抱いた感覚に近い。
「いくらなんでも、それは言い過ぎじゃありませんか? しかも、宝石は多くの人に見える物ですけど、この油はほとんどの人に見えないって言うんですよね?」
「この本に定められた油を全て調合すれば、万人の目に見える油となる。そして、そいつはどんなけがや病気でも治せてしまう。そういう力を持つんだ」
これまでほとんど信じていなかった有之助にとって青天の霹靂だった。今、どんな病でも治せると言ったのか? 本当なのか? 有之助は油のあることないこと本をそっと手に取り、これまでとは違う真剣な目で見つめた。
「次男さん、あなたこそ僕をからかっていませんか?」
「は」
「だって、僕は今までずっと、母を救えるかもしれないって、医学書を読んだり、医者に何回も頼んできたんです。それなのに、一向に母はよくならなくて……もう、藁にもすがる思いで、あなたの事務所にある本だって、ほとんど調べ尽くしたんですよ」
次男はうつむき、強気だった目に迷いを浮かべた。
「からかってなどいない」
「どんな病でも治せる? そんな手の届かないような伝説みたいな話をして、希望をもたせるっていうんですか」
一通りしゃべり終えてから、有之助はがっくり肩を落としてうなだれた。
「これまでこのガラス玉を見て赤色だと言った人間はただの一人もいなかった。だから、この話をしている」
有之助はゆっくりと顔を上げた。次男はもう一度首にかけていたガラス玉を指でつかんだ。
「こいつもかばんの中にあった品だ。見える者には中に入っている赤色の油が見えるのだと、本に書いている」
次男は前髪をかきあげて天井を見上げると息を吐いた。
「確かに、配慮に欠ける話だったな」
テーブルの上に広げたかばんを静かに片付けた始めた次男の姿を見て、有之助はなんだか急に悲しい気持ちになった。
「待ってください」
閉めようとしたかばんに手を置いて、有之助は静かに言った。
次男は瞬きした。
「あんなことを言ったのは、本当は僕、希望を持ちたくて、でも、どうせかないっこないって、怖くて。だから、今の話を聞いて否定したくなったんです。次男さんが、わざわざこの話を僕にしたのも、油を見つけたいからですよね? でも、どうして油を手に入れたいんですか? 僕ならまだしも……」
「俺はその油で、誰かを救いたいわけではない。高く売るために探したいというまでだ。だが、油が全て見つかる保証を、俺は一切できない。また、油が見つからないという保証も。そういった意味では、お前の期待を裏切ることにもなるだろう。ただ、油が見えるお前がいれば勝率は上がる」
2人は黙々と見つめ合った。
「この国の王も油を探している」
翌日、有之助は次男の部屋に呼ばれた。初めて入る彼の部屋は片付いていて、猫の葉牡丹が広々とした縁側でくつろいでいた。
次男は大きな四角形のかばんをテーブルの上に広げた。中には”油のあることないこと本”と書かれた薄い本に、小鍋、ふた付きのビン、眼鏡、七つのそれぞれ形が異なる小さなビンが納まっていた。本の著者は刻印八太と書かれている。
「簡潔に聞こう。なぜ見える」
開口一番に次男は言った。
「そんなことを言われても、僕にはただ他のものと同じように見えているだけです。どうして、次男さんには見えないんですか? そもそも、このかばんのものは一体なんですか?」
半ば困り果てた顔で有之助は聞き返した。
「このガラス玉に入っているのは油だ」
「油、ですか」
「しかも、普通の人間には見えない。だから、お前が見えるというのは、お前がうそをついているか、本当に油が見える目であるということか、そのどちらかだ」
「意味が分かりません」
と言ってから、有之助は以前母が自分におかしなことを言っていたことを思い出した。
「そういえば母は」
「なんだ」
「やっぱりいいです」
「話してみろ」
真剣に催促されたので、有之助は心に抱いていた羞恥心を捨てて話しだした。
「僕が不思議なものが見えるかもしれないって、前に言っていたんです。父親譲りらしくて、母にはそれが感覚的に分かっていたようで。でも、今までそんな、幽霊が見えるとか、精が見えるとか、そんなことは一度もありませんでした。だから、本当なのか、どうかも分かりません」
「話の辻褄は合う」
「え」
霊や精が見えるならまだしも、なぜ油が見えるだけでそうなるのだろうか。ちっとも辻褄が合っているようには見えないのだが。
「そもそも、この油はなんなんですか。植物系の油ですか、それとも動物系? あぁ、でも、赤色の油なんてあまり見ませんよね。もしかして魚醤だったりして……」
「違う」
すっぱり切るように次男は断言すると、もう一度ガラス玉を指でつまんで見つめた。
「この中には、精の血が入っているんだ。俺には見えないが、この本にはそう書いてある」
「血?」
「精の血は油とも言われている。精はこの国の土地に根付き、それぞれの土地を守っている存在だ。死んだ俺のおやじは、その油を夢中になって探していた」
唐突に、浮世離れした話に入り始めた。精だとか、血だとか、油だとか……有之助は頭の中が、収拾がつかないほどにこんがらがっていた。
「でもおやじは油が見えない人間だった。だから、このガラス玉を身に着けて、いつか油が見える人間がやってくるのを待っていた」
「どうして油を探すんですか?」
そうさ。こんな油を探したところで、一体なにになると言うのだろう。精の血だかなんだか知らないが、見つかったところで、調味油よりも使途不明だ。しかも、血と称される真っ赤な油で誰が天ぷらを揚げたいというのだろうか。
「どんな金銀財宝よりも価値があるからだ」
こんな油に? と有之助は心の中で理解に苦しんだ。まるで、どこかの画廊で見掛けた絵を見て、こんな絵が1臆で売れるのか? という疑問を抱いた感覚に近い。
「いくらなんでも、それは言い過ぎじゃありませんか? しかも、宝石は多くの人に見える物ですけど、この油はほとんどの人に見えないって言うんですよね?」
「この本に定められた油を全て調合すれば、万人の目に見える油となる。そして、そいつはどんなけがや病気でも治せてしまう。そういう力を持つんだ」
これまでほとんど信じていなかった有之助にとって青天の霹靂だった。今、どんな病でも治せると言ったのか? 本当なのか? 有之助は油のあることないこと本をそっと手に取り、これまでとは違う真剣な目で見つめた。
「次男さん、あなたこそ僕をからかっていませんか?」
「は」
「だって、僕は今までずっと、母を救えるかもしれないって、医学書を読んだり、医者に何回も頼んできたんです。それなのに、一向に母はよくならなくて……もう、藁にもすがる思いで、あなたの事務所にある本だって、ほとんど調べ尽くしたんですよ」
次男はうつむき、強気だった目に迷いを浮かべた。
「からかってなどいない」
「どんな病でも治せる? そんな手の届かないような伝説みたいな話をして、希望をもたせるっていうんですか」
一通りしゃべり終えてから、有之助はがっくり肩を落としてうなだれた。
「これまでこのガラス玉を見て赤色だと言った人間はただの一人もいなかった。だから、この話をしている」
有之助はゆっくりと顔を上げた。次男はもう一度首にかけていたガラス玉を指でつかんだ。
「こいつもかばんの中にあった品だ。見える者には中に入っている赤色の油が見えるのだと、本に書いている」
次男は前髪をかきあげて天井を見上げると息を吐いた。
「確かに、配慮に欠ける話だったな」
テーブルの上に広げたかばんを静かに片付けた始めた次男の姿を見て、有之助はなんだか急に悲しい気持ちになった。
「待ってください」
閉めようとしたかばんに手を置いて、有之助は静かに言った。
次男は瞬きした。
「あんなことを言ったのは、本当は僕、希望を持ちたくて、でも、どうせかないっこないって、怖くて。だから、今の話を聞いて否定したくなったんです。次男さんが、わざわざこの話を僕にしたのも、油を見つけたいからですよね? でも、どうして油を手に入れたいんですか? 僕ならまだしも……」
「俺はその油で、誰かを救いたいわけではない。高く売るために探したいというまでだ。だが、油が全て見つかる保証を、俺は一切できない。また、油が見つからないという保証も。そういった意味では、お前の期待を裏切ることにもなるだろう。ただ、油が見えるお前がいれば勝率は上がる」
2人は黙々と見つめ合った。
「この国の王も油を探している」
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