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36、書術師は、もう決まっている
しおりを挟む「精と戦える術はあるのか」
次男は率直に言った。
「俺も精は見たことがない。だからどれが有効なのかは知らないが、今のはちょっとした透視のようなものだ」
「その手、どうしたの? けがしてる。さっきの人たちも手から煙が出ていたし」
穂海が引っ込めた守の手を見逃さずに言った。
「書術は体に負担がかかる。こんなのはまだ軽いほうだから大丈夫だ。他にも見せる、待ってろ」
守は違うページを開き、お札をくわえ、意識を集中し始めた。やがて霧という字が浮かび上がり、守は右手でつかんだ。
「書術――霧(む)!」
瞬時に分かった。2番目に見せてくれた柿屋という少女と同じ書術だと。全く同じ光景を予感していた有之助たちにとって、目の前で起こったことは想定外のことだった。
周囲に突然霧という小さな文字が無数に現れ、4人を囲うように回り始めた。やがて有之助たちにスーッと近づいて溶け込んでいったのだ。さっきまであった霧の文字はなくなり、右手を見てみると手のひらに霧という字が書かれていた。
「なにが起こったんだ」
有之助はそう言ってしばらく自分の手を見つめていたが、ハッと気付いて立つ上がると腰の刀を引き抜いた。見えづらくはあるが、刃を包み込むように霧のようなもやがかかっていた。一発素振りしてみると、空気を切り裂くようにして、霧の波紋が空気をないだ。
「これが俺の書術。協会で習ったやり方もできるけど、これはオリジナルだ。俺は文字を人に送り込むことができる」
守はフッと力を抜いて目を開けた。3人の手に現れていた霧の字もすっと消えてなくなった。
「なるほど。だが、なぜさっきの書術師とは違う。他にこの術が使える者はいるのか」
自分の手をにぎにぎしながら次男は尋ねた。
「知らない。でも、支部では俺だけだ。書術だって50以下。だけど……きっと役に立つ。だから! 俺を雇ってくれ」
「雇う書術師は、もう決まっている」
必死に頭を下げる守に対し、次男は他の評価シートも合わせまとめると階段を降り始めた。ポツンと部屋の真ん中に取り残された守は膝を抱えて座った。次男は誰に決めたのだろうか? 有之助と穂海は彼の後につきながら1階に戻った。
「明日の朝までに白門荘まで派遣しろ。俺たちはそこにいる」
「本当に、この書術師でよろしいのですね」
いすに座った塩売は受け取った4枚の評価シートを見比べて念を押した。
「評価シートの通りだ。あくまで素人目にだがな。契約金は期日までに振り込んでおく。有之助、穂海、帰るぞ」
「お気を付けて。今後ともわが協会をよろしくお願いします」
3人は墨臭い支部を出て白門荘に帰った。初めて見た書術はしばらく心の大半を占めていた。
翌朝、10時ころに白門荘の受付から電話が入った。どうやら昨日派遣を依頼した協会から書術師が来たようだ。庭園だろうか。それとも、柿屋? 八百屋? 守? そんな疑問がグルグル頭の中を駆け巡る。
部屋の戸を開けると、おかみさんの後ろからヌッと見覚えのある顔が現れた。
有之助は筆を背負った彼を見るなり名前を呼んだ。
「守!」
彼はビクッとしてからドサッと床に膝をついた。
「来たか」
部屋の奥から現れた次男は柔らかい口調で言った。顔を上げた守は目を赤くして唇をかみしめた。
「どうして……選んでくれたんだ」
「他と違う」
「え?」
守は、うれしくて、うれしくて、今にも泣きそうになりながら唇をかみしめた。
「ありがとう。俺……誰にも雇ってもらえたこと、なかったから。夢みたいで。書術師になれても、このまま誰の役にも立てず終わるんじゃないかって。あぁ……俺、うれしいっす! ちょっと、電話を借りても?」
有之助は電話を守に渡した。彼はベランダに出ると、ある番号に掛けてつながるのを待った。
守「……もしもし、母ちゃん?」
母「守?」
守「久しぶり」
母「心配してたんだよ。しばらくなんの連絡もないから、元気でやっているのかって」
守「元気だよ。麗子姉ちゃんは?」
母「元気」
守「実は、やっと書術師としての仕事が決まったんだ! 俺、雇ってもらえたんだよ! 母ちゃん。やっとだよ」
電話口の向こうで母親のすすり泣く声が聞こえた。
母「守。おめでとう。お母さん、とってもうれしい。あなたが絵を描くことをやめてから、書術師になるって、家を出ていってからもう何年にもなるなんて……」
守「うん」
母「この国で、好きなことで生きていくというのは、とても大変なことよ、守。でも、あなたは夢を追い続けた。見つけられた。お母さんは、それだけでもう十分。体には気を付けてね」
守は電話を静かに置いて青い空を見つめた。
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