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49、レンズを通して見えたもの
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有之助は自分の体を覆う霧のように細かな水滴に気付いた。さっきよりも書術の威力が倍増している。
「無茶をするな!」
次男は遠くに座る守を見て呼び掛けた。下から吹き上げる緩やかな風が守の髪や着物を揺らしていた。口からは血も流れている。長期戦になれば守の書術もじきに消えるだろう。
穂海は手元にあったかばんを開いて油の本を開いた。
「なにをしているのです?」
司は顔を真っ青にしたまま尋ねた。
その言葉も無視して一生懸命いろんなページをめくった。彼女の隣には、書術に集中するため守が必死になって札をくわえ目をつむっている。穂海ははやる気持ちでかばんの中をまさぐった。
油の本を閉じたとき、中に挟まっていた眼鏡が出てきた。つるを開いて持ち上げながら穂海は両レンズをのぞき込んだ。だが、彼女にはレンズの向こうになにも見えなかった。
「有之助!」
穂海は直観的に眼鏡を有之助に投げて渡した。
「え?」
「有之助、この眼鏡がかばんの中に入っていた意味、分かった気がする。あなたには、なにが見える?」
有之助は受け取った眼鏡をかけた。見たのは社殿の屋根にはりつく巨大な心臓だった。燃え盛る紅蓮の炎に包まれた心臓は脈打ち、そこから伸びる血管のような無数の糸が獅子の子につながっていた。こんなものが存在していたなんて、にわかに信じられない異様な光景だった。
「見えた」
獅子の子と切り合う次男に有之助は呼び掛けた。
「次男さん! 心臓が見えました。獅子は本体じゃない」
次男は立ち止まって聞いた。
「心臓はむぎだしの状態で屋根の上に張り付いている。だから獅子を狙っても心臓は貫けない!」
さっきまで余裕をかましていた獅子の表情が曇った。
「そいつは刀で切れるのか」
「やってみます!」
「上に行け!」
次男は動き出した有之助を追い掛けようとした獅子の前に立ちはだかった。
「お前の相手は俺だ」
有之助は社殿の中に素早く入り込み、暗く狭い回廊を駆け抜けた。階段をすさまじい勢いで上り詰めた有之助は屋上に躍り出た。切れる! 有之助は勢いそのままに刀を振り下ろした。同時に猛烈な炎が襲いかかった。赤い炎を切って突進してきたのはさっきまで下で次男と相手をしていたはずの獅子の子だった。
早い。
「有之助!」
次男の声が聞こえた。赤光りするなぎなたが刃先をすべって有之助の肩を切り裂いた。宙を舞って一気に落ちていく。下で待ち受けていた次男が有之助を受け止めたが勢いあまって2人は地面に転がった。
「大丈夫か」
次男はかばうように有之助を起した。
「ごめんなさいっ……次男さん」有之助はあえいだ。
「立て!」次男は怒鳴った。
弱気になっていた有之助は目を丸めた。次男は眼鏡を奪ってかけたが首を横に振るとすぐに返した。
「お前には見えるんだろ」
「……はい。あそこに心臓が見えます」
「今は理由など考えている暇はない。位置は分かった。お前が切りかかろうとした瞬間、一瞬だが波紋のような空気の揺れが見えた。だがあの獅子、一瞬で屋根まで飛ぶ跳躍力がある。飛ぶ鳥を落とす勢いでいかないと勝機はない」
次男は有之助の返り血を浴びた頬を拭って言った。恐らく体力に限界が近づいていることを悟ったのだろう。書術をかける守の体力もギリギリで、有之助は肩を切られた。
それでも次男は言った。
「心臓はお前が貫け」
自分のあふれ出る血を見てめまいがした。
「しっかりしろ!」
「次男さん」
「これはお前にしかできないんだ」
有之助は目の前で叫ぶ次男を見て心の炎を燃やした。穂海が教えてくれた。守が書術で時間をかせいでくれた。次男が足手まといの自分を信じてくれている。彼らの思いに応えなくてはならない。有之助は目に生気を取り戻し、次男の手を力強く引いた。
「もう一度、駆け上がりましょう!」
2人は炎が燃え移り始めた社殿の中を駆け抜けた。階段を抜けた先にやつがいるはずだ。 目の前が開け、次男が先に飛び出した。上から炎が吹き荒れ、獅子がなぎなたをあびせてきた。次男の刀はなぎなたを受け止めた。だが、まだくる! 獅子が身を低くくねらせ次男をすり抜けると、真っすぐ有之助に切りかかってきた。次男は下から刀を思いきり振った。彼の黒い刀となぎなたは同時に真っ二つに折れ、割れた間から有之助が刀で切り抜いた。刃の軌跡はその奥に燃える心臓を切り裂き、夜空に赤く輝く血潮が舞った。血は赤い光となって雨のように降り注いだ。
切った。
有之助は獅子と同時に崩れ落ちた。今度は落ちそうになったその手を次男がしっかりとつかんで離さなかった。
「よくやった」
次男は有之助を引き上げた。
「なぜだ」
切り裂かれた獅子は再生しながらも口から大量の血を吐き出した。もちろん、次男たちには獅子が流す血の一滴も見えてはいない。有之助の目にしか映っていないのだ。
「なぜ、わがはいの心臓が見えた。私が人間に負けるなど」
「無茶をするな!」
次男は遠くに座る守を見て呼び掛けた。下から吹き上げる緩やかな風が守の髪や着物を揺らしていた。口からは血も流れている。長期戦になれば守の書術もじきに消えるだろう。
穂海は手元にあったかばんを開いて油の本を開いた。
「なにをしているのです?」
司は顔を真っ青にしたまま尋ねた。
その言葉も無視して一生懸命いろんなページをめくった。彼女の隣には、書術に集中するため守が必死になって札をくわえ目をつむっている。穂海ははやる気持ちでかばんの中をまさぐった。
油の本を閉じたとき、中に挟まっていた眼鏡が出てきた。つるを開いて持ち上げながら穂海は両レンズをのぞき込んだ。だが、彼女にはレンズの向こうになにも見えなかった。
「有之助!」
穂海は直観的に眼鏡を有之助に投げて渡した。
「え?」
「有之助、この眼鏡がかばんの中に入っていた意味、分かった気がする。あなたには、なにが見える?」
有之助は受け取った眼鏡をかけた。見たのは社殿の屋根にはりつく巨大な心臓だった。燃え盛る紅蓮の炎に包まれた心臓は脈打ち、そこから伸びる血管のような無数の糸が獅子の子につながっていた。こんなものが存在していたなんて、にわかに信じられない異様な光景だった。
「見えた」
獅子の子と切り合う次男に有之助は呼び掛けた。
「次男さん! 心臓が見えました。獅子は本体じゃない」
次男は立ち止まって聞いた。
「心臓はむぎだしの状態で屋根の上に張り付いている。だから獅子を狙っても心臓は貫けない!」
さっきまで余裕をかましていた獅子の表情が曇った。
「そいつは刀で切れるのか」
「やってみます!」
「上に行け!」
次男は動き出した有之助を追い掛けようとした獅子の前に立ちはだかった。
「お前の相手は俺だ」
有之助は社殿の中に素早く入り込み、暗く狭い回廊を駆け抜けた。階段をすさまじい勢いで上り詰めた有之助は屋上に躍り出た。切れる! 有之助は勢いそのままに刀を振り下ろした。同時に猛烈な炎が襲いかかった。赤い炎を切って突進してきたのはさっきまで下で次男と相手をしていたはずの獅子の子だった。
早い。
「有之助!」
次男の声が聞こえた。赤光りするなぎなたが刃先をすべって有之助の肩を切り裂いた。宙を舞って一気に落ちていく。下で待ち受けていた次男が有之助を受け止めたが勢いあまって2人は地面に転がった。
「大丈夫か」
次男はかばうように有之助を起した。
「ごめんなさいっ……次男さん」有之助はあえいだ。
「立て!」次男は怒鳴った。
弱気になっていた有之助は目を丸めた。次男は眼鏡を奪ってかけたが首を横に振るとすぐに返した。
「お前には見えるんだろ」
「……はい。あそこに心臓が見えます」
「今は理由など考えている暇はない。位置は分かった。お前が切りかかろうとした瞬間、一瞬だが波紋のような空気の揺れが見えた。だがあの獅子、一瞬で屋根まで飛ぶ跳躍力がある。飛ぶ鳥を落とす勢いでいかないと勝機はない」
次男は有之助の返り血を浴びた頬を拭って言った。恐らく体力に限界が近づいていることを悟ったのだろう。書術をかける守の体力もギリギリで、有之助は肩を切られた。
それでも次男は言った。
「心臓はお前が貫け」
自分のあふれ出る血を見てめまいがした。
「しっかりしろ!」
「次男さん」
「これはお前にしかできないんだ」
有之助は目の前で叫ぶ次男を見て心の炎を燃やした。穂海が教えてくれた。守が書術で時間をかせいでくれた。次男が足手まといの自分を信じてくれている。彼らの思いに応えなくてはならない。有之助は目に生気を取り戻し、次男の手を力強く引いた。
「もう一度、駆け上がりましょう!」
2人は炎が燃え移り始めた社殿の中を駆け抜けた。階段を抜けた先にやつがいるはずだ。 目の前が開け、次男が先に飛び出した。上から炎が吹き荒れ、獅子がなぎなたをあびせてきた。次男の刀はなぎなたを受け止めた。だが、まだくる! 獅子が身を低くくねらせ次男をすり抜けると、真っすぐ有之助に切りかかってきた。次男は下から刀を思いきり振った。彼の黒い刀となぎなたは同時に真っ二つに折れ、割れた間から有之助が刀で切り抜いた。刃の軌跡はその奥に燃える心臓を切り裂き、夜空に赤く輝く血潮が舞った。血は赤い光となって雨のように降り注いだ。
切った。
有之助は獅子と同時に崩れ落ちた。今度は落ちそうになったその手を次男がしっかりとつかんで離さなかった。
「よくやった」
次男は有之助を引き上げた。
「なぜだ」
切り裂かれた獅子は再生しながらも口から大量の血を吐き出した。もちろん、次男たちには獅子が流す血の一滴も見えてはいない。有之助の目にしか映っていないのだ。
「なぜ、わがはいの心臓が見えた。私が人間に負けるなど」
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