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35、俺を雇ってくれ!
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とにかく、これで3人分の書術は見たことになる。天井の件で塩売は絶望的な顔をしていたが、次男たちが修繕費をぶんどられることはなかった。
「難しい人選だね。みんなすごい術が使える」
渡された3枚の評価シートを前に穂海はうなだれた。次男も決めかねているのか、さっきからなにもしゃべらない。個人的には、規格外の熟練者とも見えた庭園が気になったが彼は自分の力をコントロールできるのか疑問でもあった。穂海は2番目に披露した勝ち気な少女柿屋が気になっているようだ。彼女はある程度力の制御も効くようだし、なにより書術の出し方が丁寧だった気がする。(素人目に見て)。
目を閉じ、顎に手を当て、次男は深く考え込んでいた。あまりにも長い間考え込んでいるので、有之助と穂海は2人で話すしかなかった。
そろそろ塩売が結果を催促しに来るころだろう。案の定、階段をドタバタせわしなく上がってくる足音が聞こえた。随分と急いでいるなぁ、なんて考えていると扉がバッと勢いよく開いた。
「塩売さ――」
そう声を掛けてから有之助はぎょっとした。違う。誰だ? 10代半ばと見える風貌の少年が、息を切らしながら立っていた。ほんのり紫がかった黒い髪。前髪が鼻くらいまであるため、目は見えない。上品な紫色の着物に巨大な筆を1本背負っている。
「俺を雇ってくれ!」
決断を下そうとしていた次男はあっけにとられ、突然叫んだ少年の顔をまじまじと見つめていた。
「お願いだ!」
筆を背負った少年は次男の前に飛び込むと懇願した。恐らく次男は既に決めた書術師がいたのだろう、迷惑そうに眉をひそめた。
「候補は3人と聞いている」
そのとき、ドタドタ階段を上がってくる足音がまたもや聞こえた。塩売は何度も頼み込む少年の首根っこをつかむと次男からひきはがした。
「守っ! 商屋さんに失礼なことをするんじゃない。お前は推薦枠に入れないと何度言ったら分かる。自己流ばかり練習している暇があるなら協会が定めた術を覚えろ」
「俺は構わない」
全く覇気のない声で次男がポツリと言うと、守と呼ばれた少年は塩売など視界から追いやってガシッと次男の肩に手をおいた。
「商屋次男! 俺は絵師守(えし・まもる)だ。どうか、どうか今回の契約で俺を雇ってほしい」
「書術を見てみなければ決めかねる」
「しかし、商屋さん。守は書術師試験に合格したばかりの新米です。安定した術も使えない書術師を雇うというのは、あまりにリスクがあるかと」
「雇うとは言っていない。書術を見せてくれ」
「ありがとう!」
よろこびに満ち溢れた声で守は元気に言った。一方、手に負えないのか塩売は肩を落とし、どうせいい結果にはならないだろうとため息をもらした。
「……分かりました。では、守の書術を含めご検討ください。終わったらまた来ます」
守は律儀に正座をしてお辞儀すると長い前髪の隙間からわずかにこちらを見つめた。どうしてこんなに前髪を伸ばしているのかは分からないが、見えづらくないのだろうかと有之助は単純に思った。
また扉がバッと開いた。面倒な予感がして視線を上げると、八百屋が血相を変えて守のむなぐらをつかみ上げた。
「げっ! 八百屋!」守は顔を青くした。
「てめぇ! なにずかずかと派遣審査に踏み入ってやがる。お前は一生下っ端として支部長に世話でも焼かれてろ」
「そんなふうに言わなくてもいいじゃないか」
やんわりと有之助が口を挟んだところで八百屋の怒りは収まらなかった。
「こいつは駄目書術師だ。ここにきてもう何年もたつくせに、ろくに書術も使えねぇ。審査基準の50語にも満たない、たったの10語だぜ? そんなんで仕事を請け負えるか。商屋さんよ、こいつを雇ったら大赤字だぜ。金の無駄だ」
解放された守は乱れた襟元を直しながらうつむいた。
「そんなやつが生意気にお願いなんてするんじゃねぇよ。お前は書術師にむいてないんだよ。いつになったら分かるんだ」
「無駄かどうかはお前が決めることじゃない」次男は言った。
へたりこむ守をにらみつけると、八百屋はきまり悪そうに部屋を出て行った。なんとも険悪な雰囲気だ。
「大丈夫か」
有之助が差し伸べた手を守はとらなかった。
「俺はやれる」
そう言ってフラッと立ち上がると、守は有之助の前に和紙、墨、筆を用意した。
「ここに名前を書け」
「え、僕?」
「あぁ、そうだ。お前からは厄介な気配を感じる。書術でみてやる」
左右から無言の圧力を感じ取ったので、有之助は筆をとり自分の名前を書いた。
使 有之助
守は文字の書かれたおふだを人差し指と中指の間に挟み口にくわえた。有之助たちはただじっと正座して、これからなにが起こるのか見守っていた。
守は有之助が書いた字の上に手をかぶせ目をつむった。
「書読知――名引き」
同時に手をグッと引き拳を握った。さっき書いた名前から幽体離脱でもするように、すーっと薄い名前の影が浮かんできた。守は文字が完全に離れたところで横殴りに手を振り、文字を握った。グッと拳に力をこめると中の影が砕け散るような不思議な音がした。
守は静かに拳を握ったまま意識を集中していた。まだ目は閉ざされたままだ。
彼の意識は今、全く別のところにあった。
真っ白な空間の中に浮かぶ黄金の光。守は意識の中で光に近づいて行く。
”お前は誰だ。なぜこの子にとりついている”
小さな光は波のように揺れ動いた。
”出ていかなければ、俺がお前を無理やり追い出す”
今度は光が大きくなった。
”なんだ?”
守は意識の中で光の中にふと温かさを感じた。厄介さの欠片もない純粋な思いだった。
意識が戻った。
守は焦げ付くように湯気の立つ手を広げ見つめていた。
「なにかまずいものでも見えたのか?」
有之助が不安になって尋ねると守は首を横に振った。
「ちがう」
有之助は口をポカンと開けていた。
「今、お前の名前から奥深くに入り込んで正体を確かめようとしたら遮られた」
「どういうことだ」
次男は言った。
「分からない。俺も初めて見たんだ。厄介なものは大抵漆黒の闇がのさばっているものなんだ。だけど、お前のはすべてが光のように明るかった。まるで小さな子どもが引っ付いて離れないみたいに、幼い感じがした。でも決して悪いものじゃない」
「子ども?」次男は驚いた。
「僕たちにはなにも見えなかったけど」
「すっごいね! 守は」
穂海は感心した。
「難しい人選だね。みんなすごい術が使える」
渡された3枚の評価シートを前に穂海はうなだれた。次男も決めかねているのか、さっきからなにもしゃべらない。個人的には、規格外の熟練者とも見えた庭園が気になったが彼は自分の力をコントロールできるのか疑問でもあった。穂海は2番目に披露した勝ち気な少女柿屋が気になっているようだ。彼女はある程度力の制御も効くようだし、なにより書術の出し方が丁寧だった気がする。(素人目に見て)。
目を閉じ、顎に手を当て、次男は深く考え込んでいた。あまりにも長い間考え込んでいるので、有之助と穂海は2人で話すしかなかった。
そろそろ塩売が結果を催促しに来るころだろう。案の定、階段をドタバタせわしなく上がってくる足音が聞こえた。随分と急いでいるなぁ、なんて考えていると扉がバッと勢いよく開いた。
「塩売さ――」
そう声を掛けてから有之助はぎょっとした。違う。誰だ? 10代半ばと見える風貌の少年が、息を切らしながら立っていた。ほんのり紫がかった黒い髪。前髪が鼻くらいまであるため、目は見えない。上品な紫色の着物に巨大な筆を1本背負っている。
「俺を雇ってくれ!」
決断を下そうとしていた次男はあっけにとられ、突然叫んだ少年の顔をまじまじと見つめていた。
「お願いだ!」
筆を背負った少年は次男の前に飛び込むと懇願した。恐らく次男は既に決めた書術師がいたのだろう、迷惑そうに眉をひそめた。
「候補は3人と聞いている」
そのとき、ドタドタ階段を上がってくる足音がまたもや聞こえた。塩売は何度も頼み込む少年の首根っこをつかむと次男からひきはがした。
「守っ! 商屋さんに失礼なことをするんじゃない。お前は推薦枠に入れないと何度言ったら分かる。自己流ばかり練習している暇があるなら協会が定めた術を覚えろ」
「俺は構わない」
全く覇気のない声で次男がポツリと言うと、守と呼ばれた少年は塩売など視界から追いやってガシッと次男の肩に手をおいた。
「商屋次男! 俺は絵師守(えし・まもる)だ。どうか、どうか今回の契約で俺を雇ってほしい」
「書術を見てみなければ決めかねる」
「しかし、商屋さん。守は書術師試験に合格したばかりの新米です。安定した術も使えない書術師を雇うというのは、あまりにリスクがあるかと」
「雇うとは言っていない。書術を見せてくれ」
「ありがとう!」
よろこびに満ち溢れた声で守は元気に言った。一方、手に負えないのか塩売は肩を落とし、どうせいい結果にはならないだろうとため息をもらした。
「……分かりました。では、守の書術を含めご検討ください。終わったらまた来ます」
守は律儀に正座をしてお辞儀すると長い前髪の隙間からわずかにこちらを見つめた。どうしてこんなに前髪を伸ばしているのかは分からないが、見えづらくないのだろうかと有之助は単純に思った。
また扉がバッと開いた。面倒な予感がして視線を上げると、八百屋が血相を変えて守のむなぐらをつかみ上げた。
「げっ! 八百屋!」守は顔を青くした。
「てめぇ! なにずかずかと派遣審査に踏み入ってやがる。お前は一生下っ端として支部長に世話でも焼かれてろ」
「そんなふうに言わなくてもいいじゃないか」
やんわりと有之助が口を挟んだところで八百屋の怒りは収まらなかった。
「こいつは駄目書術師だ。ここにきてもう何年もたつくせに、ろくに書術も使えねぇ。審査基準の50語にも満たない、たったの10語だぜ? そんなんで仕事を請け負えるか。商屋さんよ、こいつを雇ったら大赤字だぜ。金の無駄だ」
解放された守は乱れた襟元を直しながらうつむいた。
「そんなやつが生意気にお願いなんてするんじゃねぇよ。お前は書術師にむいてないんだよ。いつになったら分かるんだ」
「無駄かどうかはお前が決めることじゃない」次男は言った。
へたりこむ守をにらみつけると、八百屋はきまり悪そうに部屋を出て行った。なんとも険悪な雰囲気だ。
「大丈夫か」
有之助が差し伸べた手を守はとらなかった。
「俺はやれる」
そう言ってフラッと立ち上がると、守は有之助の前に和紙、墨、筆を用意した。
「ここに名前を書け」
「え、僕?」
「あぁ、そうだ。お前からは厄介な気配を感じる。書術でみてやる」
左右から無言の圧力を感じ取ったので、有之助は筆をとり自分の名前を書いた。
使 有之助
守は文字の書かれたおふだを人差し指と中指の間に挟み口にくわえた。有之助たちはただじっと正座して、これからなにが起こるのか見守っていた。
守は有之助が書いた字の上に手をかぶせ目をつむった。
「書読知――名引き」
同時に手をグッと引き拳を握った。さっき書いた名前から幽体離脱でもするように、すーっと薄い名前の影が浮かんできた。守は文字が完全に離れたところで横殴りに手を振り、文字を握った。グッと拳に力をこめると中の影が砕け散るような不思議な音がした。
守は静かに拳を握ったまま意識を集中していた。まだ目は閉ざされたままだ。
彼の意識は今、全く別のところにあった。
真っ白な空間の中に浮かぶ黄金の光。守は意識の中で光に近づいて行く。
”お前は誰だ。なぜこの子にとりついている”
小さな光は波のように揺れ動いた。
”出ていかなければ、俺がお前を無理やり追い出す”
今度は光が大きくなった。
”なんだ?”
守は意識の中で光の中にふと温かさを感じた。厄介さの欠片もない純粋な思いだった。
意識が戻った。
守は焦げ付くように湯気の立つ手を広げ見つめていた。
「なにかまずいものでも見えたのか?」
有之助が不安になって尋ねると守は首を横に振った。
「ちがう」
有之助は口をポカンと開けていた。
「今、お前の名前から奥深くに入り込んで正体を確かめようとしたら遮られた」
「どういうことだ」
次男は言った。
「分からない。俺も初めて見たんだ。厄介なものは大抵漆黒の闇がのさばっているものなんだ。だけど、お前のはすべてが光のように明るかった。まるで小さな子どもが引っ付いて離れないみたいに、幼い感じがした。でも決して悪いものじゃない」
「子ども?」次男は驚いた。
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